shin-1さんの日記

○読書好きな仲間が目敏く私の記事を見つけました

 昨日は友人が次長に昇格したので、ささやかな祝賀会を催しました。新しく次長職になった友人は若い頃から部類の勉強家で、特に本をよく読む人なのです。彼の影響もあって私も若い頃から読書をこなしてきましたが、読書好きな友人から比べると物の比ではないのです。これまでにも読書を通した議論をやったり、読み終わった本を譲ってもらったりしました。また時にはFAXで大事な頁をコピーして送っていただきました。

 昨日はお酒が進んだ頃その友人が一枚のペーパーを大事小事にカバンの中から取り出して、私にプレゼントしてくれました。

若松進一ブログ

 見れば出版会社行政が発刊している行政マン向けのガバナンスという雑誌に載った記事でした。総務省地域力創造審議官椎川忍さんが「地域おこしのヒント」という欄に、「地域力は地域資源と人間力」というタイトルで書いたコラムで、何と驚いたことに私のことが書かれているのです。


 地域活性化とか人口・経済の集積といったアウトプットの源泉となるもの、つまり地域おこしに必要な「地域力」を成功事例から抽出してみると、結局は地域に昔からある資源とそれを活用する「人間力」だということがわかります。

 ●沈む夕日がたちどまる町

   ~愛媛県伊予市(旧双海町)(若松進一さん)

 観光カリスマとして知られる若松さんは、かつて過疎、高齢化、地盤沈下に悩む自分の町を「しずむ夕日がたちどまるまち」として全国に売り出しました。役場職員の頃から、みるべき資源はきれいな海に沈む夕日しかないと確信、あとは自分の家につくった「煙会所」で熱く語り合う人づくり、そして小さな成功を積み重ねることによる住民参加のまちづくりをこころざして見事に成功しました。

   ~中略~

 ●人間力は単なる人材力の足し算ではない

   地域の人間力=(能力×やる気)

 これらの成功例から、地域おこしに一番大切なのは「人間力」であり、またそれを内と外に向かって結集する「つながり力」であることがわかります。私は、地域おこしに必要な「人間力」は一人ひとりの能力とやる気をかけ算して足し合わせたものと考えています。仮に、能力は0~100、やる気はマイナス100~+100として計算するとよくわかると思います。地域にとって一番やっかいなのは、能力があるのにやる気がなく人の足を引っ張る人です。逆に、皆がやる気を持ってどんなに小さな力であっても、それを終結する全員野球型の地域おこしに成功例が多いようです。


 本人から言わせれば少し褒め過ぎの感があり、赤面しきりですが、まあ総務省の偉い人が褒めてくれているので、甘んじてこの文章を自分のブログに記録として残すべく、スキャンして掲載しました。小さな町の小さな挑戦も、今にして思えば椎川さんのご指摘どおりの結果を生んで今に継続しているのですから嬉しい限りです。

 人は見果てぬ夢を見るものです。そしてその夢を司馬遼太郎の「坂の上の雲」流にいえば、一朶の雲としてそれのみを見つめて坂を昇ったから掴んだのかも知れないのです。椎川忍さん、地域のささやかな活動にスポットを当てていただいてありがとうございました。


  「ガバナンス 五月の号に 俺のこと 書かれ赤面 嬉し恥ずかし」

  「雑誌記事 切り抜き持参 友感謝 読書能力 敬服しきり」

  「地域力 人間力の 言葉見て 上手い表現 俺には出来ぬ」

  「表から 消えた男に さりげなく エールを送る 東京の人」  


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shin-1さんの日記

○昨日は双海~松山間を3往復しました

 昨日は双海と松山を3往復するなど、とにかく忙しい一日となりました。そもそもその忙しさの大本は、親父の県立中央病院での検査が入ったからでした。2週間前に脱腸のような症状が出て、病院へ連れて行って欲しいと言うので連れて行き、血液検査などのこまごました検査はその日に済ませましたが、エコーとCT検査は日を改めてというはなしになったのです。検査の時間を優先するため、私のダブってしまった午後の会議を無理を言って相手に午前中に変えてもら急に忙しくなってしまったのです。

若松進一ブログ
(えひめ地域政策研究センターが入居した愛媛県商工会連合会のビル)

 私に合わせてもらった午前中はえひめ地域政策研究センターの会議は8時30分からなので、朝の通勤ラッシュに巻き込まれないよう少し早めに家を出ました。今年の3月からセンターはJR松山駅近くの宮田町にある愛媛県商工会連合会の3階に移転したため、これまでリズム的にセンターへ立ち寄る機会が大幅に減ってしまいました。もっともそれは私がセンターに事務局をおいて拠点に活動している、えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を降りたからでもあるのですが、仕事やついでに立ち寄り事は大幅に減ったような気もするのです。

 午前8時30分から始まった審査会は2時間ほどで程なく10時前には終わりました。急いで双海まで引き返し、軽い昼食をした後休む間もなく今度は親父を連れて病院へ直行しました。親父は検査のため昼食を抜いているため、何処となく弱々しく感じました。

 県立中央病院は老朽化と最新の医療施設へ変身するため立替作業の真っ最中で、周辺はこれまでと一変し何となく慌しさが伝わって、患者さんの中には駐車場や受付などで迷っておられる方を多数見かけましたが、私たちは10日ほど前に親父の初診で来ていたためスムースに指定された時間に検査会場へ入りました。

 まず78番の窓口でエコー検査です。耳の遠い親父は検査技師の小さな声が聞こえないらしく不満を漏らしていたので、検査技師さんにその旨を伝え、私はロビーで待機しましたが、検査による極度の緊張で親父は多少トラぶっているようにも見えました。エコーが終わると107番受付で55番のCT検査に回されました。ここでは撮影のために造影剤を飲まなければならないため、まれにあるあれる儀反応事故に対応して本人と保証人の同意書の作成提出を求められました。やがて親父は検査衣に着替えさせられて造影剤を注射されCT検査室へ入って行きました。ここでも検査技師の女性の方に高齢で耳が遠いことを告げていたため、中の大きな声の会話が概略外まで聞こえてきました。親父は二つの検査を終えて意気消沈、本当に病人になったような雰囲気でした。


 次回の検査結果説明会の予定の書き込まれた会計処理伝用をもらい、病院を出たのは3時過ぎでした。急いで自宅へ引き返し、親父を降ろして夕方五時過ぎ再び松山を目指しました。夢工房のメンバーである知人が春の人事異動で次長(地方局の部長)に昇格したため、ささやかな少人数の祝う会を、長年行きつけの四十雀という居酒屋で行いました。宇和島周辺の4人に私と次長さんが集まり、6人だけのこじんまりとした呑み会でしたが、飲むほどに大口を叩くボルテージの高さは相変わらずで、久しぶりに旧交を温めることができました。

 遠来の客の帰宅時間も、更には私のあくる日の予定もあるので2時間余りで切り上げ、私の車で次長さんを自宅近くまで送り、わが家へは9時過ぎに到着し、3度の忙しい松山通いはひとまず終わりました。車に乗れるからできる離れ業に感心しながら、昨日一日を振り返りましたが、忙しくも充実したいい一日となったようです。

若松進一ブログ

(ささやかな仲間の昇進祝い)

  「近そうで 遠い松山 三回も 往復少し 疲れ感じる」

  「車とは 便利なものと 改めて しみじみ思う 忙し一日」

  「友出世 俺にゃ無縁の 階段を 一朶の雲を 見つめて昇る」

  「病院へ 行けば必ず 病人に なった顔なる 老いた父親」

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