shin-1さんの日記

○大分県別府温泉地獄めぐり②

 大分県別府といえば、日本一の湧出量を誇る一台温泉地です。市内至る所から温泉の立ち上る湯気が見え風景は、別府を訪ねる度に旅情をかき立ててくれるのです。私が別府を意識したのは小学校6年生の時の修学旅行でした。一泊二日の旅行など殆どしなかった時代ですから、関西汽船で高浜から別府へ関西汽船に乗って九州へ渡ることはまるで外国へでも行くような興奮でした。

 楽天地や高崎山、バス旅行など、50年も前の出来事ですが、私の心には強い印象として残っているのです。

 別府といえば油屋熊八といわれるように、愛媛県宇和島出身の人が中心になって一大観光地に育て上げた話は余りにも有名です。別府観光の父といわれている油屋熊八は亀の井旅館を創業、亀の井バスを設立して日本初の女性ガイドによる定期観光バスの運行を行いました。「山は富士、海は瀬戸内湯は別府」というキャッチフレーズを考案したり、温泉マークを別府温泉のシンボルマークに愛用したりするなど、様々なアイディアで別府の活性化に大きな足跡を残しました。

 渡邊さんの計らいで海沿いの花菱ホテルを手配してもらい、ホテルの車で佐賀関まで送迎してもらう幸運にも恵まれました。ホテルでの昼食をしたあと、塩崎さんの計らいで三崎出身の方の運転するレンタカーで念願の地獄めぐりに出発しました。修学旅行以来何度か別府へは来ているのですが、殊更な地獄めぐりなどしていなかったので、私のたっての希望を汲んで8つの地獄巡りツアーに出かけました。竜巻地獄から始まり、地の池地獄、白池地獄、鬼山地獄、かまど地獄、山地獄、鬼山地獄、海地獄と巡りましたが、50年前と地獄の様子も随分変わっていましたが、心に残る地獄めぐりを堪能させてもらいました。


 うだるような猛暑残暑の中で汗だくの地獄めぐりでしたが、小グループの小回りの効くツアーなので、足湯を楽しんだり、温泉卵を食べたりして束の間の休日を楽しみました。最後に行った海地獄は、中池に睡蓮の花が見事に咲いて、まるで地獄ならぬ天国を連想してしまいました。

 帰ったその火の内に渡邊さんからメールに添付して沢山お写真データーを送ってもらいましたが、写真を趣味としている渡邊さんの写真はやっぱり目の付け所やアングルが違うので、花の写真などを使わせてもらいましたが、此花の写真を見る限り、地獄と天国は大変な違いのようです(笑い)。

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  「八箇所の 地獄を巡り そこここで 半世紀前 思い出しつつ」

  「願わくば 地獄に行かず 天国へ 行ってみたいが 叶わぬ夢か」

  「そこここに 生きてる地球 体感し 地獄めぐりに汗を流して」

  「お土産は 何処も同じと 冷やかして ちゃっかり味見 買い物せずに」

 

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shin-1さんの日記

○海峡好夢員会に参加①

 「海峡好夢員会」などという、当て字ともいえる名前をつけた交流会が今週の日曜日と月曜日の2日間、温泉地大分県別府市で開かれました。大分県佐賀関と愛媛県佐田岬は豊後水道を挟んだ隣町です。旧佐賀関町は大分市と、三崎町は伊方町とそれぞれ平成の大合併で合併したため、寮長の自治体は地図上から消えましたが、関アジ、関さばというブランドを持つ佐賀関も、佐田岬半島の突端に位置する三崎もそれらの知名度によってかろうじて昔の名前で残っていますが、やがては変化する運命にあるのかも知れません。

 合併前の佐賀関町と三崎町はそれぞれの持つ特異性を認めつつ海峡交流会なるものを長年にわたって交流していましたが、合併によってその交流の歴史にも幕を綴じたようです。しかしその中心人物となって交流していた佐賀関の渡邊さんと三崎の塩崎さんとは、今も深い縁で結ばれていて、私たち友人・知人もそのおこぼれをいただいて、未だに行ったり来たりしながら交誼しているのです。

 前回愛媛で開いた交流会で「次は別府でやろう」と話がまとまり、渡邊さんが音頭を取ってくれて「海峡好夢員会」は開かれました。土曜日に夕焼けプラットホームコンサートが開催された私のわがままを聞き入れてもらい、当初土日で計画していたのを日月に変更してもらい、参加者にすっかり迷惑をかけてしまいました。

 愛媛から参加する7名は午前9時に三崎のフェリー乗り場に集合しました。少し早めに家を出た私は夕やけこやけライン~鼛声トンネル~メロディーラインを通って三崎入りしましたが、早朝だったため1時間20分で到着しました。勿論私が一番乗りです。三崎のフェリー乗り場は今年の春から新しく出来た桟橋に乗り場が移っていました。時間がるので車を駐車場に止めてそこら辺を散歩することにしました。岬を訪れる度に立ち寄るのは国の天然記念物になっているあこう樹です。フェリー乗り場の直ぐ近くに葉を茂らせている三崎のあこう樹はわが国では北限にある熱帯樹です。奄美や沖縄へ行けば何処にでもあるのですが、愛媛県でこれほどの大木はないのです。あこう樹の下の石柱には大正13年三崎村、説明版には遠い南の島から黒潮に乗って種が運ばれたであろうロマンが書かれていました。

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(国道を覆いつくすように葉を茂らせている国の天然記念物あこう樹の大木)

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(石柱には三崎村や大正13年などのと刻まれていました)
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(根回り7メートル以上のあこう樹)

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(大分に向かって伸びる日本一細長い23里の佐田岬半島)

 ほどなく仲間も集まりました。仲間といっても愛媛県松野町の芝さんご夫妻、高知県四万十市の和田さんご夫妻、それに三崎の塩崎さんご夫妻と私の7人なのです。私だけ妻の仕事の都合で単身での参加となりました。

 フェリーは定刻9時30分に三崎の岸壁を離れました。右手の佐田岬半島の頂上付近には風力発電の大きな風車がかなり沢山並んでエネルギーの町伊方を誇示しているように見えました。やがて「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の舞台にもなった白い佐田岬灯台が見え、愛媛が次第に遠ざかり、替わって右手の高島や佐賀関の東洋一といわれたとてつもなく高いお化け煙突が私たち一行を迎えてくれました。

 桟橋には合流する佐賀関の渡邊さんご夫妻が、ホテルの車とともに出迎えてくれました。渡邊さんは何かにつけて細やかな気配りのできる人で、私たちのために資料まで用意してくれた念の入れようで、その資料たるや12ページにも及ぶ凄い資料なのです。バスの中では再会を懐かしむ話に花が咲き、渡邊さんのマイクガイドで別府一泊二日の旅はスタートしました。

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(渡邊さんの作ってくれた立派な資料には感心しました)



  「海峡の 豊後水道 ひとまたぎ 七十分の 短か船旅」

  「港には 懐かし人が 出迎えて お国なまりの 話も弾む」

  「海峡を トンネル橋で 繋ごうと 夢を語った 夢のまた夢」

  「マイク手に 資料説明 熱こもる 別府目指して バスはのんびり」  

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