shin-1さんの日記

○木霊の学校日土小学校を訪ねる①

 先週の日曜日、木霊の学校という愛称で呼ばれている日土小学校の見学会に出かけました。これまでにも日土小学校の見学会は何度も機会がありましたが、仕事の都合や建築学などに弱くて疎いため足が遠のいていましたが、年輪塾の仲間に加わっている菊池さんと清水さんが案内するので是非という清水和繁塾頭の口車に乗って、恥も外聞も無く妻同伴で出かけて行きました。木造校舎といえば県内双璧と思われる翠小学校の近くに住んでいて、学校を見学しようと思えばいつでも快く迎えてくれる年中開放の学校と比較すれば、見学会とは何とも仰々しく窮屈な感じのする学校ですが、住民を二分するような学校保存運動の経緯を考えたり、学校のセキュリティのことを考えると、仕方がないことだと思いつつ、この小学校の卒業生で保存運動に深くかかわった菊池さんと清水幸一さんの案内で学校を1時間半かけてゆっくりと見て回りました。

若松進一ブログ
(案内してもらった日土小学校卒業生の左清水幸一さん、真ん中清水塾頭、右端が菊池さん)

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 私は民俗学者宮本常一流なのでしょうか、まず学校の周りの風景が気になりました。日土は私たちの地域と同じように急峻な地形に民家がへばりつくように点在しています。段々畑に囲まれた学校はまるでカガスのそこのような位置にあって、学校の直ぐ横に喜木川が流れています。多分民家や畑からも学校が一望できるのです。岡崎さんからメールで送られてきた一枚の写真も学校の全景が見えるものでした。運動場の向うに見える日土の集落は夏の青い空や流れ行く雲が印象的に見えました。

 運動場に車を止め玄関先に入るとまず目に付くのは両側が吹きぬけた靴箱と台形の靴脱ぎ場です。菊池さんと清水さんの説明を聞きながら、この学校を設計した日本の建築10傑に名を連ねている松村正恒さんという人のことを思いました。


 大洲市新谷に生まれ、八幡浜市役所に勤務したことのある松村さんは無級建築士自筆年譜に、「わたしは、小学校をつくるとき、まずは子供になったつもりでプランを考え始めるのです。マルローの空想美術館というのがあるでしょ、あれにならって空想の学校を思い浮かべるのです。ふとんのなかで目をつむる、子供に変身する、童心にかえる。学校のなかを走りまわる。座ってみる、変化と感動を探りだす。決められた敷地がよみがえって学校のかたちが現れる。歓声が聞こえてきます。」と述べています。建築家ではなく建築稼、つまりのぎへんに家というのは稼ぐという意味ではなく、ものを植えつけて育てるという意味なのだと述べる松村さんの思いを強く感じることが出来ました。

 清水さんから手渡された日土小学校ガイドブックには、手作りの学校、光と色の魔術師、開放された昇降口、両面採光の教室、開かれた空間、うるおいのある生活、子供のための色々な工夫、教室と外のつながり、傾斜21度の緩やかな階段、廊下とベンチと飾り棚、風空間へ、室でなくホール、室のカドまでとっちゃいました、座る人のことを考えた椅子、本当の意味での恵まれた環境などの目次が並び、菊池さんや清水さんの説明にいちいち納得しました。いやあ素晴らしい学校でした。


  「この学校 学んだからこそ 言えること 次々飛び出し 納得しつつ」

  「いいものは 無駄と手間隙 かけている だから意味つけ 遺し伝える」

  「新校舎 松村イズム 真似てるが どこか違うと 素人私」

  「この学校 なければ日土 ただ田舎 もっとみんなで 知恵出し活気」

 

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