shin-1さんの日記

〇旧広田村を訪ねる①

 7年前まで伊予郡は松前町・砥部町・双海町・中山町・広田村の4町1村で構成されていました。町村長・議会議長・公民館・消防団・PTA・婦人会・青年団などは伊予郡〇〇会という広域連合組織組織があって、交流や研修目的の活動が活発に行われてきました。しかし平成の大合併と団体の盛衰で、その殆どは姿を消してしまったのです。

 私は23歳で双海町青年団長となり、翌年には伊予郡連合青年団の団長を務めました。当然活動は広域的になり暇さえあれば、また諸行事の度に傘下の町村へ足繁く通ったものでした。私が団長になった頃はまだ道も今ほど整備されてなく、私も自動車の運転免許を持っていなかったので、もっぱら他の役員さんの車に乗せてもらって、遠路悪路を心をときめかせながら通ったものでした。


 その後免許を取り公民館に勤め、多くの諸行事に参加するようになってからは、友人や知人も増えて郡内が近くなり、伊予郡公民館連絡協議会の主事部会長になったこともあって、わが町へも郡内の沢山の人を迎え入れました。その当時はよもや伊予郡が合併しようとは夢にも思いませんでした。

 合併の協議も最初は愛媛県の示した伊予市・伊予郡が合併する構想に基づいて始まりましたが、松前町が単独、広田村が砥部町、双海町・中山町が伊予市とそれぞれ分割合併することになり、伊予郡の全盛時代は平成17年の3月で幕を閉じたのです。当然かつて伊予郡だった町村へ行く機会も激減しましたが、幸い私は退職後も講演などに招かれ、峠や谷間を越えていまも時折お邪魔しているのです。

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 昨日は砥部町社会福祉協議会の招きで広田地区の老人クラブ総会に講演に出かけました。昨日は絶好の春日和だったため、かつて知ったる道を往路は中山経由、復路は砥部経由で行こうと思い出発しました。中山と広田の間には大佐礼隧道というトンネルが抜けています。交通量も殆どない山道周辺の山々は燃えるような新緑で、杉や桧の間に程よく欅や榎、モミジなどの雑木林があって目と心を癒してくれました。

 中山や広田辺りにも過疎化や高齢化の波が押し寄せ、見慣れた光景の中に時折崩れしままの廃屋が見え胸が痛みました。これも時の流れでしょうか。少し車を止めて感慨深げに見ていましたが、不審者と見間違われては大変と再び急な坂道を目的地に向かって走らせました。

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 山の暮らしは長閑でトンネルを出た辺りには気温が低いためかボタン桜が今を盛りと名残の花を咲かせていました。高市集落に入ると道の真ん中の頭上にわらで作った草鞋やお札が吊るしてありました。悪魔祓いの伝統的習慣のようでした。珍しい光景なので車の中からデジカメで一枚写しました。谷間に降り注ぐ朝の光がまるで光臨のように神々しく写っていました。

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 高市小学校の直ぐ横には広田村山村留学センターがありました。少し時間に余裕があったので、知人の武智先生に会うためアポも取らず立ち寄りました。玄関先には留学に来ている子どもたちの洗濯物が沢山干してあり、長閑な佇まいを見せていました。幸い先生に出会い少しの間積もる話をしましたが、私が敬愛している先生だけに話は尽きないものの、先生の見送りを受け先を急ぎました。

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  「何年か 前まで同じ 郡だった 懐かしき道 一人で走る」

  「山里に 廃屋見つけ 胸痛む これも時代の 流れだろうか」

  「山村の 里の入り口 草鞋吊り 悪魔祓いの 風習脈々」

  「懐かしき 人に出会って 談笑す 時間止まった ような気がして」


 

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