shin-1さんの日記

〇昨日の出来事

 昨日はおおよそ3つのことが心に残った一日でした。まず一つは午前中自宅でリフォーム工事に来ていた従兄弟の電気工事屋さん夫婦が、突然「あれは何?」と空を指差すのです。その方向を見ると家の裏の空にミツバチが大群をなしてブンブン飛び交っていました。私はとっさにこれがミツバチの分蜂だと分かり、色々説明してやりました。従兄弟の奥さんは始めてみるミツバチの大軍にすっかり驚いた様子でしたが、私が説明したとおりミツバチの大群はものの10分ほどで、一昨日人間牧場から分蜂の予感がして持ち帰り、設置していた巣箱に綺麗に収まり、ミツバチの喧騒は収束したのです。私にとってはこの上ない喜びで、これで家の裏山に設置した4つの巣箱は全て入居が完了したのです。この様子をブログで配信していますが、読むであろう高知県馬路村の木下さんやミツバチの師匠である西予市野村町の井上さんは、私のことを「新参者のくせに」と羨ましがるに違いないのです。でもこの蜂の大群はどの巣から分蜂したのかが少し心配です。

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(裏山第4巣箱に入居したミツバチ)

 二つ目は昨日の午後3時に下灘コミセン前で待ち合わせして、人間牧場へお客様を案内しました。この20年余り私と深い関係を持っている、えひめ地域政策研究センターから新任の森所長さんと大西部長さんが挨拶がてらやって来ました。お二人とも始めて訪れる人間牧場の眺望の良さに驚いた様子でしたが、一時間余り雑談めいた話をさせてもらいました。

 昨日は地元では通称やまぜと呼ばれる南西の強風が吹いて、大分では30度を越えて真夏日になったと報じていましたが、残念ながら春霞で自慢の眺望は次にお預けとなってしまったようです。

 お二人とも県庁職員でセンターに出向していますが、お互いこれから交流や活動を重ねて、愛媛県の地域づくりを盛り上げて行くことで意見の一致をみました。

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(右が森所長さん、左が大西部長さんです)

 三つ目はお二人が帰られた後の出来事です。畑で芽が出たコンニャクに、目印のつもりで持参した竹の支柱を立てました。また苗床のサツマイモにジョロで水をたっぷりやりました。人間牧場へは4月8日ミツバチの師匠である井上さんがやって来て、蜜蝋を塗った巣箱を三つ設置して帰りました。しかしその後分蜂の兆候も入居確認も出来ていまっせんでしたが、人間牧場第4巣箱の入り口辺りをミツバチがウロチョロしているのが見えました。思い切って下の引き出しを抜いて、持参していたデジカメを差し込むと、巣箱の中には分蜂したと思われる群れが小さいながら蜂球を形成しているのが確認されたのです。井上さんの持参した2つの巣箱はまだ兆候は見られませんが、種蜂の飛び交う人間牧場2号巣箱も活発なので1号と3号への入居を期待して待ちたいと思っています。

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(分蜂が確認された人間牧場第4巣箱の中の様子)

 帰宅して後片付けをしていると、西の空が明るくなり、町のシンボル本尊山が残照で真っ赤に染まり、わが家から綺麗な夕日が見えました。こうして何気なく過ぎたたった一日の出来事でしたが、振り返ってみると様々なことがありました。リタイア後は極力自然や人と穏やかに向き合い、一日一日をごく自然に生きていることを実感しながら、生きていこうと決意をして日々を暮らしていますが、私にとって昨日もいい一日だったようです。今日もいい一日でありますように・・・・。
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(双海の夕日はとても美しいです)

  「何気なく 過ぎて行くよな 日々だけど その気になれば 結構楽しい」

  「田舎ゆえ 自然相手に 穏やかに 暮らして行ける これも特権」

  「今日ゆえに 戻らぬ昨日 記録する 色々ありて 色々書いて」

  「ミツバチも 愛さえあれば 集めれる そんな気がした 昨日一日」

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〇日本語の魅力(益荒男と手弱女)

 生まれてこの方66年間の殆どを日本に住み、母親や父親、それに社会で出会った多くの人や書物、時にはテレビなどの媒体から多くの日本語を習いながら、日々の暮らしの中で日本語という言語を喋ってきました。時にはその意味も分からず使ってきた日本語も数多くあり、外来語を含め広辞苑などの世話になりながら意味を調べて今日まできたものの、近頃になって日本語は間口が広く奥が深いとしみじみ思うのです。


 先日テレビを見ていると「益荒男」と「手弱女」という言葉を喋っている人がいました。「ますらお」といえば相撲の好きな私が一番に思い出すのは「男」が「雄」と一字違いの、益荒雄という力士の名前でした。既に引退していますが端正なマスクと機敏な取り口などを想像しながらその意味を思い、インターネット辞書」で調べてみました。「益荒男」と「は勇気のある強い男」と書いていました。私がおぼろげながら想像していた意味と、一致していたのです。

 続いて同じような方法で「手弱女」という言葉の意味を調べました。「手弱女」は「益荒男」の反対語ですから優しい女性くらいかなと想像していましたが、「たおやかで優雅な女性」と当たらずも遠からじでした。じゃあ「たおやか」とは一体どういう意味なのか?、疑問の淵を行ったり来たりです。「手弱女」は「たおやめ」と呼ぶことは知っていましたが、私の軽薄なこれまでの暮らしの中では多分使わなかった言葉なのです。


 日本語は難しいし奥が深いと思いつつ、最近の男性と女性について考えました。現代は男と女の区別が付きにくくなっています。男性が化粧をしたり装飾品をつけたりする時代です。一方女性も男性オンリーだった社会や職場に進出し、むしろ男性をしのぐ活躍をしている男性的な女性が多くなっているようです。また性差のない社会を象徴するように、これまで聖域として踏み込めなかった、性転換なども行われ、性差のない社会は今後も進むものと思われるのです。


 私は男性は男性らしく、女性は女性らしくなんて考える古いタイプですから、男が家事や育児をすることが当然という現代からは疎んじられるような人間です。男性の理想は「益荒男」、女性の理想は「手弱女」と勝手に決めていますが、これには多くの批判が集中しそうなので、この話はこの辺でお開きにしたいと思います。でも東日本大震災の被災を思う時、これからの復興には「益荒男」という強い心と「手弱女」という優しい心が必要ではないかと、しみじみ考えました。

  「何気なく 意味も分からず 使ってる 日本語調べ 深さ感動」

  「益荒男や 手弱女という 日本人 ついぞ見かける ことも少なく」

  「性差ない 社会といわれ 久しいが 理想は矢張り 益荒男・手弱女」

  「日本語を 喋っているよう 見えるけど 乱れてしまい 何語分からず」

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