人間牧場

〇愛媛県公連専門員会
 昨日は私が委員長をしている愛媛県公民館連合会の専門委員会が、県生涯学習センターの1階会議室で開かれました。2年前県公連会長から「県公連が今後10年間で取り組むべき施策について」諮問を受けていました。新型コロナウイルス禍の影響で審議中断を余儀なくされましたが、2年間の審議を終え答申案がまとまったので、答申をしました。

 答申では、①社会が大転換する中で、当面する公民館を巡る4つの重要課題、②「Tha Kominkan Sustainble Development Goaks」公民館を発展させるための16の指標(公民館版SDGs)、③県公連が今後10年間で取り組むべき施策の3つについて提案しました。県公連会長のあいさつの後委員長の私から答申を会長に手渡しました。

 その後委員長の私の方から答申の内容について、30分余り説明し協議を行いました。国連が提唱するSDGsは17の目標を掲げ、目標達成年を2025年としていますが、答申案を作り答申した委員会の責任もあるので、絵にかいた餅に終わらせることなく、とりあえず郡市公連を中心にその実効性を高める努力をしようと思っています。何はともあれ第一歩を踏み出しました。

「何事も 受けて立つより 攻め姿勢 諮問・答申 次は実践」
「今流の SDGsに あやかって 公民館版 アイディアそれなり」
「年齢を 重ねているが まだ余力 恩を貰った 恩返しする」
「この2年 ない知恵絞り 考えた 想い形に したいと覚悟」

 

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〇水の美味しい季節です
 私はアメリカ、メキシコ、香港、韓国など、ごく限られた国ですが何度か外国へ行っていますが、その度に水道水を自然に飲むことができる日本の有難さを感じてきました。最近前立腺肥大の手術を受け、医師や看護婦さんから手術後は膀胱洗浄の意味からも、毎日当分の間ペットボトル2本(500m㎖×2=1000m㎖)を飲むよう指示を受けました。夏場の汗をかく時期ならいざ知らず、のどの渇きを覚えないのに水を飲むのは中々骨が折れると思いながら、病室ラウンジの自動兎販売機でミネラルウォーターを買い、とりあえず入院している1週間は飲む習慣をつけました。

 退院して帰宅し自宅療養中も妻が買い置きしてくれたミネラルウォーターを飲み、時折出る手術による膀胱外壁削り痕と血尿を洗い流していましたが、そのうち快方に向かっているのか、心配していたそれらも出なくなりました。加えてミネラルウォーターを売るお店や自動販売機が自宅の近くにないため、空いたペットボトルに水道水を入れて飲み始めていますが、その後水道水でも何の問題もないようなので、折に触れ飲んでいます。看護婦さんの話によると食事の時に食べたり飲んだりした水分は体内で処理されて尿になるのには4~5時間かかるそうなので、そのことを計算し、寝る前は極力飲む量を押さえています。

 私はコーヒーもお酒も飲まないし、水分もそれほど取る方ではありませんが、術後の経過もよく排尿も順調のようで、とりあえずホッとしています。大寒の今頃の水道水は歯に染みるほど冷たく、常温で飲んでいますがとても美味しく感じられます。水は人間の健康にとってとても大事なものだと認識しながら毎日飲んでいます。それにしても昨日買った500m㎖のペットボトルの水は160円でした。ℓ換算すると320円です。今ガソリンが高いと言われていますが、ℓ160円です。私たちはいつの間にかガソリンの倍のお金を出して水やお茶を買って飲んでいることになります。考えさせられる時代です。

「入院中 手術後傷口 洗うため 一日2本 ペットボトル水」
「退院後 言われた通り 水飲んで お陰で排尿 順調推移」
「田舎ゆえ 自宅の近く 自販機や お店も遠く 水道水代用」
「大寒の 水が美味しく 感じられ この国住める 幸せ感じる」

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〇景観に配慮したまちづくり(ふたみシーサイド公園)
 私は60歳で定年退職するまで双海町役場に35年間勤めました。1ヵ所概ね3年の行政異動セオリーから考えれば、いずれの職場も異常なほど長く、異動経験は特別職の教育長(2年)を除けば僅か3回で公民館13年、産業課4年、企画調整室8年、地域振興課8年で、その殆どは地域づくりや住民活動でした。中でも産業課と企画調整室、地域振興課では様々なプロジェクト事業を立ち上げ、景観に配慮したまちづくりを行いました。

上空からパラグライダーで撮影したシーサイド公園の全景

 中でも国道378号の整備で交通量の多くなった社会変化に対応するため、「通過する町から立ち止まる町へ」をキャッチフレーズに75億円の巨費を投じ、3つの公園整備プロジェクト事業を立ち上げ、その企画と完成に意を注ぎました。その一つが海を埋めてて造ったふたみシーサイド公園です。この事業には「もし人が来なかったら?、赤字になったらどうする?」など懐疑的な意見も多く、議会の度に賛成反対の意見が入り乱れて賑やかでした。

 

 それでも意志を強く持ったお陰で、450mの人工砂浜を持ったシーサイド公園は完成し、平成7年3月16日にオープンしました。大方の予想を裏切り、多い年には年間55万人の集客があり、運営のために作った第三セクター「有限会社シーサイドふたみ」も順調に黒字経営を続けたのです。以来27年目の昨年リニューアル工事を行い現在に至っていますが、屋上に立って眼下に目をやると、恋人岬を中心に西と東に広がる瀬戸内海の自然景観を生かした眺望は、地球が丸いことを実感させるようで、自慢の一つとなっています。

「若い頃 35年間 役場にて まちづくりなど 色々画策」
「シーサイド 懐疑意見が 相次いで その度腐心 心砕いて」
「阪神や 淡路震災 同じ年 オープンしたが 何とかなった」
「過去のこと 故に多くは 語るまい 27年 あっという間に」

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〇津波情報
 南太平洋の島トンガで、海底火山が爆発した情報が錯綜し、まだ正確な情報は伝わっていませんが、史上まれにみる大爆発噴火のようで、気象衛星ひまわりの映像がその一瞬をとらえていました。日本までは距離が遠いため爆発による津波の心配はなく、10㎝程度だと気象庁は発表していましたが、夜になって予想をはるかに上回る1mを越える津波が、予想より早く日本の各地に押し寄せ、気象庁は深夜急遽太平洋沿岸に津波警報を出し、注意を呼びかけました。

トンガ海底火山爆発と押し寄せた津波

 深夜のこともあって津波に慣れていない地域では、高台に避難する車の渋滞が起き、東日本大震災の再来になるかも知れないと気を揉みかたずを飲みましたが、幸い大きな被害もなくホッとしています。気象科学は過去のデーターの上に成り立っていて、今回の空振と呼ぶ気圧の変化が予想を超える結果を生んでいるとすれば、今後の予報も空振の研究がさらに進み、私たちの暮らしの安心安全への備えが一段と進むものと思われますが、はてさて自然災害はまた新たな自然災害への難問を私たち人間に投げかけたようです。

 昨年日本の南の海底火山が爆発して出来たと思われる軽石が、沖縄などの海岸に大量に漂着し、その軽石は黒潮海流に乗って伊豆半島や関東の海岸にまで流れ着き大騒動となりました。私たちの暮らしが双海町・伊予市・愛媛県・瀬戸内海・太平洋と海でつながって成り立っていることを実感した出来事でした。私ひとりくらいと思う安易な気持ちで暮らしてきた私たちの考えを、根底から考え直さなければならない軽石騒動を思う時、自然界には存在しないはずの人間の文明の作ったプラスチックゴミが、海岸を埋め尽くす姿をどうすればいいのか、たかが一人されど一人の問題と改めて反省しています。シーサイド公園で毎朝5時から3時間掃除に明け暮れた12年間の思い出が蘇りました。その渦中だった27年前の1月17日、掃除をしていて阪神淡路大震災の惨状を目の当たりにしました。

「トンガ国 海底火山 爆発し 気圧の変化 津波押し寄せ」
「空振と 始めて聞いた 減少で 早くて高い 津波日本に」

「高知では 漁船が沈み 奄美では 高台目指す 車渋滞」
「昨年は 大量軽石 漂着し 潮の流れの あるを実感」

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〇よく喋る孫娘
 松山に住む次男の家のチャイムを鳴らし玄関に入ると、「花菜ちゃ~ん、おじいちゃんとおばあちゃんが来たよ~」と、若嫁がドアの向こうにいる孫娘に声をかけました。孫娘は「ちょっと待って~、今大事なテレビを観ていて、私も忙しいから~」との返事でした。まだ4歳なのに「私も忙しいから~」とはまあこましゃくれて・・・と思い部屋に入りました。

 さあそれからが大変です。前もって訪問予約をしていたので、孫娘はおじいちゃん、おばあちゃんに料理を作ってもてなしたいと、クッキングのままごと道具を使って、お菓子を作ってたようで、レストランに行った時店員さんが使う言葉で、「お料理をどうぞお食べください」、「お味はいかがですか」とか、すっかりその気になっておままごと遊びに付き合わされる羽目となりました。

 丁度昼食時間ころで、普通ならどこかのお店で会食をしたいと思っていましたが、新型コロナの感染拡大でそれもできず、途中のスーパーで握り寿司弁当を買い、若嫁の作ってくれたお味噌汁を添えて会食をすることにしました。その間会話の中心は孫娘で、孫娘は2時間余りず~と喋り続けていました。これまでは内孫2人、外孫2人全てが男の子だったので、初めて生まれた女の子のお喋りには戸惑うばかりでした。孫娘を思い出す度に顔がほころびます。

「普通なら 『来たよ』の声で 玄関に 迎え出るはず 取り込み中とは」
「まだ4歳 『テレビ観てるから 忙しい』 
                こましゃくれてる 参った参った」
「約2時間 喋り続ける 女孫 感心するやら 驚くやらで」
「喋る孫 成長証と 思いつつ いつの間にやら 笑い輪の中」 

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〇お宝箱
 親・子・孫などわが家は4代にわたって貧乏な家系ゆえ、家中探してもお宝など出てくるはずはありませんが、昨日親父の暮らしていた隠居で探し物をしていたら、何やら見覚えのある、大箱・中箱・長箱の木の箱3つが親父の茶箪笥の上で見つかりました。親父が大事にしていたもののようで、親父が亡くなって8年になるというのに埃も被らず綺麗なままでした。

親父のお宝箱

 その一つ中箱には親父の写真類が入っていました。親父の生きた時代は晩年を除けば、庶民ゆえ写真など余り縁のない時代でしたから、それほど多くの写真は残っていませんが、中には親父が一番大事にしていた戦時中の写真が出てきました。戦争中2度にわたって中国へ陸軍兵として出生し、傷痍軍人となり日本各地の陸軍病院を転々とした頃の、セピア色に変色した写真は、親父の形見のようなものです。

 さてこれらのお写真をどうするか、棄てる気にもならず、12人兄弟姉妹の結婚式記念写真とともに綺麗に封印して、海の資料館の資料として残すことにしました。ふともし私が死んだら、私の撮った膨大な写真や写真はどうなるのだろうと思いました。私にとっては貴重でも、息子にとってはタダの紙ごみでしかありません。そろそろ終活や断捨離をして、しっかり整理をしておかなければならないと思いました。さてこの写真の大箱と長箱に何が入っているか?、楽しみは次回。

「茶箪笥の 上に置かれた 宝箱 3つもありて 興味津々」
「中箱を 開くと中に 写真類 親父にとって まさにお宝」
「この写真 親父亡き後 価値もなく それでも戦争 当時ありあり」
「ふとわが身 死んだら写真 どうなるか? 紙ごみ扱い 息子は捨てる」

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〇「勇魚」と書いて何と読む?
 「『勇魚』と書いて何と読むか?教えてください。」という面白い話が、町内に住む私の友人から持ち込まれました。その人は私が水産高校を卒業していることを知っている元漁師のおじさんで、これまでにも色々な得体の知れない魚が網にかかって上がる度に、「これ何という魚?」とか、「魚偏」のつく漢字の読み方を尋ねられるのです。学者でもないし水産高校を出いるからといって、別に特別な知識がある訳でもないので、その都度一緒に考えて、一応の結論を出してきた経緯もあるので、今回の質問と相なりました。

 さて皆さんはこの字を何と読むか、またそれはどんな魚なのかご存じですか。これは私が水産高校で学んでいた60年前、国語の先生に秋田忠俊先生という民俗学研究の県内第一人者がいて、国語に時間に教えてもらった「魚と漢字」という話を今も覚えているので、即「この漢字は『いさな』と呼びます」と言うと、そのおじさんは怪訝そうな顔をして「何で『いさな』と詠むの?」と不思議そうに質問しました。「勇は新選組隊長の近藤勇という人がいたが、『いさむ=いさ』で、太平洋に面した地域では鯨のことを『いさ』、魚のことを『な』というので、『いさな」は『鯨』のことです。」と説明すると、「進ちゃん、あんたは賢い」と褒めてくれました。「エヘン、どうだ参ったか」でした。(大笑い)。

 海には色々な魚がいます。魚も大きくなるにしたがって鰤のように名前を変える出世魚もいます。また魚偏に当て字を書いたような紛らわしい名前の魚もいます。私たちの町の前に広がる海にも沢山の魚がいますが、この海の水温がこの10年ほどで年間1~2度高くなっているそうです。1~2度は100㎞南の水温と同じだそうで、最近は地球温暖化を感じさせるように、たまに見たこともないような南の海にしかいないはずの魚が獲れたり、ハリセンボンのようなフグが海岸に漂着したりすると、その元漁師さんはついで話をしてくれました。海岸に漂着するプラスチックゴミも気になる今日この頃です。

「元漁師 勇魚と書いて 何と読む 私にいきなり 聞かれ戸惑う」
「60年 前に水産 高校で 国語の先生 授業で話す」
「覚えてた 鯨別名 読み方を さすが利口と お褒めの言葉」
「気になるが どうすることも 出来ないと 嘆きの海を 見ながら話す」 

 

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〇猿か人間か?
 昨日パソコンの画面にいきなり8年前の写真が現れビックリしました。8年前にパソコンを使ってブログに書いた記事に沿え、アップしたと思われる見覚えのある写真ながら、自分ですら忘れていたものを、パソコンという人工知能が記憶しているのですから、その記憶力の凄さにはただただ感心するばかりでした。

猿か人間か分からぬ写真

 人間牧場の梅林隅に大きなクヌギの木が生えていて、梅の影になり、近くの墓地にも影響を与えそうなので、思い切って伐採することにしましたが、根回り一抱えもある大きなクヌギの木ゆえ、切り倒した折梅の木や墓石を傷めると大変なので、大洲市田処で酪農を営む親友亀本さんに仲介を頼んで、山仕事のスペシャリストに切ってもらうことにしました。

 その人は長い脚立をかけまるで猿のように、チェンソーを持って木の上にスルスルと登り、上の梢、枝を切り始めました。下で見ている私と亀本さんはその人の指示するまま切り落とした枝を、ロープで縛って指示する方向へ落として行くのです。その後徐々に木の下へ下りては切り、最期は大きな木の根元にチェンソーを入れて切り倒しました。思いのままの方向に切り倒される作業にただただ感心するばかりでした。

 先日わが家に猿が出没し、庭に植えている大きなクロガネモチの木の梢を揺らしながら、下で見ていた私たち人間をあざ笑うように遊んでいました。威嚇すると猿は器用に下に降り逃げましたが、その後脚立を立てて木に登って梢を切った瞬間、私は3m下の地面に落下し、体を嫌というほど打撲し、10日ほど寝返りもできないほどの痛さでした。今思うとあの8年前の人に頼めばよかったしみじみ思いましたが、後の祭りでした。

 洒落にもなりませんが私は申年です。猿が落ちずに人間である申年の私が落ちたのですから、これこそ笑い話です。でもこの写真を見て餅屋は餅屋、下手に前をするととんでもない災いを招くことを肝に銘じた次第です。

「8年も 前にアップの この写真 猿か人間? 見まがうほどに」
「8年間 パソコン内に 眠ってた 写真再び 人工知能」
「感心し 口開け樹上 見ていたが プロのやること 寸分狂わず」
「能力も ないのにやると 怪我をする 拳々服膺 戒め写真」

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〇風力発電風車
 わが家の車庫の屋上には、息子が趣味で取り付けた太陽光発電パネルと風力発電用の風車を設置しています。いずれも取るに足らない家庭用の小さなもので、バッテリーに充電して家庭用機器に使う程度で、とても家計の足しになるようなものではありません。それでもエコなどがそれほど話題になっていなかったもう10年も前に、こんな小さい冒険をしていたのですから褒めてやりたい心境です。

 今朝未明から北西の季節風がかなり強く吹き、風力発電の風車は時折ブンブンとうなり声をあげて回っていました。この分だとバッテリーの充電もかなりできるのではないかと思われます。もう一つの太陽光発電パネルは、わが家の位置が北向きで南は裏山が家のすぐそばまで迫っていて日当たりが悪く、晩秋から早春にかけては一日中太陽が当たらないので、あと1ヶ月余りは開店休業といったところです。

 息子は承水路発電、つまり水力発電も計画していて、水車型の発電機を既に試作していますが、家の裏から流れ出ている清水の水量や水力が弱く、家庭ではできないので、上灘川のどこかで試してみたいと思っているようですが、まだ構想段階のようです。もしどこかの水路に取り付けてバッテリー充電すれば、イノシシ除けの電気柵に使えるかも知れないと馬鹿げた夢のようなことを言っています。誰に似たのでしょう?。もう間もなく50歳だというのに、少年のような遊び心をいつも持っている長男息子です。

「車庫の上 風力風車 太陽光 パネル取り付け 格好はエコ」
「小遣いを はたいてやって いるようだ 資金回収 とてもじゃないが」
「間もなくに 50歳だと 言うのにな 未だに少年 気分が抜けず」
「誰に似た 次から次へ 考えて 遊び心で 余暇を楽しく」

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〇会話が通じない
 昨日ウォーキングの途中、同じ組内に住む元役場職員とバッタリ出会いました。かつては一緒に仕事をしたり、飲み会で打ち解けて交流していた親しい仲だったのに、またお互いの家が100mほどしか離れていないのに、退職後は住む世界が違うのか殆ど出会わず、「長い間出会わないが元気かい?」と、まるで珍しい人に出会ったようなあいさつから会話が始まりました。

 「まあお座りや」と促され、彼の家の縁側に腰掛けて話をしました。昔の話、最近の話、元同僚だった人の音信などなど、話は多岐に及びましたが、彼は退職後人との付き合いも余りなく、また私のような社会活動やボランティア活動もしていないためちぐはぐで、全く会話が通じないのです。

 彼は手書き文字が上手かったため、在職中からインターネットに余せずず、今もネット情報は、最近スマホデビューはしたものの電話の受発信程度で、ラインやfacebookといったデジタル情報を持ち合わせていないため、私が毎日のように書き込んでいるfacebookなど「それ何?」ってあり様でした。

 デジタル情報が全てではありませんが、これから生きなければならない未来のことを考えると、デジタルツールを持つことは大事なことだと彼に勧めましたが、その気はないとの反応でした。彼とは生きる世界が違うと思いながら、「また会おう」と別れましたが、積極的に会いたいとは思わず別れました。

「超近く 住んでいるのに 出会わない お互い別々 生き方違う」
「久方に 会ったというに お互いが 話歯車 かみ合わぬまま」
「私にも 彼にも未来 同じよに あるがこれから どんな人生」

 

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