shin-1さんの日記

○種の生命力は凄い

 家庭菜園の畑を耕運機で耕し、畝を立てて種を蒔いてから一週間近くが経ちました。その間一滴の雨も降らず毎日30度を越える残暑が続いています。親父は庭の隅にある井戸から家庭菜園の各所に、自分で配水パイプを引いて水遣りができるようにしていますが、その井戸水を使って毎夕水を撒いたお陰で二日前から大根の種が芽吹き、可愛らしい緑色の双葉が地上に出てきています。目の薄くなった親父には最初芽吹きは見えなかったようですが、昨日の昼頃には芽の列がしっかりと確認できるようになりました。太陽が沈み地上の熱が収まった頃を見計らって散水を続けてきた親父にして見れは、種の発芽は嬉しかったようで、「これで今年の冬も大根を食べることが出来る」と喜んでいました。

若松進一ブログ
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 それにしても種の生命力は凄いと思います。一粒0.5mにも満たない小さな種が太陽の恵みを受けた大地の熱と水によって芽吹くのです。一緒の日に蒔いた小松菜やコカブ、高菜などの種はもっと小さく、虫眼鏡の世界でしかない種が、根と茎と葉っぱの基をしっかりと種の中に蓄えているのですから驚きです。

 種は硬くて丸く潰そうと思っても潰れませんが、水を含むと種は容易に表皮を割って発芽と発根をするのです。地中と営みは目に見えないため知るよしもありませんが、地上に出た目はやがて双葉の上に葉を茂らせて行きます。小松菜やほうれん草などは葉を食べるためある程度生育状況が分かりますが、大根は食べる根の部分の成長が重要なので、種蒔きと同時に施肥した有機肥料が効いて、どんどん成長して行くことでしょう。

 今年の秋は好天に恵まれて、各地で開かれている運動会も気を揉むこともなく順調に推移しているようですが、夏からの続く猛暑は観測史上様々な記録を塗り替えるほどで、少雨状態はみかんや野菜に大きな打撃を与えているようで、干ばつ対策本部を設置して水遣りを促しているようです。雨が少ないから水をやるという対処法は誰もが考えることですが、みんなが水を欲しがるのですから、我先にという競争や揉め事が必ず起ります。利口な人は、人が水に見向きもしない雨の多い頃に水を蓄えたり、配水パイプの手入れをして事に備えるのです。一見逆のようですがこれは理に叶った対処法です。水を制すれば儲かることが分かっていながら、目に見える目先のことしか出来ないのも、これまた人間の悲しい嵯峨かも知れません。

 その点92歳になった親父が庭の隅に井戸を掘り、配水パイプを引いた行動はわが親ながら賞賛です。「井戸を掘ったが泉が湧かぬ」ハズだったわが家の井戸も、井戸の底に水道(みずみち)が出来たのか、今年のような旱魃にさえびくともせず、たっぷりの水を蓄えているのです。私には真似のできない先陣の知恵なのです。


  「この種の 何処にあるのか 生命力 芽と根を伸ばし やがて野菜に」

  「この種は 何処で採れたか 分からぬが 我が家の畑 夢のゆりかご」

  「空袋 隅に一粒 種残る 愛おしくなり 畑にそっと」

  「今年また 季節巡りて 種発芽 冬に供えの 野菜が育つ」

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shin-1さんの日記

○松樹千年翠

 古い言葉に「松樹千年翠」という言葉があります。変わらないものの価値を見失うな」という例えですが、私たちはややもすると世の中の新しいものや華やかで面白いものに目を奪われがちです。テレビの視聴などはその際たるもので、最近のテレビ番組などはゴールデンタイムを狙ったバラエティが多く、コマーシャルで番組を製作しなければならない製作会社は、視聴率アップを狙う余りにやらせなどをやってしばしば問題になるのです。

 人間には本質的要素と付属的要素がありますが、徳とか徳性、つまり人が人を愛すること、人のために尽くすこと、清いこと、?をつかないこと、、真面目なこと、守るべき事を守ること、敬いや感謝などなど数え上げれば切がありません。しかし戦後50年余りでこれら本質的要素がないがしろにされ、むしろ付属的な要素である知識とか学歴とかがあたかも人間の真価のように思われてきました。たしかにこれらもないよりはあった方がよいのですが、本質的要素には遠く及ばないのです。

 先日ある人から、ある女性の結婚話の相談が持ち込まれました。私の顔が広いと勘違いをしての相談でしたが、その釣書には何処を出たという学歴と、どんな会社に勤めている、親がどんな仕事についているということが主流で、その女性の本質的な優しさや気配りといった本質的要素はどこにも書いていませんでした。釣書を持ってきた人に、「相手の女性はどんな性格なの?」と尋ねても、「よく分からない?」と心もとない返事で、挙句の果てに「あなたがその目で確かめて下さい」と心もとない話でした。

 仕方がないので早速出会いましたが、東京の一流大学を卒業し、役所に勤めているようで、それなりの顔立ちでしたが、喫茶店でお茶を飲んだだけなのに情の厚さや気配りに今一なところを感じたため、「私だったらこの人と結婚するだろうか?」と思い、この釣書は相手にお返しすることにしました。人を表面だけで判断は出来ませんが、にじみ出る女性らしい気配りは、今も昔も変わらない本質的要素だとしみじみ思いました。「あなたは今時古い」と思われるかも知れませんが、子どもを育てる場合でも人を思いやる優しい心を育てて欲しいと、娘や息子に伝えています。

 わが家の庭に植えて40年近くになる松樹があります。この木はそんなに大きくはないものの山取りのため、幹肌は荒れいい松の条件を満たしています。わが家に植えられてから40年、この松は親父の手によって毎年2回剪定の鋏が入れられ、40年前と殆ど変わらない容姿を保ち続けているのです。この木が庭にあることは知っていても、その存在を日々の暮らしの中で感じることは殆どありませんが、この松の木があるだけで、庭は締まって見えるのです。まさに「松樹千年翠」なのです。

  「本質を 見抜く力を 身につける 難しながら 大事な目利き」

  「わが庭の 松樹しっかり 生き抜いて 親父とともに 存在示す」

  「何処を出た そんな学歴 糞食らえ 大事なことは 人間力だ」

  「まだまだだ 修行足りぬと この身恥ず 進化の速度 一向進まず」


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shin-1さんの日記

○虫の声

 虫と言われて連想するのはどんな虫でしょう。残念ながら私はハエや蚊、ゴキブリ、カメムシなどなど、余り良いイメージの虫は頭に浮かばないのです。私たちの住む四国は日本列島の中でも比較的西に位置していて、雪もほとんど降らず積もらず、瀬戸内海に面しているため気候が温暖な地域です。そのためそれらの虫たちは5月の連休頃から出没し、9月いっぱい活動するため様々な工夫を施しています。ゴキブリにはゴキブリ団子、蚊には蚊取り線香や蚊取り器、ハエにはアースジェットなどを使いますが、悪玉菌ならぬ悪玉虫は夜昼となく暗躍して私たちを悩ませるのです。極めつけはあの強烈な匂いを発するカメムシで、白い色を好むのか白い洗濯物に留まって、下手をすると家の中まで入り込んでしまうのです。このカメムシも昔は冬は死滅していたようですが、地球温暖化の影響でしょうか越冬するようになり、みかんや柿等の農作果物に止まって果汁を吸い取るのです。吸い取られた果物は商品価値が落ちるため、農家は一生懸命防除消毒をするのですが、農薬免疫が出来たカメムシは、今や人間と仲良く共存しているようです。

 何年か前最後の清流といわれる四万十川沿いや四国愛媛でも大きな川の一つである肱川沿いに夏宿を取ったり夏キャンプをしたことがありますが、夜になると無数の虫たちが出てきて驚いたことがあります。沿線に住む人たちの言い分は「虫がこれほどいるのだからこれが自然なのです」と平気で自慢していましたが、海沿いに暮らす私たちにとっては考えられないような出来事でした。

 さて、そんな悪い虫たちを連想する夏も終り、家の周りでは秋の虫たちが涼やかな音色を響かせるようになってきました。久しぶりに我が家へやって来た孫たちは、何処からとも泣く聞こえてくる虫の声が何とも不思議な様子で、一昨晩は懐中電灯を片手に家の外に出て、虫かごを持って虫の観察に出かけました。声のする方を探すのですが残念ながら「声はするけど姿が見えず」諦めてしまいました。

 ところが夕食が済んでテレビを見ていると、何処から入り込んだのか黒いコオロギが一匹、横になっていた妻の腹に止まったのです。孫たちは大騒ぎをして飛び跳ねるコオロギを捕まえ、虫かごに入れ、ナスを輪切りにして爪楊枝を突き刺し与えました。オスかメスかも分からぬコオロギに孫たちは釘付けになりましたが、結局諦めて深い眠りにつきました。

 夜中じゅう鳴き通している秋の虫の鳴き声と虫の名前は中々一致しません。確か子どもの頃に習った「虫の声」という歌があったと思い、インターネットで検索しました。

      「虫の声」 (作詞作曲不詳/文部省唱歌三年)

 1、あれ松虫が 鳴いている

   ちんちろちんちろ ちんちろりん

   あれ鈴虫も 鳴きだした

   秋の夜長を 鳴き通す

   ああおもしろい 虫のこえ

 2、きりきりきりきり きりぎりす(こおろぎや)

   がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫

   あとから馬おい おいついて

   ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

   秋の夜長を 鳴き通す

   ああおもしろい 虫の声

 私の耳に聞こえる虫の鳴き声は、そう言われてみればそう聞こえますが、あの無視は何々と識別判断することは出来ないようです。今朝も昨晩の名残を引きずって秋の虫たちが鳴いているようです。虫の声に耳を傾ける余裕と風流を持ちたいものです。


  「コオロギが 草むら見まがう 妻の腹 寄ってたかって 追いかけ回す」

  「鳴き声を 聞いても何の 虫なのか 分からぬままに 孫に説明」

  「田舎ゆえ 虫の音色の 際立ちて 孫は不思議と 言わんばかりに」

  「虫の声 風流余裕 楽しむが 何の虫かは 知るよしもなし」

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shin-1さんの日記

○お父さ、今年は黒くなったねえ

 今日は友人の母さんの葬儀が午後2時から伊予市農協会館のルミエールという葬祭会館であり、私とご主人、妻と奥さんが揃って友人ということもあって、二人で告別式に参列しました。親類の告別式なら二人喪服で揃って出かけるのですが、他人の葬儀に夫婦揃って出かけることは稀なので、少し変な気持ちでした。予定通り午後2時に読経が始まり、予定通り午後3時に出棺霊柩車をを見送り、少し時間が早いので精進落としをしようと、近くの温浴施設で汗を流し、久しぶりに二人で近くの回転寿司の店へ行きました。二人のカウンター席が運よく空いていて、連休のためファミリー席を待っている人たちの列を尻目に、席空きを待つこともなく寿司を楽しみました。私はハマチやカツオといったものが好きですが、妻は貝類やエビ、イカ等を8皿ずつ食べて午後6時前に自宅に戻り、白鵬が55連勝した瞬間を見ることができました。大相撲も先場所は暴力団や野球賭博問題で、NHKテレビ中継がなく寂しい思いをしましたが、このところの白鵬の連勝記録で再び息を吹き返しつつあるようです。このまま双葉山の69連勝を目指して頑張って欲しいものです。

 相撲中継が終り、もう服を着替えるため裸になると妻が、「お父さん、今年は黒くなったねえ」と感心してくれました。早速鏡に裸のまま写すと、確かに顔も腕も真っ黒に日焼けしていて、思ったより黒いのに驚きました。

 自分お書斎に行き、デジカメに足をつけ自動シャッターで自画像を撮ってみました。「ウーン黒い」、自分でも納得するような黒さです。このところ人間牧場の草刈り、家庭菜園の苗物植えや野菜の種蒔きなどなど、戸外しかも猛暑日や真夏日の残暑の中での戸外作業が続いたため、日焼けしたようです。作業は長袖シャツと広縁の麦藁帽子を着用していますが、菜園の種蒔きなどは軍手を脱いで素手で作業をするため日焼けしたものと思われます。昔は日焼けは労働者の勲章のように言われていました。最近は太陽の下でバカンスを楽しむセレブ層の人たちの方がゴルフや海水浴、海外旅行など太陽に当たる回数が多いので金持ちの勲章だといわれてきました。労働者でありセレブでもない私の、太陽に焼けて黒くなった顔色を他人はどのような評価をするのでしょうか。まあ他人の目は別として、目下のところ顔色だけを伺うと健康そのもののようです。

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(大相撲秋場所にあやかり、肉体美ならぬ骨体美、65歳の自画像です。白い所もあるんです)

 妻が驚くほど黒くなった私の顔色は、徐々に黒くなったため、2~3日室内にいたくらいで元の顔色に戻ることはないようです。加えて暑さ寒さも彼岸までという9月の半ばを過ぎてもなお残暑が残る明日は、私が学校評議員をしている由並小学校の運動会です。ご案内をいただいているので参加しようと思っていますが、明日も間違いなく日中は真夏日のようです。日焼け止めを塗るほどのことはありませんが、できるだけテントの下で観戦したいと思っています。

 この夏はたっぷり汗をかいたせいか、また肉体労働をしたせいか、身体も幾分引き締まり、55キロをキープしています。腕や肩の筋肉も昔のようには戻りませんが、まあ何とか男らしさを保っています。さあ食欲の秋がやって来ました。魚も果物も美味しいし、先日は友人西岡栄一さんが新米をどっさり持ってきてくれました。新米の炊きたてのご飯は問えも美味しく食欲をそそります。どうにか暑かった夏も元気で乗り越えることが出来たようです。


  「お父さん 黒くなったと 妻が言う 鏡に写し 自分納得」

  「自画像を デジカメ写し アップする 何度撮っても 黒々黒い」

  「俺は今 サンデー毎日 自由人 顔が黒いの 当たり前だろう」

  「色黒い 男勲章 思ってる 人は黒さを どんなに見るか」

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○カボチャ談義

 昨日、「カボチャが届きました」ととりあえずお礼のメールを送りました。そして送っていただいたことのお礼をこめて、私のブログに紹介したのも昨日のことです。ところが今朝6時にメールを開けてみると、9時間前の昨夜20時58分に北海道佐呂間町の荷主武田温友さんから、メールとブログのお礼が届いていました。

 荷物はさすがにFAXやメールで送ることは出来ませんが、そのうち荷物さえも瞬時に後れる時代が来るかも知れないとドラえもんや鉄腕アトムのことを思い出しました。今までであれば電話や電報が一番早い音信でした。ハガキや手紙でのやりとりとなると、それにはそれの値打ちはあるものの、時間がかかって仕方がないのです。北の北海道と西の四国は距離的には遠く離れているのに、まさに距離を感じさせないスピードにただただ驚き、よくぞメールという道具を手に入れていたものだと、嬉しくなりました。


 さて、私が北海道佐呂間町の寿大学に講演に出かけ、講演の前に武田温友さんと控え室で出会い、かぼちゃの話を聞いただけの小さなきっかけが、武田温友さんのカボチャに対する情熱と私のことを記憶していたこと、そして私に一年後カボチャを送る行動によって来たと西の小さな小さな交流が始まりました。人は何回会ったかの和ではなく、思いの深さだとしみじみ武田温友さんのことを思いました。北海道での出会い、カボチャの荷物、お礼のメールとブログ書き、返信メールと武田温友さんとの音信はたった3回なのに、私にとっては何年も前から知っているような旧友の一人にランクインしたのですから、人の出会いとは面白いものです。

 武田温友さんに、「送ってもらったカボチャは大切にしまって置き、冬至カボチャとして食べたい」とメールに書いたところ、以下のような返信が届きました。

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(送られてきた坊ちゃんカボチャ、残念ながらあと一つは長男の嫁が持ち帰ってしまいました)

 ~前略~「お届けしたカボチャはすべて私が種から育てて、先週末に私が収穫、選別したもので、自分の分身のようなものです。それだけにブログにご紹介とは嬉しい限りです。これからも自信を持って「かぼちゃの地域おこし」に取り組む勇気が湧いてきました。本当にありがとうございます。そして、肝心なお話ですが、お届けした「食用かぼちゃ」2個は、今食べるのが一番美味しいカボチャです。

 普通のカボチャは、収穫して水分が抜けてくると、でんぷん質が減って糖質が増え、そのバランスが一番良く、カボチャの一番美味しい時期は収穫してから二週間だといわれています。今回お届けした「坊ちゃんかぼちゃ」はこの普通のかぼちゃなのです。

 そして、これまた不思議な話で、でんぷん質糖質が増えるスピードが遅く、ちょうど12月、冬至の時期、人間が一番カボチャを食べたくなる時に旬な時期を迎える、心憎いカボチャがあるのです。表皮が乳白色の「雪化粧という名前のカボチャです。12月にはこの雪化粧カボチャをお送りしますので、是非坊ちゃんカボチャはお早めにお召し上がりください。~後略~」


 思わぬネット上でのカボチャ談義となり、知られざるカボチャの魅力を知ってしまいました。わが家でも冬至カボチャを食べますが、どういう意味で冬至カボチャを食べるのかは余り聞かされていませんでしたが、緑黄野菜の王様であり好物のカボチャをこれからもせっせと食べたいと思います。カボチャを食べる度にこれからはカボチャ博士武田温友さんのことを思い出すことでしょう。今年の冬至が俄然楽しみになってきました。


  「知らなんだ 何故にカボチャを 食べるのか 冬至楽しみ 今年の冬は」

  「北と西 ネットでカボチャ 談義する 便利世の中 感心しきり」

  「世の中にゃ こだわる人が いるものだ カボチャ一つに 夢を託して」

  「人のこと 言えるはずない 俺だって 食えぬ夕日に 思いを寄せて」

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shin-1さんの日記

○3つの同心円

 まちづくりの世界に長年かかわっていると、色々な人から色々なお話を聞く機会があります。最近はやたらと横文字が多く、少しでもそのことを理解しようと横文字の意味を調べたりするのですが、イミダスや広辞苑など私の頭脳として首っ丈で調べていた辞書類が、インターネットの普及でこの一年、殆どページを捲ることもなく書棚の隅に追いやられているのです。インターネットは早くて簡単で便利ですが、やはり私のような古い人間にデジタル情報はどこかしっくり行かない部分があるようです。

 まちづくりを理論化するために数式や図解することがしばしばあります。私が最近よく使う氷山の一角という図式も潜在能力と健在能力を説明する分かり易い図解として、聞く人によく理解されているようです。


 最近目にしたサイモン・シネックの図式も非常に興味のあるものでした。同心円を3つ描き、中心からWhy、How、Whatとします。Whyは原因や理由、Howは方法、Whatは何という意味ですが、失敗する企業は外側から説明し、成功する企業は内側から訴えるというのです。同じように見えても、何を⇒どのような方法で⇒何のためにするのかと、何のために⇒どのような方法で⇒何をするのかでは随分違うのです。

 私たちがやっているまちづくりの手法は、「何のために」ということをまず考えてやっていて、サイモン・シネックの図式を見て成功するしないは別にして少し安心した次第です。でも「Why」ばかりを議論して一向前へ進まない人たちもいます。私はその人たちを振り子時計の原理だと思っています。


 振り子時計は棒の長さが短ければ早く動きますが、棒の長さが短いとゆっくり動きます。でも長くても短くても振り子は同じ場所を行ったり来たりするだけで、行動を起こさなければはずみ車となって遠心力はつかないのです。最初は振り子時計で「Why]を議論しても、誰かがリーダーシップを発揮して引っ張るか後押しをしなければ、いつまで経っても議論ばかりで前へ進まないのです。

 人は得てして権威付けをするため、分かり易い話を難しくするものです。難しい話を分かり易く説明するには図式が一番ですが、私のような凡人には図式の説明すら難しく、人に理解されるかどうか疑問符かつくのです。でも3つの同心円の図式はこれからも説得の材料として活用してゆきたいと思っています。


  「なるほどと 思って使う 同心円 横文字意味を 忘れてえ~と」

  「西洋と 説明違う 東洋人 名前が先か 苗字が先か」

  「まちづくり 理論武装も ないままに 終わりそうだと 今頃気付く」

  「広辞苑 イミダスさえも 開かずに ネット検索 時代変わった」

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shin-1さんの日記

○北海道佐呂間町から玩具のようなカボチャが届く

 昨日北海道佐呂間町の方から宅配便でカボチャが届きました。宅配の宛名と内容カボチャを見て、不思議?に思いました。失礼ながら送り主の名前の記憶がないのです。私のカンピュ―ターが働き始めましたが、卑しい私の頭は佐呂間町×カボチャ=食用でしか検索できず、またカボチャにしては重量が軽いと思いつつ、ついには段ボールの開封と相成りました。

 中味は何と新聞紙にくるんだ観賞用のカボチャでした。その数ざっと12種類です。とっさに書斎の引き出しにしまっている昨年の2009Writing Calendarを取り出し、記憶の彼方にある9月の予定表を見ました。昨年の9月の予定表には9月16日~19日まで、北海道佐呂間町の船木さんの紹介で4日で4ヶ所も北海道で講演をしているのです。18日に佐呂間町民センターで行われた寿大学の講演の折、佐呂間町の役場の人と面談し、その方が中心になってカボチャで町おこしの話を聞きました。その折綺麗な観賞用のカボチャの幾つかを見せていただきましたが、まるでおもちゃの世界のようでした。その折種をいただいた記憶がありますが、全て友人に配ったため、その後の消息は確認もしていませんでした。

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(孫もびっくりのカボチャの数々)

 偶然というべきでしょうか、あるいは相手が意図的なのでしょうか、出会ってから丁度一年後の前日にカボチャが届くとは、もし意図的ならば心憎い気配りだと感心しきりでした。たまたま我が家に来ていた孫尚樹と取り出した玩具のようなカボチャを眺めながら、写真に収めました。

 はてさて、これをわが家の玄関に飾るだけでは勿体ないと思い、段ボールに入れて道の駅シーサイドへ持って行きました。特産品センターのカウンターなら人が沢山来るだろうからと、じゃこ天のお店へ飾ってもらうことにしました。じゃこ天のおばさんたちも珍しそうにカボチャを手にとって、カボチャ談義に花を咲かせました。今日は送り主の地名と名前をパソコンでプリントして展示の前に張ろうと思っています。

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 それにしても観賞用とはいいながら色々なカボチャが存在するものです。カボチャは日持ちのする野菜なので当分は人々の目を楽しませてくれるでしょうが、一緒に入っていた送り主シンデレラ夢まつり実行委員会かぼちゃ班長武田温友さんの名刺と、ジャンボパンプキンコンテストの写真を、記念にスキャンして紹介しておきます。

 それにしても北海道佐呂間の武田さんは律儀な方です。たった一度の出会いなのに一年後、忘れもせずにちゃんと覚えていてカボチャを届けてくれました。この人ぞまさしく本物の地域づくり人だと思いました。食用に送ってもらったカボチャは冬至まで保管して、冬至カボチャとして食べたいと思っています。それにしても全国を股にかけて歩いているとはいいながら、私の元へは色々なものが届くものです。


  「宅配に カボチャと書いて 開けてみた 玩具カボチャが 次から次へ」

  「驚いた 偶然なのか 一年後 出会う同じ日 カボチャが届く」

  「パンプキン 大会優勝 325キロ 写真同封 これもびっくり」

  「早速に じゃこ天お店 持参して 珍しカボチャ 展示しました」

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shin-1さんの日記

○おじいちゃんは大嫌い

 件病院に勤めている娘の子どもが風邪気味で、昨日の夕方電話が入り、明くる日勤務があるので面倒を見て欲しいと言うのです。大根の種を蒔いていた最中でしたが手を休めて、松山のマンションまで迎えに行きました。熱があるためぐずっていましたが、納得して私の車に乗って我が家へ向かいました。夕暮れ時のラッシュ時なので、高速道路を走りたいという孫の言葉で松山インターから伊予インターまで無料区間をあっという間に走りました。チャイルドシートに乗った孫は大喜びでしたが、インターを降りると間もなく「マクドナルド」に寄りたいというのです。伊予インターから一番近いマクドナルドは松前の伊予高校付近なので、「引き返せない」というと、それまでご機嫌だった孫が急に不機嫌となり、「おじいちゃんは大嫌い」と言うのです。これまでは私が「男は」と言うと孫は「男は泣かない」、私が「男」というと孫は「男同士」などと反応し、見事な相棒振りを発揮していたのに、初めて「じいちゃんは大嫌い」とふてくされてしまいました。

 「おじいちゃんとおばあちゃんを独り占め」なんて喜んでいたのに、余程癪に障ったのか「おばあちゃんが好き」とか、「おばあちゃんと風呂に入っておばあちゃんと寝る」と我を通しました。子どもがマクドナルドを好きなのはハンバーガーやフライドポテト、シェイクもさることながら、ハッピーセットを頼めば必ずおまけがついていて、それが楽しみなのです。

 先日も孫のリクエストに応えてマクドナルドに行きましたが、孫は食べるものよりおもちゃが目当てのようでした。その時貰った物は太鼓囃子というおもちゃで、ボタンを押せば太鼓の音が賑やかに聞こえまるでお祭り気分となり、孫はひょうきんな踊りを披露してくれました。

 物を買ってくれるおばあちゃんは好き、言っても買ってくれないおじいちゃんは嫌いは当然のことで、好きか嫌いかの判断はどうやら損か得かのようです。


 私たちおじいちゃんやおばあちゃんにとって孫の存在は、目の中に入れても痛くないほど可愛いものです。「大好き」という言葉を言って欲しいために祖父母は、なけなしの財布をはたいて孫のために欲しいものを買ってやるのです。子育てでいささか経験のある私は、親の教育方針に沿って孫に接しなければ、親の存在が薄くなるのです。たとえ「おじいちゃんは大嫌い」と言われても、駄目なものは駄目と言えるおじいちゃんになりたいと思っていますが、いつまで続くかどうか・・・・。

 昨晩は少し咳をしていたため横で寝ていた妻はウトウトと眠れない夜を過ごしたようです。私も今日は一日自宅で孫のお相手です。幼稚園には「熱があるから休む」旨の連絡をしていますが、言葉が通じない間柄だけに長い一日になりそうです。それにしても「おじいちゃんは大嫌い」と大までつけた孫尚樹の一言はショックでした。多分熱のせいだろうと思っています。


  「じいちゃんは 嫌いと言われ ショック受く 熱のせいだと 思ってみたり」

  「自宅にて 一日長い 孫の守 草刈よりも しんどい仕事」

  「好き嫌い 判断基準 損か得 財布持ってる 妻に軍配」

  「ハンバーガー よりもおまけが 魅力です マクドナルドは 子どもに魅力」

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shin-1さんの日記

○秋刀魚は今が旬です

 昨日の夕食のおかずは秋刀魚の塩焼きと刺身が食卓に並びました。瀬戸内の魚どころで知られる海沿いの町ですから、年中魚には事欠かず殆ど毎日といってよいほど魚が食卓に上るのです。年老いた親父は漁師をしていたこともあって部類の魚好きで、魚がないと不機嫌になるほどなので、煮魚か焼き魚に刺身を必ずといってよいほど毎日、妻は親父に食べさせてくれるのです。多分親父の食事のついでに私にも魚を食べさせてくれているのかも知れません。

 親父は秋刀魚などの余り好きではありませんが、どちらかといと私が鯖やアジといった青魚が好きなため、昨日は私に親父を合わせた格好でした。秋刀魚は北の海の回遊魚のため私の町では獲れません。ゆえに冷凍や塩秋刀魚しか手に入りませんでしたが、最近は冷蔵技術の進歩と輸送時間の短縮によって、シーズンになるとこんな田舎でも生秋刀魚が出回るのです。

 今年は偏西風やエルニーニョ現象の影響で猛暑日が多く、太平洋を流れる黒潮の海水温度が高かったため、秋刀魚が不良でした。そのため例年だと一匹100円程度の秋刀魚が、今年は型のいい生秋刀魚だと一匹300円程もしますが、それでも妻は魚好きな私たち親子のために今が旬の秋刀魚を塩焼きと刺身で食べさせてくれたのです。

 秋刀魚の刺身にはタマネギのスライスと生姜、塩焼きには大根おろしがよく合います。タマネギは倉庫の軒先に一年分を吊るしてあるためオニオンスライスとして年中食べますが、生姜と大根は買わなければなりません。先日友人から大野ヶ原の高原大根をいただいていたので、その残りで大根おろしを添えてくれていましたが、相性抜群の秋刀魚に加え、一昨日役場の同僚だった西岡栄一さんが新米をどっさり一袋持ってきてくれたので、新米の輝くようなご飯に、これまた秋刀魚が程よくあって、ご飯をお変わりしてしまいました。

 秋刀魚と新米に、ギノー味噌からいただいた麦味噌を使って味噌汁までついていて、何か元気が出てきたような感じです。やはり日本食を好む私は日本人だとも認識しました。

 昨日は前日の夜来の雨で菜園の土が水分を含んだので、親父と二人で菜園に畝を立てて大根の種を蒔きました。冬野菜の王様である大根は、近所のおじさんが「売りに行くのか」と笑うほど今年も3袋も蒔きました。親父が立てた畝に私が一粒ずつ丁寧に蒔いて行くのです。几帳面過ぎる親父の口出しに腹を立てたりなだめたりしながら、初秋といえども日中は暑い日差しの中でたっぷり汗を流しました。牛糞や籾殻を乗せて夕方親父は井戸の水を散水して湿らせていました。一週間もすればやがて大根の新しい命の芽が出て成長を続けるのです。何年か前には芽が出たばかりの大根が、台風の大風で全滅したことがありました。二百十日も過ぎていよいよあきも本格的です。今日はチンゲンサイや小松菜、高菜など葉物野菜の種を蒔きたいと思っています。


追伸

 秋刀魚は高校生時代、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海に行った折、マグロ延縄の餌に秋刀魚を使っていました。秋刀魚はマグロの餌だっただけにいい思い出とはいえませんが、それでも100キロもあるマグロやカジキ、サメなどが秋刀魚を欲しがったのですから、私が食べるのも頷けるのです。

  「今年又 親子元気で 大根の 種蒔く姿 田舎ならでは」

  「生秋刀魚 味噌汁つけて 新米の ご飯お代わり 元気回復」

   

 

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○熊沢蕃山の教え

 ふたみシーサイド公園恋人岬の突端に設置した、モニュメントの穴に夕日がスッポリ入る秋分の頃を迎えました。今朝妻から「お彼岸が近づいたので、お墓に供えるシキビを人間牧場から採ってきて欲しい」と頼まれました。妻はそういい残して仕事に出かけました。親類へ昨日長野県南牧村の今井さんから送ってもらったそれは見事なブロッコリーをおすそ分けする準備をして、「さあ出かけよう」と思ってトラックのキーを捜したのですが何処にも見当たりませんでした。妻に電話して置き場所を確認しましたが結局キーは見つからず、仕方がないので単車の後ろにキャリーをくくりつけて出発しました。初秋の風は気持ちよく、2~3日前の猛暑が?のようでした。

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 私は余り信心深くはありませんが、それでも人間牧場の隅にシキビの古木が何本かあって、草刈に行く度に枝を切って持ち帰り、親父や妻がお墓や仏壇に供えるのです。親父はお墓に1週間に一回くらいの頻度でお参りしていましたが、今年は暑かったし少し歳をとったこともあって、墓参りの回数が減っているようにも思えるのです。

 でも、秋の彼岸が近づくと「お墓に供えるシキビを持ち帰るように期せずして今朝頼まれました。せっかく人間牧場へ行ったので、草刈もしておこうと吸い変遷の家周辺の草を刈りました。草は昨夜の雨でしっとり濡れて、面白いように刈れました。時折入る携帯電話も対応し、昼休みには汗で濡れた作業着を脱ぎ、タオルに冷水を浸し身体を拭きました。弁当を食べながら書棚の中から安岡正篤の「人間学の薦め」という本を取り出し、読み始めました。食事が終わって背もたれにもたれて本を読む幸せを感じながら、初秋の心地よい日陰でついうとうとしてしまいました。

 最近は歳をとったせいか「人間とは何か」とか「自分とは何か」という、考えてみれば他愛のないことを考えることが多くなりました。世を捨てた訳でもないのに、民主党や自民党お家騒動もカヤの外で興味が余りなく、もっぱら自己を知り自己を作ることを真剣に考えているこのごろです。

 今日読んだ本は「達人の生き方」です。熊沢蕃山のことが詳しく記されていました。小目次は「終りを全うする道」「心の根を培養する」「自己・心・人を知るための学問」「功利的学問は学問にあらず」「生活・職業を離れて学問はない」「本当の学問の在り方ー四鳶」について納得同感する文章が書かれていました。面白いことに熊沢蕃山は陽明学の中江藤樹に行き着いているのです。

 中江藤樹は内村鑑三が書いた代表的日本人5人の中の一人であることは言うまでもありませんが、中江藤樹は大洲ゆかりの近江聖人ゆえに、学ぶ価値はあると思うのです。


  「直ぐ傍に 中江藤樹の 教えあり 何故か教えず 何故か学ばず」

  「代表的 五人に数え られる人 時代を超えて 教え尊し」

  「秋が来る 何故か読書が したくなる 書棚の読みし 本を読み解く」

  「読んだのに 何故か心に 残らずに 積読だけで 終わる古本」

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