人間牧場

〇春植えの準備
 暦の上では一年中で最も寒い大寒が過ぎ、朝晩の外気温が2~3度と寒いものの、日中は10度くらいまで上がって、いよいよ春の足音が聞こえ始めました。一昨日人間牧場で出かけましたが、千本桜の森づくり事業で植えた標本木の河津桜は、早くも2~3輪花を咲かせていました。また閏住の菜の花畑も黄色い花がいっぱい咲いて、花見の人たちで賑わっていました。

畝を立てたジャガイモを植える予定の畑

 昨日の夕方、先日石灰を撒いて息子に頼み耕運機で中耕していた、甘夏果樹園内の細長い畑の畝を立てました。黒いマルチの幅を測り、順調に畝が綺麗に立ちました。例年この時期にここに男爵という品種のジャガイモを植えていますが、今年も北海道の親友から送られてきたジャガイモを、食べずに保存しているので、2~3日中に植え、マルチを掛けようと思っています。

 今週と来週は、オンラインによる社会教育士の受講があって、それどころではありませんが、朝晩の暇を見つけて種芋の植え付けを何としても終えたいと思っています。術後一ヶ月余りが経ちましたが、体調も順調に回復しつつあります。余り無理をしないように、重い荷物は持たないようにと医師から言われている注意事項を反芻しながら、自分に言い聞かせてるこの頃です。

「大寒が 過ぎても朝晩 寒いけど どこと話に 春の気配が」
「牧場の 河津桜が 2‐3輪 ほころび始め 少し浮き浮き」
「閏住の 菜の花黄色く 咲き誇り マスクした人 花見訪れ」
「無理するな 重い荷物は 持つな言う 医師の注意を 反芻しつつ」

 

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人間牧場

〇みかん産地ならではのいただき物
 昨日人間牧場近くの懇意にしている農家さんから私の留守中に、「近頃進ちゃんの姿が見えないが元気なんじゃろか?、もし元気なかったら、甘平やポンカンを取りに来るよう伝えてください」と、在宅のわが家の若嫁が電話を受けました。帰宅したところだったので、早速仏壇のシキビが枯れそうなこともあって気になっていたので、これ幸便と思いあいさつがてら軽四トラックに乗って出かけました。

 農家さんの庭先では奥さんと息子さんが甘平やポンカンの選別作業中でした。年末尿トラブルで入院したり手術をしたこと、年末年始は家庭療養中で、新型コロナのまん延もあり余り外出しなかったことなどを立ち話して、日ごろの不義理を詫びました。そして甘平とポンカンという品種の柑橘をキャリーに一杯、産地ならではのいただき物を車に積んで持ち帰りました。わが家は家族全員がみかん類が大好きなので、嬉しいいただき物でした。

 帰りに人間牧場に立寄り、植えているシキビの木から、仏壇用のシキビを2束切り取り、お昼頃持ち帰りました。居合わせた2人の孫に手伝ってもらい、仏壇用の花器の枯れかけたシキビを抜き取り、花器を綺麗に水洗いし水を入れてシキビを差し込み、いただいたポンカンも仏壇にお供えをしました。仏壇のシキビやお供え、神棚のサカキなどが綺麗だと、何か清々しい気持ちになります。孫はお供えを終わり、仏壇に手を合わせてチ~ンと金を叩き手を合わせていました。

「元気なの? 顔を見ないと 心配し 電話してくる 懇意な農家」
「若嫁が 電話を受けて 伝え聞く 早速トラック 乗って出かける」
「久方に あれやこれやの 立ち話 持って帰れと キャリーいっぱい」
「産地だね 甘平ポンカン 山のよう 早速仏壇 シキビと共に」

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人間牧場

〇すりこぎは人生に似ている
 昨年長野県南牧村に住む親友今井さんから、立派な長芋を送って貰いました。長芋はすりおろしてとろろにして熱々のご飯にかけたり、うどんやそばにすりおろして山かけにして食べますが、私は酢醤油で味付けしたのが好きで、美味しくいただきました。山芋料理の時は私も駆り出され、妻がすり鉢を持ち、私がすりこぎを使ってすりながら味を整えるのです。

 山椒の木でできたすりこぎを使いながら、ふとすりこぎは人生に似ているような気がしました。すり鉢はご存じのように外側は釉薬を塗ったツルツルの焼き物ですが、内側には波紋が施されていて、すり鉢とすりこぎの摩擦で中に入れた具材がすり潰されて行くのです。多分固い山椒の木でできたすりこぎは、目には見えないけれど、先端の丸い部分は少しずつ削られて行くのです。

 すりこぎは使えば使うほど身は細くなって行きます。多分自分の身にこれまであった、自宅の新築や子育て、仕事、勉強などなど、どうにか超えてきた試練ですりこぎたる自分の身は細くなりましたが、幸い受け手のすり鉢になった妻や家族、それに身の回りの人たちによって、こぼれることもなく擦り続けてこれたのですから感謝しなければなりません。

 一番大事なことは、すり鉢とすりこぎで作った食べ物が曲がりなりにも美味しくできたことかも知れません。昨日の夜残った最後の一本の長芋をすりおろし、妻と二人で美味しくいただきました。すりこぎ人生はこれからも死ぬまで続くことでしょう。

「長野県 住む親友が 長芋を 送ってくれて すり鉢でする」
「頼まれて 私すりこぎ 手に持って 山芋ゴリゴリ ストーブの前」
「すりこぎは いつの間にやら 身が細る 自分の人生 似ているようだ」
「長芋を すってとろろに して食べる 美味い美味いと 破顔一笑」 

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人間牧場

〇報徳
 私が塾長をしている年輪塾の二宮金次郎つながりもあり、元東京学芸大学の学長で、榛村純一さん亡き後日本報徳社の社長となっている鷲山恭彦先生とのご縁で、昨年報徳社の社員になりました。年間1万円の年会費を払えば、日本で最も古い月刊誌の一つと言われている「報徳」が送られてくるのです。

桧丸太の自作の台座が出来て海舟館に設置した取り外し持ち運び可能な金次郎の銅像

 小学校2年生の時、母校校庭の隅に建っていた二宮金次郎像を見て、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう?」と素朴な疑問を持ち、背の高さ以上もある台座に登ってから70年もの歳月が過ぎましたが、以来私は二宮金次郎に興味を持ち、金次郎の読んでいる本が中国の古書「大学」だと知ってからは、難解な大学の素読や意味を調べ、尊徳翁夜話などを基に、人間牧場で開いている年輪塾のテーマに二宮尊徳を取り上げるなど、ある意味大きな感化を受けてきました。

 そして今では多分こんな馬鹿げたことはしていないだろうと思える、小さな二宮金次郎の銅像を持って、同行二人の旅をしています。まあそんなこんなで私にとって二宮金次郎は歴史上の人物ながら、今も心の中に生き続けています。昨年鷲山恭彦先生が報徳の巻頭言に私のことを書いていただきました。身に余る光栄でしたが、先日大日本報徳社報徳の編集事務局から400字程度のショートな原稿依頼が届きました。

 新しく社会人になる人たちへのメッセージとのことでしたが、一も二もなく引き受け、書くというよりは打つの方が正しいデジタル文字の原稿をメール便で送りました、小さい頃から「積小為大」と教えられていて、「積小偉大」ではないか?と、疑義の質問が寄せられましたが、これもまた大きな疑問としてこれからじっくいり考えたいと思っていますが、とりあえず報徳の教えを実践中の私です。

「小学校 二年の時に 金次郎 出会って以来 70年の歳月」
「大日本 報徳社長 巻頭言 恥ずかしながら 紹介されて」
「声かけて もらったお陰 1万円 社員になりて 報徳雑誌」
「いただいた 金次郎像 手提げ入れ 同行二人 旅を続ける」

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人間牧場

〇しもやけお手々が痛い
 年齢を重ねると酷寒の冬や猛暑の夏は苦手で、あれほど薄着だった私もつい最近は着ぶくれするほど重ね着をして防寒しています。それでも今年の冬は特に寒く感じられ、これも年齢のせいだと納得して、「寒い寒い」と言いながら日々を過ごしています。

 この近頃両手に違和感を感じるようになりました。例年のことなので気にも留めていませんでしたが、どうやら「しもやけ」のようなのです。昔の火鉢で暖を取る時代ならいざ知らず、家の中はコタツや暖房器具が置かれ、夜は最近になって夜具布団に湯たんぽまで用意してくれるので、「しもやけ」なんて少年の頃の思い出だとばかり思っていました。

しもやけで晴れた右手

 妻や若嫁に見て貰いましたが、「病院で診て貰って塗り薬を処方してもらったら」と勧められ、それもそうよと思いつき、昨日の昼頃近くのたけます診療所へ出かけ、診察をしてもらいました。診察したお医者さんの話だと、妻や若嫁のお見立て通り、「しもやけ」だそうで、塗り薬と飲み薬を隣のエンゼル薬局で貰って持ち帰り、昨日の夜は寝る前に手のしもやけに塗り込んで寝たお陰で、今朝は少し良くなっているようです。

 私たちが子どもの頃は、殆どの子どもが冬になるとしもやけやアカギレになっていました。特に妹はひどくて、アカギレに悩まされていました。薬草の入ったぬるま湯を洗面器に入れて、祖母が子どもたちの手足のしもやけを手当てしてくれた思い出も懐かしいです。折角前立腺のお薬を飲まなくなって喜んでいたのに、また朝夕食後の薬が復活し始め、妻が「お薬飲んだ?」と気遣いの言葉をかけてくれています。

「しもやけは 少年の頃の 思い出と 思っていたが 今頃なって」
「若嫁と 妻に相談 見て貰う 見立てしもやけ 医師も同じ」
「病院へ 行くよう勧め られました 塗り・飲み薬 貰って帰る」
「昨晩は 軟膏塗って 寝たお陰 腫れも収まり 快方向かう」

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人間牧場

〇今月の五行歌
 まだ一度も例会に参加したことのない幽霊会員のような私ですが、年末に退院してすぐさま投稿締め切りの知らせを受け、いつものように思いつくまま即興で次の歌を作り、とりあえずメール便で送っていました。

 一昨日その報告書が手元に届きました。私の歌は相変わらず欠席歌の部で、入選もしないただの駄作でした。
  スマホ・パソコン・オンライン
  益々肩身が狭くなる
  トラブル起きれば
  グリコの看板
  取り残されそう

 五行歌に違いはないのですが私の歌は、いつも俳句と川柳の違いのような、笑売啖呵(しょうばいたんか)なので、自分の歌ながら少し冷めた気持ちで笑っています。批評には・お手上げグリコの看板とは面白い、IT・デジタル・AIもあるがスマホ・パソコン・オンラインの片仮名にうんざりしている作者の困惑顔が目に浮かぶ。故障が起これがこの身がフリーズする。

 ・四行目の「グリコの看板」という表現がユニーク、「お手上げ」という意味でとったのですが、合っているでしょうか?、とにかく面白い歌。・本当にトラブルの壁にぶち当たると肩身が狭いですよね。昭和を思わせる作者のノスタルジックな雰囲気に少しの寂しさを感じました。・諦めるか頑張るか。大げさに考えるとこれからの世をどう生きるかの分岐点かも知れません。無いは無いでどうってことも無いような気もします。言い得て妙な批評に感心しました。

「年末に 退院すぐさま 思いつき 送っておいた 五行歌作品」
「パソコンの トラブル加え 体調も これまたトラブル 年末年始」
「わが作品 さすがと思う ご批評が 納得しつつ 一人にんまり」
「今日あたり 会費納入 しなければ 忘れていたでは すまぬ出来事」 

 

 

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人間牧場

〇立ち話会話
 昨年末日赤松山病院で前立腺肥大の手術をしてから1ヶ月が経ちました。2週間後に受けた経過観察の際、病院で書いてもらった紹介状を持って、昨日は少し近くなった松前町の泌尿器科病院へ経過観察のため受診に出かけました。訳を言って受付を済ませ待合室で順番が来るのを1時間半も待ちました。

 やっと順番が来て診察を受けましたが、昨日は尿検査の結果だけで、体の診察もなく、隣の薬局でお薬をもらい、1ヶ月後にもう一度経過観察の検査を受ける約束をして昼前に帰宅しました。昼食後ウォーキングに出かけると、私と同じような高齢者と相次いで出会い、その度にその場に立ち止まって立ち話をしました。

 話題は最近の健康状態が主で、足腰が痛いとか、白内障の手術をしたとか、まあ人それぞれ、まるで病気のデパートのようなお話でした。前立腺の不調も私だけかと思いきや、出会った3人も何年か前に前立腺の不調でがんが見つかり、手術や抗がん剤治療を受けていました。前立腺がんは早期発見早期治療をすれば今や治る病気だと言われていると、まことしやかな説明をそれぞれから聞きました。

 ふと自分の病歴を振り返って思うのですが、医学の進んでいなかった50年前なら、私はとうに命を落としてあの世に旅立っていたに違いないのです。自分の未来の姿がおぼろげながら見え始めてきましたが、これ以上の病気はもう沢山だと思いながら、残された余命を健康で生き抜くため、昨日も目標として実践している1万歩をクリアーしました。

「手術して 一ヶ月が 経ったので 紹介状を 持って病院」
「訳を言い 順番待つこと 1時間 以上も待合い 我慢の時間」
「それなりに 回復してると 医者が言う おシッコ検査 だけで終了」
「出逢う人 3人ともども 前立腺 ガンの手術を 受けていました」

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人間牧場

〇海の見える丘の下刈り
 人間牧場の下の元みかん畑だった畑に、クヌギの森を作ろうと計画してから3年が過ぎました。最初の2年間は母が亡き後数年間放任していたため、人の進入を拒むほど茨や灌木に覆われていた畑の伐開を行い、焼却してやっと昨年の2月にクヌギの苗を100本ほど植えましたが、昨年はその後4月に外反母趾の手術、10月に庭木から落下、12月に前立腺肥大手術と、大事な下刈りの時機にその作業ができ、ず悶々の日々を過ごしていましたが、昨年の8月にとりあえず一回だけは荒刈りながら、言い訳程度に下刈りを終えていました。

クヌギの森を作ろうとしている港の見える丘

 一昨日は息子の土曜休みに合わせ協力を求め、来月にも行う予定のクヌギの苗を植える場所の下草を刈るために、息子と二人で港の見える丘へ出かけました。私はまだ手術後1ヶ月なので無理は出来ないため、もっぱら草刈り機は息子に頼み、ここあそこと指示をして草を刈ってもらいました。息子は昨年新調した草刈り機を使い、約1時間ほどで予定の場所の草を刈り終えました。これで2月のジャガイモの種芋植えとセットにしたクヌギの苗植えの準備が整い、とりあえずはホッとしています。

自制して広がる水仙の花は今が見頃です。

 人間牧場の下草を刈るようになって、あちこちに自生している水仙がかなり広い範囲に植えもしないのに自然にはびこり、今が見頃と咲き誇っていました。このまま花が終わるのを待つばかりでは勿体ないので、一昨日は剪定ばさみを水仙の根元に差し込み、20~30本切って持ち帰り、妻はその水仙を花器に入れて玄関に飾ってくれました。水仙は春の花で、白い花に金冠のある日本水仙は、何とも言えない芳しい香りを玄関先に漂わせています。下灘下浜の水仙は今が満開で、多くの人がやって来ているようです。

「放任園 茨や灌木 伐開し 昨年やっと クヌギ苗植え」
「昨年は 2度も入院 手術して 世話もそこそこ 気になりながら」
「術後にて 私は作業 出来ぬゆえ 息子頼んで 草刈り作業」
「とりあえず 準備は出来た 今年も 百本の苗を 植える予定で」

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人間牧場

〇深夜の地震騒動
 私は毎日朝4時ころに起き、夜10時~11時頃に寝ます。昨日の深夜突然隣の息子たちのダイニングに取り付けている防災無線が、「地震です」と放送をし始めました。私の携帯は充電のため寝る前に書斎の机の上に置いているので聞こえませんでしたが、妻の携帯も地震を知らせるアラームが鳴りっぱなしとなりました。


地震情報


余震速報

 布団の中で地震の強い揺れを感じた私たち夫婦はとっさに起きて、妻が居間の電気とテレビをつけ、チャンネルをNHKにすると、深夜だというのに地震速報が流れていました。「震源は日向灘沖、地震の揺れは5強、マグニチュードは6以上」のようで「津波の心配があるので避難の準備を」の言葉に、急いで身支度を整えましたが、そのうち津波の心配はないとのことで、まずは一安心でした。

 寝鼻を挫かれた感じでその後中々寝付かれず、長~く感じる夜となりました。夜が明けいつものようにブログを見ると、勿論県内に住む人が圧倒的に多く、また大分県や宮崎県の友人も、地震の様子を知らせるように記事をアップしてしました。昨日は余震と思われる地震が何度もあったようですが、それほど気にもしませんでした。ヤフーのニュースによるとこの地震は韓国でも、車が揺れるほどだったようで、波及の広さに驚きを隠せませんでした。

 先日南の島トンガで海底火山が爆発し大きな被害が発生、日本でも奄美大島で1.2mもの高さの津波が観測されたばかりです。私は高校生の頃宇和島水産高校の実習船愛媛丸でトンガ近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけ、イギリス領ニューへブリデス・エスピリッツサント島へ上陸した経験があり、あらためて世界地図を広げて、その位置の近さに驚きました。瀬戸内海側に住んでいるとはいえ、いよいよ南海地震が現実味を帯びてきました。

「寝入り鼻 防災放送 携帯も 一斉鳴りだし 不安な夜中」
「幸いに 津波の心配 なくなって 二度寝をしたが 中々眠れず」
「ブログには 知人友人 書き込みが 地震余震が 続く一日」
「若い頃 トンガ近くの 珊瑚海 遠洋航海 経験ありて」 

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人間牧場

〇梅が開花しました
 寒い年は花の開花が遅れると思いきや、寒さに目覚めたのか、わが家の庭の梅の花が咲き始めました。他の花ほど派手さはありませんが、咲いた梅の花は凛としてどこか気品さえ感じられる花です。花の近くに鼻を寄せると、芳しい香りが漂ってきます。

 この地に土地を構え家を新築してから50年、半世紀近くの歳月があっという間に過ぎ去りました。その間同居していた祖母や父母を黄泉の国へ送り、私自身も無我夢中という言葉がぴったりするような忙しさの中で、まるでマグロのように動き回り、季節を楽しむ余裕など殆どありませんでした。

 人生の終盤に差し掛かったゆえ、そろそろ余裕をもって生きたいと思った矢先、去年は2度にわたって入院手術を行い、加えてこの2年間は新型コロナに翻弄され続け、心の中に隙間風が吹きましたが、幸い不要不急の外出自粛や闘病生活で自分の居場所を少なからず見つけれたような感じがしています。

 季節を楽しむ、暮らしを楽しむ、余生を楽しむ、今年はとりあえずそんな楽しみを求めて見ようと思っています。これまでは「成せばなる」と思い込んであれこれを手に入れてきましたが、これからは「成らぬものはならない」もまた生き方だと思っています。人知れず咲き匂いを発する梅の花に、人生の大切さを気づかされたようでした。

「庭の隅 今年も梅の 花が咲く おそらく去年も 咲いただろうに」
「この土地に 家を構えて 50年 私は何を したのだろうか?」
「半世紀 あっという間に 過ぎ去って 自分の未来 日に日に減って」
「なせば成る そう思いつつ 生きて来た ならないことも 意味あるようだ」

 

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