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○北斗七星と北極星

 今年の夏は暑くて寝苦しい夜が続いています。寝ていてもパジャマが濡れるほど汗をかくので、ついつい寝そびれて寝不足気味になる人も多いのではにでしょうか。そんな夜は思い切って外に出て、天空一杯に広がる空を見つめ、星の観察をするのも楽しいものです。私が住んでいる双海町は田舎ゆえ街路灯も少なく、夜になると懐中電灯がなければ歩けないほど暗いため、逆に暗闇の彼方に浮かぶ星は、まるで天体ショーを見るように綺麗に見えるのです。

 特に夏の星座は星座版などを使って星を探せば、星座にまつわる伝説なども思い起こされ、孫たちに話してやるといつまで経っても中へ入ろうとしないのです。夏の星座の中で一際目立つのは来たの空に浮かぶ大熊座の北斗七星です。熊の背から尾をつくる七個の2等星がひしゃくの形に見える姿は、子どもの頃から見上げて育ちました。

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 しかし肉眼ではっきり見えるこの星たちを自分のカメラで撮影することはまず不可能なのです。何度か挑戦してみましたが、出来上がった写真は全て真っ黒なのです。最近は高感度のカメラも出回っているようですが、写真に撮れないだけにまたミステリーも多いのです。

 私は漁村に生まれ育ちました。ゆえに北斗七星を基軸にした北極星の探し方を随分教わりました。ひしゃくの先の2つの星を結びそれを約5倍延長した所にあるのが北極星です。というのも小熊座のアルファ星は天の北極、つまり真北(地球の自転軸を北側に延長した方向)を指し示す星だから、この星さえ覚えておけば、船乗りは方位が分かると教えられて育ったのです。漢名は北辰、英語はポラリスといって、いつも真北に位置する星として随分あがめてきました。

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一方カシオペアのWやMから見つける方法も教えられました。両端の2個ずつの星を結びそれぞれ延長してその交点と真ん中の星を結んでそれを約5倍延長すると北極星があるのです。

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 私はかつて宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海をしました。赤道を超えた南の海にマグロを追い、満船帰国の時は北極星を頼りに来る日も来る日も北を目指して航海しました。ロランや衛星ナビのなかった時代でしたから、六分儀で太陽や北極星の高度を測り、船の正確な位置を計算する航海術によって無事日本の港に帰ることが出来ました。今思うと星や太陽の高度で船の位置が分かるのですから、先人たちの知恵は凄いものだと感心していますが、その後陸に上がったカッパとなったため、その星を利用することはなくなりましたが、北極星は今も自分の心のロマンとして目指し続けている星なのです。

 「星影のワルツ」や「星は何でも知っている」という歌も、星とスターがこんがらがった現代も、もう遠い記憶となりました。でも今夜も寝苦しいようだったら思い切って外に出て、満天に輝く天の川や星を見ながら、遠い昔に思いを馳せたいと思っています。


  「久方に 天を仰いで 星を見る 北斗七星 ロマン漂う」

  「あの星を 結んで五倍 先にある 北極星は 憧れの星」

  「田舎ゆえ 星が綺麗に 見えるぞと 強がり言って 自慢のネタに」

  「あの星を 目指した昔 懐かしく 思い出される 青春の日々」

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○迎え火と送り火

 お盆をふるさとに帰省して過ごす殊勝な人もいれば、お盆の休みを利用して国外国内へ脱出してレジャーを楽しむ人もいてまちまちな過ごし方をしているようですが、先祖祀りの義務を背負った人たちはどちらにも縁がないと諦め、迎え火を焚きお料具を炊いて茶果・線香を供え、年に一度あの世からやって来るご先祖様と対話しながら過ごすのです。その作法は宗教宗派によってまちまちですが、結婚して40年の間に妻が祖母や母から教わったわが家流儀にのっとって、昨日までの2日間ご先祖様と一緒に過ごしました。妻はもう手馴れたもので、お料具作りも迎え火も手馴れたもので、私にも否応なしにテキパキと命令し、今ではすっかりわが家の年中行事に定着しているのです。

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 内心はもうそろそろ長男の嫁に仏事に作法を伝授しなければならないのでしょうが、子どもがまだ小さいので線香とお茶を供えるくらいなことしか出来ませんが、間もなく始まる同居生活ではしっかりと学んで次の世代への橋渡しをして欲しいと願っています。

 昨日は夕方孫たちも加わって、親父と共に家族で送り火を焚きました。家の西に当たる畑の隅にお供え物を備え麻殻に火をつけました。僅か二日間の逗留でしたが、ご先祖様も孫たちの賑やかな声に多少驚かれたことと思いますが、無事見送ることが出来ました。「来年もまた来て下さい」と祈る家族に夏の暑い夕暮れ時の日差しが照りつけていました。

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 無病息災を祈りながらもこの一年、91歳の親父が鼠径ヘルニアで入院手術をしたくらいで、家族はまずまずの健康を保っています。心配したその親父も手術の結果完全治癒して元気に過ごしています。来年まで家族全員が過ごせることを願っています。その親父もあと二週間ほどで92歳の誕生日を迎えますが、何とか元気で過ごして欲しいと願っています。

 気がつけば私たち夫婦もいい歳になりましたが、お盆が来る度に長男の嫁ゆえのさがを背負って何処へも行けず、ただ黙々と仏事をこなす妻に感謝をするのです。

 今日はお盆の最終日、子どもたち家族も土産と思い出を貰ってそれぞれの所へ帰り、また日ごろの生活に戻ることでしょうが、今日は妻の休日にしてやりたいと、殊勝にも感謝しながら朝を迎えました。

 (今日は次男の誕生日です)


  「迎え火と 送り火焚いて 盆行事 あくせく過ごす 長男の嫁」

  「いつの間に すっかり板に ついたのか 仏事仕切りて 頼もしい妻」

  「この次は 俺の番だと いう親父 ヘルニア治り 元気回復」

  「お供えの ブドウ一粒 ちゃっかりと 口にほうばる 孫に思わず」


 

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○凄いねえ、渡江歌舞伎くずし盆踊り

 お盆だというのに忙しいことです。昨日は妻を誘って西予市明浜町渡江の盆踊りを見に行きました。昨年度西予市が行った地域づくりグランプリの審査委員を頼まれ、準グランプリに輝いた歌舞伎くずし盆踊りという珍しい郷土芸能を、一度は見ておきたかったのです。明浜町に住む親友原田さんと連絡を取り合い、5時過ぎに明浜町へ着く予定でしたが、お盆は迎え火やお料具など主婦にとっては欠かせなしわが家の仕事があるので、結局は午後5時の出発となってしまいました。海岸国道を通って大洲から西予市宇和町まで無料高速道路を走り、明浜へ着いたのは以外に早い午後7時でした。宇和町から野福峠の九十九折の道を下ると、眼下に法華津峠の素晴らしい眺望が左に右に広がり、妻は感激の面持ちで目を見張っていました。

 親友の原田さんは出発時に電話が張り、お母さんの容態が思わしくなく出会えないと連絡が入り、変わって地元の人が数人案内してくれました。盆踊りが始まる前の20分ほど、近くの民家を訪ねて焼肉パーティの輪に入らせてもらいましたが、酒を飲まない肉も食わない私なのですが、悪いと思い差し出された肉を一切れ、それにソーメンをいただきました。

 やがて太陽が西の端に隠れ海沿いの公民館前広場では盆踊りが賑やかに始まりました。盆踊りは元々精霊を供養するために踊られたもので、渡江歌舞伎くずし盆踊りは昭和62年に西予市無形文化財に指定されていますが、中々見応えのある一風変わった盆踊りなのです。演目は水戸黄門、藤娘、清水次郎長一家、娘道成寺、熊谷陣屋、曽我兄弟、梅王・松王・桜丸車引き、義経千本桜、二枚笠、巡礼お鶴、力くらべ、神田祭、忠臣蔵五段目山崎街道の場、志賀段七、白波五人男、欧州安達ヶ原宗任・貞任、勧進帳、忠臣蔵の一場面・徳利の別れと続くのです。

 口説きは2時間にわたって朗々と続きますが、演技する人たちがプラカードに先導されて次々と入場し、4組くらいの踊りが場内を一巡したところで一組ずつ退場入場を繰り返すのです。盆踊りもさることながら化粧や衣装はまるで本物の歌舞伎に出てくる人を見ているようでとても艶やかで、まるで本物の歌舞伎を見ているようでした。

子どもから大人まで、地区ぐるみで行われる盆踊りは、盆踊りの私の常識を覆すようなものでした。私の町の沖合いに浮かぶ青島に伝わる赤穂浪士の盆踊りも子どもの頃に見ました。まt青島から伝わったというわが町の池久保と石久保の盆踊りも、それはそれとして立派なものですが、一ヶ月に及ぶ衣装、踊り、くどき、太鼓、囃子などの準備や練習のことを思うと、深い感動を覚えるのです。

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(開会を待つ夕暮れ時の盆踊り会場の静寂)

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(盆踊りに先立って練り歩く竹あみ)
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(観客も演技者も一体となった盆踊りに大勢のカメラマンも汗だくでした)

 追伸

 観客の中に、かつて社会教育主事講習を香川大学で受けた宮本さんに出会いました。今は老人会長をしているようです。また普及所でお世話になった課長さんや、水産高校を「卒業して半世紀、多分これが2度目の出会いとなった同級生の稲葉さんにもひょっこり声を掛けてもらいました。嬉しいことでした。

  「妻誘い 歌舞伎くずしの 盆踊り 噂どおりの 凄い迫力」

  「幼小中 高校生まで 加わって 地域ぐるみで 伝統守る」

  「そこここで 懐かしい顔 見つけたる 踊りの外輪 こんなとこまで」

  「来年は 友達誘い また来たい そんな気がした お盆の行事」 


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(16日掲載の愛媛新聞記事) 

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○孫の宿題

 12日の夜から14日まで、娘の仕事の都合で孫2人をわが家で預かり、昨日は帰省した息子の子ども2人も合流して、今年もわが家は賑やかなお盆となりました。小学校2年になった孫朋樹を覗けば1歳、2歳、3歳と聞き分けのないやんちゃ盛りの子どもばかりなので、家中おもちゃは散らかしたり、鳴いたり笑ったりと、まあ賑やかです。そんな中でも朋樹は夏休みの宿題を持参して、朝の涼しいうちは私の部屋の書斎椅子を占領して、勉強に励んでいるようです。

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 夏休みの宿題に、読書感想文と俳句を作るのがあるようで、読書は「おしいれのはなし」という本を既に読み終わっていて、どんなことを書くか迷っていました。プリンターの給紙用の紙を3枚渡し、読む前、読んで分かったこと、読んだ後の感想を書いたらと話してやりました。

 孫朋樹は言うことを聞かないので一度だけわが家の押入れに入れたことがあります。泣き叫ぶ孫を押入れに入れて戸を閉めましたが、その時はとても怖かったようです。また先日は孫3人が悪ふざけをして押入れの布団を全部外に出して、毛布などで陣地を作り遊んでいました。その様子と本を読んだ話と比較しながら原稿用紙2枚に書いたようですが、何とか書き上げたようです。

 一昨日は二つ目の国語の宿題である俳句づくりに挑戦です。運よく肱川町山鳥坂の夜神楽を見学に出かけましたが、その道すがら車の中で色々なことを考え、頭に浮かんだ五七五をメモすることにしました。あいにく車内には筆ペン一本と汚れた封筒が一枚あるだけでしたが、朋樹は1時間30分の道すがら7首もの俳句を作ったようです。宿題なので秀作は未発表にしたいと思いましたが、一句だけ紹介すると「ひまわりは お日さまむかい さいている」程度の俳句のようです。動く車の中で、しかも膝の上に置いた封筒に筆ペンで書いた文字は、まるで芸術品のような出来栄えでした。指折り数えて五七五、何とも面白い句会でしたが、車の中で考えた俳句は早速清書して宿題は一件落着したようでした。


 私も孫と同じように今月中に3本の原稿を宿題として頼まれています。既に2本は書き上げていますが、後1本はまだ構想段階です。孫と同じように要らなくなった使い古しの封筒の裏に、思いつくまま書きたいイメージをランダムにメモしましたが、どうやら原稿用紙10枚ほどの原稿の構想は孫のお陰で固まったようです。

 この歳になっても私のようなものに雑誌や機関紙の原稿依頼がかなりの頻度で舞い込みます。その都度エッセイストになったような気持ちで、浅学な浅知恵を働かせて書いていますが、拙文は免れません。孫のお陰で宿題を片付けつつある私です。


  「宿題を 持って孫たち やって来た 読書に俳句 少し助言を」

  「『ひまわりは お日さまむいて さいている』 中々いい句 褒めてその気に」

  「孫つられ 俺も宿題 原稿を お陰で一本 書き上げました」

  「当分は 孫と付き合う 夏過ごす 童心帰り 俺も楽しむ」


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○夜神楽を見に行く

 中国地方や九州地方に比べると四国愛媛には神楽はそんなに多くはありません。詳しいことは分かりませんが県指定の無形文化財は大洲柳沢藤縄神楽と、同じく大洲肱川山鳥坂の神楽だと思うのですが、先日その会長を務める富永さんから夜神楽見学のメールが届きました。愛媛県の無形文化財に指定されてから40周年だそうで、今年は記念大会だというのです。一昨年は妻を誘い清水さんと一緒に見学に出かけましたが、今年も清水さんから誘いがあり、年輪塾の井上登さんや青木晴美さんとも現地で合流し見学する予定で出かけました。

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 私はこの2日間、娘から二人の孫をあづかっているので、孫二人を乗せて山鳥坂へ向かいました。途中肱川の道の駅でトイレ休憩をして、請われるまま二人に雄のカブトムシを一匹ずつ買ってやりました。一匹150円とは安くお手ごろ価格でしたが、孫たちはおばあちゃんから貰った500円のお小遣いをポケットに偲ばせていたものの、私の財布から買ったため大喜びでした。

 この頃から夕立のような雨がポツポツと落ち出して、何となく怪しげな雰囲気になりました。二年生になる孫朋樹は親と離れて帰ってリラックスしているものの、孫尚樹はやはりホームシックなのか、夜神楽の龍の話が余程効いたのかしんみりし始めました。

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 駐車場に車を止め、富永さんに奉納のために妻が用意したブールケースを渡すと、顔見知りも何人かいるため夕食会場に誘われました。うどんと握り飯、それに野菜の天ぷら程度でしたが、孫たちも喜んで食べさせてもらいました。

 やがて元小中学校だった廃校になっている会場の座席を確保して、店開きした夜店で孫の求めに応じラムネ2本を買い求めました。かつてまちづくりセンターに出向していた沖田さんもボランティアとして売店で忙しそうに働いていました。やがて顔見知りの国会議員、市長、県議、市議などのお偉方が続々やって来て、その度にペコペコ組が右往左往していました。それもそのはずここは事業仕分けで物議を醸している山鳥坂ダムの最前線なのですから、野党与党を問わず一喜一憂するのです。

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 神楽に先立って神事や開会行事が延々と続き、6~7人の来賓がこれでもかと言わんばかりに壇上で挨拶をするのです。孫尚樹はそのころから空中に浮かんでいる龍の姿が気になって、腹に響く太鼓の音が聞こえる度に涙を流してシクシク泣き始めました。同席した清水さんが、「私たちが子どもの頃には怖いものが沢山あり、怖くてよく泣いたものです。感受性の強い子どもですね。いいことです」と持ち上げてくれましたが、青木さんが用意して持参してくれたお菓子に釣られて幾分悲しみは和みましたが、約束どおり夜神楽が始まって間もなく、後ろ髪引かれる思いで会場を後にしました。長年顔見知りの西田県議さんにプレゼントしてもらった焼きとうもろこしを一本食べ、一本はおばあちゃんのお土産にするといって持ち帰りました。帰りは肱川~内子~中山~翠小学校を経由して8時30分頃に我が家へ帰りました。


  「夜神楽を 見物行くが 泣く孫に 負けて帰りぬ 川沿いの道」

  「ダム問題 ゆえに政治家 やって来る 事業仕分けや 結果はいかに」

  「とうきびを 県会議員 プレゼント 嬉し恥ずかし 恐縮千万」

  「ああ今日も いいもの見たと 思いつつ 伝統守る 苦労敬服」

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○あせもの薬に海水浴を楽しむ

 熱さにも寒さにも滅法強いと自認していたはずなのに、今年は背中や腋の下などにあせもが出るほど汗をかいて、やはり歳には勝てぬと少々弱気になったりしている今日この頃です。妻に言わせればにきびやあせもは若い証拠だと茶化されていますが、風呂から上がる度にあせもの薬を手の届かない部分には妻に塗ってもらっていますが、今年の暑さはまるで梅雨末期のムシムシを、お盆が来たというのに引きずっている感じです。

 台風4号は日本列島をかすめてスピードを上げ、秋田県に上陸したと聞きましたが、東北北海道では床下浸水の被害が出るなど台風に翻弄されたようですが、何はともあれ四国では被害もなくホッとしています。

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  昨日はあせもの薬には最適とばかりに、近くのシーサイド公園へ孫二人を連れて海水浴に行きました。軽四トラックに浮き輪を積み出かけましたが、シーサイド公園の第一、第二駐車場は海水浴客で満車だったため引き返して灘町集会所の空き地に止めて、灘町海岸で海水浴を楽しみました。

 これほど綺麗な海の近くに住みながら、私自身が海水に浸かる海水浴は3年ぶりで、孫たちと一緒に1時間弱歓声を上げながら海水浴を楽しみました。3歳の孫尚樹は浮き輪でしか泳げませんが、小学校2年生の孫朋樹は学校の体育授業にあるため海水を怖がっていた去年までとは違い、ゴーグルをつけて海の中へ潜ったり泳いだりして、すっかり逞しくなっていました。

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 私は二人の孫の介添えですから、孫たちが喜ぶので浮き輪に二人を乗せて、足の届かない少し沖合いへ出たりして海水浴を楽しみましたが、肝心の汗も対策になったかどうかは疑問の残るところです。私などは海水パンツも用意せず、半ズボンで泳いでしまいましたが、灘町海岸には湧き海水浴客が沢山いて、焼肉ができるのはここだけとあって、テントの下で焼肉をしたりビールを飲んだりしながら楽しそうに過ごしていました。

 浜の温度は予想以上に暑く、35度を超え猛暑日になっているのではないかと思われましたが、お昼になったので早々に切り上げて家に帰り、3人で風呂に用意した小さなプールに使って塩抜きをして着替え、昼食を取った後、午睡をしました。孫たちは頭が痛いと悪ふざけしてヒエピタを額に張ってもらい、疲れたのかあっという間に夢の世界でした。


  「暑い夏 あせもの薬 潮浸かる 孫はキャーキャー 海辺で遊ぶ」

  「砂浜に 焼肉匂い 立ち込めて ビールを片手 ビキニの女性」

  「海はいい 清濁包み ゼロにする 遠い昔に 帰ったようだ」

  「あんた何処 私松山 俺地元 泳ぎながらも 挨拶交わす」 

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○役場に勤めたから出来たと言われても・・・。

昨日人間牧場ロケ風呂の下の畑で草刈をしていると、何やら大きな声がするのです。草刈に熱中していたのとエンジン音で聞こえなかったようで、声が聞こえ一瞬我に帰りました。見ると顔見知りの女性を含めた3人が笑顔で立っていました。聞けばお盆が近づいたので人間牧場下のお墓に姉妹でお参りに来たというのです。顔見知りの二人のうち一人は伊予市、一人は双海町でした。もう一人は大阪に住んでいるらしく始めて顔を見ました。

 人間牧場近くに実家があるので、子どもの頃からお二人の顔は覚えていますが、大汗をかいて草を刈っていた私を見て、お二人は私の痩せた姿を見て一応に驚き、「どこか具合が悪いの?」とか、「そんなに痩せて大丈夫なの?」と心配してくれました。

 お二人の知っている私は、今より15キロも太っていたのですから、そんな驚きの声も当然かも知れないのです。「実は10年前、胆のう摘出手術をしてから痩せまして」とるるそのいきさつを説明しましたが、説明すればするほど心配は深くなるようでした。「私など痩せたくても痩せない。世の中は上手く行かないねえ」と大笑いをしました。「折角なので中を見せてくれない」といわれたので、水平線の家の中に入り、縷々見学と説明をしてあげましたが、「こんな施設を作ったあなたは凄い」「あなただからできる」「何とも羨ましい」と持ち上げてくれました。「これは私の長年の夢でしたからと話しました。

 「進ちゃん、あなたは役場に勤めたからこんな夢も実現できたのよ。百姓や漁師をしていたらこんな夢みたいなことはやろうと思っても出来る訳がない」と、暗にこの地で農業を営む自分の弟に同情するような話をするのです。私は即座にやんわりと反論しました。私は安月給のしがない地方公務員でした。それでもお粗末ながら家を建て、4人の子どもを育てました。そして10年間夢を育み人間牧場構想を実現したのです。それは役場へ勤めたからでもなく、役場に勤めた義務感でもないのです。いわば若松進一という人間の生き方なのです。

 私は役場に勤めていた印象が余りにも強過ぎて、リタイア後もそのイメージはついて回っています。それは仕方がないことですが、生き方まで役場流だとは思わないのです。

 時々人間牧場を役場の一施設だと勘違いされる人がいます。ゆえに私のサービスが悪いと顔を曇らせる人もいるようですが、人間牧場に関して補助金などの女性は一切当てにせず、全て自分が長年かけて蓄えてきた資金で造ったのです。

 役所に勤めた人は往々にして役所に批判的で協力的ではないとよくお叱りや批判を受けますが、私は人間牧場はむしろ地域への恩返しだと考え、子ども教室や年輪塾などに広く開放しています。地域外の人にそのことを理解して欲しいと願っても、意思は通じるすべもありませんが、偶然の出会いで降って湧いた問いかけに考えさせられた一日でした。

  「元役場 そんな目線で 俺のこと 見ていたなんて 少しショックだ」

  「役場いた お陰でこんな 場所できた 言われるけれど そんなことない」

  「焼肉を すればどんなに 楽しかろ そんな人など 来て欲しくない」

  「近々に ウッドデッキに 寝そべって 天の川見る これは楽しい」


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shin-1さんの日記

○あなたのブログで紹介してくれませんか!

 昨日は、帰省先の大阪から1時間遅れで帰ってきた娘の都合で、孫二人を預かることになって夕方妻と二人で松山まで迎えに行きました。マンションが道後なので伊予から松山まで高速料金タダの恩恵にあずかろうと、僅か10kほどの高速に乗りました。帰省ラッシュだそうでしたが、さすが全国一の無料区間交通量とあって、松山の出口付近は混雑していましたが、ラッシュの時間帯にもかかわらずわが家から50分弱で到着しました。

 娘夫婦は1週間の長旅でさすがに疲れていたようでしたが、孫たちは車の中で居眠りをしていたらしくケロリとしていました。

 娘の家を出たところで夕食の希望を聞くと寿司が食べたいというのです。私も弁当を持たずに人間牧場で草刈をしたり、下灘の漁師さんからいただいたはも等の料理に手間取って腹が空いていたので大賛成とばかりにすし水軍という馴染みのお店へ行きました。受付8番目とかなり込んでいましたが、孫たちと冷房の奇異板車の中で順番待ちをしていました。30分もすると2年生の孫朋樹が席が空いたと呼びに戻ってきました。

 娘夫婦とは一旦別れていましたが、私たちが寿司を食べに行くことを察したのか、相談もなく偶然に同じ店で合流し、久しぶりに楽しい食事会となりました。

 食事中昨日はどういう訳かひっきりなしに電話がかかってきました。今日の河辺村の夜神楽見学会の件で清水さんから、明日の明浜町歌舞伎崩し盆踊り見学会の件で原田さんから、また大洲青少年交流の家の新山所長さんと呑み会をしていると高知県四万十市の和田さんから、さらには県外から講演依頼の二件の電話がそれぞれありました。もう一人銀岡さんという方から、「あなたのブログは読者が多いから、是非映画『GATE』という映画の紹介をして欲しい」と電話が入りました。深い付き合いではありませんが今朝早速この映画についてインターネットで調べました。

 STORYには、「今始まりの地へ、25日間、灼熱の2,500km、60年前に開いた禁断の輪を閉じる祈りの旅」というテーマが書かれていました。「この世に二度と同じ悲劇を起こさないと願ったある日本の僧侶たちの祈りの行脚。2005年7月、僧侶たちはアメリカンインディアン、宗教や宗派を超えた平和を祈る様々な人々と共に、アメリカサンフランシスコから、世界最初の核実験が行われたニューメキシコ州のトリニティサイトまで、砂漠、山、250以上の街を越え、灼熱の中2500kmを旅した。60年間、祈りと共に絶やすことなく燃やし続けた大切なものを運んで、広島の原爆投下から採取した原爆の火。すべてが始まった悲劇の原点、グラウンド・ゼロ(爆心地)にその火を戻し、負の連鎖を断ち永遠に眠らせる。60年間、一度も開かれたことのなかったトリニティサイトのゲイトは、果たして開かれたのだろうか。僧侶たちは目的地であるトリニティサイトへ、一体どのようにして辿り着けたのだろうか・・・・。」

 8月15日13時から松山総合コミュニティセンターキャメリアホールで上映会をします。

 主催はハッピーオーラプロジェクト、これはすべてがボランティア、すべてが寄付によって行われます。

 一般前売り券1000円(当日1500円)です。詳しくはhttp://www.gate-movie.JP/http://ameblo.jp/happy-aure2009/か、http://ameblo.jo.greenti/へアクセスして下さい。

 

  回る寿司 見ながら電話 相次いで 食べたいお皿 行ってしまった」

  「広島と 長崎書いた 記事読んだ 人に頼まれ 映画宣伝」

  「核のない 世界を願う 人の輪が 広がることを 願っています」

  「傍で寝る 孫の寝息を 聞きながら 布団抜け出し ブログ記事書く」

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○ネギの植え替え

 昨日の昼過ぎ、草刈最中の休憩を東屋でしていると親父が、三ツ矢サイダーの冷たいのを持ってきてくれました。そして「もうそろそろ畑のネギを植え替える時期だ」というのです。そういえばネギは古い皮を窮屈そうに被っていて、草刈りが終わったらネギの植え替える相談がまとまりました。

 硬くなった土に鍬を入れ三畝に植わっているネギを掘り起こしキャリーで東屋の木陰に持ち込み、水をかけて根を柔らかくして二人で分株し始めました。わが家のネギは薬味用のネギと深ネギの二種類を作っていますが、品種は分かりませんが九条ネギのような細いネギは葉っぱを食べるため、根っこから引かず、葉を切り取ると次々新しい芽が延びる仕組みになって重宝しているのです。

 一方深谷ネギのようなネギは冬の鍋物に欠かせないもので、根こそぎ抜いて根っこの白い部分を食べるのです。九条ネギに比べて根も葉も大きいため、活着をよくするため緑色の葉っぱの上部を切り落として植えつけるのです。

 ネギはわが家では色々なものにかなり頻繁に利用します。味噌汁も納豆も、この時期のそうめんやうどん、それに冷奴などの薬味には欠かせない添え物なのです。主役ではありませんがやはりネギがないと今一で、家庭菜園が敷地内にあるものですから、料理が仕上がりそうになってから畑へ採りに行くこともしばしばなのです。

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親子水入らずのネギ分株作業は1時間余りに渡って続きました。私は草を除けて耕運機を倉庫から引き出し、エンジンをかけて念入りに畑を耕しました。人力から比べるとやはり耕運機の力は大きく、あっという間に畑は見違えるような新地になりました。巾鍬で畝を二つ立て、少し深めの溝を掘ってネギを植え付けて行きました。

 九条ネギ2列、深谷ネギ1列を植え終わった頃には、台風接近の小雨がパラパラ降り出しましたが、濡れることなく作業を終え、親父が根元に蒔いた籾殻と牛糞の上から、ジョロで丹念にたっぷり水をやりました。夏の暑い時期なので活着するかどうか心配ですが、毎年やっている作業なので、多分大丈夫だと思っています。

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 昨日はついでにサツマイモのツル返しをしました。植えつけてからぐんぐん伸びたツルは、辺りかまわず延び放題で、マルチからはみ出たツルは地上に根を張ろうとしていました。そのツルを内側に返してやると根元のサツマイモが成長するのです。

 今朝起きて、菜園に出て畑の様子を伺いました。植え付け後の管理が大事とジョロに水を入れて、たっぷり水をやりました。親父は井戸の水をトマトやナスやキューリに散水していましたが、あと2週間もすれば大根や白菜などの秋蒔き野菜の準備もしなければなりません。既に予定地は先日耕運機をかけて草を退治していますので、種物を仕入れていい野菜を作ろうと思っています。

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  「株分けを 親子仲良く 汗かいて ネギの植え替え  一件落着」

  「ネギ風味 脇役だけど 引き立てる 俺も脇役 ネギ真似生きる」

  「土の中 水土肥料 太陽の 恵みいただき 順調育つ」

  「リタイア後 早くも五年 菜園も すっかり板に 美味い野菜が」

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 朝起きると直ぐにパソコン画面で台風情報を見ました。下の写真が5時の台風進路状況と予想図です。

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 日本民族が大移動するお盆の帰省が始まりました。その機をとらえるように台風4号が日本列島を掠めて、今朝は鳥取沖を北進中です。お盆の時期が来ても4号ですから今年は台風の発生が連年よりかなり少ないようです。「台風は大潮を狙ってやって来る」というジンクスがあるように、今は一年中で最も潮位の高い時期なので、たとえ台風の規模が小さいとはいえ高潮には注意が必要なようです。

 今度の台風は風もかなり強いようで、昨日一日は私の町でも南西のいわゆるやまぜという南の風が吹き荒れ、時折雨のぱらつく曇りにもかかわらずフェーン現象というのでしょうか、生暖かい風が気温30度を越えさせていたようです。

 昨日は久しぶりに畑仕事に汗を流しました。家の敷地の裏には山が迫っていて、100メートルを越える畦畔が続いていますが、年に何回かその草を刈らねばならないのです。草刈機にチップソーの刃をつけて刈り進んで行くのですが、この作業が夏の暑い盛りのことゆえ尋常ではないのです。若い頃は自然豊かな自宅だと思って満足していましたが、加齢のことを考えるとこの先どうするか多少不安が広がりますが、それでも田舎の勲章と思い一年に4回くらい刈ると綺麗な環境で暮らせるので、昨日も一日草刈に明け暮れました。草刈の終わった畦畔は散髪をした私の頭のようにさっぱりとして、一週間もすれば青草が生え揃うのです。

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 草刈は危険も伴います。草刈機が石ころを巻き込んで飛び跳ねるため、体に当たると生傷が出来ます。これまでにも何度か軽い打撲程度がありましたが、本当は風防メガネをかけて作業しなければならないのでしょうが、この暑さなのでそれもせず無事作業を終えました。

 昨日は暑いといっても風があって作業は順調でしたが、やはり大汗をかき熱中症にならぬよう時々エンジンを止めて、妻の作った冷蔵庫の麦茶を沢山飲みました。昨日で家の周りや家庭菜園の草刈りは全て終わりましたので、近々から人間牧場の草刈にかからなければなりません。これらの草刈作業の肉体労働が、体力回復に役立っているようで、裸になった自分の体形を見て少し筋肉ができたような感じがするのです。

 顔も日焼けして黒くなり精悍になってきました。顔見知りの会う人からは「お元気そうですね」と声を掛けられます。どうやら田舎の人は日焼けすれば元気そうだと思っているようです。


  「台風が 日本をかすめ 北上中 こちらは過ぎて あちら迎える」

  「やまぜ吹き 暑い最中に 草を刈る まるでサウナの 中にいるよう」

  「熱中症 なる暇もなく 作業する お陰で斜面 散髪したよう」

  「風呂上り 鏡に映る 体見て いい体だと 自画自賛す」



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