shin-1さんの日記

〇旧広田村を訪ねる②

 高市からの道は一旦内子町小田へ抜けます。かつてあった旧小田町田渡小学校も今は廃校となっています。国道379号線に出て広田へ向かいましたが、少し時間があるので会場となる施設をやり過ごし、峡の里という道の駅へ立ち寄りました。直売所では品物の納入に来た人や従業員が、忙しそうに開店の準備をしていました。道の駅に勤める従業員さんが目敏く私の顔を見つけて、「若松さんじゃないですか。朝早くから何事ですか?」と尋ねられました。少しの間立ち話で四方山話に花を咲かせました。最近の不況で売り上げが伸びない、同じような直売所が沢山できて客数が少ない、山里のハンディはこれからも続くと予想される、これといったホームランやヒットを思いつかないなど、いずれも苦しい胸のうちを明かして、「観光カリスマのあなたに何か妙案はないか」と逆に相談を受けてしまいました。

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 再び引き返し会場となっているひろた交流センターへ入りました。この施設は役場支所と公民館の複合施設で1年前にできたようで私も初めてです。中に入ると保健師の佐伯直子さんがいました。他の人の殆ども顔と名前は一致しないものの見覚えのある顔ばかりでした。

 そのうち中村町長さんや大平町会議員さん、日野さん、上岡さん、石田さんなどなど懐かしい顔ぶれが揃い、広田地区老人クラブの総会が始まりました。総会は約一時間ばかりかかりましたが、中村町長さんは「若松さんがが講演するので今日は話を聞いて帰ります」と、ビックリするような言葉を挨拶で述べられました。やばいと思いましたが成り行きに任せました。総会が行われている間何を話そうか迷いに迷いましたが、まあいいかと思いつつ紹介されて演壇に立ち「ニコピンコロの人生設計」という演題で一時間ばかり話をさせてもらいました。

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 会場には元村長の肥田さんも来られ、講演後挨拶をさせてもらいましたし,居並ぶ民生委員さんたちの殆ども知り尽くした顔であり、皆さん熱心に私の話を聞いてもらいました。

 お弁当を貰い会場を後にして上尾峠を越えて砥部町~松前町~伊予市を経由して1時ころ自宅へ帰りました。昨日は久しぶりに旧伊予郡を思い出させるような懐かしい一日でした。老人クラブの世話をしている砥部町社会福祉協議会によると、5月10日は砥部町西地区、5月12日には東地区、5月17日には麻生地区、5月18日には宮内地区と、昨日を含めて5回も同じような話をしなければならないようです。対象が違うので同じ話をするよう言われていますが、はてさてテープレコーダーでもあるまいし、エンドレステープのような話も芸がないと、少しだけ気を揉んでいます。


  「あの顔も この顔もみな 見覚えが ゆえにうかうか できない話」

  「町長さん あなたの話 聞くという いきなり挨拶 私うろたえ」

  「道の駅 似たよう施設 あちこちに ゆえに苦戦と 立ち話にて」

  「何年か 前まで同じ 郡だった 今は行き来の 少なくなりて」


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〇旧広田村を訪ねる①

 7年前まで伊予郡は松前町・砥部町・双海町・中山町・広田村の4町1村で構成されていました。町村長・議会議長・公民館・消防団・PTA・婦人会・青年団などは伊予郡〇〇会という広域連合組織組織があって、交流や研修目的の活動が活発に行われてきました。しかし平成の大合併と団体の盛衰で、その殆どは姿を消してしまったのです。

 私は23歳で双海町青年団長となり、翌年には伊予郡連合青年団の団長を務めました。当然活動は広域的になり暇さえあれば、また諸行事の度に傘下の町村へ足繁く通ったものでした。私が団長になった頃はまだ道も今ほど整備されてなく、私も自動車の運転免許を持っていなかったので、もっぱら他の役員さんの車に乗せてもらって、遠路悪路を心をときめかせながら通ったものでした。


 その後免許を取り公民館に勤め、多くの諸行事に参加するようになってからは、友人や知人も増えて郡内が近くなり、伊予郡公民館連絡協議会の主事部会長になったこともあって、わが町へも郡内の沢山の人を迎え入れました。その当時はよもや伊予郡が合併しようとは夢にも思いませんでした。

 合併の協議も最初は愛媛県の示した伊予市・伊予郡が合併する構想に基づいて始まりましたが、松前町が単独、広田村が砥部町、双海町・中山町が伊予市とそれぞれ分割合併することになり、伊予郡の全盛時代は平成17年の3月で幕を閉じたのです。当然かつて伊予郡だった町村へ行く機会も激減しましたが、幸い私は退職後も講演などに招かれ、峠や谷間を越えていまも時折お邪魔しているのです。

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 昨日は砥部町社会福祉協議会の招きで広田地区の老人クラブ総会に講演に出かけました。昨日は絶好の春日和だったため、かつて知ったる道を往路は中山経由、復路は砥部経由で行こうと思い出発しました。中山と広田の間には大佐礼隧道というトンネルが抜けています。交通量も殆どない山道周辺の山々は燃えるような新緑で、杉や桧の間に程よく欅や榎、モミジなどの雑木林があって目と心を癒してくれました。

 中山や広田辺りにも過疎化や高齢化の波が押し寄せ、見慣れた光景の中に時折崩れしままの廃屋が見え胸が痛みました。これも時の流れでしょうか。少し車を止めて感慨深げに見ていましたが、不審者と見間違われては大変と再び急な坂道を目的地に向かって走らせました。

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 山の暮らしは長閑でトンネルを出た辺りには気温が低いためかボタン桜が今を盛りと名残の花を咲かせていました。高市集落に入ると道の真ん中の頭上にわらで作った草鞋やお札が吊るしてありました。悪魔祓いの伝統的習慣のようでした。珍しい光景なので車の中からデジカメで一枚写しました。谷間に降り注ぐ朝の光がまるで光臨のように神々しく写っていました。

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 高市小学校の直ぐ横には広田村山村留学センターがありました。少し時間に余裕があったので、知人の武智先生に会うためアポも取らず立ち寄りました。玄関先には留学に来ている子どもたちの洗濯物が沢山干してあり、長閑な佇まいを見せていました。幸い先生に出会い少しの間積もる話をしましたが、私が敬愛している先生だけに話は尽きないものの、先生の見送りを受け先を急ぎました。

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  「何年か 前まで同じ 郡だった 懐かしき道 一人で走る」

  「山里に 廃屋見つけ 胸痛む これも時代の 流れだろうか」

  「山村の 里の入り口 草鞋吊り 悪魔祓いの 風習脈々」

  「懐かしき 人に出会って 談笑す 時間止まった ような気がして」


 

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