shin-1さんの日記

○親父が小さく見える

 親父を連れて病院へ診察に行く度に、「たらちねの 母が吊たる・・・・」という句を思い出します。親父を背負わないため「軽さの余りに・・・」は実感しませんが、あれほど気丈夫だった親父の歩く姿や耳が遠くなった姿を見て、何だか近頃小さくなったような気がするのです。と同時に老いのせつなさをしみじみ感じるようになりました。

 私が親父を意識したのは小学校の低学年ごろだったように思います。その頃の親父はとにかく元気で、何かにつけて活気がみなぎっていました。漁師をして船に乗り鯛網をやっていましたが、毎年漁村で1~2を争う漁獲高を揚げ、腕利きは漁村の評判になっていました。

 戦争で出征し中国大陸で傷痍軍人になったものの、終戦後は何とか持ち直していた元気な親父がガンにかかりダウンしたのは47歳ころでした。県外出漁で伊豆半島や三宅島までも行くような親父は、顔頬にガンができ生死の境を這い回るような大手術を受けました。再発を恐れたその後の暮らしは、想像をはるかに超えるものでしたが、幸い一命をとりとめ後を継いで漁師になった私が、病気で転職した不運もあって漁師に復帰、母と一緒に夫婦船宜しきを70歳まで続けて第一線を退き、10年前母が亡くなるまで穏やかな暮らしを営んでいました。母亡き後も気丈に元気に生きて、家のこまごまを随分手助けしてくれていましたが、今度の脱腸騒動で、随分体力・気力とも減退したように見えるのです。

 親父は子どもの前に立ち手を引っ張って生きてきました。やがて私が独り立ちしてからはむしろ後押しに徹して今日まで生きてきました。九十の峠を越えた今はむしろ私が親父の手を引き、親父の後ろを押してやらなければならなくなりました。悲しいかな老いとはそのようなものだと親父の最近の姿を見ながら実感しているのです。

 気のせいではなくそれは本当の姿かも知れませんが、最近親父の姿が小さく見えるようになりました。私が大きくなった訳でもないので、それは虚像ではなく実像なのです。親父には世話になったと、若い頃親父に反感反目して生きてきた対立の構図が崩れた今しみじみ思うのです。

 あと何年生きるか分かりませんが、生きている間はしっかりと親孝行の真似事をしたいと、自分自身の肝に銘じるこのごろです。


  「強かった 親父近頃 何処となく 小さく見える そんな気がする」

  「生きている 間はせめて 親孝行 したいと思う 素直な自分」

  「子を持ちて 親の気持ちが 少しだけ 分かったような 気付きの遅さ」

  「何年か 後には俺も あのように 小さくなるか 行く道寂し」

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shin-1さんの日記

○病院へ行って病気になったような気分です

 今月始めに下腹部が痛いと訴え始めた91歳の親父を連れて、病院通いを始めていますが、病院は病気を治すところと思いきや、脱腸と診断されて手術をするための検査が色々あって、親父は病院へ行く度に苦悩の色が深くなり、むしろイライラ病のようになりつつあるようです。

 漁師をしていたこともあって昔から竹を割ったような性格で、ゼロか百かみたいなところがあって、待ったり待たされることが嫌いな性分はこの歳になっても一向に直らず、待たすことが常識の病院では、付き添いの私さえも冷静になるどころか、親父と同じように少しイライラが募りました。

 昨日は過去三回の検査結果を元に主治医の説明が午後3時から行われるというので、出かけることにしました。自宅から県病院までは40分もあれば行けるので、「午後2時に出よう」と親父と約束していましたが、病院へ行くことが気になる親父は午後1時30分には支度ができて、「遅れたら大変だから早く行こう」と車の近くまでやってきて私をせかすのです。そんなこともあって途中のガソリンスタンドで給油をしたり、ゆっくり走ることを心がけても30分前には病院へ着きました。(30分待ち)

 県立中央病院は立替工事が始まっていて駐車場も狭く、駐車場から受付まではかなりの距離があって歩かなければならず、脱腸が痛むのか少ししんどい様子でした。受付を済ませ内科外科のロビーで予約時間の午後3時まで待ちました。(30分待ち)

 しかし診察室からは一向に連絡がなくそれから20分も何の連絡もなく待っていると、クラークさんが「若松進さん中へどうぞ」と通されました。先生はこれまでの検査結果を踏まえて色々な話をされましたが、CT検査で前立腺に五問が生じたので、「これから泌尿器科へ行って診察しなさい」と言われました。ここで終わりだと思っていた親父を連れて2階の泌尿器科へ行くと今度は、「尿の検査をしてきてください」と看護婦に言われ、エレベーターで一階へ逆戻りして検査場で尿を取り再び泌尿器かで問診表の書き込みや診察を受けました。泌尿器科の先生が優しい人だったので幾分救われましたが、再び血液検査に回されここでもあれやこれやと待たされました。(20分待ち)

 内科外科のロビーで総合所見を聞くまで、それから20分待たされました。(20分待ち)

 6月25日の午後手術をするということが決定し、24日には入院するよう色々な説明があったのはそれから20分後でした。(20分待ち)。(○○待ち)を全て加えると何と病院内で2時間も待った計算になるのです。6月8日には麻酔の検査をするために日ごろ飲んでいる薬を持参して再び通院という予約まで入るおまけ付きに、書類を受付に渡して「帰ってもよろしい」とお墨付きをいただいたのが午後6時前でした。

 憔悴しきった親父を見て、病院へ行くことで病気になるような感じがして、私も憔悴しきりで疲れた一日となりました。


  「病院は 病気治すと 思いきや イライラ募り まるで病気に」

  「疲れたな 親父すっかり しょげ込んで これから先が 思いやられる」

  「病院で たらい回しの 検査して やっと手術の ひなちが見える」

  「病院は 行きたくないと 思うけど 仕方がないか 親子一緒に」

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