shin-1さんの日記

○私たち夫婦も高齢者の仲間入り

 昨日は敬老の日でした。わが家の長男と次男から相次いで電話が入り、「おじいちゃんにプレゼントがしたい」というのです。毎年のことながら親父を気遣う優しい心に育っていることを嬉しく思うのです。彼岸でもあるので妻が実家の墓参りに出かけて留守だったので、とりあえず次男が親父にプレゼントするお酒を持って帰ってきました。次男に「お父さんは競演からお母さんも今年から高齢者なので、敬老の日の対象者だ」とさりげなく言うと、「えっ、お父さんもお母さんも早そんな歳なの?」と驚いた様子でしたが、「お父さんやお母さんはまだ年寄りじゃない」と否定されてしまいました。確かに私たち夫婦は高齢者になりましたが、昔と今は高齢者の概念が違うように思うのです。

 日本における65歳以上の高齢者は944万人だそうです。総人口に占める割合は23.1%で、過去最高を記録し、前年に比べ46万人も増えているのです。男性は全男性人口の20.3%、女性は全女性人口の25,8%で、80歳以上の人はこの60年間で22倍になって世界一の長寿国となっているのです。

 男性は5人に1人、女性は4人に1人が高齢者で、私たち夫婦もそのカウントに入っているのですから意味深です。昔は長生きすることは何よりも強い願望でした。でも10歳を越えて生きる人など稀でした。ところが最近は周りの人が皆長寿で、100歳を越えた人が県内にでも700人を越えているというから驚きです。

 長生きは喜んでばかりはいられません。福祉が充実し国民皆年金の時代になって経済的には豊かになりましたが、介護や痴呆、独居、病気など高齢化社会の向こうには様々な問題が横たわっているのです。私たち高齢者にとって大きな課題はいかに健康で生きがいを持って生きるか、いかに老いるか、いかに死ぬかでしょうが、「昨日まで 人のことかと思いしに、俺が死ぬのか これはたまらん」と他人事ではないのです。

 ちなみに65歳以上の二人世帯で換算すると、65歳以上世帯の平均貯蓄高は2305万円で、65歳以下の1327万円を大きく上回っているようです。一方パソコンの普及率は65歳以下の84.3%に比べ56.3%と大きく下回っていますが、携帯電話は81.2%に対し97.6%となっています。

 親父には今年も敬老会の案内がありましたが、私たちにはまだもう少し働けということでしょうか。セミリタイアの私もいよいよ本当のリタイアの時期が近づいて来たようです。でも親父の歳まで生きるにはまだまだ元気で長生き、そう「元気で夫婦揃って長生き」が目標なのです。

 最近私たちの周りの同年代の人が病気を発症したり、病気で入院したり、帰らぬ人となったりする噂をよく耳にするようになりました。どうやら年齢的にも一つの関門かも知れません。この関門を越えないことにはいい人生の仕上げも夢のまた夢となるのです。


  「父さんと 母さん二人 高齢者  敬老祝え まだまだ早い」

  「他人事 思っていたのに 夫婦して カウントされる 歳になったか」

  「携帯と パソコン持った 高齢者 使いこなせず 持っているだけ」

  「そういえば 65年も 生きたのか 後向くまい 前向き歩く」

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shin-1さんの日記

○種の生命力は凄い

 家庭菜園の畑を耕運機で耕し、畝を立てて種を蒔いてから一週間近くが経ちました。その間一滴の雨も降らず毎日30度を越える残暑が続いています。親父は庭の隅にある井戸から家庭菜園の各所に、自分で配水パイプを引いて水遣りができるようにしていますが、その井戸水を使って毎夕水を撒いたお陰で二日前から大根の種が芽吹き、可愛らしい緑色の双葉が地上に出てきています。目の薄くなった親父には最初芽吹きは見えなかったようですが、昨日の昼頃には芽の列がしっかりと確認できるようになりました。太陽が沈み地上の熱が収まった頃を見計らって散水を続けてきた親父にして見れは、種の発芽は嬉しかったようで、「これで今年の冬も大根を食べることが出来る」と喜んでいました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 それにしても種の生命力は凄いと思います。一粒0.5mにも満たない小さな種が太陽の恵みを受けた大地の熱と水によって芽吹くのです。一緒の日に蒔いた小松菜やコカブ、高菜などの種はもっと小さく、虫眼鏡の世界でしかない種が、根と茎と葉っぱの基をしっかりと種の中に蓄えているのですから驚きです。

 種は硬くて丸く潰そうと思っても潰れませんが、水を含むと種は容易に表皮を割って発芽と発根をするのです。地中と営みは目に見えないため知るよしもありませんが、地上に出た目はやがて双葉の上に葉を茂らせて行きます。小松菜やほうれん草などは葉を食べるためある程度生育状況が分かりますが、大根は食べる根の部分の成長が重要なので、種蒔きと同時に施肥した有機肥料が効いて、どんどん成長して行くことでしょう。

 今年の秋は好天に恵まれて、各地で開かれている運動会も気を揉むこともなく順調に推移しているようですが、夏からの続く猛暑は観測史上様々な記録を塗り替えるほどで、少雨状態はみかんや野菜に大きな打撃を与えているようで、干ばつ対策本部を設置して水遣りを促しているようです。雨が少ないから水をやるという対処法は誰もが考えることですが、みんなが水を欲しがるのですから、我先にという競争や揉め事が必ず起ります。利口な人は、人が水に見向きもしない雨の多い頃に水を蓄えたり、配水パイプの手入れをして事に備えるのです。一見逆のようですがこれは理に叶った対処法です。水を制すれば儲かることが分かっていながら、目に見える目先のことしか出来ないのも、これまた人間の悲しい嵯峨かも知れません。

 その点92歳になった親父が庭の隅に井戸を掘り、配水パイプを引いた行動はわが親ながら賞賛です。「井戸を掘ったが泉が湧かぬ」ハズだったわが家の井戸も、井戸の底に水道(みずみち)が出来たのか、今年のような旱魃にさえびくともせず、たっぷりの水を蓄えているのです。私には真似のできない先陣の知恵なのです。


  「この種の 何処にあるのか 生命力 芽と根を伸ばし やがて野菜に」

  「この種は 何処で採れたか 分からぬが 我が家の畑 夢のゆりかご」

  「空袋 隅に一粒 種残る 愛おしくなり 畑にそっと」

  「今年また 季節巡りて 種発芽 冬に供えの 野菜が育つ」

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