○死に支度の時代
「もしこのまま私が亡くなったら一体私の身の回りはどうなるのだろう」と、縁起でもないことを思いながら昨晩床に就いたためでしょうか、昨夜から今朝にかけて変わった夢を見ました。夢のことゆえ既に殆どは記憶の外に消えているのですが、亡くなった母が出てきたり、少年の頃に引き戻されたりする懐かしいものでした。ハッと思って目が覚めやわら起きて自分の書斎に入りました。
思わず、自分の身の回りにうず高く積まれた新旧の雑誌や書類、それに様々な本に囲まれて、身辺整理も出来ぬままになっている姿を見て、「こりゃあいかん。もっと整理をせねば死んだ時恥ずかしい」と思いました。
実はこのことには前から気がついていて、一年に何回かは部屋の掃除と称して、沢山の書類や雑誌をみかんのコンテナに選り分け、その都度家庭菜園の隅で焼却処分してきたのですが、いつの間にかそこにまた新しい紙類が蓄積してしまったのです。
ある引越し引き受け会社のコマーシャルに、ゴミに囲まれた人が登場し、そのゴミの処分をわが社が引き受けるというのがあります。つまり身辺整理という新たなサービス業なのですが、聞くところによるとこのサービス業を利用する人はかなり多いらしいのです。引越しならいざ知らず身辺整理くらい自分でしたらいいのにと思いますが、世の中色々な仕事を考える人がいるものです。
そんな矢先、間もなく始まる秋の彼岸を前にお墓の掃除を請け負う新たな商売が以外に好評だという話をテレビで見たし、テレビドラマでは死んだ人の遺品を整理する「遺品整理人」という聞きなれない主人公が登場するストーリーを、興味深く見ました。
何年か前、宗教学者の山折哲雄さんが雑誌の取材で夕日のミュージアムに訪ねてきたことがあります。著名な方ですので、夕日にまつわる人間の習慣について色々意見を交えましたが、その山折哲雄さんが「死に支度の時代」という記事を書いているのを読みながら、はてさて私はどんな死に支度をしているのだろうと考えさせられました。遺書を書くことも、お墓を造ることも、最近時々聞くようになった生前葬も死に支度なのでしょうが、ポジティブに生きる私はこれまで死に支度など考えてもいませんでした。
しかし、私以外の家族にとっては紙ごみとしか思えないような書斎の紙類を、何としても処分しなければならないと思うようになりました。早速今日あたりからこの膨大な紙類を捨てて身辺を整理しようと思っています。こんなことを考えるようになった俺も歳だなあと、間もなくやって来る66歳の誕生日を前に考えました。
「もし俺が 死んだらこれら 紙ごみに なってしまうか 早く始末を」
「人間は 人から見れば 他愛ない 物をお宝 思って残す」
「死に支度 そろそろ思う そんな歳 なった自分に 苦笑しながら」
「俺の糞 さえも流して 始末せぬ 何も出来ずに 死んで行くのか」