人間牧場

〇正月準備
 正月を2日後に控えた昨日は、午前中お餅をついたり、松山に住む娘や息子宅へ色々な物を届けたりと、何かと忙し一日でした。退院間もない自宅療養中の病み上がりゆえ、特に妻からは「無理をしないように」と言われつつ、私しか分からないゆえの細々も沢山あるので、「あれして、これして」と、朝から晩までこき使われました。

 救いは息子で、病み上がりの私を気遣って、昨日は重いものを持つような作業は全て息子が手伝ってくれ、いよいよわが家の代替わりが始まりそうです。夕方から家族の中で4人の男衆(長男・一心、孫・希心、孫・奏心、父親・進一)が勢ぞろいして、注連縄にウラジロをつけたり、お三方に鏡餅を乗せたりして神棚や床の間に供える作業をしました。

 入院することが分かっていたので、今年は早めに作っていた注連縄に奉書に巻いて紅白の水引きとカブスを取り付け、息子が脚立に登って玄関先に取り付けてくれました。これでやっと正月を迎えることができそうです。昨日から今日にかけて海は大しけで、天気予報によると強い寒波が再びやって来るようです。あれこれやりたいことはいっぱいいありますが、正月は何もせず、どこへも出かけず、とりあえず充電正月にしたいと思っています。

「病み上がり ゆっくり養生 言いつつも あれしてこれして こき使われる」
「私しか 出来ないことも 多くあり お疲れモードで せっせと励む」
「正月を 間近に控え あれやこれ 今年は息子 しっかり手伝う」

「正月は 充電すべく 何もせず のんびり養生 したいと思う」

 

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〇暖かい温泉に入りた~い
 退院して自宅療養中のため、妻の私に対する配慮が少し「優し過ぎる」ようで少し怖い感じがしています。わが家は居間にテレビがあって、ダイニングには置いていないので、退院後は食事を居間に運んでくれ、ニュースなどのテレビを見ながら2人で食事を食べたり、その料理も病院から貰った退院後の注意書きを読んで、刺激物を避けたりしながら、いつになくおご馳走と思える手の込んだりゅりを食べさせてくれています。

 私たち夫婦は夫婦同床、つまり夫婦二人でこの歳になっても同じ布団で寝ているのです。私が入院中は私が湯たんぽ替わりだったのにそれがないため湯たんぽを足元に入れて寝ていたようですが、私が退院して夫婦同床が復活しても、昨日の夜は湯たんぽを用意してくれました。私は湯たんぽが余り好きではありませんが、病院と違い夜は暖房器具を止めて寝るので、湯たんぽは癖になりそうです。

 というのも、手術後傷口の感染症感染を防ぐため、少しの間お風呂の湯舟に入るのはご法度で、シャワー程度しか使えず、風呂場がだだっ広いわが家の風呂場は湯船にお湯を張って温めていても、そんなに室温が上がらず、シャワー後も暖まった感じがしないのです。熱目のシャワーも極力控えるよう言われているので、一週間程度は我慢し、風呂上りにはコタツで暖まり、布団は先に妻の入れた湯たんぽで暖かくして寝ています。私は温泉が大好きで時々出かけていますが、当分はお預けです。暖かい温泉が恋しい季節です。

「退院後 何かと優しく する妻に 感謝しつつも どこかこそばい」
「昨日今日 病院食では 出ない物 食べて満足 まるで殿様」
「まだシャワー 湯船にお湯は 張ってるが 体温上がらず 少し寒々」
「シャワーでは 汗もかかずに 風呂あがる 湯たんぽ入れて ポカポカ就寝」 

 

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〇日常の暮らしが再起動しました
 1週間の入院生活で中断していた日常の暮らしが再起動しました。朝4時に目が覚めると着替えをして書斎に入り、あれやこれやを始めるのです。妻からは「手術後間もないので余り無理をしないように」ときつく忠告を受けていますが、死ぬまで泳ぎ続けるマグロのように、動きを止めた後遺症が出るような不安にせかされ、今朝は少しゆっくりのリズムのボタンを押しました。

 とりあえず今朝はアメーバブログ書き上げた所で6時のミュージックサイレンが鳴り始めたので、懐中電灯を持ってウォーキングに出かけました。今朝は少々寒いものの風もなく、歩くほどに体が温まり、東の空が明るく開け始めました。今朝のウォーキングは少し軽めの4000歩程度でしたが、手術した下腹部膀胱の痛みもなく、排尿の勢いも順調に回復しているようで、ひとまず安心といったところです。

 「体に悪いことは止める」「体にいいことは出来る範囲内でやり続ける」をモットーににしているので、10,000歩を目指すウォーキングは今まで通りこれからも続けたいと思っています。昔は「手術後は安静」が基本でしたが、今は「動きながら治す」になったようで、無理をしないように歩くことから始めなさい」と医者にも言われていることを後押しの言葉にしています。

 二宮尊徳の「積小偉大」を実践しようと心がけていますが、今年は3回の体調トラブルに見舞われ、その度に積み上げた小さなことがもろくも崩れ、ゼロどころかマイナスに引き戻されました。こんな場合失望したり、歩みを止めようとしがちですが、ゼロに戻っり新たな気持ちで再起動することも大事だと、心を新たにしています。今朝の4,000歩は「積小偉大」の第一歩となりました。

「術後ゆえ 無理をするなと 妻が言う 医者は真逆の 動けと諭す」
「ゼロならぬ マイナス坂道 下がらぬよう 再起動して 積小偉大」
「日常は あっという間に 過ぎて行く うかうかすると 取り返せない」
「腹減った 喉が渇いた 朝飯だ 動け動かせ 頭と体」

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○やっと退院です

一年の締めくくりの年の瀬となり、お正月を4日後に控えた28日の今日、念願叶って退院することが昨日の夕方決まりました。越年入院を覚悟していただけに、病後の体調は気になるものの早速退院の準備を始めました。妻にその旨を電話で告げ、昨晩のビデオ電話では若嫁や孫二人も喜んで帰りを待っていると言ってくれました。

一昨日の夜は尿管を抜いた直後だったので夜中中1時間おきに尿意をもよおし、眠れぬ一夜を過ごしましたが、昨日から昨晩、そして朝にかけて容体も安定しひとまず安心といったところです。前回の外反母趾手術と違い、短期の入院だったので、病院の窓越しに見える松山城や道後界隈の街並みに目をやり楽しむ余裕など殆どありませんでしたが、今日本列島は数年に一度という厳しい寒波に見舞われ、近畿や北陸、山陰ではかなりの積雪があるようだと、テレビのニュースで連日放送しるようです。

真新しい、まるでホテルのような病院の空調は完璧で、寒かろうと入院前に娘がクリスマスプレゼントに買ってくれた軽くて暖かいジャンバーも、結局は着ると暑いので脱いだまま過ごしています。はてさて退院後のわが家の気温がどの程度病後の体調に馴染むのか想像がつきませんが、風邪を引かないよう暖かくして過ごしたいものです。入院時には若嫁が介添えしてくれ、退院の今日は、病院の近所に住む娘が迎えに来てくれる予定です。Facebookなどで励ましてくれた皆さん、お陰を持ちまして無事退院です。ありがとうございました。

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○自分の体内をカメラで覗く

自分の体の中を見るのは、大きく口を開けて鏡で見る程度で、また外反母趾手術をした部位の様子はレントゲン写真でしか見たことはありませんでした。手術の前手術台に寝かされた時、担当の技師さんが、「手術の様子を見ますか?」と言われました。前回の外反母趾の手術の時は全身麻酔だったので無意識のうちに手術は終わりましたが、今回は半身麻酔なので見ようと思えば見れるのです。

「私は見かけによらず小心者で見る勇気はありません」と断りました。やがて手術が始まりましたが、頭の上に設置された2台のモニターテレビに、膀胱内の様子や光ファイバーで次々と膀胱内の肥大部分が削ぎ落とされる映像が映し出され、見たくないのに見えてしまうのです。自分の目で自分の体内を映像で見たのは初めてなので、最初は衝撃的でしたが、そのうち手術をしている医師の会話も冷静に聞くことができました。

手術が終わると主治医の先生が、削ぎ落とした肉片を透明なプラスチックの容器に入れて見せてくれました。これだけの肥大部分が尿道口を塞いでいたそうで、手術は無事成功したようです。それにしても現代の医学はすごい進歩です。もし私が50年前、いやもっと近い20年前に今の年齢を迎えていたら、多分成すすべもなく死んでいたかも知れません。有り難い世の中になったことに感謝します。

 

 

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○私はおじいさん?

5日前日赤松山病院へ入院した際、私と入れ替わりで大部屋から退院していく親子に出会いました。縁もゆかりもありませんが儀礼として、「ご退院おめでとうございます」と声をかけるとお母さんが嬉しそうな声で「ありがとうございます」と返してくれました。その折、中学生と思しき一緒にいた退院するであろう子どもに、「これ、このおじいさんにちゃんとご挨拶しなさい」と頭を低くするよう軽く手で押し付けました。

どおってことのない会話でしただ、私のことを「おじいさん」と言われ少しショックを受けました。確かに私は77歳喜寿の世にいうおじいさんに違いはありませんが、せめてお世辞にでも「ぃ」をのけた、「おじさん」くらいには呼んで欲しかったのですが、見た目私は紛れもないおじいさんとなりました。

戦時中の歌に「♭村のはずれの船頭さんは今年60のおじいさん♯」と言うのがありました。その頃の日本人お寿命は60歳前後だったようです。今は寿命も伸び人生100歳までに生きれる世の中です。もう77歳ではなくまだまだ77歳です。おじいさんではなくおじさんと言われるような生き方をしたいものです。

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○クリスマスカードが届きました

世の中はジングルベルの音楽が鳴り響き、イルミネーションが輝いているだろうなと思いを馳せていますが、昨晩ラインビデオ電話で交信したところ、わが家ではクリスマスの料理が卓上に沢山並んでいて、家族でささやかなクリスマスパーティーをやっていました。小6と中2の孫曰く、「早く良くなって帰らないと美味しい料理が無くなるよ」でした。

昨日の夜は病院の夕食もいつになく豪華で、チキンやケーキまでついて大盤振る舞いだったと、負け惜しみを言ってやりました。昨晩は少し汗をかいたので看護師さんに頼んで体を熱いおしぼりで拭いてもらって今朝方寝間着を着替えさせてもらいました。その折手作りのクリスマスカードを手渡されました。何という嬉しい心配りでしょう!

この病棟には子どもさんも入院していて、昨晩はクリスマスプレゼントをもらい大喜びで廊下を走り回っていました。新型コロナの影響で家族のm3ンカイも許されず寂しい思いをしている患者さんを少しでも励まそうとしている看護師さんたちに心から感謝しました。

 

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○病院生活は暇です

早いもので入院してから3日間があっという間に過ぎました。病院生活は朝昼晩の検診と朝昼晩の食事時間以外は病室以外への移動も厳しく制限さてているため病院内へも余程のことがない限り出られず何もすることがないのです。ましてや新型コロナの影響で家族の面会やお見舞いも叶わず、縁起でもないと叱られそうですが、もし私が病院でなくなっても長年連れ添った妻とさえ会わずにあの世へ行くのです。

そんな中で心強いのはこの病院に感染症看護師として勤めている次男の存在です。次男はまつ山工業高校機械科を卒病後一旦就職していましたが、何を思ったのか看護学校に入り直し、まなぶかたわらイリュージョンという演劇集団に入る楽しく活動しました。日赤に入ると横浜の専門学校に9ヶ月間入り感染症の資格を取得し今に至っています。

昨日も医師から手術の経過と結果を聞き、妻や家族に連絡してくれたようです。50再間近になって頑張る息子に比べ私はあれやこれやと病気が見つかり、親としてなんとも心もとない話です。さあもうひと踏ん張り、息子に迷惑をかけぬよう頑張りたいものです。

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○ワードプレスのブログ復旧

毎日書斎の机の上に置いているパソコンでブログを書いていますが、今回は入院日数が短かそうなのでパソコンを持たずに来ました。ところが持参した代役のタブレットのや画面に表示するはずのワードプレスブログ表示が消えて使えなくなっていました。早速トラブった時の娘婿頼みでメールを入れ、無事復旧の運びとなりました。試験書き込みです。

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〇里芋をいただきました
 昨日下灘で漁師をしていた親類の叔父に、お歳暮を届けに出かけました。多かった漁師をしてた親類も殆ど姿を消し、この叔父が最後の漁師でこれまで沢山の魚をいただきましたが、91歳と高齢で既に船から降りているものの、伝馬船で建て網などを手慰みにしているので、帰りにメバルやホゴの冷凍魚を沢山いただきました。

沢山貰った里芋

 食べ切れないので近所に住む西岡さんと宮栄さんにお裾分けしてあげましたが、宮栄さんからはみかんやユズを沢山いただき、西岡さんからは発泡スチロールのトロ箱に山ほど里芋が届きました。これも一辺には食べきれないので畑の隅に穴を掘り、地中に埋めました。こうしておけば寒い冬で腐ったり乾燥することもなく、食べれるほど掘り出せるのです。

 しかし難点もあり、野山に食べるものが無くなる冬場は、イノシシなどが餌を求めて里へ現れるようになり、時には足と鼻で掘り返し食べてしまうのです。わが家の家庭菜園は、イノシシが入らぬよう金網で囲っていますが、2m以上もある東側の石垣をよじ登って来るイノシシもいて、安心はできないのです。煮物の美味しい季節になりました。西岡さんから貰った里芋はおでんにして、宮栄さんから貰ったユズはユズ大根にしてせいぜい楽しみたいと思います。今日は冬至ながら入院するためユズ風呂は楽しむことができないのは返す返すも残念です。

「親類の 叔父から建て網で 取った魚を 沢山貰う」
「食べきれぬ 魚を友人 お裾分け わらしべ長者 ないもの貰う」
「食べきれぬ 里芋畑隅 穴を掘り 埋めて保存の 術を知ってる」
「イノシシに 食べられぬよう 注意して 里芋料理 冬の楽しみ」

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