shin-1さんの日記

○お父さ、今年は黒くなったねえ

 今日は友人の母さんの葬儀が午後2時から伊予市農協会館のルミエールという葬祭会館であり、私とご主人、妻と奥さんが揃って友人ということもあって、二人で告別式に参列しました。親類の告別式なら二人喪服で揃って出かけるのですが、他人の葬儀に夫婦揃って出かけることは稀なので、少し変な気持ちでした。予定通り午後2時に読経が始まり、予定通り午後3時に出棺霊柩車をを見送り、少し時間が早いので精進落としをしようと、近くの温浴施設で汗を流し、久しぶりに二人で近くの回転寿司の店へ行きました。二人のカウンター席が運よく空いていて、連休のためファミリー席を待っている人たちの列を尻目に、席空きを待つこともなく寿司を楽しみました。私はハマチやカツオといったものが好きですが、妻は貝類やエビ、イカ等を8皿ずつ食べて午後6時前に自宅に戻り、白鵬が55連勝した瞬間を見ることができました。大相撲も先場所は暴力団や野球賭博問題で、NHKテレビ中継がなく寂しい思いをしましたが、このところの白鵬の連勝記録で再び息を吹き返しつつあるようです。このまま双葉山の69連勝を目指して頑張って欲しいものです。

 相撲中継が終り、もう服を着替えるため裸になると妻が、「お父さん、今年は黒くなったねえ」と感心してくれました。早速鏡に裸のまま写すと、確かに顔も腕も真っ黒に日焼けしていて、思ったより黒いのに驚きました。

 自分お書斎に行き、デジカメに足をつけ自動シャッターで自画像を撮ってみました。「ウーン黒い」、自分でも納得するような黒さです。このところ人間牧場の草刈り、家庭菜園の苗物植えや野菜の種蒔きなどなど、戸外しかも猛暑日や真夏日の残暑の中での戸外作業が続いたため、日焼けしたようです。作業は長袖シャツと広縁の麦藁帽子を着用していますが、菜園の種蒔きなどは軍手を脱いで素手で作業をするため日焼けしたものと思われます。昔は日焼けは労働者の勲章のように言われていました。最近は太陽の下でバカンスを楽しむセレブ層の人たちの方がゴルフや海水浴、海外旅行など太陽に当たる回数が多いので金持ちの勲章だといわれてきました。労働者でありセレブでもない私の、太陽に焼けて黒くなった顔色を他人はどのような評価をするのでしょうか。まあ他人の目は別として、目下のところ顔色だけを伺うと健康そのもののようです。

若松進一ブログ
(大相撲秋場所にあやかり、肉体美ならぬ骨体美、65歳の自画像です。白い所もあるんです)

 妻が驚くほど黒くなった私の顔色は、徐々に黒くなったため、2~3日室内にいたくらいで元の顔色に戻ることはないようです。加えて暑さ寒さも彼岸までという9月の半ばを過ぎてもなお残暑が残る明日は、私が学校評議員をしている由並小学校の運動会です。ご案内をいただいているので参加しようと思っていますが、明日も間違いなく日中は真夏日のようです。日焼け止めを塗るほどのことはありませんが、できるだけテントの下で観戦したいと思っています。

 この夏はたっぷり汗をかいたせいか、また肉体労働をしたせいか、身体も幾分引き締まり、55キロをキープしています。腕や肩の筋肉も昔のようには戻りませんが、まあ何とか男らしさを保っています。さあ食欲の秋がやって来ました。魚も果物も美味しいし、先日は友人西岡栄一さんが新米をどっさり持ってきてくれました。新米の炊きたてのご飯は問えも美味しく食欲をそそります。どうにか暑かった夏も元気で乗り越えることが出来たようです。


  「お父さん 黒くなったと 妻が言う 鏡に写し 自分納得」

  「自画像を デジカメ写し アップする 何度撮っても 黒々黒い」

  「俺は今 サンデー毎日 自由人 顔が黒いの 当たり前だろう」

  「色黒い 男勲章 思ってる 人は黒さを どんなに見るか」

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shin-1さんの日記

○カボチャ談義

 昨日、「カボチャが届きました」ととりあえずお礼のメールを送りました。そして送っていただいたことのお礼をこめて、私のブログに紹介したのも昨日のことです。ところが今朝6時にメールを開けてみると、9時間前の昨夜20時58分に北海道佐呂間町の荷主武田温友さんから、メールとブログのお礼が届いていました。

 荷物はさすがにFAXやメールで送ることは出来ませんが、そのうち荷物さえも瞬時に後れる時代が来るかも知れないとドラえもんや鉄腕アトムのことを思い出しました。今までであれば電話や電報が一番早い音信でした。ハガキや手紙でのやりとりとなると、それにはそれの値打ちはあるものの、時間がかかって仕方がないのです。北の北海道と西の四国は距離的には遠く離れているのに、まさに距離を感じさせないスピードにただただ驚き、よくぞメールという道具を手に入れていたものだと、嬉しくなりました。


 さて、私が北海道佐呂間町の寿大学に講演に出かけ、講演の前に武田温友さんと控え室で出会い、かぼちゃの話を聞いただけの小さなきっかけが、武田温友さんのカボチャに対する情熱と私のことを記憶していたこと、そして私に一年後カボチャを送る行動によって来たと西の小さな小さな交流が始まりました。人は何回会ったかの和ではなく、思いの深さだとしみじみ武田温友さんのことを思いました。北海道での出会い、カボチャの荷物、お礼のメールとブログ書き、返信メールと武田温友さんとの音信はたった3回なのに、私にとっては何年も前から知っているような旧友の一人にランクインしたのですから、人の出会いとは面白いものです。

 武田温友さんに、「送ってもらったカボチャは大切にしまって置き、冬至カボチャとして食べたい」とメールに書いたところ、以下のような返信が届きました。

若松進一ブログ
(送られてきた坊ちゃんカボチャ、残念ながらあと一つは長男の嫁が持ち帰ってしまいました)

 ~前略~「お届けしたカボチャはすべて私が種から育てて、先週末に私が収穫、選別したもので、自分の分身のようなものです。それだけにブログにご紹介とは嬉しい限りです。これからも自信を持って「かぼちゃの地域おこし」に取り組む勇気が湧いてきました。本当にありがとうございます。そして、肝心なお話ですが、お届けした「食用かぼちゃ」2個は、今食べるのが一番美味しいカボチャです。

 普通のカボチャは、収穫して水分が抜けてくると、でんぷん質が減って糖質が増え、そのバランスが一番良く、カボチャの一番美味しい時期は収穫してから二週間だといわれています。今回お届けした「坊ちゃんかぼちゃ」はこの普通のかぼちゃなのです。

 そして、これまた不思議な話で、でんぷん質糖質が増えるスピードが遅く、ちょうど12月、冬至の時期、人間が一番カボチャを食べたくなる時に旬な時期を迎える、心憎いカボチャがあるのです。表皮が乳白色の「雪化粧という名前のカボチャです。12月にはこの雪化粧カボチャをお送りしますので、是非坊ちゃんカボチャはお早めにお召し上がりください。~後略~」


 思わぬネット上でのカボチャ談義となり、知られざるカボチャの魅力を知ってしまいました。わが家でも冬至カボチャを食べますが、どういう意味で冬至カボチャを食べるのかは余り聞かされていませんでしたが、緑黄野菜の王様であり好物のカボチャをこれからもせっせと食べたいと思います。カボチャを食べる度にこれからはカボチャ博士武田温友さんのことを思い出すことでしょう。今年の冬至が俄然楽しみになってきました。


  「知らなんだ 何故にカボチャを 食べるのか 冬至楽しみ 今年の冬は」

  「北と西 ネットでカボチャ 談義する 便利世の中 感心しきり」

  「世の中にゃ こだわる人が いるものだ カボチャ一つに 夢を託して」

  「人のこと 言えるはずない 俺だって 食えぬ夕日に 思いを寄せて」

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