○松樹千年翠
古い言葉に「松樹千年翠」という言葉があります。変わらないものの価値を見失うな」という例えですが、私たちはややもすると世の中の新しいものや華やかで面白いものに目を奪われがちです。テレビの視聴などはその際たるもので、最近のテレビ番組などはゴールデンタイムを狙ったバラエティが多く、コマーシャルで番組を製作しなければならない製作会社は、視聴率アップを狙う余りにやらせなどをやってしばしば問題になるのです。
人間には本質的要素と付属的要素がありますが、徳とか徳性、つまり人が人を愛すること、人のために尽くすこと、清いこと、?をつかないこと、、真面目なこと、守るべき事を守ること、敬いや感謝などなど数え上げれば切がありません。しかし戦後50年余りでこれら本質的要素がないがしろにされ、むしろ付属的な要素である知識とか学歴とかがあたかも人間の真価のように思われてきました。たしかにこれらもないよりはあった方がよいのですが、本質的要素には遠く及ばないのです。
先日ある人から、ある女性の結婚話の相談が持ち込まれました。私の顔が広いと勘違いをしての相談でしたが、その釣書には何処を出たという学歴と、どんな会社に勤めている、親がどんな仕事についているということが主流で、その女性の本質的な優しさや気配りといった本質的要素はどこにも書いていませんでした。釣書を持ってきた人に、「相手の女性はどんな性格なの?」と尋ねても、「よく分からない?」と心もとない返事で、挙句の果てに「あなたがその目で確かめて下さい」と心もとない話でした。
仕方がないので早速出会いましたが、東京の一流大学を卒業し、役所に勤めているようで、それなりの顔立ちでしたが、喫茶店でお茶を飲んだだけなのに情の厚さや気配りに今一なところを感じたため、「私だったらこの人と結婚するだろうか?」と思い、この釣書は相手にお返しすることにしました。人を表面だけで判断は出来ませんが、にじみ出る女性らしい気配りは、今も昔も変わらない本質的要素だとしみじみ思いました。「あなたは今時古い」と思われるかも知れませんが、子どもを育てる場合でも人を思いやる優しい心を育てて欲しいと、娘や息子に伝えています。
わが家の庭に植えて40年近くになる松樹があります。この木はそんなに大きくはないものの山取りのため、幹肌は荒れいい松の条件を満たしています。わが家に植えられてから40年、この松は親父の手によって毎年2回剪定の鋏が入れられ、40年前と殆ど変わらない容姿を保ち続けているのです。この木が庭にあることは知っていても、その存在を日々の暮らしの中で感じることは殆どありませんが、この松の木があるだけで、庭は締まって見えるのです。まさに「松樹千年翠」なのです。
「本質を 見抜く力を 身につける 難しながら 大事な目利き」
「わが庭の 松樹しっかり 生き抜いて 親父とともに 存在示す」
「何処を出た そんな学歴 糞食らえ 大事なことは 人間力だ」
「まだまだだ 修行足りぬと この身恥ず 進化の速度 一向進まず」