shin-1さんの日記

○夕焼け村で夕日の話をしました

 昨日は8月最後、夏休み最後の日でした。暑さも峠を越えたかに見えましたが、全国各地で猛暑日となったようで、今年の気象新記録が沢山生まれたスーパーをつけた暑い暑い夏でした。それでも熱中症にもならず、多少あせもに悩まされた程度でこの夏を過ごすことができたことは、何よりも幸いです。

 昨夕は3日前に始まった通学合宿「夕焼け村」で、夕日の話をして欲しいとの要請があって、宿泊先である潮風ふれあいの館へ出かけました。到着すると子どもたちは夕食準備に追われていました。私も誘われてその輪の中に加わり食事をいただきましたが、メニューはハヤシライスと野菜サラダでした。

 この日は更生保護女性部の3人のおばちゃんが食事づくりのボランティアとして汗を流してくれたようで、毎年のことながら感謝せずにはいられません。子どもたちが食材の買い物をし、子どもたちが食事を作る手はずなのですが、烏合の衆を指導しないと出来ないため、こうして毎日ボランティアの指導を受けているのです。

若松進一ブログ
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 私が2005年に作った夕日の時刻表によりますと、昨日8月31日の日没は午後6時36分でした。食事の終わった子どもたちは全員前庭に出てコンクリート電柱で造ったベンチに一列に座って、夕日の沈むのを待ちました。昨日は100パーセントの夕日ではありませんでしたが、それでも晩夏初秋の綺麗な夕焼けが見れました。また昨日は一年に数回しか見えない大分県国東半島や姫島がくっきりと見えたり、殆どの島影がまるで墨絵のように印象的に見えました。

 そんなこともあって夕日の話の最初はまず姫島の黒曜石と、わが双海町東峰遺跡の3万年前の石器が同じ石であることからロマンの物語を話してやりました。古代人はどのようにして黒曜石を東峰まで運んだのか、まさにミステリーの世界なのです。子どもたちは蚊に足元を悩まされながらも約40分熱心に耳を傾けてくれました。

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 最後は私の下手糞なハーモニカに合わせて「夕焼けこやけ」の歌を大合唱して終わりました。この20年間夕日に魅せられ夕日を売り出すためにありとあらゆる場所で雄飛の話をしてきました。その結果双海町の夕日は自称日本一と思えるほど町民の自慢になりました。しかし人の記憶など直ぐに消えてゆくものです。ほおっておくといつしか記憶から消えてしまうのです。

 子どもたちにとって昨日夕日も見ながら聞いた夕日の話は、心に残ったに違いありません。これからの長い人生で何処かの町やどこかの国の夕日を見た時、この夜の夕日を思い出してくれるかも知れないのです。子どもたちの記憶の中に潜在能力として残す作業こそがふるさと教育なのだと思いながら、これからも折に触れて夕日の話をしたいと思っています。

 さあ今日から二学期がスタートします。子どもたちは夕焼け村からそれぞれの学校へ通って始業式を迎え、また夕方この潮風ふれあいの館へ帰って来ます。楽しい思い出を一杯作ってくれることを願っています。


  「子どもらに 夕日の話 熱っぽく 今年も話す 大きな声で」

  「一年に 何度か見えぬ 姫島が 見えてラッキー 古代を語る」

  「子どもらの 心に残る 思い出に 夕日夕焼け 天も見方す」

  「この夕日 二度とは見えぬ オンリーワン 心焼付け 心の糧に」

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