shin-1さんの日記

○昨日は家庭的に忙しい一日でした

 昨日のわが家は、久しぶりに子ども全員4人と孫4人が勢ぞろいし、賑やかな一日となりました。仕事が忙しい長男と、娘婿それに次男と三男は夕方になって夕食に間に合うよう帰ってきましたが、娘と孫二人は前日から泊まりに来ていて、前日は松前町の叔母の49日法要があったため、妻と私はこの二日間てんてこ舞いでした。特に妻は仕事を休ませてもらったもののこの二日間は、超多忙な一日に少しお疲れモードのようです。

 私は忙しそうに見えても亭主関白の特権で、相変わらず自分流を貫き、ブログを書いたり本を読んだりしていましたが、孫二人が「遊ぼう遊ぼう」と盛んにちょっかいを出してくるし、夜は夜で風呂に入れたり一緒の布団に寝るため、しょっちゅう布団から出る孫を布団の中へ引きずり込まなければならず、ウトウト寝見たいな夜を過ごしました。

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 昨日は午前中飛込みで伊方町から二人のお客さんが飛び込みのような形で人間牧場へやって来られました。顔見知りの人なので時間を割いて下灘コミュニティセンターで待ち合わせをして牧場を案内しました。失礼ながら「まあいいか」と思い、孫二人を同伴しての案内となりました。

 人間牧場も昨日は初夏の長閑な日和で満開のミカンの花の匂う中、ミツバチは忙しく飛び交っていました。昨日のお客様はトイレ、風呂、水道、ミツバチ、ツリーハウスに関心があるらしく、盛んにそのことを私に聞いていました。察するに伊方町の旧瀬戸町大江に住んでいると話していたので、私のような暮らしに近い暮らしをしているものと思われるのです。清見タンゴールのジュースを2本手土産にいただきました。孫たちはお役さんが帰った後、大好物のジュースを大事小事に持って山を下りました。

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(昨日は3号ミツバチ巣箱の掃除をしました)

 昨日は嬉しいことがありました。2年生になってもまだ鉄棒の逆上がりが苦手だった孫朋樹が、私のアドバイスを聞き入れて庭の鉄棒で練習していて、やっとそのコツが飲み込めて逆上がりができるようになったのです。逆上がりはこれまでにも何度かできたのですが、一進一退を繰り返していました。

 夕方親類の漁師さんからお魚をトロ箱いっぱいいただきました。カナガシラという煮付けにすると美味しい魚です。結局は私が1時間半もかかって鱗を取ったり、頭や内蔵を取ったりの孤軍奮闘をやり処理してしまい、近所の友人におすそ分けをしてあげました。途中で小指を少し包丁でかすり傷程度切ってしまいましたが、看護師の娘と息子がリバテープを張って処置をしてくれました。

 警察官をしている三男は今日から研修で警察学校へ入る予定なので、この春の異動後始めての帰省となり、昨晩はみんな帰りましたが、三男だけが残り今日は自宅から研修先へ向かうようです。息子や娘の家族も平凡ながらそれなりに幸せな暮らしをしています。次男と三男の結婚も気になるところですが、仕事的には不安ながら何とか暮らしているようです。

 親は幾つになっても子どものことが気になり悩みは尽きぬものだと、わが親も同じような悩みを持って暮らしていたのだろうと、少し親の苦労を思い返した一日でした。

  「忙しく 過ぎ去る日々が 幸せと 平凡過ぎる 暮らし楽しむ」

  「孫たちが じいちゃん遊ぼう ついて来る 大きくなると 離れるだろうな」

  「随分と 優しい亭主に なったもの 孫世話するわ 料理はするわ」

  「孫の声 波長が違う そのためか 何処か疲れる そんな感じが」

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○ピンチをチャンするにする言葉の魔力

 私はこれまで、人と同じように何度か人生の壁にぶち当たり、その都度失望や挫折を繰り返しながら、その壁をどうにか乗り越えてきました。振り返ればあの日あの時、自分の人生を変える勇気を与えてくれた言葉が幾つもあり、ピンチをチャンするすることができた言葉の魔力に感心しているのです。

 そんな言葉の中で極めつけは何といっても、静岡に住む北斗星人こと朝比奈博さんからいただいた、「ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水すすり 浮き沈み」という言葉です。

 私が町を二分するような町名変更大騒動の責任を取るような形で、教育委員会から産業課へ移って間もなく、私の異動を風邪の噂で聞いた朝比奈博さんは、私に一枚の色紙を贈ってくれました。「ぼうふらも・・・・」の一説は私の心を動かし、向かい風を一心に真正面から受けていた私の心がくるり180度方向転換し追い風になった瞬間でした。

 たしかに今の自分は泥水をすするようなぼうふら人生かも知れない。しかしその泥水を栄養にしていつかは人を刺すような一人前の蚊になりたいと思ったのです。今まで世間の目を気にして必死に生きていた自分がなんだかばかばかしくなり、それから4年自分でも驚くほど平常心になって、猛勉強に明け暮れたのです。とくにこの頃に読んだ本は数知れず毎日毎日読書だけは欠かしませんでした。今書棚に並ぶ本の殆どはその頃なけなしの財布から買ったものなのです。

 この言葉を思い出しながら、言葉にはピンチをチャンスにすることができるとしみじみ思うのです。今私は人間牧場で友人とともに「年輪塾」という小さな私塾を開いていますが、この2年間民俗学者宮本常一の学びで多くの言葉を学びました。そして今年から始まった二宮尊徳の学びでも多くの言葉を学んでいるのです。

 その中でも「積小為大」という言葉は、リタイアして縮もうとする自分の人生の生き方に大きな影響を与えようとしているのです。「積小為大」とは人は日々努力し速成を求めず、小事を勤めて怠らなければ、大事は必ず成就できるというのです。

 私は近頃言葉の魔力を信じるために、好きな言葉をプリンターで打ち出し、張り紙にして見えるような場所に貼り付けています。これだけで毎日の生き方が随分替わってきたように思えるのです。

 暇さえあれば歩くことを教えてくれた日野原先生の言葉も、今は私の健康の源となっています。


  「あの言葉 出会わなければ 壁越えて チャンスを掴む こともなかった」

  「人生は 言葉一つで 変わるもの 言葉の魔力 確かにあるな」

  「もう駄目と 諦めていた その時に 一つの言葉 心動きて」

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○小さな講演会は楽しかったです

 私も多い年には年間120日くらいのペースで全国各地の集会へ講演に出かけていますが、その殆どは大人家の話です。ゆえに多少どころか大いに方言で喋っても、自分の思い通りの言葉が通じるのです。ところがたまに「子どもに話して欲しい」とか、「子どもと親が一緒に聞くので」などとリクエストがあります。それでもその殆どは5年生だけ那度特定の年齢が多かったように思います。

 ところが昨日は人数こそ10人ほどで少なかったものの小学校1年生から6年生に加え親も3人加わり、誰を相手に話したらいいのか迷ってしまうような小さな集会に招かれ出かけました。昨日は4月初めに亡くなった叔母の本49日の法事が午前中あって、喪服で出かけていたため、2時からの集会へは車の中で背広に着替えての出向きとなりました。

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(レクなどで楽しい講義風景)

 金融広報委員会事務局からいただいた地図を頼りに、古川3丁目の集会所を捜し歩きましたが、いただいた地図が拡大住宅地図だったため、目印となるものが殆どなく、唯一知っている生協椿店を起点に捜し歩きました。残念ながら時間が迫る中で見つけることが出来ず、場所を聞くために入ったお店では、ことごとく分からないと断られ途方にくれましたが、偶然にもその会場を発見し15分前に到着してホッと胸を撫で下ろしました。

 解除と集会所は新築して間もない立派なもので、子どもたちが集まって漫画を描いたりボール遊びに講じていました。子ども10人大人3人の小さな集会でした。小学校1年生から6年生までの子どもたちを前に、「さて何を話そうか」と正直迷いました。でもとっさに昔取った杵柄でレクリェーションを4つか5つ導入に入れて心を解きほぐしました。

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(集会後の茶話会)

 主催者側の希望演題は「お金の話」でしたが、予定していた内容には余りこだわらずお話を進めました。熱心な子どもたちや親の姿に気がつくと、あっという間に予定の一時間が来てしまいました。お話が終わり子どもたちとお茶とジュースで茶話会をしました。子どもたちは楽しそうに色々な話をしてくれました。レクリェーションは相当気に入ってくれたようで、教えた「セリ市」というレクはみんなが熱心に練習してくれました。

 別に難しい話をした訳でもないのに、「いい集会でした」と担当してくれた「じゅんこ」お母さんから、早速お礼のメールが届きました。末尾には「また来て下さい」と書いていました。

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(皆さんと一緒に記念写真をとりました)

 私は常々「子どもに話せるようになったら一人前」と自分自身に言い聞かせています。つまり講演などに慣れれば慣れるほど難しい横文字や専門用語を使って分かり易い話を分かりにくくして、権威を出そうとするものです。子どもたちの前で「俺は何処の大学を出ている」とか、「こんな難しい話を勉強している」と言ったところで、相手の子どもたちには「馬の耳に念仏」「馬耳東風」なのです。

 その点昨日の講演会は100点満点とはいかないまでも、及第点は貰えると、ほのぼのとした気持ちで会場を後にしました。古川にキッズそしてじゅんこママさんありがとう。

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(私が帰ってから参加者たちが感想を黒板に書いたそうです)

  「用意した レジメなんて 役立たず いきなりレクで 心をほぐす」

  「子どもには どんな言葉も 通じない 不思議なことに 心通じる」

  「ああ今日も 修行をさせて いただいた 貴重経験 幾つになっても」

  「法要の 喪服を着替え 講演に 昨日一日 あっという間に」


 追伸 この写真はお世話役の方がメールで送ってくれたものです)

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〇ソラマメが届く

 田舎に暮らしていると色々な季節季節のおすそ分けが届きます。昨日も外出先から帰ると玄関にソラマメが一袋置いていました。誰からだろうと思い、自宅に一日中いる親父に聞くのですが、誰かが「食べて下さい」と持って来たことは覚えていても、「誰」だったかは聞いてもいちいち覚えていないのです。

 毎年のことゆえ察しはつくので、持参者不詳のまま早速ボールを取り出してサヤ割り中からソラマメを取り出す作業を縁側の広敷きに座ってやり始めました。聞くところによると今年は春先の天候不順や寒さが堪え、例年になくソラマメは不作のようで、ふつうは3粒以上実が入っているもの以外は外品だとか聞いているのですが、それも規格外商品として高く売れるのだそうです。わが家に届いたソラマメは3粒のも2粒のも1粒のもあってまちまちですが、袋を開けると綿毛にくるまれたグリーン色の鮮やかなソラマメが勢いよく飛び出してくるのです。

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 ソラマメの実を剥き終わった頃妻が仕事から帰ってきました。「まあ皮を剥いてくれたの、ありがとう」と屋ッしい言葉が帰ってきました。「何処からもらったの?」「分からん」「分からんのに剥いだの?」「玄関に置いていたから多分〇〇サンからだろう」と、夫婦がいい加減な会話を繰り返しました。

 妻はそれを子袋に入れて娘と息子の家へ持って行くよう勧めました。そして我が家で食べるものを早速調理し、残りは湯がいて冷凍保存しました。新鮮なソラマメは冷凍保存すると時ならぬときにソラマメの味を楽しむことが出来るので大助かりです。

 「豆は頭が良くなるし豊かな心にもなる」と妻に説明してやりました。妻は「豆と頭や豊かさとどんな関係なの?」と不思議がって問い直しましたが、すかさず私は「頭は豆偏、豊かさの下に豆がる」とジョークを言うと「なるほどなるほど」と感心をしてくれました。

 昨日の夜はソラマメの味と香りを存分に楽しみました。先日親友稲葉さんからいただいた初カツオと同じくソラマメも初夏の味がしました。豆類は少々下品な話ですが食べると通じがよく時々屁まで出るので、人の前では用心しなければなりませんが、間もなくエンドウの実も出回り、私の大好物なグリーンピースの豆ご飯が食卓に出るものと思われ、早速妻にリクエストをしておきました。

 ところで昨日食べたソラマメの差し入れ主は一体誰なのでしょうか。ソラマメはもう私のお腹で腸内一巡り、下関へ(笑い)と直行しているようです。


  「誰くれた 分からぬままに 調理して 今はいずこの あたりを旅す」

  「豆と書く 頭も豊か 全て豆 せっせ豆食べ 利口になろう」

  「ソラマメの 次はエンドウ 豆ご飯 初夏は美味しい 食欲そそる」

  「家のこと 殆どしない 私だが 豆剥き妻に 褒められました」

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〇産直市は生き残れるか

 最近近く遠くで、農協直営の産直店が「新鮮」「安価」を売りにして相次いでオープンし、話題と消費者をを集めています。それはそれとして結構な話なのですが、何年か前道の駅なるものが日本全国に流行り病のように増えた時期があり、私もそのブームに加担した一人として複雑な気持ちを禁じ得ないのです。

 道路交通網の整備が進むに連れて、かつての国鉄の駅のような機能を持った施設が欲しいと考え出されたのが路の駅構想です。休憩機能、情報機能、交流機能の3つを掲げてスタートするや、車社会を反映してかあっという間にドライバーの心を捉え、全国に広がって行ったのです。しかし当時は特産品開発が後手に回り、どの路の駅に行っても同じような商品が並び、特徴ある顔を作るのに苦労をしていたようです。

 道の駅の設置には当初行政の肝入りで第三セクター方式、つまり行政が出損金の2分の1以上を出資して設立する方式が採用され、民間活力の導入をうたい文句に華々しくスタートしたのです。しかしその経営結果は議会で報告義務を持つものの、責任の所在があいまいで赤字になると行政が穴埋めしてその場しのぎの自転車操業を繰り返し、後戻りも出来ず取り返しのつかない状態のまま議会の集中砲火を浴びて、合併の混乱もあり民営化を模索する動きがここにきて加速しているようなのです。

 そんな状態を見てか、あるいは安値や健康志向、それに農家の流通参加意識も働いて、組合員離れに歯止めをかけようと、農協は第二の道の駅と言われる産直市場を相次いでオープンさせました。農協にとっては結婚ブームに乗ったブライダル産業、高齢化社会に対応した葬祭産業や特老介護事業もそれほどの効果を上げぬまま、見切り発車のような形で産直市場を相次いでオープンさせているのです。

 しかし全てが上手く行くわけもなく、産直や地産地消を謳い文句にしたものの年中地元の農産物を並べれる訳でもなく、結果は中国産蜂蜜を並べてみたり、長野県の高原野菜がどっさり大型トラック運び込まれたりして、域の頃のためのなりふり構わぬある意味偽証が横行しているのです。

 先発の所ショッピングセンターや地元の商店街は時ならぬ産直店の影響をもろに受け、閑古鳥が鳴いて死活問題に発展している所も多いと聞くのです。

 この農協出展に右往左往しているのは農家と消費者で、価格破壊の狭間で農家には余分な労働が強いられ、消費者たる暇と小金を持ったおじさんやおばさん族が軽四自動車に乗ってわが物顔で温浴施設と産直市を渡り歩いているのです。

 この奇妙な農協と消費者の行動はこれから市民の信用を得るのかどうか、注意深く見守らねばならないような気がしています。例えば前述した蜂蜜ですが、よくよく商品を手にとって表示を見てみると「中国産」それも蜂蜜なのに水あめなどが堂々と入っているのです。あれだけの量が398円ですから、蜂蜜の味と香りを加えた水あめと言った方が正しいのかも知れないのです。

 先日オープンしたばかりの産直市では惣菜売り場には巻き寿司や稲荷寿司、から揚げまで並べられて、ショッピングセンターと何ら変わらない品揃えになって、「えっこれも産直市なの?」と目を疑うような品揃えに落胆しているのは私一人ではないと思うのです。

 行政が安易に踏み込んだ道の駅や温浴施設、農協が同じように安易に踏み込んだブライダルや葬祭施設、そして今また安易に農協が踏み込んだ産直市は、むしろ行政は市民のために、農協は組合員や消費者のために何をするべきか問いかけているようでもあるのです。

  「相次いで 産直市が オープンす 農協何を 目指しているか」

  「よく見れば 同じようなる 顔ばかり お客も品も 特徴がなく」

  「中国産 蜂蜜匂い するけれど 中身水あめ 安いはずです」

  「朝早く 起きて商品 品揃え 農家多忙で 嫁など来ぬわ」

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〇おやつは甘夏みかんの冷やしたものが美味しい

 今日はこの時期としては珍しい少し強めの北東の風が朝から吹いて肌寒く、海は久しぶりに白波が立っていました。沿岸漁業の盛んなこの町では、風が吹いたといっては休み、雨が降ったといっては休みになるので、今年のような天候不順な年は体験したことがないほど休漁日が多く、特に火曜日と土曜日が市場の都合で休漁日になっているので、今日が休みだと連休になるので、今年のような天候不順では漁に出ることもまばらで、漁師さんの悩みの種となっているようです。

 まあ私もサンデー毎日ですから漁師さんと同じようなもので、今日は朝から休みとあって、知人友人に送るために甘夏みかんの収穫をしました。この時期の甘夏みかんは珍しく、知人友人に差し上げて喜ばれていますが、今日は遠方に住んでいる知人友人にダンボール10キロ箱で10箱も箱詰めして郵便局の窓口と宅配業者に取りに来てもらって発送しました。

 そして近隣の知人友人親類へは軽四トラックに積んで自分自身で宅配しましたが、皆さん大層喜んでくれました。親しく付き合っている従兄弟などは毎日私のブログを読んでいて、ブログに書いた来週のふるさと体験塾の柴餅作りに使って欲しいと、ソラマメで作った冷凍あんこまでいただき、早速帰りに共催する教育委員会に立ち寄って手渡して喜ばれました。

 甘夏みかんが豊富にあるわが家にとっては何気ない食べ物でも、工夫をして甘夏みかんの皮や実をマーマレードに加工する人たちにとっては貴重なもので、昨日も松山から何人かの女性たちがわが家へ甘夏みかんの収穫にやって来たほどなのです。

 妻はこの時期、閑さえあればテレビを見ながら手を動かして甘夏みかんの外と中の皮を剥いて、おやつ用に実を冷蔵庫で冷やして食べさせてくれるのです。少し酸味のある甘夏みかんはビタミンC豊富な飛び切り上等のおやつで、気に入って毎日食べているのです。

 わが家ももうそろそろ自家製のマーマレードを作ろうとかと妻は話していますが、今年こそは私も手伝ってそのレシピを覚えたいと思っているところです。

 この時期、甘夏みかんの木には白い花が咲いて、黄色い実とともに初夏ならではの甘酸っぱい香りを漂わせています。

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  「甘夏の みかんもぎ取り 全国の 仲間に送る ご賞味あれと」

  「甘夏の 花と同時に 実もなりて 四国ならでは 風情を醸す」

  「無農薬 ゆえに皮毎 マーマレード 加工し食べる 田舎の暮らし」

  「わが家では おやつ代わりに 甘夏を 冷やして食べる 飛び切り美味い」

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〇早くも分かれ道に差し掛かりました

 友人の勧めで五行歌会に入会して3ヶ月が経ちました。五行歌の意味もルールも分からぬまま、種田山頭火になったような気分で自由律詩をつくり、事務局へインターネットのメールを使い、月に一回送るという簡単な作業をするだけの気安さから、五行歌なるものが気に入っています。ところが今月はゴールデンウィークもあって、ついうっかりすっかり、送るのを忘れてしまっていました。

 ある日メールに「忘れていませんか?」とメールが届きました。慌てて前回送られてきた選評を見てみると、3枚の用紙の最後に「ぬくぬく伝言板というのがあり、そこに「次回の松山歌会は(五月八日)です」と朱書きしているのです。どうやら毎回届く歌会結果の報告に添えている、見山あつこさんの達筆な手書きの添え書き手紙が気に入って、うっとりしたり嬉しくなって次回予告まで気が回らなかったようでした。

 さて先月も皆さんの五行歌は秀作が多く、「なるほどこういう見方もあるのか」と感心しながら読ませていただきました。その中でも14、「満開には ほど遠い そんな人生 わたし それでも幸せです」という作者見山あつこさんの一位の句に、五行歌の奥の深さを感じました。

 きわめつけは9、「あ り が と う」という作者堀口路傍さんの句で、一文字で一行、五文字で五行とは恐れ入りました。皆さんの五行歌を見ると発想や目の付け所がとても勉強になるのです。

 さて、恥ずかしながら私の今月の歌は、8、「親類の仏事に集まる叔父や叔母 足腰膝の三拍子 弱々しいが口だけは 前にも増して舌好調 大きな声で『ここだけ内緒」と釘を刺す」でした。☆印のついた選評では、「法事の際は、親類縁者の顔合わせの場、日ごろの無沙汰を取り戻すかのように近況報告などで話が弾みます。元気なお年寄りが内緒話と言いながら(お互い耳が遠いせいでしょうか)周囲を撣ることなく知りえた情報を大声で語り合っている光景。『筆舌』に尽くしがたい程の『毒舌』でなければその『舌好調』ぶりは、元気を証明していることでむしろ喜ぶことなのかもしれません」と書いていただきました。

 機を見て敏なり、見事に私の心の奥を見抜いて選評を書いていただきました。ふと皆さんの句と私の句を比較しながら思いました。皆さんの秀作はいずれも文字数が少ないのに表現が豊かです。それに比べ私の句はやたらと文字数が多く、「シンプル・ザ・ベスト」とは程遠いのです。「まあいいか」思うのか、「こりゃあいかん」と思うのか、早くも次に行く分かれ道にぶち当たってしまいました。

 それでもあくる日に迫った歌会用に私はインスピレーションを働かせ、駄作を作り送って終ったのです。歌会に出席せず顔の見えない欠席句をいいことに・・・・・。


  「こりゃ駄目だ 早くも次の 分かれ道 どっちへ行こう そっち危ない」

  「シンプルが いいと分かって いるものの 妙案浮かばず ゆえに駄作に」

  「凡人は 凡人なりの 句を作る 非凡求める 無理を承知で」

  「浮かんだが 直ぐに忘れて こりゃいかん 痴呆加わり 元の木阿弥」

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〇すっかり綺麗になりました

 「お父さん、そろそろだね」とは毎月私に言われる散髪のことです。短めの頭ゆえ毎日風呂に入ると必ず洗髪する私ゆえ、頭の髪の毛が少し伸びて耳にかかると煩わしく感じるのです。今回はそんなこともすっかり忘れていたら妻の方から誘いの言葉をかけられたような錯覚をしてしまいました。

 妻は私の頭のことではなく、実は菜園と自宅庭を結んだ裏山斜面の草刈のことだったのです。週末退職を機に四国遍路をやっている和歌山の弟夫婦が来ることも意識にあったのでしょうが、そういえば雑草が伸びたなあと思い、昨日は草刈に挑戦しました。

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(すっかり綺麗になった畑の裏の斜面)

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(庭裏の斜面も散髪したようです)

 人間牧場用のロートルな草刈機を持って帰り、さて始めるかと軍手、長靴、麦藁帽子のいで立ちで給油をして、いざ始動をと試みましたが。自動巻き取り機つきの紐が途端に切れてしまいました。さてどうするか、迷いましたが、納屋には同型の使わなくなった草刈機があるので、その児童巻き取り機を外し部品交換修理と相成りました。この歳になると不器用な私でもプラスのドライバー一本で部品交換くらいな簡単な修理は出来るのです。修理後試運転をしてみるとこれが何と、まるで農機具屋さんみたいにばっちりで、早速300メートル以上もある斜面の草刈に挑みました。

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(刈った草は集めて緑肥にしました)

 このところの外気温の低さで天気は晴天なのに汗をかくこともなく半日ほどで草刈り作業を終えました。その後側溝に溜まった草を熊手で集めてキャリーに入れ、家庭菜園の敷き草にするため運びました。まだ芽生えていない豆とキャベツの間の溝に満遍なく敷きましたが、結構いい感じになりました。先日太り始めたカボチャの苗の付近の草削りをして敷き藁をしたのとよく似た作業でした。

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(カボチャ畑に藁を敷き詰めました)

  「そろそろと 妻が言うから 散髪と 勘違いした 裏の草刈り」

  「今日あたり 俺の頭も 散髪を せずばなるまい 男前ゆえ」

  「草刈りを 終えて綺麗と 妻が褒め 少し嬉しい 子どもみたいに」

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〇珍花?「コンニャクの花が」咲きました

 まるで赤道直下の熱帯雨林に咲く神秘的な色合いをした花のような幻の花が、人間牧場の農場にひっそりと咲いています。と書けば、「えっ」と興味をそそられ、「そんな珍しい花だったら一目見てみたい」という人がいるかも知れません。でもその花の正体が「コンニャクの花」だと知ったら、多分誰もが「何だコンニャクの花か」と落胆するに違いないのです。

 でも私はこの歳になるまで65年間生きてきて、一度もその花を見たことがない人間にとってこの花はやはり珍花だし、紹介したいと思うのです。

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 茎にはまるでキリンの足か首のようなまだら模様があります。花は濃い小豆色です。開いた花はまるで食虫植物のような円筒形をしていて、襟巻きのようになっている上から花の中を覗くと、紫色の鮮やかな模様があってとても綺麗です。まるで貴婦人のようだと思ってその香りを楽しむため、花に鼻を近づけるとその匂いにがっかりします。コンニャク芋に咲いた花だから、「ひょっとしたらコンニャクの匂いがするかも」と予想しましたが、その匂いは紛れもなくコンニャクの少し灰汁どい匂いがして、落胆してしまいました。

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 それにしても珍しい花です。本当は2年生の芋を植えて5年目の昨年収穫し、コンニャクを作る計画だったのに忙しくてそれも出来ず、結局は花が咲いて短い5年の生涯を終えるのだと聞いて、ある意味がっかりしていましたが、この花を見ることが出来てそれもいい経験だったと思っているのです。

 後10日後の22日までこの花が持つかどうかは分かりませんが、この人間牧場で開かれる双海町子どもふるさと体験塾にやって来る35人の子どもたちやスタッフに見せてあげたいと思っています。ご希望の方は人間牧場へお越し下さい。


  「牧場に 何とも神秘 花が咲く 鼻を近づけ 匂い落胆」

  「立ち姿 熱帯雨林の 花のよう 何とも不思議 見飽きもせずに」

  「コンニャクを 食べそこねたる ゆえに咲く 鼻もまた良し 自分納得」

  「子どもにも 見せてやりたい この花を それまで枯れず 持つのかどうか」

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〇芋つる植えのための準備作業

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(中耕前の畑)

 前二日間とは打って変わって、今日は朝から上天気です。しかし寒気の影響でしょうか、吹く風は肌に冷たく感じられましたが、畑での作業は汗もでず格好の農作業日和となりました。今日は10日ほど後に迫った芋つる植えの準備作業を、教育委員会の松原、赤石両主事さんと一緒に行いました。農作業に手馴れた木曽さんが春先の異動で本庁へ転勤になり、松原さんと赤石さんが中心になって今年度の双海町こども教室ふるさと体験塾を取り仕切るのです。

 私はその実行委員長をしていることもあって、春先から土作りや苗床作り、それに種芋伏せなどを行ってきましたが、残念ながら春先の異常気象に翻弄されて芋つるの生育が悪く、このままではつるを買わねば足らないようですが、まあこれも仕方がないことと諦めています。

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 幸いなことに松原主事さんは中山町の農家の長男なので、今日も自分の家の耕運機をトラックに積んでやって来てくれました。そんなに広くもない畑でも人力で草取りや耕すのは容易なことではないと思っていただけに大助かりで、1時間もすれば中耕した畑が出来上がりました。この畑で芋を作るのは早くも5年目です。最初の年に猪に全部を食べられた苦い経験も過去のものとなり、今では立派な芋が秋には収穫できるのです。

 人間牧場の芋畑は急峻な地形の畑なので、耕運機を下ろしたり上げたりするのにかなり注意を要します。怪我でもしたら大変なので注意を払ってやりました。松原さんは手馴れていますが、斜面の足元が悪いため勢い余って下の畑まで落っこちてしまいました。幸い私と赤石さんがロープを引き、松原さんの運転で元の場所へ上手くあげることができてホッとしました。わが農園にも大洲の亀本さんからいただいた耕運機があるのですが、残念ながら故障中なので、早急に修理に出したいと思っています。

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(中耕後の畑)

 人間牧場の隅の木に柴餅用に使うサンキラという植物の葉っぱを見つけました。日ごろは妹が経営する海産物屋で売っている蒸しパンの下に敷いて使うので、一昨年あたりから時々収穫して手助けをしているのですが、できれば22日の芋つる植え作業の時に柴餅でも作って、子どもたちに食べさせると喜ぶかも知れないなどと、3人で話し、出来るかどうか検討することにしました。

 季節は巡り、人間牧場も5年目の初夏を迎えようとしています。ミツバチも元気、遅れていた農作業もひとまず追いつき、草も第一回目は全て刈り終わりました。順調に行けば今月末には梅の実の収穫もやって来ます。また寒さで遅れていた蕗も大きく伸びて収穫の時を迎えています。残念ながら今年はお茶の葉の摘み取りと製茶はまだ手付かずのままです。何とかと思いつつ忙しくなった予定表を見ながらため息をついているこのごろです。


  「下準備 畑耕す 耕運機 十人力の 強さを発揮」

  「十日後を 目当て算段 するものの 肝心のつる 未だに伸びず」

  「手馴れてる さすが農家の 長男は 段取り良くて 作業スムーズ」

  「世の中は 色々あるが つじつまが 合うよう出来て いると感心」

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