shin-1さんの日記

○孫とワイワイガヤガヤ

 昨日は春休みでわが家へやって来ている孫たちと一日を過ごしました。朝起きてご飯を食べてから、夜風呂に入って寝るまで、時間は毎日と同じなのに、日ごろの暮らしとはまったく違う波長で、暮らしのリズムを狂わされ、すっかり疲れている私たち夫婦なのですが、それでも「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれると目を細め、すっかりその気になって、付き合いをしているのです。

 昨日はすこぶる上天気なので、孫たちの手伝いを受けて玄関周りの掃除をしました。玄関といっても田舎の民家ゆえ私の家の玄関はだだっ広く、2間に1間半もあるのですからそれなりに靴や置物もいっぱいあるのです。孫たちを褒めちぎりながら全てのものを外に出し、タイル張りの土間を箒や掃除機で掃除し、雑巾で拭きました。この半年大掃除をしていなかったためかなり汚れていました。また履かなくなった靴類も幾つか処分しました。

 わが家の玄関には久万高原町の商工会に勤めている渡辺さんの紹介で、もう10年も前に木製の丸太ベンチを買い求めて置いていますが、丸太の椅子の幾つかはくじらという海産物店を経営している妹に譲り、一個のみが残っているのです。またその横にはかなり大きい水槽が置かれ、長男が長年飼っている土佐金と親父が池で飼っていた尾長金魚が仲良く泳いでいるのです。今は忙しい息子に代わって私が水槽の掃除や餌やりをやっています。その水槽の掃除もしました。また孫朋樹が毎年のように夏になると夢中になる、クワガタやカブトムシを入れる虫篭も、この際腐葉土を畑に移し朋樹が綺麗に水洗いして天日に干し収納しました。

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 サッシ戸を雑巾で拭き、すっかり綺麗になった玄関を見て、仕事から帰った妻は驚いた様子でした。「綺麗になった玄関は私が掃除したからだ」と胸を張る私を見て、妻はニヤニヤしていましたが、手伝った孫二人も褒められてすっかりその気になっていました。

 午後からはコピー用紙で紙飛行機を作り、近くの空き地で孫と飛ばせやいこをしました。まあ熱中することこの上なく、尚樹などはしっかりと汗をかいたようです。

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 今晩は娘が仕事から帰って子どもたちを迎えに来ます。多分今夜は泊まって明日帰るのでしょうが、早く帰ってと思う反面と寂しさが交錯しています。今日は午後西条市に住む青木さんが、お母さんを連れて立ち寄ってくれました。青木さんと朋樹は宮本常一の歩いた道を歩くイベントの時出会っていて、朋樹も覚えていましたが、お土産を貰って大喜びでした。

 桜の花も昨日と今日の陽気で一気にふくらみ、桜の名所潮風ふれあい公園の桜もほころんでいます。これから孫たちを連れて公園へ出かけようと思っています。

  「春休み 孫が訪ねて 大騒ぎ 早く帰れと いいたい気持ち」

  「小さいが 小さいなりの お手伝い 玄関掃除 孫と一緒に」

  「春風を 受けてスイスイ 爽やかに 紙のヒコーキ 低く高くに」

  「いつの間に こんなに高く なりにけり 柱に書いた 高さ追い抜く」

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○二人の男の再起動

 リタイアして自由人となっている最近の私にとって、最も深い付き合いをしている年輪塾の塾頭清水和繁さんと、塾生第1号の浜田久男さんのお二人が昨日で退職するというので、塾生に声をかけ再起動を促す懇親会を、年輪塾の溜まり場となっている松山市駅裏の「ふじ」という居酒屋でやりました。

 米湊大番頭、松本小番頭の年輪塾ネットでの呼びかけに、総勢15人もの仲間が県内各地から集まってくれました。これもお二人の人徳とでもいうのでしょうか、一人ひとりの顔ぶれを見ながら、自然発生的で開塾の時期も記憶にない年輪塾も、いい仲間が集まっていると感心しながら、2時間ほど懇親を深めました。


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 浜田さんは関西汽船松山支店の営業課長をしていました。子どものころ双海町下灘日喰に住んでいたこともあって、人間牧場を始めたことが愛媛新聞で紹介されるや、人間牧場へ入熟させて欲しいと申請書を持参して来ました。まだ未知の分野だった人間牧場に私塾を開こうと決意させたのは、この申請書がきっかけだったことを思うと浜田さんは大恩人なのです。その後1年余りが経って民俗学者宮本常一をテーマに第1回の年輪塾を開いた折は、豊富な読書で培った宮本常一の足取りなどを数人の仲間の前で講師となってレクチャーしてくれましたが、年輪塾の塾生に読書の必要性を説いてくれたりもしました。

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 浜田さんの勤めていた関西汽船は名の通った旅客船会社ですが、モータリゼーションの発達や、高速道路無料化実験事業の洗礼をもろに受け、定年後の再雇用もままならず縁切れとなったようですが、独り身の気軽さもあって当分は充電をするようで、昨日は夜の船で本社に向かい今日神戸の本社で退職の辞令交付式に臨むのだそうです。民間企業の厳しい営業に耐え、長年にわたって黙々と働き、晴れて退職する浜田さんの再起動に大きな拍手を送るとともに、リタイア組の先輩として今後の人生のあり方のアドバイスを、してあげたいと思っています。

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 清水さんはJA農協マンです。定年退職といってもまだ58歳ですが、組織の方針で役職定年というのがあるそうで、それならと勧奨退職の道を選びました。退職後は再雇用で給料は下がるものの別の職場に再雇用されて仕事が出来るそうです。

 清水さんとの出会いは、彼がえひめ地域政策研究センターへ研究員として出向してからです。気象予報士の資格を持っていたり、宮沢賢治に傾注したりとこれまでの仲間にはない独特のキャラクターを持っていたため、えひめ地域づくり研究会議代表運営委員を務めていた私と深いご縁となり、年輪塾の塾頭をお願いしました。

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 馬路村の東谷さん、上勝町の横石さん、内子町の森本さんと私を結ばせたのも、山形の星さん、徳島の草野さんと結ばせtのも全て黒子に徹した清水さんのなせる業でした。宮本常一から二宮尊徳へとテーマを代えている年輪塾のネット運営と223話に上る尊徳翁夜話配信などは、オンリーワンながら私塾としてはの独自性を存分に発揮しているのです。昨日は退職辞令を午前中交付されたそうですが、35年間の締めくくりとして終業時間までしっかりと勤めたあたり、並みの人では出来ない終り方をされたようで、頭が下がりました。昨日の夜の再起動の会に、「行き方のヘタな男のレクイエム」と「倚りかからず」という短詩を皆に配った奥の深さはさすがでした。

  「人は皆 上り下りの 時ありて ちょっと一息 次を目指しつ」

  「何年か 前に私も このように 人生いかに 生きるべきかと」

  「経済を 伴うゆえに 自由とは 言いつ不自由 強いられ余生」

  「続々と 仲間が増える 余生かな 俺を見習え 楽し生きてる」 

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