shin-1さんの日記

○東日本大震災と賽の河原

 東日本大震災が起こってから1ヶ月余りが過ぎました。大地震・大津波・放射能というトリプル被災は私たちの想像以上に深刻ですが、それでも復興の足音が少しずつ大きくなっていることに、多少安堵の胸を撫で下ろすのです。地震と津波が襲った三陸地方の町や村を見る度に、不謹慎かも知れませんがあの瓦礫の山がどこか賽の河原に似ているようだと思ったりします。

 日本全国には奥尻島賽の河原、積丹半島賽の河原、恵賽の河原、恐山賽の河原、今泉賽の河原、川倉賽の河原、岩崎賽の河原、浄土ヶ浜賽の河原など幾つもの有名な賽の河原がありますが、ふと何年か前に訪ねた青森県むつ市の恐山賽の河原の光景を思い出しました。

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賽の河原は幼くして、親よりも早く亡くなった子どもが行き、いつ終るともなく石を積み続けるという苦を受ける、三途の河原を賽の河原だというのです。現世と来世の境界にあるとか、冥土の手前にあるといわれています。観念上は地獄の一つですが、これを現世に現出させた場所でもあります。

 平安時代の僧空也による西院河原地蔵和讃の、「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため」というむなしい旋律が涙を誘い、ここは子どもの霊が浮遊する霊地のイメージがあるのです。大津波と大地震は多くの人の命を奪いました。その中には子どもたちも沢山含まれているし、逆に両親を亡くし震災孤児となった子どもたちもいるのですが、身内を亡くした人たちはこの瓦礫の山を、どのような気持ちで見ているのでしょうか。思い出すだけでも胸が痛むのです。

 今回の災害は大規模かつ広範囲に及んでいるため、亡くなった方々を荼毘に付す余裕すらなく、止むを得ずユンボで掘った穴に刈り埋葬するという、今の時代に考えられないような遺体の処理をしているようです。私たちが子どものころは土葬が主流で、遺体を焼くなどという風習は田舎では余りありませんでした。お年寄りが死んで焼かれるのは痛いから焼かないで欲しいと、冗談を言ったことがまったく?のようで、遺骨を傍に置いたりお墓に安置して安心する日本人に、少なからず衝撃を与えています。復興が進んで落ち着けば掘り返して荼毘に付すのでしょうが、何とも痛ましい光景です。

 日本人の宗教心の根源はどうやら死にあるようです。人間は生まれて死ぬまでは意識が働きますが、死んでからは無の世界です。ゆえに科学的には何の根拠もないのですが、死ねば極楽や西方浄土があると信じられています。科学的に説明が付かない死後の世界を持っているからこそ、生きている間はまっとうな生き方をしようと思うのであって、最後の砦といわれる死生観がなくなれば日本人は、魂の抜けたセミの抜け殻のようになってしまうのです。

  「震災の 瓦礫の姿 何処となく 賽の河原に 似ているようだ」

  「何年か 前に訪ねた 恐山 賽の河原は どこか寂しい」 

  「千年に 一度の震災 根こそいで 跡形もなく 寂し光景」

  「この歳に なると感じる 死生観 日本人ゆえ 最後の砦」

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