shin-1さんの日記

○初心に帰って読書に親しむ

今日は午前中私の家へ、農文協(農山漁村文化協会)という出版会社の人が訪ねてきました。何日か前に電話が入り、アポをとっての訪問なので、私も所用を済ませて待っていたら、10時頃家に電話が入り、「今中学校付近にまで来ているが、家はどの辺でしょうか」と聞かれました。「引き返して北風鮮魚の前のカーブミラーを左に入って下さい」と言って電話を切ったものの、迎えに出なければと思い傘を差して県道まで出ましたが、彼は既に通り過ぎていて、高橋マートで「若松進一さんのお家は」と聞いたようです。いつものことながらカーナビをセットして来る来訪者は、奥まった所にある私の家を探すのは中々一苦労のようでした。


 役場を退職した私に出版会社の人が一体何の用事があるというのか、色々考えてみましたが、多分本を買って欲しいのだろうと推測しました。普通だと外の東屋に腰掛けて話をするのですが、今日はあいにく外は雨だし霧雨が降り込んで濡れてはいけないと思い、私設公民館「煙会所」に上がってもらい、火のない囲炉裏を囲んで色々な話を聞かれるままに1時間余り話しました。若い彼は私の話を一生懸命メモしながら聞いていましたが、午前中という約束だったので昼前に引き上げて行きました。

 最後は私の予想していた通り、出版物の売込みをしました。全21巻の「地域の再生」という本と、全25巻の「宮本常一とあるいた唱和の日本」という本でした。見本本を見せながら是非購入して欲しいと言いましたが、全巻7万円もするような本を、おいそれと右から左へ買い求めるような余裕は、今の私にはないのです。

若松進一ブログ

 かつて役場に勤めていたころ、出版会社のぎょうせいや第一法規の営業マンが私の所へ足繁く通い、私に本をよく勧めました。金もないのに給料日に妻に内緒で天引きして買った沢山の本を、暇を見つけて読んだため、今の自分があることは承知していますが、目が薄く、記憶が薄れた今の私に全20巻以上の書物は少し重過ぎるし、読書欲も昔のようにはないのです。

 「検討します」と言ってお茶を濁しましたが、一方では宮本常一に関する本は欲しいとも思いました。そのうち金でもできたら購入して人間牧場の蔵書にしたいと思いました。

若松進一ブログ

 宮本常一は「あるく・みる・きく」と言っていますが、私はそれに「よむ」を加えています。よむには「読む」「詠む」もあります。また「時代をよむ」「空気をよむ」ことだってあるのですが、発展途上の私には衰えつつあるといいながら、進化のためにはまだまだ読書が必要であることは間違いありません。この機会に初心に帰ってもう一度読書について考え直したいと思いました。読書が進化の基底であることは、年輪塾の第1号塾生浜田さんから学ばせてもらったことなのです。


  「セールマン それとはなしに 本買って 言わんばかりに その気にさせる」

  「七万も するよな本を 誰が買う 年金暮らし 俺にはとても」

  「幾度なく 宮本の本 読んだけど 凡人ゆえに 記憶残らず」

  「これ以上 本が増えたら 困るかも 本に囲まれ 暮らさにゃならぬ」

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shin-1さんの日記

○山口県日帰りの旅②

 さて今回の山口県日帰りの旅の目的は、飲食業生活衛生同業組合の中国・四国ブロック役職員等講習会の講師として講演を依頼されたためです。そもそものご縁は山口県飲食業生活衛生同業組合の理事長を務めておられる永田憲男さんと、下松市市民顕彰制定50周年の記念講演に招かれ、その中心メンバーだった永田さんが私の話を聞かれて、中四国ブロックの研修会に是非とお声がかかったのです。

 正直言って飲食業などに対して何の見識もない私なのでお断りを使用かとも思いましたが、永田理事長さんの熱意にほだされお引き受けしたのです。ゆえに今回の講演は多少不安を持って望みました。ましてや組合の佐原専務さんとのメールや電話による打ち合わせを聞く度に、また送られてきた依頼文書を見る度に少し憂鬱になっていました。

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(壇上居並ぶ開会式、その後役員さんたちも前席について講演を聞き、会場は満員でした)

 それでも元来ポジティブな性格なので開き直り、遅まきながら4~5日前から作戦を練り始めました。私の持っている私のプロモーションビデオ(3分)上映して始めようと思いましたが、残念ながら機材が揃わないとか、一時間あまりの短い時間なので講演中心にした方が良いのではとの折り合いがついて、結局は私を紹介した「いのちの田圃」の「心の扉」という記事をPDFファイルで送り、プリントコピーして参加者に配布するだけでお茶を濁してしまいました。

 私の帰りの新幹線の時刻を考えると16時35分には講演を終わらなければならないため、研修会を進行する佐原専務さんも気がきではないようで、「5分前」「お時間です」のメモを持って講演する私の顔色を伺っていましたが、そこは百戦錬磨な私のことゆえきっちりと16時35分の時間通りに終了しました。


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 ~前略~、飲食業界は、バブル経済崩壊後不況の長いトンネルに入ったきり、20年この方出口の見えない状況が続いています。失われた10年から先行き不明の10年が続き、漂白の時代に入ったようです。このような時こそ若松さんの気合の入った行動力がものをいうものだと存じます。飲食業は水物と揶揄され、景気という波に翻弄され続けてまいりました。また業としては専門知識もなく、さしたる設備もかけず即席に開業できる気軽さが零細企業からな脱却が図りきれない所以とも、同業組合の組織強化に繋がらない所以でもあると思います。

 起業し、高度成長経済の時流に乗り、誠実に事業展開してきたが客が来なくなって初めて地域の中の「店」を意識し、連携、連盟、協働、協同、協力の意味を知り、地域連携の正業を理解するわけですが、それからの行動のあり方が分からない、そこでまちづくりのプロに飲食業の地域協同についてのご指導をお願いする理由です。

 ~中略~講習会の演題は「飲食業と地域共生(食によるまちづくり)」、-受動喫煙防止強化、米トレーサビリティ法の施行に合わせて-とさせていただきました。内容についてはご一任いたします。~後略~。


 佐原専務さんからの植えのような手紙をいただいたものですから、私は「新しい発想で生きる」という副題を持って望みました。中四国から集まった方々はいわば飲食業界のプロの皆さんなので、素人の私がいちいち飲食について話しても何の役にも立たないのです。地域づくりという視点から食に対してアプローチを試みましたが100人を越える参加者の反応は上々で、会場は大いに盛り上がりました。多分「こんな話だったら来るんじゃなかった」と思う人はいなかったのでは?、と一人思いながら講演をお終わらせてもらいました。お招きいただいた永田理事長さんや佐原専務さんに感謝しながら・・・。


  「余りにも 違う世界の 私が 居並ぶ食の プロに説教」

  「よくもまあ そんなところで 話す気に 呆れて妻は 俺を心配」

  「呼ばれたら 刑務所以外 何処へでも 度胸座りて 努めを終わる」

  「山頭火 だったら何と 詠むだろう 分け入り見えぬ 世界を話す」

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