○誰かいい人おらんかねえ
人の目から見れば私のことを、外交的で世情のことを良く知って顔が広いと思われているようで、時々私に「あんたは顔が広いから、誰かいい人おらんかねえ」と、相談を持ちかけられるのですが、こと縁談に関しては世代が変わったというのか、余り若者の情報を知らないし、ましてや年中忙しく過ごしているため、田舎の若者に嫁さんがない事実に心は痛めていても、正直言ってそんな暇はなかったのです。
私たち夫婦は若い頃10組ほどの仲人をしていますが、それはもう随分前のことなので、今の若者の結婚事情をまったくといってよいほど知らないのです。そんな折妻がある人から写真と釣書を預かってきました。私に「誰かいい人おらんかねえ」と相談を受けましたが、うわの空で「そんな人はおらんし、俺もそんな暇はない」ととぼけていました。
ところが妻は、親類や知人友人にそれとなく電話を入れて相手探しを始めたようです。まだ海のものとも山のものとも分かりませんが、私はふと「ひょっとしたら結婚相手を探してあげることだって立派な地域づくりではないか」と思ったりしました。今私たちの周りには結婚したいと思っても、結婚相手に巡り合うことすら出来ない人が沢山いるのです。私たちが若い時代のように男女が出会う青年団活動などもなくなり、両親と農業や漁業をしながらひっそり暮らす真面目一辺な若者を見るにつけ、何とかできないものかといつも思うのです。
先日そんな独身の息子さんのいる家の隣にするおじさんと、ひょんなことから話をする機会がありました。隣のおじさんの話によると隣では、最近お母さんが亡くなり、お父さんも病弱で寝たり起きたりだそうです。これまで家事を一手に引き受けていたお母さんがいなくなり、家事とお父さんの介護はこの息子さんの肩に大きくのしかかっているようでした。
見かねた隣のおじさんの隣の息子を気遣う言葉は、「誰かいい人おらんかねえ」でした。昔は村のそこここに縁結びを得意とするやり手のおばさんがいましたが、そういう物好きなおばさんは皆無で、真面目でけなげな隣の息子さんのことを何とかしてくれる手立ては残念ながら見つかりそうもないのです。
「若松さん、あんたはまちづくりだの何だのとやっているが、隣の息子さんに嫁さんを探すようなことも考えたらどうか」と、びっくりするような重い荷物を背負わされてしまいました。かつて役場に勤めていたからといって、私がその役割を担わなければならない理由は何処にもありませんが、だからといってこの厳しい現実に目を逸らすこともできません。「考えておきましょう」と、その場はお茶を濁しましたが、高齢化・過疎化・少子化・限界集落・産業不振などなどとともに、嫁不足は田舎の大きな社会問題でもあるのです。私の息子たちも30歳を越えてなお独身です。他人事とは思えない嫁さん探しを、本腰入れてやってみようかと、考えた朝でした。
「会う度に 誰かいい人 おらんかね 聞かれるけれど さっぱり見えず」
「母亡くし 家事と介護を する息子 傍から見てて 何とかせねば」
「まちづくり 偉そう口を 叩くけど 俺など所詮 役にも立たず」
「見合いして 妻を射止めた 俺だけど やり手おばさん 進められねば」