人間牧場

〇花見の珍客
 昨日の昼頃、クヌギの苗木を植林していた港の見える丘へ、妻から携帯電話が入りました。次男夫婦が孫娘を連れて閏住の菜の花を観に来たいと電話が入ったとのことで、折角の機会なので魚吉さんで食事でもどうかと誘われました。一も二もなく了解し植林を終え午後1時に帰宅後、長男息子も一緒に食事に出かけましたが、日曜日の昼時とあって席は確保したもの少し時間を要しました。

記念撮影をしました

 美味しい食事をした後、閏住の菜の花畑へ出かけましたが、好天に恵まれまるで観光地と見まがうほど、沢山の観光客が来ていて、ままならぬ駐車スペースゆえ、やっと車一台分を見つけることができました。4歳になった孫は昨年この菜の花を観に来たことをよく覚えているようで、嬉しそうに走り回っていました。その後妹がすぐ傍で経営するくじらというお店に立寄り買い物をしました。

 「出かけるな」、「群れるな」、「話すな」と、高止まりのオミクロン株による感染拡大を懸念して、県民に外出自粛を要請しています。マスクや手指消毒、手洗いやうがいなどを徹底しながら、気分転換をしていますが、長引く気配の中でこれからどう日常生活をすればいいのか、真価が問われています。私的には昨日講演依頼先から電話が入り、講演中止と延期の2件を受理しました。

「コロナ禍で 注意喚起は 出かけるな 群れな・話すな じっとしていろ」
「わが息子 孫娘連れ わが家来る 閏住菜の花 満開見学」
「花見客 マスクを着けて 無口にて スマホで写真 花も寂しげ」
「海沿いの 町にもやっと 春が来た 浮き浮き心 今年も自重」

 

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人間牧場

〇昨日は長女の誕生日でした
 今月はカレンダーの妙で、4日前「2022年2月22日、」しかも時計は「22時22分22秒」などと、2の数字が並ぶ面白くも珍しい一日でした。さらに昨日は長女一子が生まれた誕生日、つまり私たち夫婦が50年前親になった日でもあります。

2がズラリ並んだカレンダー
娘の誕生日は私たち夫婦が親になった記念日

 娘はその後看護師・助産婦の資格を得て県立中央病院の周産期センターに勤めるかたわら、良縁に恵まれて2人の子どもを授かり、松山市道後に住んでいます。1972年2月26日生まれですから、多分昨日で50歳になったようです。この50年はわが家でも沢山の出来事がありました。

 家を新築したり、その後3人の男の子が生まれ、わが家の賑やかな子育て時代を経て、それぞれが独立し、また祖母や父母を黄泉の国へ送り、私も役場を退職後17年が経ち、77歳の喜寿を迎えているのです。幸い息子家族4人と同居して、幸せな日々を送っています。こうして一日一枚ずつ日めくりカレンダーを剥がしながら、未来にいささかの希望を託して、妻と二人で何とか生きています。

「2・26 この日は娘の 誕生日 私ら夫婦 親になった日」
「わが娘 早くも年齢 50歳 色々あった 思い返せば」
「あれこれと 気になることは あるけれど それなり幸せ これでいいのだ」
「幸せと 感じる心 大事だと 昨日も今日も 小を積み上げ」

 

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人間牧場

〇爆音が聞こえる
 私の住んでいる瀬戸内海に面した伊予市双海町は、穏やかな自然環境に恵まれた地域です。鳥の鳴き声や人の笑い声、それにタヌキが石を投げるほど時たま聞こえる、長い鉄橋を走る一両立ての列車の音くらいで、都会のようなさしたる雑音は聞こえてこないのです。

 しかし、松山飛行場が近くにあり、また海を挟んだ対岸山口県には自衛隊の岩国基地があり、耳を澄ますと一日中飛行機の爆音と思われる音が西に東に、北や南に行き交い、何となく騒がしいのです。ふと2日前テレビで見た、ウクライナに侵攻しつつあるロシア軍の戦闘の模様が脳裏をかすめました。

 シェルターとなっている地下鉄に避難した多くの人の中には、子どもや高齢者も沢山いて、「死にたくない」と涙を流しながら不安そうに訴える姿に、涙を誘いました。76年前、1歳だった私も母の背中に背負われ、防空壕となっていた下浜の暗渠へ避難した話を、おさなごろ母や祖母から聞いているだけに、一入なものがあります。

 保有している原爆をちらつかせ、威圧を繰り返すプーチンロシア大統領に、独裁者ヒットラーの姿をダブらせる思いがしました。日常的に聞こえる飛行機の爆音も、平和な日本ゆえさして気にも留めない人が多いようですが、日本は多くの他国に守られたり、自衛隊などの努力によって、76年間戦争をしませんでした。私の77年間のこれまでの人生と同じ年数平和であったとであったように、これかも平和であって欲しいと願っています。

「耳澄ます 飛行機爆音 一日中 ふと戦時下の ウクライナ思う」
「背負われて 暗渠に避難 したという 話は遠く なりにけりかも」
「わが人生 76年 日本では 戦争せずに 平和に暮らせた」
「ウクライナ 地下鉄シェルタ 避難した 子ども泣きつつ
死にたくないと」  

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〇田舎に生きる幸せ
 世界中で富を得ている人の数は、人口の僅か7%だそうで、あとの93%の人はいわゆる貧乏人のようです。わが家は当然その93%に属する、年金だけで生活している自称貧乏人です。でも幸いなことにロシアが侵攻して戦争状態になり始めているウクライナのような不安もなく平和で、「幸福度」は100%まではいかなくてもブータン王国と同じようにかなり高いと思っています。

 昨日テレビを観ていると、マンションの昨年の販売価格平均が5千万円を超えたと報じていました。5千万円と言えば1億円の半分ですが、私のような貧乏人から見れば5千万と言えば気の遠くなるような金額で、土の匂いも庭の木々の茂りもない高層ビルのマンションで、快適と思って暮らしをしている人たちがいるようで、私の真似のできない人生を過ごしています。

 さて私の暮らしが高層マンションで暮らしている人とどんなに違のか?、考えてみました。庭には草は生え、庭木も手入れしないと生い茂ります。夏になると虫も出てきます。そんな無駄なこともないマンション暮らしはドアひとつ閉じれば、隣は何をする人ぞです。でもこんな不便で厄介な田舎の暮らしに何故満足して生きるのか、多分マンション暮らしをする人から見れば、不思議でならないはずです。不自然より自然が、非人間より人間がいいという価値観を選んで生きてるし、これからもそんな生き方に幸せを感じて生きて行きたいと思っています。馬鹿げてる?のかも・・。

「マンションの 平均価格 5千万 自称貧乏 真似は出来ぬは」
「不便だし あれこれやること 多過ぎて 田舎の暮らし それなり大変」
「馬鹿げてる マンション暮らし する人に 言われるけれど
                      これでいいのだ」
「幸福度 100% まで行かぬ だけど満足 生きてる感じ」

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〇古い物には愛着がある
 先日新聞を読んでいると、「愛着があるガラクタは人生の宝物である」という記事が目に留まりました。最近は「終活」や「断捨離」などに注目が集まり、ややもすると古い物や身の回りの品々が、いとも簡単に捨てられる時代となりましたが、コロナ以降の新時代を生きる逆転の発想は、多くを手に入れ多くを捨てることは決して持続可能なライフスタイルではなく、あらゆるもののスピードを落とし、スローな生き方をすべきであると説いていました。

 「捨てる生き方」も「拾い集めて活かす生き方」も人それぞれですが、私の場合はどちらかというと後者の意見に近いためわが意を得たりの心境になりました。さりとて増えて行くモノとどう暮らして行くか?、またすぐに捨てて片付く息子たち夫婦とどう折り合いをつけて一緒に暮らすか?、さらには老いの始まった私たち夫婦はどう生きるか?などなど、考えさせられる今日この頃です。私の家は古民家に近い日本家屋で、その気になれば「拾い集めて活かす生き方」が比較的できる環境にあるので、折り合いを付けながら生きて行きたいと思います。

 先日友人がわが家へ訪ねて来ました。その人も私と同じ新聞を読んだそうで、私のガラクタに囲まれた暮らし方を見て、最近「シンプルライフに潜む空虚さ」を感じていたそうですが、私の生き方は「モノは記憶を呼び覚ます装置である」とも言ってくれました。確かに昨年海の資料館に収納した丸木舟を見ても、青春時代の記憶を呼び覚ませてくれるし、かつてこのガラクタを集めて展示室まで設けた親父の生き方を見てきましたが、ガラクタは孤独になりつつある私たち高齢者にとってまさに宝物なのです。

 私はこれからも活き活きと老いて行きたいと思っていますが、未来にのみ夢を託して生きて来たこれまでと違い、過去をも振り返りながら生きてこそ文明は成熟するものだとも思いました。これからも捨てる身軽さよりも捨てない豊かさをしっかりと実感しながら生きて行きたいものです。そのうち老いると私自身が捨てられることも忘れて・・・。

「新聞の 記事読みわが意 得たりけり 捨てない生き方 これもまたよし」
「終活や 断捨離せよと 人は言う 一理はあるが 私は別道」
「古いモノ 記録と記憶 装置にて 思い巡らす 老後の暮らし」
「活き活きと 生きて行こうと 思ってる 上手くいくかは 努力次第だ」

 

 

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〇人間牧場のジャガイモ植え
 子どもおもしろ大作戦で計画していた、ジャガイモ植えとクヌギの苗木植えが、新型コロナ・オミクロン株の感染拡大で、残念ながら中止となりました。こんなことは想定内なので、昨日は人間牧場の畑へ出かけ、実行委員会と事務局の5人でとりあえずジャガイモ植えを行いました。

トラックに積んだマメトラ耕運機
3種類のジャガイモを植えました
黒いマルチをかけて作業終了です

 前もってわが家の倉庫からマメトラ耕運機を出し、エンジンの試運転をしてみましたが、寒くてもエンジンは絶好調でした。昨日の朝仕事に出かける前の息子に頼んで、軽四トラックの荷台に積んでもらいましたが、流石力持ちの息子ゆえ、一人で軽々と積んでくれました。ロープを掛け、昼食を終えた午後1時ころ人間牧場へ向かいました。

 午後1時過ぎの集合にはまだ間がありましたが、早速ロープを解き慎重に一人で耕運機を畑に運び入れ、エンジンを始動して中耕し始めました。そのうち公民館長さん以下4人もやって来て、牛糞を振り撒いたりしながら中耕を終え、畝を立て、キタアカリ、男爵、メークインの3種類の種芋を行儀よく並べ、順次植えて行きました。本来なら子どもたちが植えるはずのジャガイモで、いつもいびつな植え方をしていましたが、今年は大人だけなのですごく綺麗に植えることができました。

 黒いマルチを畝に被せ、風で吹き飛ばされないようしっかりと土をかけ、2時間ほどの作業を終え、看板を打ち込んで終了です。ジャガイモは生育が早い作物です。こうしておけば3ヶ月後の5月中旬に開く予定の開講式には、掘り立ての新ジャガイモが食べれる予定なのです。子どもたちは新型コロナに負けず育っていて、それぞれがまた一年進級します。小6の孫奏心も来年度はいよいよ中学生となり、ジュニアリーダーの仲間入りをします。また新しい楽しみが増えました。

「コロナ禍で 行事の中止 相次ぐが 早くも来年 準備着々」
「耕運機 息子に頼み 荷台積む 人間牧場 畑の中耕」
「3種類 ジャガイモ植えを 5人にて 2時間ばかり 造作もなしに」
「3ヶ月 すればジャガイモ 実をつける 5月の末が 今から楽しみ」

 

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人間牧場

〇寅さん映画「寅次郎と殿様」
 全国各地を舞台にした名物映画「寅さんシリーズ」は50本にも上ります。中でも大洲が舞台になったマドンナ真野響子、看板ゲスト嵐勘十郎の第19作目「寅次郎と殿様」では、映画の冒頭双海町の下灘駅が出るだけに、放映がある度にビデオに撮り、何度も何度も笑い転げながら見ています。

 先日も再放映があったらしく、妻がビデオに撮っていて昨晩一緒に視聴しました。舞台となったJR下灘駅は当時「日本で一番海に近い駅」という愛称で呼ばれていましたが、この映画の撮影時、町の広報を担当していたこともあって、主演の渥美清さん、監督の山田洋次さんとも出逢い、写真を撮った経験があるだけに、感慨も一入でした。

 画像や映像は時代を切り取るとよく言われますが、この映画が撮影された今から45年前の1977年頃の下灘駅は、文字通り海に近い駅で、その後県道が国道に昇格し、海側にバイパスが開通し現在に至っています。その後夕焼けプラットホームコンサートをきっかけに、マスコミのお陰もあって、今ではすっかり有名な駅となりました。私にとっても思い出に残る駅であり映画なのです。

「わが妻が 寅さん映画 ダビングし 昨晩二人で 笑い転げて」
「冒頭に 下灘駅が 出てくるが 当時の映像 懐かしきかな」
「寅さんは 黄泉の国へと 旅立った 映画は凄い 生きているよう」
「この駅で 色々やった 若い頃 コンサートなど 思い出される」

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〇北京オリンピックが終わりました。
 日本選手は金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル9個の輝かしい活躍と成果を収め、2週間にわたって行われた北京オリンピックが終わりました。表彰式でスピードスケートの高木選手、ジャンプの小林選手、スノーボードの平野選手に金メダルが授与され、国家君が代演奏とともに日の丸の国旗が掲揚されるのをテレビで見て、とても誇らしく思い、一緒に国家を口ずさみました。

 私は昭和19年生まれの古い時代に生まれた人間ですが、これまで入学式や卒業式などどれ程の式典に出席したか分かりませんが、不思議なことに何故か学校の先生も勿論両親も、誰も国家「君が代」の意味について教えてくれませんでした。ゆえに国歌の意味をはっきりと知らないのです。ゆえに昨日の夜改めて、国歌の意味を考えてみました。

 君が代は=あなたたちの時代(次世代)は
千代に八千代に=この日本国の長い歴史を受け継ぎながら
さざれ石の巌となりて=一人ひとり(個性)を大事にしつつ協力し
苔のむすまで=(この国が)末永く反映するよう

 戦前は君が代=天皇だと解釈された時代もありましたが、こうして国家君が代の意味を考えてみると、短いながらこの歌の意味を改めて思うのです。勿論忌まわしい戦争を体験したり犠牲になった人のことを思えば、異論や反論もあり全ての人に理解してもらうことは不可能ですが、私個人としては国歌も国旗もやはり国の象徴として大事にしたいものだと思います。

 私は水産高校の実習船愛媛丸で18歳の頃、珊瑚海海戦のあった海域へ遠洋航海に出かけ、イギリス領エスピリッツ・ニューへブリデス諸島・サント島に寄港しました。海岸には日本軍のものと思われる上陸用舟艇の残骸を見ました。24歳の時青年国内研修生として復帰前の沖縄の出かけ、幾つもの戦跡を見ました。また30歳の時総理府派遣青年の船でアメリカ・メキシコ・ハワイを歴訪し、真珠湾攻撃のあった場所を見ました。これらの忌まわしい日本の過去を見るにつけ、平和の尊さを心に刻みました。改めて国歌と国旗に思いを寄せました。

「隣国の 中国北京 冬季オリ アスリートたち 大活躍で」
「あれやこれ 物議を醸し その度に 心傷めてつ テレビ観戦」
「金メダル 表彰式で 君が代と 国旗掲揚 口ずさみつつ」
「君が代の 意味さえ知らぬ 愚か者 誰も私に 教えてくれぬ」

 

 

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人間牧場

〇もうすぐ河津桜の咲く春ですね
 このところ氷が張るような寒い日が連日続き、春の来るのが待ち遠しく感じられる日々です。今朝パソコンのFaceBookの画面を開くと、昨年の同じ日の写真が画面に、意図的に呼び出しもしないのに勝手に現れました。その写真に写っていたのは昨年2月20日の人間牧場の河津桜の様子でした。

昨年咲いた人間牧場の河津桜

 桜の開花は例年3月中旬以降で、まだ1ヶ月も先のことですが、私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが10年近く前に始めた、県内の希望地10ケ所に100本単位で桜の苗木を植える「千本桜の森づくり事業」を行った際、成長の標準木として人間牧場へ河津桜1本、枝垂桜2本の苗木を植えました。その桜が予定通り順調に育ち、今では天を仰ぐほど成長をしていて、昨年写したこの写真のように今年も咲くものと思われます。

 桜は吉野桜と言われるように、植えられた日本の桜で圧倒的に多いのは吉野桜ですが、春の浅い時期に一足早く咲く河津桜もまた味わい深いものがあります。日本の季節は旧暦で24節気を刻んで行くため、去年と今年の新暦の暦は違うため、昨年と今年を単純に比較することは出来ませんが、遅ればせながら人間牧場の河津桜も間もなく咲くものと思われ、今年も昨年のように妻を連れて行き、人間牧場の河津桜の満開の花を一足先に楽しみたいと思っています。

「パソコンの 画面いきなり 昨年の 河津桜の 満開様子」
「一概に 比較できない 旧暦で 動く季節を 昨年比較」
「10年も 前に千本 苗木植え 県下各地で 花咲か運動」

「桜咲く 春が間近に やって来た 何処か浮き浮き 寒さの中で」

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人間牧場

〇離れたいけど離れられない
 1月31日から約2週間、朝から晩まで書斎にこもってオンラインによる講習を受講しました。Wi-Fi環境が今一悪く、悪戦苦闘の連続だったため、早くパソコンの前から逃れたいと思って過ごしました。そして今週の月曜日晴れて講習会を終えた時は、まさに肩の荷が下りた解放感に浸りました。

 専用のズームソフトを毎朝見なくても済むようになりましたが、今度は疎かにしていたGメールの処理が滞っていて、これまた毎日のように〆切の近づいた原稿書きや返信のため、この1週間はパソコンの前から離れられませんでした。その仕事も昨日でやっと一段落しましたが、いつの間にか私の一日の暮らしの中で、パソコンに向き合っている時間が増えていて、これから先の暮らし方を考える時期に来ているような気がしました。

 パソコンに向かい、文章を打つことはある意味脳を活性化させ、「認知症予防には効果的」と、あるお医者さんが言っていましたが、過度の依存は目から受ける疲労にもつながるので注意をしなければなりません。幸いなことにこの歳になっても眼鏡をかけることなく、裸眼で新聞が読めるのですからこの上ない幸せです。パソコンに苦手意識を持った私ゆえ、「離れたくても離れられない」というのが正直なところです。今ではパソコンは私のよきパートナーなのです。

「パソコンが 苦手な私 離れたい だけど結局 離れられない」
「認知症 予防にいいと 医者が言う そうかも知れぬ 半信半疑」
「意味もない ブログを書いて 17年 今じゃ私の 日課となりぬ」
「パソコンが 今じゃ私の パートナー 空想世界 昨日も今日も」

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