shin-1さんの日記

○今朝も少しながら報徳釧を読みました

 年輪塾を開塾して2年余りが経ちました。民俗学者宮本常一の全てを悟れぬままつまみ食いのような格好で、次のテーマである二宮尊徳に軸足を移していますが、塾頭清水和繁さんからメールで送られてくる資料に一日一回は目を通すよう自分に言い聞かせているものの、日々の雑事に追われてこれさえも意思半ばといったところです。それでも本屋に行けば二宮尊徳の本を手にとって立ち読みしたりするのですから、やはり心のどこかに二宮尊徳が潜在意識として存在することはありがたいことなのです。

 二宮尊徳の本を読んでいて、根本的な考えを報徳釧に見つけました。

  父母の根元は天地の令命に在り

  身体の根元は父母の生育に在り

  子孫の相続は夫婦の丹精に在り

  父母の富貴は祖先の謹功に在り

  吾身の富貴は父母の積善に在り

  子孫の富貴は自己の勤労に在り

  身命の長養は衣食住の三に在り

  衣食住の三は田畑と山林に在り

  田畑と山林は人民の勤耕に在り

  今年の衣食は昨年の産業に在り

  来年の衣食は今年の艱難に在り

  年年歳歳に報徳を忘る可からず

若松進一ブログ

 尊徳翁の根本精神は、天地自然をはじめとして、父母、祖先、夫婦、子孫の恩恵にあずかっているか、計り知れないものがあります。ましてや生存の三大原則である衣食住にかかわる田畑と山林、それに従事している人民の勤労やそれを束ねている産業社会の恩恵は計り知れないのです。

 私たちはその意味では「生かされて生きている」のです。教育者森信三やイギリスのサッチャー元首相に大きな影響を与えた二宮尊徳の教えは、読めば読むほど深く、凡人の私には到底真似のできない生きた教えなのです。でも万分の一でも教えに近づけるよう、日々精進したいと今日も僅か数ページを読み解きました。


  「今朝も読む 報徳訓の 一節を 清し気持ちで 今日を迎える」

  「生かされて 生きてることも 気付かずに 己がことだけ 考え愚か」

  「手を合わせ 感謝の気持ち 懇ろに 今日も一日 生かされ生きる」

  「知ってても 行いなくば 意味なさず 一日一つ それで十分」

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shin-1さんの日記

○気になるミツバチの巣箱の中の様子

 蜜蜂を飼い始めて1年半が経ちました。寝ても冷めてもとまでは行かないまでも気がつけば、サンデー毎日の自分の日常生活の中に蜜蜂の存在を意識するほど身近なものになっているようです。一年目の昨年は人間牧場に4個設置した巣箱も、高知県馬路村の木下彰二さんと愛媛県西予市野村町の蜜蜂師匠井上登さんの計らいで、自宅の裏に2個増設したため、蜜蜂の観察が寄り身近なものとなったため、朝な夕な観察を続けているのです。増設した2個のうち1個ははキンリョウヘンという蜜蜂が好む日本ランのお陰で、設置した明くる日直ぐに入居を果たしましたが、もう1個は未だ分蜂を確認できず空き家のままなのです。

 井上登師匠直伝の、巣箱掃除の際デジカメを巣箱の下に差し込んで巣箱の中の様子を観察するという、思い切った作戦もすっかり馴れて、一昨日は人間牧場の今年5月始めに入居した新しい巣箱の中を、掃除がてらデジカメで覗いてみました。

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 分蜂入居間もない5月4日に撮影した下の写真2枚をフィルムフォルダから取り出して比較してみましたが、この25日間で巣の大きさはそんなに変化は見られませんが、働き蜂が群がるだけだった巣の内部に、黄色い成長する巣の様子が見えて、まあ何とか初期段階を超えたようなのです。

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 デジカメの撮影は下のゴミ受け台をそろりと引き抜き、デジカメを差し込んでフラッシュを焚いて撮影するため、鉢にストレスをためることになるので慎重に行っています。もしフラッシュに蜂が驚き攻撃されたり、入居を諦めて引越しされるようだと元もこもなくなるからです。

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 先日巣箱の入り口で面白いものを見つけました。5百円玉大の大きさの白い蜜蜂の巣が落ちているのです。察するに分蜂の時の遺物ではないかと思われるのですが、この白い物体が一体何を意味するのか分からぬまま持ち帰り、書斎の机の上にお守り代わりに置いているのです。

 まあ何はともあれ5つの巣箱の中では蜜蜂の営みがしっかりと続いているようで、蜜蜂に余り刺激を与えない程度に、蜂蜜を採集することを楽しみに、これからも観察を続けて行きたいと思っています。


  「順調に すこぶる順調 蜂たちは 日がな一日 蜜を集めて」

  「デジカメの お陰で内部 ばっちりと 記録にとどめ 前と比較が」

  「また一つ 新たな疑問 投げかける 蜂の不思議に 首をかしげて」

  「蜜蜂が ペットのようだと 苦笑い 今年は刺され ないようするぞ」


 

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○海岸にお花畑ができました

 昨日はいつもお世話になっている漁協女性部の人たちに、人間牧場の蕗畑で蕗を収穫してかなり大きな一束を持って行き喜ばれました。わが家で差し上げれるものといえば冬の大根、初夏の甘夏みかんと蕗、それに梅の実くらいなものなのです。

 このごろの蕗は春の成長がやっと止まったかなりしっかりと丸々太った茎なので、佃煮作りには最適なようです。久しぶりにじゃこ天のお店を訪ねましたが、みんな元気に笑顔で働いているようで安心をしました。

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 帰り際シーサイド公園に隣接する灘町海岸の砂浜に綺麗な黄色い花がいっぱい咲いているのを見つけました。この花は何年か前少し種を蒔いたのが自然発生的にどんどん増えて、毎年この時期になると綺麗な花を咲かせるのです。

 この花の名前はキンケイソウです。外国からやって来た帰化植物なのですが、今は国道沿いのあちこちに種をこぼして咲いています。目の冷めるような黄色い花が特徴で、菜の花の黄色よりさらに濃い山吹色とも黄金色とも表現できるほどの派手さなのです。

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 砂浜の白や海の青、空の青をバックに咲く綺麗な花に見とれて写真を撮っていると、顔見知りの人が何人か声をかけてくれました。「綺麗ですね」「若松さんが作ったのですか」「また何か新しいことを考えているのですか」などという言葉に返事をしながら、いつの間にか花見の輪が広がっていました。

 元々この花は国道などの工事が終わった法面に種子吹きつけしたものが始まりのようなのですが、何処にでもはびこるたしたたかな花なので、用心をしないとそれこそセイタカアワダチソウのように、雑草となって人に迷惑をかけることになる恐れがあるのです。

 いやあそれにしても綺麗な花の群生で見事でした。


  「花が好き 思わず見とれ キンケイソウ 帰化植物は 用心せねば」

  「砂浜は 今が盛りと 咲く花で 黄色にジュータン 敷き詰めたよう」

  「砂は白 海空青に 花黄色 赤い半そで 子ども戯れ」

  「この花を 何か活用 できないか 人も自分も 何かを期待」

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shin-1さんの日記

○カギみざわ(カギ棒)を作りました

 やっと今年の天気も安定し始めて、すっかり初夏の陽気です。新聞のあちこちにはホタルの話題とともに七折梅の収穫が始まったと報じていました。「そうかもうそんな時期か」と、保存している昨年の冊子カレンダーを捲ってみると、5月29日に「梅取り作業」と書いているのです。一昨年は6月3日、2年前は6月4日ですから、わが家の年中行事「梅取り作業」はもうそろそろなのです。

 わが家には農家でもないのに人間牧場に梅の古木が11本も植わっている梅林があります。選定作業はまったくしない伸び放題の梅の木には毎年まめに実がなって、わが家の梅干と梅酒(梅ジュース)のげんさんちとなっているのです。

 人間牧場を造ってからはこまめに草刈作業をしているため梅林はいたって年中綺麗で、施肥も消毒もまったくしないのに何故か綺麗な梅が収穫できるのです。

 梅取り作業は私の楽しみの一つなのですが、厄介なこともあります。それは梅の木が棘で覆われているため、梅の収穫は体中が引っ掛け傷だらけになるということです。ゆえに妻にも子どもにも手伝ってもらうことができず、結局は退職してからはずっと私一人で苦笑いしながら楽しんで収穫をしているのです。

 今年は遅くまで寒かったため少し季節が遅れていると実感していますが、昨日人間牧場に行って梅の実のなり具合を見ましたが、もうそろそろ収穫してもよい時期だと思いました。わが家の梅は裏年、つまり収穫量が少ない年回りのようですが、和歌山県などは寒暖の激しい天候の冷害にあってかなりダメージを受けたとニュースで話しているようなので、まあそれも仕方ないかと思いつつ、収穫を何時にするか決めかねているのです。例年通りだと天気の良さそうなのでもうそろそろ収穫したいと思っています。

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 昨日は親父の手助けを得て梅収穫用の「カギみざわ」を作りました。「カギみざわ」はここら辺の漁師言葉で、鍵のついた引っ掛け棒のことです。手の届かない高い場所になっている梅の実を収穫するには、この引っ掛け棒で枝をしならせて梅の実をもぎ取るのです。

 山から切り出した腕首ほどの桧の木の皮を剥ぎ、鉋で軽くて使い勝手いいように削って行くのです。普通はこんな仕事は親父の造作のない仕事なのですが、脱腸の手術を控えているため無理ができず、親父からみれば不器用な私が鉋をかけました。何とかなるもので自分でも「俺はこんなに器用だったのか」と思うほど綺麗に鉋を掛けることができました。

 カギは倉庫の中にしまっていたステンレス製の棒を切って曲げてとぎらせ、ボール版で木に穴を開けて金槌で打ち込み、最後はステンレスの針金で固定して出来上がりました。今年の梅の収穫はホームセンターで買い求めた針金の吊るし棒とともにこのカギみざわが効果を発揮してくれるものと期待しています。

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  「桧棒 鉋で削り 化粧して カギを打ち込み 一丁上がり」

  「さあこれで 梅取りみざわ 道具など 整い心 戦闘モードに」

  「憂鬱は 棘の梅の木 登ること 生傷絶えず それも覚悟で」

  「さて今年 収穫量は いかほどか 梅干梅酒 作る準備も」

  「

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○伯方島のふるさと歴史公園

 伯方島といえばどうしても行きたかった場所があります。それは今治から弓削島を目指す高速船の中からいつも眺める小高い丘の上にあるお城です。多分村上水軍ゆかりの中世の城郭を摸写して造った資料館か展望台だろうと思って下から上を眺めて、「いつかは訪ねたい」と思っていました。

 昨日は都合の良いことに講演会が午後2時からで、息子との面会も終わったので見覚えのある木浦の船着場の道を通って車で坂道を登って行きました。季節は初夏といいながら少し肌寒さを感じながら頂上付近の駐車場に車を止め、城郭風の門をくぐりました。

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 くぐるといきなり、正面には城郭が、そして横には造船所が寄付をしたと思われる大きな4枚羽根の真鋳のスクリューが展示されていました。

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 看板にはふるさと歴史公園城門の故事来歴が書かれていました。木浦城は中世前期の城跡らしいのです。

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 注意書きに従ってスリッパに履き替えお城の中へ入りましたが、声をかけたものの人影も返事もなく、「入場料無料」と書いていたので早速中の展示品を見学させてもらいました。縄文土器や武具甲冑、民具、塩田資料、海運資料などまあ無造作ながら沢山の展示品があり、「これを無料で見せるとは」と内心思いましたが、いい資料が沢山ありました。

 撮影禁止の看板も見当たらないので何枚か写真に収めました。

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 私が特に興味を引かれたのは古い塩田の写真でした。流下式塩田は天気率のよい瀬戸内で昔は何処にでも見られた光景でした。しかしイオン交換樹脂膜法という化学が発明されてからは衰退の一途をたどり、塩田は埋め立て転用されされたり車えび養殖場に生まれ変わったのです。重労働ながらも長閑な塩田の作業風景は、まるで東南アジアの様子のようでもありました。潮を運ぶカマスに紛れ込んで北海道からやって来たであろう塩田跡に生えたアッケシ草も今では絶滅しているそうです。

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 ふるさと歴史公園からの眺望はまるで描かれた絵を見ているような光景でした。


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  「見上げつつ 一度見たいと 思ってた 念願叶い 一人見学」

  「『今日は』 声をかけれど 返事なく 勝手に入り そこら見学」

  「無料です 書いた貼り紙 疑りて みたくなるほど 立派な資料」

  「中世の 侍たちも 同じよな 風景見てた 何を思って」

  

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○浜昼顔の咲く美しい砂浜

 昨日はしまなみグリーンツーリズム研究会の総会が今治市伯方島であり、記念講演を頼まれて出かけて行きました。伯方島は尾道や福山へ行くしまなみ海道の途中にありますが、日ごろは縁のない地域なので通過することが多いようです。しかし今年の春警察官をしている三男がこの島に転勤したため、俄然身近な島になってきました。加えて会場となった今治市役所伯方支所は警察署と目と鼻の先にあるため、妻は息子に処へ差し入れをするべく荷物をまとめ、昼休みなら面会もできるだろうと、少し早めに伯方入りしました。

 来島海峡大橋や伯方大橋を渡り伯方島インターで降り、道の駅と隣接する博多文化会館に友人を訪ねました。友人は体調を崩していて最近やっと元気になって職場復帰したと風の便りに聞いていて、人事ながら気にしていたのです。友人はあいにく留守でした。居合わせた女性の事務職員に名刺を渡し、訪ねて来たことを告げ、道の駅や周辺を散策しました。

 この日は間もなく入梅するというのに少し肌寒いような天気でしたが海も穏やかで、海水浴場はまだシーズン前とあって人影もなく散閑としていましたが、橋を通る度に見え隠れする綺麗なビーチは掃除も行き届いていました。砂浜には自然に生えたのであろう浜昼顔の花が無数に咲き誇り、心を和ませてくれました。

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(遠く近くに伯方島大橋が見える絵になるビーチ)
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(砂浜も渚もとても綺麗で水が透き通っていました。向うに見えるのが左文化会館、右道の駅です)
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(淡いピンクの花を咲かせている野生の浜昼顔)
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(ビーチに突き出た突堤)
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(山肌を削っているのは特産大島石の採掘現場)

 昼休みになったのでビーチを後にして、橋の下をくぐる県道を通って警察署に向かいました。携帯電話で連絡しましたが息子は会議中のようで連絡が取れませんでした。でも暫らくすると連絡が取れ、警察署の前庭で荷物を渡し立ち話で近況を聞く程度であっさり分かれました。昼飯でも一緒にとか思っていましたが、妻からの伝言も言わぬまま、男の子はこんな淡白なものかと多少気になりながら多少後ろ髪を引かれる思いでした。

 息子も異郷の地で約2ヶ月、忙しい職務をこなしているのだろうと思いましたが、まあ何とか乗り切ってくれるだろうと荷物を抱え署内へ消える息子を見送り警察署を後にしました。


  「久方に 訪ねし友は 席空きで 名刺渡して 伝言頼む」

  「砂浜に 浜昼顔の 花が咲く 心和みて 思わずカメラ」

  「橋渡る 車頭上を 通るけど 通過するだけ 人もまばらで」

  「瀬戸内の 長閑風景 飽きもせず ベンチ座りて しばし慰む」 

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shin-1さんの日記

○親父が小さく見える

 親父を連れて病院へ診察に行く度に、「たらちねの 母が吊たる・・・・」という句を思い出します。親父を背負わないため「軽さの余りに・・・」は実感しませんが、あれほど気丈夫だった親父の歩く姿や耳が遠くなった姿を見て、何だか近頃小さくなったような気がするのです。と同時に老いのせつなさをしみじみ感じるようになりました。

 私が親父を意識したのは小学校の低学年ごろだったように思います。その頃の親父はとにかく元気で、何かにつけて活気がみなぎっていました。漁師をして船に乗り鯛網をやっていましたが、毎年漁村で1~2を争う漁獲高を揚げ、腕利きは漁村の評判になっていました。

 戦争で出征し中国大陸で傷痍軍人になったものの、終戦後は何とか持ち直していた元気な親父がガンにかかりダウンしたのは47歳ころでした。県外出漁で伊豆半島や三宅島までも行くような親父は、顔頬にガンができ生死の境を這い回るような大手術を受けました。再発を恐れたその後の暮らしは、想像をはるかに超えるものでしたが、幸い一命をとりとめ後を継いで漁師になった私が、病気で転職した不運もあって漁師に復帰、母と一緒に夫婦船宜しきを70歳まで続けて第一線を退き、10年前母が亡くなるまで穏やかな暮らしを営んでいました。母亡き後も気丈に元気に生きて、家のこまごまを随分手助けしてくれていましたが、今度の脱腸騒動で、随分体力・気力とも減退したように見えるのです。

 親父は子どもの前に立ち手を引っ張って生きてきました。やがて私が独り立ちしてからはむしろ後押しに徹して今日まで生きてきました。九十の峠を越えた今はむしろ私が親父の手を引き、親父の後ろを押してやらなければならなくなりました。悲しいかな老いとはそのようなものだと親父の最近の姿を見ながら実感しているのです。

 気のせいではなくそれは本当の姿かも知れませんが、最近親父の姿が小さく見えるようになりました。私が大きくなった訳でもないので、それは虚像ではなく実像なのです。親父には世話になったと、若い頃親父に反感反目して生きてきた対立の構図が崩れた今しみじみ思うのです。

 あと何年生きるか分かりませんが、生きている間はしっかりと親孝行の真似事をしたいと、自分自身の肝に銘じるこのごろです。


  「強かった 親父近頃 何処となく 小さく見える そんな気がする」

  「生きている 間はせめて 親孝行 したいと思う 素直な自分」

  「子を持ちて 親の気持ちが 少しだけ 分かったような 気付きの遅さ」

  「何年か 後には俺も あのように 小さくなるか 行く道寂し」

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shin-1さんの日記

○病院へ行って病気になったような気分です

 今月始めに下腹部が痛いと訴え始めた91歳の親父を連れて、病院通いを始めていますが、病院は病気を治すところと思いきや、脱腸と診断されて手術をするための検査が色々あって、親父は病院へ行く度に苦悩の色が深くなり、むしろイライラ病のようになりつつあるようです。

 漁師をしていたこともあって昔から竹を割ったような性格で、ゼロか百かみたいなところがあって、待ったり待たされることが嫌いな性分はこの歳になっても一向に直らず、待たすことが常識の病院では、付き添いの私さえも冷静になるどころか、親父と同じように少しイライラが募りました。

 昨日は過去三回の検査結果を元に主治医の説明が午後3時から行われるというので、出かけることにしました。自宅から県病院までは40分もあれば行けるので、「午後2時に出よう」と親父と約束していましたが、病院へ行くことが気になる親父は午後1時30分には支度ができて、「遅れたら大変だから早く行こう」と車の近くまでやってきて私をせかすのです。そんなこともあって途中のガソリンスタンドで給油をしたり、ゆっくり走ることを心がけても30分前には病院へ着きました。(30分待ち)

 県立中央病院は立替工事が始まっていて駐車場も狭く、駐車場から受付まではかなりの距離があって歩かなければならず、脱腸が痛むのか少ししんどい様子でした。受付を済ませ内科外科のロビーで予約時間の午後3時まで待ちました。(30分待ち)

 しかし診察室からは一向に連絡がなくそれから20分も何の連絡もなく待っていると、クラークさんが「若松進さん中へどうぞ」と通されました。先生はこれまでの検査結果を踏まえて色々な話をされましたが、CT検査で前立腺に五問が生じたので、「これから泌尿器科へ行って診察しなさい」と言われました。ここで終わりだと思っていた親父を連れて2階の泌尿器科へ行くと今度は、「尿の検査をしてきてください」と看護婦に言われ、エレベーターで一階へ逆戻りして検査場で尿を取り再び泌尿器かで問診表の書き込みや診察を受けました。泌尿器科の先生が優しい人だったので幾分救われましたが、再び血液検査に回されここでもあれやこれやと待たされました。(20分待ち)

 内科外科のロビーで総合所見を聞くまで、それから20分待たされました。(20分待ち)

 6月25日の午後手術をするということが決定し、24日には入院するよう色々な説明があったのはそれから20分後でした。(20分待ち)。(○○待ち)を全て加えると何と病院内で2時間も待った計算になるのです。6月8日には麻酔の検査をするために日ごろ飲んでいる薬を持参して再び通院という予約まで入るおまけ付きに、書類を受付に渡して「帰ってもよろしい」とお墨付きをいただいたのが午後6時前でした。

 憔悴しきった親父を見て、病院へ行くことで病気になるような感じがして、私も憔悴しきりで疲れた一日となりました。


  「病院は 病気治すと 思いきや イライラ募り まるで病気に」

  「疲れたな 親父すっかり しょげ込んで これから先が 思いやられる」

  「病院で たらい回しの 検査して やっと手術の ひなちが見える」

  「病院は 行きたくないと 思うけど 仕方がないか 親子一緒に」

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shin-1さんの日記

○デジカメの調子がいまいちです

 愛用しているデジタルカメラの調子がいまいち悪く、いつも不安に駆られています。というのもこのデジカメは長男息子がブログを書いている私のために、3年前父の日のプレゼントとして買ってくれたものですが、人間牧場で舗装道路の上に落としたり、挙句の果ては不注意にも妻の実家のお墓で落としてしまい、一巻の終わりかと覚悟しました。妻からは「お墓にまでデジカメを持ってくるからよ」と苦言をもらうし、まあ「仕方がないか」と諦めながら接続不能になると叩いたりしながら、何とかその日その日をしのいでいるのです。

 私にとってデジカメは、携帯電話、腕時計、予定表、木になるカバン、免許証、名刺入れとともに、今や大切な持ち物の一つとなっています。勿論デジカメを接続して写したデーターを加工して使うパソコンはもっと必需品ですが、パソコンは持ち物というより私の事務所にしている書斎の備品として活用しているので、最近では木になるカバンより頻繁に私のお供をしているのはデジカメかも知れません。デジカメを忘れて家を出た時などは少々落ち着かなくなるほどですから、妻の言うとおり多少凝り過ぎだと反省するのです。

 今朝デジカメをポケットに入れて外に出ました。この季節になると谷筋に位置して冬の間陽の差す時間が短いわが家でも朝日がまぶしき照り映え菜園に降り注いでいました。急な思いつきでキャベツに消毒したことをブログに書いたので、キャベツの写真を撮ろうとデジカメをポケットから取り出しスイッチを入れましたが、機嫌が悪く動かないのです。少し衝撃を与えると元に戻りましたが、いよいよ危ないと実感しました。


 毎年父の日になると子どもたちがプレゼントを贈ってくれます。その都度娘が兄弟の話をまとめるので、向うから聞かれもしないのに、「お父さんは、今年の父の日のプレゼントはデジカメが欲しい」と、年甲斐もなくおねだりをしてしまいました。娘は兄弟たちみんなに一人当たり一万円の負担を約束させているようでしたが、単純計算しても子どもは4人ですから4万円程度のデジカメになるものと思われます。端数は長女の特権で出すようなので、4万9千9百円まで可能だと、虫のいい話を心待ちにしているのです。

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(修理して保存しておいたデジカメで使っているデジカメを撮りました)

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(職場の人が退職記念に贈ってくれたデジカメ)

 デジカメの購入は娘婿か長男が担当するようですが、それまで今使っているデジカメが持つかどうか、微妙な感じがしています。私にはもう一台教育長を辞めた時、職場の人が退職記念に買ってくれたものがあります。残念ながらこれも壊れましたが、大事な贈り物だったので高い修理費を出して修理したまま書斎の隅に置いているので、まさかの時はこれも復活して使いたいと思っています。何はともあれデジカメは私のなくてはならない持ち物になったようです。


  「修理した カメラでカメラ 撮りました 何とも不思議 どっちがどっち?」

  「使い方 忘れてしまい 首かしげ 記憶戻るに 多少時間が」

  「デジカメで 撮った写真は あせねども データー探すが これまた苦労」

  「新しく 覚える苦労 あるものの 忘れたことを 思い出すのも」 


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○夏キャベツは菜園で育つのか

 先日妻の実家である八幡浜へお墓参りに行った帰り、大洲の特産品売り場でキャベツの苗を1セット12本買い、家庭菜園に植え付けました。キャベツといえば「霜に合うほどまろく育つ」という高村光太郎の詩の一節のように、冬や春を代表する野菜だから、多分夏などできるものかと私は反対しましたが、妻は「キャベツは年中出回っているのだからできないはずはない」というので、「それもそうだ」と思い育てることにしたのです。

 植えて二週間が過ぎましたが、苗は活着して多少大きくなったように見えるものの、新芽が萎縮して何処か弱々しいのです。よく見るとアブラムシのようなものが沢山新芽に集まっていました。葉っぱを食べる野菜なので承諾もできず、僅か12本ですからアブラムシを手で取りました。しかし残念ながらキャベツの苗は萎縮して弱々しく、このままだと枯れるかも知れないと思うほどなのです。

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 これを見ていた親父は、「思い切って消毒をした方がいい」と勧めてくれました。わが家には約200メートルにわたり皐月などの庭木が無数に植えられ、また菜園には甘夏みかんなどの柑橘類が植えられていて、その手入れ用として消毒機械が直ぐにでも間に合うように設えられているのです。

 早速親父と二人で消毒用の農薬を溶いて準備をしました。折りしも最近の長雨で仕上げの時期に入ったジャガイモの葉っぱにも病気がきていて、思い切ってそれらも一緒に病害虫混同の消毒をしました。勢いよく噴霧器から出る消毒液を見ながら、かつて人間牧場付近で母が蜜柑を栽培していた頃を思い出しました。この時期になると母親が噴霧器でみかんの木に農薬散布をしていたのを手助けのため、ホースを引っ張りに出かけたものです。

 ふと「毎日食べている虫の食べていないキャベツは一体誰がどのようにして作っているのだろう?」思いました。自分がやれば夏キャベツはこのように消毒しないとできないのだから、農家の人も綺麗なキャベツを作るのには農薬を使うと思うのは当然の道理です。妻はキャベツ大好きな私のためにキャベツを年中欠かすことなく買って帰ります。食事の前にはこのキャベツを丁寧に水荒らして食べさせてくれるのですが、はてさて農薬は水に溶けてしまったのかどうかも確認しないまま、毎朝リンキャベと称してパクついて食べているのです。

 「余り神経質になると食べるものがなくなる」かも知れないと思いつついい加減にしていますが、はてさて私たちの食生活は果たして大丈夫なのでしょうか。

 虫も死ぬほどの消毒ですから人間の体には決して良くないことは分かっています。だからといって農薬を使わないとできないし、「うーん困った」と実感するこのごろです。まあ減農薬に違いはないのですが、これも気休めかも・・・・・・・。


  「夏キャベツ 虫を手で取る 手に負えず 結局農薬 不安抱いて」

  「体いい 信じ毎朝 リンキャベと 言いつつ食べる キャベツはいかに?」

  「気にしたら 何も食えない 野菜類 自分でさえも 農薬撒いて」

  「いい事と 知ってはいるが できぬ事 狭間で揺れる 心どうする」

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