shin-1さんの日記

○後楽園を訪ねる(その③)

 姫路城、閑谷学校、それに〆は水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三大名園の一つに数えられる後楽園を見学しました。姫路城は黒田孝高についで池田輝政が、閑谷学校は池田光政が、そして後楽園は綱政がそれぞれ作ったものですが、それぞれ日本はおろか世界に誇る文化遺産なのです。

 私たち四国に住む人間は姫路城は兵庫県姫路市、閑谷学校は岡山県備前市、後楽園は岡山県岡山市にそれぞれあるものの、高速道路網が発達して同じような場所にあるような感じがするのです。

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 後楽園は江戸時代を代表する大名庭園で、延養亭や能舞台を中心とした亭舎、園内各所に置かれた茶室や祠には歴代藩主の思いが込められているようです。広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながらうつり行く季節を眺められるよう工夫された回廊式庭園です。

 正門入り口を入ると、公園の向こうに岡山城が控え目に見えます。園内の桜は前日満開宣言が出されてようで、とても美しく咲いていました。

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 この日は天気も良く日曜日、加えて桜が満開だったため、後楽園界隈は車が混雑して中々前へ進むことが出来ませんでした。幸運にも夕方だったため、加えて県外ナンバーだったため駐車することが出来ましたが、園内の休憩所で抹茶とキビ団子を買い求め、風流を楽しむことも出来ました。

 公レク縁を出た所に、「待てどくらせど来ぬ人の、宵待ち草のやるせなさ」という、ご存知岡山県出身の詩人で画家である竹下夢二の歌碑が建っていました。


  「名園の 誉れも高き 後楽園 仲間連れだり 園内散策」

  「茶屋椅子に 座りて抹茶 いただきぬ 水面のどけく 鯉二三匹」

  「満開を 宣言したと 看板に この上もなき 日より恵まれ」

  「昔人の 文化の高さ 感心し 風流抹茶 散りし花びら」

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○閑谷学校を訪ねる(その②)

 閑谷学校を訪ねたのは確かこれが5回目です。山が紅葉に映えた秋のころも、雪積もる冬のころも訪ねましたが、桜咲く春の閑谷学校は初めてだったので、とても楽しみでした。

 閑谷学校は堅牢な独特な石垣と赤い備前焼瓦の講堂(国宝)がまず目に飛び込んできました。満開の桜がその色調をよりいっそう引き立てっているようでした。受付で入場料を払いましたが、21世紀えひめニューフロンティアグループも6人までがするバー割引の恩恵を受けるとは驚きでした。ボランティアガイドの案内によると、現存する庶民を対象とした学校構造物としては世界最古のものだそうです。

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(聖廟の前で私も孔子にあやかり記念撮影をしてもらいました)

 閑谷学校の教育は儒学(朱子学)です。聖廟の大成殿には元禄時代に鋳造された孔子像が安置されていて、孔子の特を讃えています。聖廟の前には雄雌二本の楷の木が植えられ、特に秋のころには見事に紅葉するのです。講堂は入母屋造りで屋根や窓など随所に手の込んだ匠の技が垣間見えました。10本の欅の丸太柱は学者に学んだ人たちによって磨き込まれ、外から差し込む柔らかい春の日差しに鈍く光っていました。

 一昨年地域づくりの全国大会で佐賀県多久市を訪ね聖廟などを見て以来、浅学ながら論語に興味を持ちましたが、孔子の教えが日本の教育の基底に流れているような気がしました。


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 閑谷学校の聖廟の正門に楷の木がありました。別名学問の木とも呼ばれるこの楷の木は、当時農林省林業試験場長だった白沢博士が、大正4年に中国にある孔子墓所から採種して持ち帰り育苗、湯島聖堂雄木3本、閑谷学校雌木2本、多久聖廟雄1本を植えたのが始まりとされているようです。

 楷の木はハゼや漆の仲間ですが、ハゼや漆のように被れることはないそうです。秋になると見事に紅葉するようで、私も秋のころに見る機会を得ましたが、目の冷めるような紅葉でした。今は葉を落としていますが、芽吹き間近といったところでした。


  「日本人 孔子の教え 守るなら 世の中もっと 良くなるだろうに」

  「この次ぎは 紅葉のころに 訪ねたい そして講堂 論語聞きたい」

  「閑谷と 言う名のとおり 清閑な 学校訪ね 心洗われ」

  「学校に 比べ牧場 質素なり されど年輪 塾は歳々」 

 

 

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