shin-1さんの日記

○夢のまた夢

 私が若いころといっても、そんなに古い話ではありません。私が代表を務めていた21世紀えひめニューフロンティアグループでは、若者たちが学習しないことに危機感を抱き、瀬戸内海を見下ろす廃集落となって久しい双海町東越という集落の若宮さん所有の古民家を借り受け、フロンティア塾を開塾しました。1年で4回、10年で40回という超ロングランのこの塾の紹介を兼ねた塾生募集記事が新聞に掲載されたところ、60人を超える塾生が集まり年年歳歳大きな盛り上がりを示し、全国にフロンティア塾ありといわれるまでに成長したのです。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記

 新聞を読んで一人の初老の人が私を役場へ訪ねてきました。その人が今は亡き川口寿雄さんで、フロンティア塾のある東越へ案内したところ、是非入塾させて欲しいととのことでした。塾にも積極的に参加し、そのうち東越の民家を買い受け念願のメダカを買い始めたのです。当時東大の井尻憲一先生の発案で宇宙飛行士向井千秋さんがメダカの実験を宇宙で行い、そのメダカの2世を貰い受け、一躍愛媛で川口さんは時の人のようになりました。私も最初の出会いの仲立ちをしたこともあって川口さんと行動を共にしたり、時にはフロンティア塾をメダカの家で開いたり、付かず花レズの親しい付き合いが続きましたが、残念ながら川口さんは病魔に襲われ意思半ばであの世へと旅立ちました。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
shin-1さんの日記


 二日前、双海町公民館主事の赤石さんと藤縄神楽を見学したついでに、子ども体験塾に使うカブトムシの幼虫を探しに、林道双海~内子線を散策後、帰路で偶然にもフロンティア塾で使っていた旧若宮さん宅の前を通り、梨の花咲くはて家を見学した後、川口さんが愛用していたメダカ家(魚+高=めだかまたはこうと読む)の前を通りました。私にとってはすっかり忘れかけていた川口さんとの懐かしい思い出が蘇りました。その後この施設が誰によって保たれているのかも知らぬまま、失礼とは思いましたが、写真に撮らせていただきました。

 メダカの水槽も健在でしたが、鎖が張られていたので中へ入ることは出来ませんでした。


 川口さんの死後、私も川口さんと同じように下灘池久保に人間牧場を造り、川口さんが目指したようなことをやっていますが、もし私が死んだらこのようになるのかな?と、一瞬思いました。人は必ず老いるし死ぬものです。幸い私には跡を次いでくれる長男がいるので、人間牧場は少なくとも2代にわたって続くであろうことは分かっていますが、思いがどのように受け継がれるのか、多少気にかかるところです。

 フロンティア塾は年輪塾へ、廃屋古民家やメダカの家は人間牧場として再生していますし、当時の仲間と違うものの、私の周りには多くの人たちが集っています。この日はまるで夢のまた夢を見ているような不思議な気持ちの一日でした。

 

  「迂回路を 下る途中に 懐かしき 古民家見つけ 立ち止まり思う」

  「この道を 何度登って 下りただろう 夢のまた夢 思い出しつつ」

  「梨の花 桜とともに 咲き競う 人の気配を 感じぬ里で」

  「もし俺が 死んだら 牧場どうなるか 余計なことが 頭に浮かぶ」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○豊田神社の祭礼

 一昨日公民館の赤石主事さんから、「豊田神社のお神楽の取材に行くので同行しませんか」とお誘いがありました。急な申し出だったのですが好奇心が働き、締め切り間近な原稿書きを途中までで止めてご一緒しました。

 私は下灘地区出身なので豊田神社はかつての氏神様で、何度か訪ねたことがありますが、久方ぶりに訪ねた豊田神社は荘厳な雰囲気を感じ、すでに神事が始まっていたこともあって境内のあちこちを散策することできました。社殿、拝殿を飾っている軒先の彫刻などは見事で、偶然居合わせた史談会の磯田会長さんの説明を聞くことが出来ましたが、磯田会長さんの話によると本殿は宮本常一のふるさと山口県周防大島出身の長州大工の作らしく、いいものを見せていただきました。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
shin-1さんの日記

 やがて宮司による神事も終わり、一つ山を越した大洲市柳沢から招聘した藤縄神楽が始まりました。藤縄神楽は県指定の無形文化財で、演じる人の中には顔見知りの石岡さんもいて懐かしく、また昨年の田処ホタル祭りには神楽の舞を私自身直接体験していることもあって、興味深く見せてもらいました。

 太鼓、笛、鐘などの鳴り物に合わせて舞う神楽は五穀豊穣や家内安全などを祈る演目が数多くあって、場面が変わる度にめくりがめくられ、その都度小餅が四方へ撒かれ、私の所へも四~五個飛んできました。やがてお下がりのご神酒が振舞われ、私にも宮総代をしている顔見知りの友人から飲むよう勧められましたが、酒を飲めない私は「運転しているので」と言い訳をして断わりました。


 神楽は2時間近くあることを知っているので、同行の赤石さんを促し途中で中座することにしました。神楽の鳴り物の音を背中に感じながら車道を登って車を駐車している県道まで引き返し、急な思いつきで黒山神社を目指しました。朝ヶ峠への道を途中で左折し、鳥越峠への道をさらに左折して林道を走り、終点まで行きました。私もこの道は開通以来始めての道なので、黒山神社まで辿り着くかどうか不安でしたが、幸運にも記憶にある山の形状などを目当てに一発で到着しました。

 私は25歳で転職し役場職員になりましたが、公民館主事になったその年にテントと寝袋を持って黒山まで一人で歩いて登山し、一夜を過ごした思い出の場所だけに懐かしく感じました。黒山は春真っ盛りでモミジや欅が芽吹いて、山全体が燃えているような感じがしました。谷を越えて豊田神社の神楽の太鼓が遠くこだまして聞こえていました。

shin-1さんの日記

  「春祭り 神楽の太鼓 笛や鐘 社殿一際 賑やかなりて」

  「神楽舞う 出演人の 顔の中 見覚えありて 記憶辿りぬ」

  「

[ この記事をシェアする ]