shin-1さんの日記

○何処からともなくハーモニカの音色が

 昨日は夕食後妻と二人で散歩を楽しみました。激しかった夕立も上がり、まるで水を打ったような涼しさの中を、お定まりのコースである上灘中学校、特老夕なぎ荘、高村電気の道を往復しましたが、山の端から綺麗な真ん丸い満月が出てそれはロマンチックでした。夜の散歩には懐中電灯を持って出かけるのですが、昨晩は懐中電灯の明かりをつけずに、月明かりの道を歩きました。二日続きの夕立ですっかり秋らしくなって、あちこちから虫の鳴き声が賑やかに聞こえていました。

 自宅の近くまで帰ると、何処からともなく涼やかなハーモニカの音色が聞こえてきました。よく見ると隣に住んでいる叔父が庭の駐車場に涼み台を出し、傍に座っている叔母に聞かせるようにハーモニカを吹いていました。叔父は今年72歳になりますが、何年か前に軽い脳卒中を患いましたが、いまは回復して洋傘の製造販売をやっています。最近古布を使って洋傘にすることが新聞やテレビで取り上げられたため、連日頼む人が訪れ大賑わいのようで、叔母も病気を忘れさせる出来事として歓迎しているようです。


 聞けば肺活量を増やすためにハーモニカを始めたそうで和音、つまり流行歌を吹くAmハーモニカを手に入れていました。ハーモニカについては一歩前行くと自認する私は、立ち話のような形でハーモニカの話に花を咲かせました。叔父はまだ初歩的と見受けましたが、朗々と吹くハーモニカは折りしも出た満月の月にとてもマッチしていました。叔父は名前が福計、叔母は笑子です。夫婦合わせれば福笑いとなる珍名の持ち主なのです。もう家はなくなりましたがその隣に入福寅男・鶴子夫妻がいて、わが家が目出度目出度の若松様ですから、まさに珍名組内でした。

 ハーモニカの音色は時に物悲しく時に郷愁を覚えます。肺活量が増えるかどうは疑問ですが、音楽に親しむことによって感性を磨くことは出来るような気がします。私も時々しか吹きませんがハーモニカの音色は心に染みるのです。でも音楽が大の苦手だった私は今でも妻と親父しかいない家だのに、通知表2の後ろめたさもあってどこか気恥ずかしいのです。そんなことを言いつつ講演先では求めに応じて下手なハーモニカを吹きまくっているのです。いつか隣の叔父とハーモニカの競演をして見たいと思っています。その時叔父はもっともっと上手くなっているかも知れません。そうだ私も叔父に負けないように練習をしないと・・・・。

  「月が出る 何処からともなく ハーモニカ 音色誘われ 散歩の途中」

  「ハーモニカ 忘れし過去を 思い出す 廃れた歌の  記憶辿りて」

  「童謡も 今の子らには チンプンカン それ何言われ 戸惑い隠す」

  「ハーモニカ 聞きつつ歌を 口ずさむ 小柳ルミ子 瀬戸の花嫁」 

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○スコールの思い出

 連日猛暑日が続き、一雨欲しいなあと思っていた矢先の一昨日と昨日、思いもかけず激しい夕立が降りました。時ならぬ雨で一昨日は折角予定されていたわが灘町地区の盆踊りが、出鼻をくじかれたように午後7時から振り出したため中止になり、慰労会の準備はしていたので慰労会だけは賑やかにやったようです。

 そして昨日は妻から頼まれてメガネのピンが抜けているのを近所の時計屋に修理に行っていて、一転にわかにかき曇って急に雨が降り出し、あいにく単車でお使いに出かけていたので、面白半分に土砂降りの中を単車を走らせて帰り、ずぶ濡れになってしまいました。

 でも全身ずぶ濡れになるなんて久しぶりのことなので、涼しさが欲しい夕凪の頃でもあったし、少年の頃の童心に返ったような心地よさで、外扉から浴室へ入りシャワーを浴びてさっぱりしました。

 ふと母校である宇和島水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へマグロを獲りに出かけて頃のことを思い出しました。赤道を越えると常夏の地域で、進めど毎日島など見えず、鏡のように凪いだまるでお盆の中を船はただひたすら、延縄操業準備の作業屋研修などをしながら南を向けて走るのです。実習生の私たちも二人一組になってワッチと称する見張りや操船をブリッジでしなければならないのです。


 当時の練習船にはエンジンの冷却水を引き込んだ海水風呂しかなかったので、雨水にしろ真水はとても貴重な天の恵みなのです。スコール域が船の行く手に見え始めると意識的に進路を遊び心で少し変え、スコールの中へ船を入れるのです。実習生も船員も思わぬプレゼントに大はしゃぎしてスコールシャワーを楽しみました。

 しかしわがままのスコールは足早に去ったり、時には石鹸をつけてスコールを待てども進路を変えられて、全身に塗りつけた石鹸を落とすのに一苦労した懐かしい思い出もあるのです。もう半世紀も前の出来事なのに、夕立に遭うと懐かしい青春の日々が思い出されるのです。

 余談ですが延縄の操業が始まると不眠不休でマグロやサメと戦い、合羽ズボンの中は丸で蒸し風呂のように汗だくとなり、そのため生徒たちはみんなインキンタムシに悩まされるのです。かゆくて仕方がないので指導教官から貰ったヨーチンをオチンチンに塗りつけ、その痛さに悲鳴を上げながらウチワでお互い扇ぎ合いをしたものです。また教官がオチンチンに包帯を巻いてくれるのですが、いつの間にかすっかりしぼんで包帯が何度も抜け落ち、男しか乗っていない練習船ゆえの恥も外聞もない小さな騒動は、仲間と会えば必ず下ネタとしてスコールの思い出は語られるのです。


  「オチンチン 包帯巻いた ヨーチンも 今はすっかり 笑い話に」

  「石鹸を 塗ってスコール 待ったけど コースが外れ 肌がヒリヒリ」

  「突然に 夕立降って 雨の中 ずぶ濡れ単車 ときっめきながら」

  「雨降って 笠がなければ 濡れてゆく 詩人灰谷 思い出しつつ」

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○未利用資源を活かす

 先日伊能忠敬の測量図を見に、子どもたちと一緒に双海町高野川から伊予市森まで海岸線を歩きました。真夏の暑い太陽が照りつける海岸は足を取られて歩きにくく、参加したみんなも熱中症になることもなくいい汗をかきました。その折この海岸沖にあるであろう磯根資源は誰が利用しているのだろうと思いながら、海岸線に打ち上げられたゴミや海草を踏みつけて歩きました。

  あれから20日ほどが経ちましたが、もう一度そこら辺を見てみたいと思う衝動に駆られて、大潮の昨日一人で歩くことにしました。水筒、海水パンツ、メッシュ袋、ゴーグル、背負子などを用意しました。水筒と海水パンツ、軍手は妻に、メッシュ袋は松本さんに、そして水中メガネはシーサイドの忘れ物置き場に置かれたものを所長さんの許しを得て、また背負子はフロンティアGの大野さんからいただいて保管していたものをそれぞれ用意してトラックに積み込み、高野川出口まで行きました。

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(黒磯海岸で大汗をかいて一休みする私)

 高野川川はまだ引き潮が甘かったため、少し川の上流まで行って渡り歩き始めました。5分ほどでもう大汗が噴出しました。先日歩いた時と同じように歩きましたが、昨日はむしろ海岸線に目をやりながら歩きました。そのうち潮が引き始め、砂浜の足元には無数の白い海草が見えました。先日通った時と同じような海草でこれがどうやら天草なのです。普通天草は磯の岩肌に生えていますが、波に洗われてちぎれて漂着したものです。それが満干潮の海水や雨にさらされ白くなったのです。

 木陰で一休みしながら松本さんの用意してくれたメッシュの袋に綺麗な海草を拾い集め大きなゴミや別の海草を取り除き入れました。海から取った天草は重いのに、まるで白髪のように自然の力で晒された天草は軽くて、二つの袋一杯に入れることができました。

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 さあ今度は海中調査です。人の気配もまったくないので誰はばかることもなく脱衣して海水パンツになり、持参したゴムぞうりに履き替えて黒磯と呼ばれる磯まで泳ぎました。度重なる地すべりで改定には土分が溜まり、海水は少し濁っていましたが、水中メガネ越しにみえる海中は小魚が沢山泳いでいました。ヒジキの新芽がもう伸び始めていたり、それほど多くはありませんでしたが天草も生えていました。また磯にはフノリが沢山生えていて利用したいと思いました。海で泳ぐとあせもが引くので大助かりとばかり一人海中で戯れました。

 海岸で過ごしたのは1時間余りでしたが、もと来た道を引き返し自宅に戻りました。さあそれから採ってきた天草を発泡スツロールに水を入れ丁寧に揉んで砂やゴミや余分な海草を取りました。そして何度も水をかえて洗いました。倉庫からサナを出して干しました。この作業を毎日一週間ほど続けると綺麗な晒し天草が出来上がるのです。

 もしこの天草が実験の結果トコロテンになるようであれば、これこそ来年からは居ながらにして大量の天草を手に入れることが出来るのです。私はこの天草を人間牧場で生育中のコンニャク芋と抱き合わせて、健康食品体験プログラムの目玉にしたいと思っています。もし可能なら来年はみんなで海岸に打ち上げられた天草を拾うツアーをやって、資金稼ぎの目玉にしたいとも思っていますが、はてさてそんなに上手くいくかどうかはまだまだ先のことなのです。

 発布スチロールの箱を現地まで運んで塩水を溜め、そこで選別して海岸に干せば純度の高い天草が手に入る算段は、私の心の中で大きく広がりつつあります。差し当たり年輪塾の仲間に採った天草でトコロテンを食べさせ、議論しながら実験したいと思っています。

 

  「海岸の 漂着海草 活かしたい 未利用資源 まるで葉っぱ(上勝)だ」

  「天草は 健康食品 ダイエット 若松会社 いよいよ興すか」

  「もしこれが 金になるなら 濡れ手粟 青少年の ために使える」

  「夢を見る 寝れないほどに 興奮し 今朝も早起き 天草手入れ」

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○新標識は四つ葉のクローバー

 もみじマークは高齢者を枯れ葉のようなイメージにする「いじめ」だと、選挙を意識した政界からの猛烈な批判に警察庁が折れ、マーク表示を罰則義務から努力義務に改められましたが、高齢者の事故が多いことを理由に75歳からだった表示が70歳からに引き下げられました。警察庁も泣く子と政治家には勝てないようです。

 さてそのもみじマークですが、初心者マークの若葉に比べそういわれて見れば、確かにもみじのような感じに見えるのも事実ですが、だからといってこのマークが即高齢者をイメージするものではなく、「高齢者が運転していますので、ご注意ください」という注意をしてもらう意味では、若葉マークと何ら変わりはないのです。この問題は高齢者が一生懸命生きている自尊心を傷つけられたのであれば直さなければなりませんが、政治家が言うから直すのはちょっと筋が違うようにも思うのです。

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 さてその物議を醸したもみじマークの見直しを進めていた警察庁は、もみじマークに変わるロゴマークを募集していましたが、14573点の応募の中から四つ葉のクローバーが選ばれ、標識の様式を規定する道路交通法施行規則を改正し年内には試用が始まるようです。

 新デザインの原図考案者は、「幸せの象徴である四つ葉のクローバがシニアのSを包む。四つ葉に若々しさを表現した黄緑と緑、豊かな人生経験表す黄とだいだい色の4色をあしらい、活発な高齢者をイメージした」そうです。もみじマークの単調さに比べれば今回のマークは、これまでの暗いイメージより明るく表現されていい図案だと思うのです。

 高齢者の運転する車は主に公道を走ります。加齢で身体機能の低下した高齢者が運転する車が原因で事故を起こすことも多いのですが、もっと多いのは高齢者が巻き込まれる事故が圧倒的に多いことです。それは若葉マークを含めた一般ドラーバーの起こす事故ですから、新標識の施行を機に、お互い注意をして事故のないようにしたいものです。


 私も65歳になって統計上ではもし事故でも起こせば、高齢者の事故としてカウントされます。私が事故に遭うと「このほど、道路を歩いていて事故に遭ったおじいさんは・・・・」なんて表現がされるのですからゾッとします。後五年すれば私も四つ葉のクローバーマークをつけることを努力義務としなければなりません。

 今年の春、隣に住む80歳のおじさんが免許証を返納しました。本人はまだまだと思っていたのですが、家族の強い勧めで運転をするのを辞めたようです。時々近所に買い物に行き帰る姿を見ますが、自転車にも乗らないため両手に持った荷物の重たさや、歩き疲れた様子は何とも寂しそうです。松山の病院に行くのにも貴社や電車を乗り継いで一日がかりだとぼやいていました。私の行く末を見ているようでした。

 私は高齢になったら同居するであろう息子の家族の世話にならなければなりません。買い物や病院へ車に乗せてもらわなければなりませんが、その折息子たちが喜んで私を乗せてくれる保障はありません。その妙案としてタクシー並みの料金を払えば喜んで乗せてくれるだろうと、密かに思っています。お金で全てを解決は出来ませんが、それくらいの出費を覚悟する高齢syとしての自覚を今から準備しようと思っています。(笑い)


  「もみじから 四葉に変わる 高齢者 もうすぐ私 お仲間になる」

  「政治家が 口火を切った 騒動も 二転三転 これで落ち着く」

  「タクシーと 同じ金額 払ったら 私乗せると みんな言うだろう」

  「あと五年 この紋所 見えぬかと 言ってやりたい そんな気概で」



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○アメリカにも金次郎の銅像があるそうです

 人間牧場で二宮金次郎こと二宮尊徳の勉強を始めるようになって半年余りが経ちました。年輪塾を主宰しているからなのか、最近は何処へ行っても二宮金次郎のことがやたら気になるのです。先日は新玉小学校の図書館で子どもたちと一緒に本を読んでいる室内の金次郎を見つけましたが、8月20日のえひめ新聞に海外の二宮金次郎銅像の話が小さく埋草のような形で紹介されていました。

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 ②「二宮金次郎像 ロスではチョイぽちゃ」という見出しで以下のような記事が載っていました。

 ロサンゼルス・リトルトーキョーの交差点に立つ二宮金次郎像。「米国育ちで肉を多く食べているから、日本の像よりちょっとぽっちゃりしている」とは現地在住の日本人のジョーク。ところで、米国人は日本人の勤勉の象徴である金次郎の知っているのだろうか。近くのバス停で待つ人に尋ねたところ「ノー」。像を指差して「Do you Know him?」との質問の意味が通じたかどうかは自信がないのだが。

 はてさて、アメリカ人が「ノーというのは当然として、もし西海岸を旅行している日本人に同じような質問をしても、「ノー」と答えるかも知れません。だって戦後65年間、日本人は二宮金次郎のことを誰からも教わっていまいし、教えてこなかったのです。

 「本を読みながら歩いて、交通事故にでも遭ったらどうするの」と揶揄されるのが落ちなのです。内村鑑三が「代表的日本人」の一人として取り上げ、ケネディ大統領にも大きな影響を与えた二宮尊徳を、日本教育の基本としてももうそろそろ教えても良さそうなのですが・・・・。


  「アメリカに 金次郎さん あるという 誰が建てたか  それが知りたい」

  「アメリカの 金次郎さん 肉喰って 少し肥え気味 新聞ジョーク」

  「金次郎 日本人さえ 知らぬのに アメリカ人は ノーと言うはず」

  「色々な 所で話す 金次郎 知ってはいるが 殆ど知らず」

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○戻ってきた一本の赤いボールペン

 私はリタイアしてからも色々な雑誌や事例集などの原稿を依頼されることが多く、その度に拙文ながら原稿を書いています。私が後方を書いていた一昔前、原稿書きはもっぱらシャープペンシルと消しゴム、それに原稿用紙でした。それがいつの間にかワープロがパソコンになり、シャープペンシルも消しゴムもこの一年殆ど使わな九手もすむようになったのです。また書いた原稿も封書で送っていましたが、デジタル化された原稿は写真と共にメールで送れるようになったのです。

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 しかし送り返してきた校正のためのゲラ原稿は、プリントアウトして赤いボールペンで修正加筆、あるいは削除作業をしてゲラ原稿を手直しし、相手に再び送り返すのです。その時使うのは赤いボールペンです。私が使っている赤色のボールペンは、退職後全ての原稿校正の重要な役割を果たしてきました。ところがいつの間にか自分の机の上から姿を消して、会議用の4色ボールペンについている赤いボールペンで、不便だと思いつつも代用していたのです。

 ところが先日、一枚のはがきが私宛に届きました。私が建築委員を努めていた天一稲荷神社のぐうじさんからで、「先日の監査会で赤いボールペンを忘れていませんでしたか」という問い合わせのはがきでした。 思い当たるふしがあったので早速電話で返事をし、宮司さんは妻の勤める歯科医院に丁寧にも届けてくれたそうです。


 今時の時代はボールペンやライターなどは使い捨てする消耗品なので、別に気にもしていなかったボールペンが宮司さんと妻の手によって、持ち主の私に戻ってきたのです。数奇な運命といえるほど大げさなものではありませんが、それでも私はこのボールペンで早速昨日エッセー原稿の校正をしたのですが、しっくりいきました。

 たかがボールペン一本くらい紛失しても探そうともしないし、よしんば今回のように出てきても「ああ」くらいで終わるのでしょうが、一事が万事これからは大切に使いたいと思いました。私は赤いボールペンが大好きで、赤インクで書いた線引きや文字は、私の想いのようなものが込められています。戻ってきた一本の赤いボール面のインクの残量がどれ程あるか分かりませんが、これからも最後の一滴まで使いたいと愛おしく思いました。


  「失くしてた 赤いボールペン 帰り来る 愛用だけに 嬉しくなりぬ」

  「この歳に なっても赤ペン 貴重品 原稿校正 その度使う」

  「ボールペン あなたのじゃない はがきくる 既得な人が いればいるもの」

  「このごろは 使い捨てする 世の中に 失せて気付かず 失せて探さず」   


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○汗だくで庭の草引き

 夏の大仕事である家の周辺と人間牧場周辺の草刈りがやっと一段落しました。草を刈った後好天猛暑日が続いていいるため、その後草が芽を吹き返さないため、いつになく周囲が茶褐色になって殺風景ですが、一雨降ると緑がいっせいに伸びることでしょう。

 草刈ばかりに気が向いていましたが、いつの間にか庭が大草になっていることに気がつきました。妻はそのことが気になっていたらしく朝夕少しずつ草引きをしていたようですが、追いつかないので私に助け舟を求めてきました。気になっていた愛媛大学農学部地域マネジメントスキル修得講座もやっと昨日で終わり、今日は夕方地元の会合があるだけの自由時間なので、思い切って草引きを始めました。

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 草を引く庭は2ヶ所です。まず書斎の前に見える庭から始めました。朝日が当たらない時間帯を選んでやったため汗はそれほどかきませんでしたが、蚊やブトが顔や体にまとわりついて仕事にならないため、妻が蚊取り線香に火をつけて持ってきてくれました。お陰様で1時間ほどの作業で綺麗になりました。最近私に用事のある人たちは厳寒に声をかけ、裏に回って私の書斎の窓から侵入して、この庭を見ながら話すので、少しは綺麗にしておかないと笑われると、妻が言うものですから、ついつい力が入ってすっかり綺麗になり、石垣の石組みが主張をするようになりました。

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 続いて本命の庭に移動し草削り専用の鍬で、一生懸命草を削りました。やがて太陽が昇ってじりじりと照りつけるようになると、一気に汗が吹き出しました。ぬぐっても追いつかないほどの汗です。それでも昼までに終わらせたいと、休憩も取らず霊底から取り出した冷たいお茶を飲んだくらいで何とか綺麗になりました。

 一輪車に引いた草を積んで畑まで運び広げて干しました。こうすれば明日には火をつけて自家で焼却処分できるのです。

 一段落した12時ジャストに妻がお昼休みで帰ってきました。綺麗になった庭を見て驚き「中々やるじゃない。綺麗にしてもらってありがとう」と褒めてくれました。早速シャワーを浴びて昼食がてら一服しました。いつも思うことですが、植えた野菜や花は中々粗朶立たないのに、蒔かず植えない草はどうしてこうも元気に育つのでしょうか。生きている限りそのことを思い、生きている限り草と戦うことでしょう。


  「このままじゃ 見苦しいから 草引いて 妻の頼みを 引き受け大汗」

  「草引いた 後見て妻が まあ綺麗 褒められ嬉し まるで子どもだ」

  「少しだが 主人役割 するように なった俺見て 妻は喜ぶ」

  「早速に わが家訪ねた わが友が 庭を眺めて 感心褒める」 

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○妻と二人で夕暮れのドライブと池久保盆踊り見学

 昨夕授業を終えて大学から自宅に帰ると、人間牧場近くの西嶋さんから、頼んでおいたブドウを収穫したので取りに来るよう電話が入りました。人間牧場も前夜泊まった西川さんや脇田さんが片付けてくれたようなのですが、点検もしたいし池久保の盆踊り見学の誘いもあったので、妻を誘って出かけました。

 山道なので乗用車ではなく田舎のオープンカーに乗り込み、夕暮れの海岸国道を窓を開けて走りました。心地よい風がふたりに当たり、何ともいえない清々しさでした。右に広がる海は夕凪で、その向こうには日本一と自認する夕景が見え、まるで私たちとランデブーしているようでした。

 石久保の山内さん宅前の路側帯に車を止めてしばし雄飛の鑑賞と洒落てみましたが、妻と二人で夕日を見るのも何年ぶりのことでしょう。二人が感嘆の声を上げながら見ていると、国道のあちこちにも私たちと同じように車を止めて夕日を鑑賞をしている人が見受けられました。空は少しガスがかかっていて、その分サーモンピンクに染まった夕景は見事でした。

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 西嶋さん宅でブドウを受け取り、人間牧場へ行きあちこちを点検しました。運よくトイレの電気の消し忘れを見つけて電気を落とし、お墓に供えるシキビに枝を切りました。妻はウッドデッキに座りしばし幽玄の世界に浸っているようでした。私は再三再四日常的に人間牧場へ通っていますが、妻は忙しくていつも人間牧場の裏方として準備や片づけをしてくれるだけなので、まだ人間牧場へはほんの数回しか来ていないので、人間牧場の草刈などがきちんと行われ、掃除も行き届いているのに感心した様子でした。

 池久保のお地蔵さん辺りから太鼓の鈍い音が聞こえだしたので、急いで車で盆踊り会場へ向かいました。いつも人間牧場の来客が車を止める市道脇の場所に車を止め、急な坂道を二人で歩いて登りました。うっそうとした杉林参道はもう夜の帳が下りて、私の照らす懐中電灯を頼りにしました。

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 やがて盆踊り会場に着くと盆踊りはもう始まっていました。殆どが地元の人ですが、青島から伝わったという盆踊りはそれは質素です。でもかつて私がこの盆踊りを愛媛県の心を豊かにする公民館活動の指定を受けて掘り起こしたことや、太鼓の新調相談に応じて宝くじ助成金を100万円余りいただき、手助けしたことが懐かしく思い出されました。

 この集落も過疎や高齢化、少子化で限界集落になりつつあります。同級生も二人いますが私と同じ年齢なのにどこか活気もなくなりつつあるような感じがしました。

 本当は踊りの輪に加わりたかったのですが、持っていたデジカメで何枚か写真を撮って1時間余りで早々に引き上げました。妻は思いもよらぬ盆踊りの見学にいたく観劇した様子でした。

  「妻を乗せ 海岸国道 ドライブだ オープンカーの 風も爽やか」

  「まあ綺麗 日本一と 言う妻に 得意になって 夕日説明」

  「そういえば あんなこんなが あったっけ 太鼓聞きつつ 踊りを見つつ」

  「ほの暗い 灯り照らされ 踊る人 先祖供養の 祈りを込めて」 

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○地域マネジメントスキル修得講座二日目

 二日間で15時間の集中講義をする私も、講義を受ける受講生も、この暑さの中では大変だろうと、腹をくくって望みましたが、二日目の今日は人間牧場から冷房の効いた愛媛大学農学部の教室に、講義の場所を移したお陰でいい授業をすることが出来ました。

 大学の教壇に立つのは余り好きではありませんが、それでも15時間分のスライドショー教材を、前もって担当の後藤田先生が人数分をカラーでプリントアウトしてくれたこともあって、すこぶる順調に授業を組み立てることが出来たのです。過去8年間愛媛大学法文学部の非常勤講師をしていた時は授業の運営から学生への連絡は勿論のこと、誰も助けてくれず自分ひとりで準備や片づけをしたことを思うと、もう雲泥の差なのです。

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 本当は今日やった地域活性化概論の授業を昨日やり、昨日やった地域づくり事例の授業を今日やりたかったのですが、人間牧場が双海町にあって、現地のことは現地でしか語れないためストーリをまったく逆にして話さなければならなかったのです。

 そんなハプニングもありましたがさすが社会人学生は飲み込みが早く、すんなり受け入れられたことに感謝しています。ところで昨晩は結局西川さんと脇田さん、福島さん、それに内子町の山岡さんのご主人も加わって人間牧場に泊まり、大いに交友を温めたようです。4人とも活動家なので今日は昨晩の疲れも感じさせず、頑張って講義を受けていたようです。


 講義を3時前に終えて地域づくりの夢を語る座談会に切り替えてお話をコーディネートさせていただきました。短い時間に自分の主張をしっかりとまとめて発表し、それらの意見に受講生と私が絡む展開は予想以上に盛り上がり、地域づくり失敗の十か条で総括しました。

 受講生たちに二日間15時間に及ぶ私の話は、果たして受け入れられたのでしょうか。少なくとも会場から私のいる教壇への反応はかなり高いようだったと、数時間前を総括するのです。

 受講生の中には西川さん、脇田さん、森さん、立花さんなどなど顔見知りも多く、とても充実した二日間でした。二日間で15時間の集中講義は多少疲れましたが、まあ意味のある二日間でした。


  「教壇に 立って講義の 2日間 疲れはしたが やっと終わりぬ」

  「俺の背にゃ 客員教授の 肩書きは 少し重くて ズシリずしりと」

  「この二日 十五時間の 講義する 昨年よりは 少し進化か」

  「あと二回 授業組まれて 四苦八苦 投球修正 少ししないと」

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○暑中見舞いから残暑見舞いへ

 立秋が過ぎると私宛に届く季節の頼りも、暑中見舞いから残暑見舞いへと変化して、外は連日の猛暑で立秋を感じさせないもののやはり季節の移ろいを感じるのです。先日講演で訪ねたものの急な思いつきで出会いが叶わなかった大月町の堀光恵さんから、見覚えのある風景の盛夏見舞いをいただきました。よくよく見ればご存知わが町の下灘駅から見た夕景なのです。「素敵な写真だと思い使わせていただきました」と注釈をつけていましたが、確かにこの写真には夏から秋へと心が動く一服の清涼剤のような清々しさを感じることが出来ました。

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 さて、もう一枚はご存知定形外の親友玉井さんからのはがきです。玉井さんは裏も表も全てを使う人で、表書きにはご存知宮沢賢治の雨ニモ負ケズを引用した夏の近況、と私が毎月駄作を投句している五行歌の作品督促でした。

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 私は玉井さんの作品ともいえるはがきが大好きで、いただいた殆どは大切に保存しているのです。このはがきを貰う度に、「こんな絵が書けたらなあ」と、絵心も書心もない平凡な自分を嘆くのですが、まあ平凡な私にだって自分が気付かないだけで、何かとり得はあるだろうと思いつつやり過ごすのです。玉井さんの面白さは茶目っ気で、雨ニモ負ケズを自分の日々の暮らしにアレンジして、「閑人モ多忙ニ暮シテイマス」と結んでいました。

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 はがきの裏は北原白秋の「柳川風俗詩」に涼しげな柳川掘割めぐりの絵を添えていました。右隅には水面に垂れ下がる柳をあしらっていて、掘割の水とマッチさせて清涼感を出していました。このはがきを貰う度に私は妻にはがきを読んだり見せたりするのですが、いつも「凄い」と感心したり、「玉井さんは面白い人ね」と、思わず大笑いしてしまうのです。

 暑い暑いといってもお盆が過ぎると朝夕見える海の景色もどこか秋めいたような感じがするのです。昨日はマネジメントスキル講座に参加している尾崎益善さんから人間牧場で小さな米袋をいただきました。聞けば早場米産地に住む尾崎さん宅では既に稲刈りを終わったとのこと、2kg入りの新米を二つもいただきました。今晩は早速新米のコシヒカリを食べて見たいと思っています。

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  「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 届くはがきに 秋の気配が」

  「絵心も 書心とても ない私 とり得なしとて 自分嘆くな」

  「早場米 土産いただく 今晩は ご飯に炊いて 妻と食べよう」

  「見上げれば トンボが群れて 遊びけり 季節動きて 下るを感ず」

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