shin-1さんの日記

○人間牧場に春が来ました

 三月弥生から四月卯月へと季節が変わり、野も山も一斉に花の季節を迎えるようになり、昨年子どもたちに誕生日のプレゼントとして買ってもらったデジカメが大活躍をしています。本当は画素を落とさずに撮影したいのですが、ブログ用に使うためには画素を縮小しなければならないので、画素を落としたままで使っています。

 昨日は孫たちと一緒に人間牧場のスモモの花を見に行きました。3年前に植えたスモモは剪定もせずに延ばし放題にしているため樹勢が強く天を仰ぐほど伸びていて、今年は白い花をいっぱいつけて満開のころを迎えているのです。海と空の青さに白いスモモの花はとても美しく映えて、孫たちも「おじいいちゃん綺麗な花だね」と感心しきりでした。

shin-1さんの日記
(スモモの花が満開で、ミツバチも盛んに蜜を集めていました)

 近くの雑木の枝を1メートルほどに切ってやると、孫たちは「おじいいちゃんに刀を作ってもらった」と大喜びで、そこら中を駆け回り、草の上を滑ったり寝転んだりしながらキャーキャー言って大はしゃぎです。日ごろは何かとストレスの多い、街中暮らしを強いられている孫たちにとって、自然はいいものだと感じたようで、木で作った刀で草をなぎ倒したりやりたい放題でした。

shin-1さんの日記

(刀で戯れる孫たち)


 この日の目的は、ツリーハウスの中に収納して育てているカブトムシの幼虫観察です。今年の落ち葉集めの時、イモヅル伏せのための苗床から掘り起こした幼虫をポリ容器に入れているのです。この春小学3年生になる孫朋樹はカブトムシが大好きで、図鑑でカブトムシの生態を調べていて、今3齢目を迎えている幼虫の様子が気になっている様子でした。実験用に持参した虫篭に腐葉土を入れ、その中に幼虫を一匹入れて持ち帰ることにしました。幼虫はポリ容器の中でしっかりと育っていて、今年は成虫になることが期待できそうです。

shin-1さんの日記

(ツリーハウスに収納して育てられているカブトムシの幼虫)
shin-1さんの日記
(幼虫は順調に育っていました)

shin-1さんの日記
(ツリーハウスでカブトムシの幼虫と面会して孫たちもご満悦です)

 今年はどういう訳か春先寒くて雨が少なく、春一番のような南寄りのやまぜが吹きません。それどころか昨日までの3日間は春としては珍しい寒い北東の風が強くて、下灘の漁船は漁にも出れなかったようです。福島原発の事故以来、季節の巡りの少しの変化にさえ、「何故?」「もしや?」などと首をかしげたりすることが多くなったようです。それでも季節は巡り少し遅めの春がやって来ました。これから1週間は桜がいっぱいいっぱい咲いて、一年中で一番楽しみな季節です。今年もせいぜい春を楽しみたいと思っています。


  「孫たちに 刀作って 手渡すと 腕白放題 遊びに夢中」

  「カブトムシ 腰をかがめて ポリの中 ひっそり生きて 命の不思議」

  「これ三齢 図鑑調べた 孫得意 本当かしら? 知らぬふりして」

  「今年また 春を楽しむ 術覚え お裾分けする 孫も喜ぶ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○最近の野鳥事情

 私たちが子どものころは、戦後間もないこともあって物の乏しい時代でした。ゆえに遊び道具は親から買ってもらった「肥後の守」という切れ味鋭い小刀一本を、暇さえあれば砥石で研いで、竹や木や紙を切ったり割ったり削ったりしながら、遊び道具を作っていました。今流に言えばアウトドアー感覚でしょうが、時にはイタドリなどの食べ物までも小刀で収穫したものです。最近は刃物は危ないという理由で小刀などを子どもの手の届かない所へ隠したため、「肥後の守」という言葉さえ覚えている人が少なくなって、死語に近くなっているようです。

 秋から冬になって小鳥の食べ物が不足する頃になると、小鳥の餌となる木の実を集めてきて、「きびち」という罠を仕掛けて遊びました。小鳥の通りそうな場所に小鳥の餌場を作り、餌を食べるとはね木が小鳥の首を絞めて生け捕るのです。小鳥も最初は簡単に捕れるもののそのうち利口になって、ちゃっかり餌だけをしっけいするようになりましたが、それでも捕った獲物の野鳥の毛をむしり、肥後の守でまるで実験台のように腹を開けて内臓を取り出し、焚き火で焼いて食べたりもしました。それは動物虐待という世界ではなく、私たちの遠い祖先が生きるためにやって来た狩のようなものでした。残った骨や内臓類は石の上に置いておくと、いつの間にかカラスなどの他の動物が恩恵にあずかり持って行きました。

shin-1さんの日記
(川にいるはずのカワセミがわが家に住み着いています)

 そんな生々しい遊びをしていたため、子どものころから自然の中にある食べられるものと、食べられないものの見分け方やあり場所をちゃんと知っていて、今でも人間牧場界隈を訪ねる度に、少年時代自分だけのとっておきの場所だったところを懐かしく思い出したりするのです。

 私たちが子どものころに見た野鳥といえば空腹がそうするのか、モズやヒヨ、雀などでした。勿論メジロやウグイス、カラス、トンビ、カモメ、イシタタキ(セキレイ)なども記憶にありますが、サギや水鳥などは余り見かけなかったのに、わが家の池に水鳥がやって来て、池の鯉類を狙ったり、先日も自宅付近に住み着いているカワセミが、耕運機で耕した後ろでミミズをせっせと啄ばんでいて驚かされました。

shin-1さんの日記
(私と対面した水鳥は無防備でした)

 2~3日前漁師をしている叔父さんからの連絡で魚を頂に豊田漁港まで行きました。港の漁船に乗る歩み板の上に何やら見かけぬ水鳥がとまっていました。ほんの手を差し伸べれば届くような場所なのに、逃げるどころか餌が欲しい仕草で私を見ているのです。

 港・船・海=カモメのイメージが一辺に崩れました。この水鳥はサギ類の仲間でしょうが、羽根を広げるととても大きな水鳥で、最近よく海辺で見かけるようになりました。野鳥や獣は自然の変化に敏感です。里山にイノシシやカラスが出没するのも、ある意味環境の変化かも知れないと時々納得するのですが、この水鳥は私たち人間にどんなメッセージを伝えようとしているのでしょうか。


  「この鳥は 何という名の 鳥かしら? 私をじっと 観察してる」

  「鳥事情 変ったことも 気付かずに 愚か人間 何の手だても」

  「白カモメ 黒はカラスと 覚えてた 灰色鳥は 何と覚える?」

  「今朝もまた ウグイスの声 賑やかに 朝の目覚めは 鳥の一声」

[ この記事をシェアする ]