shin-1さんの日記

○孫朋樹君の自由時間遊び

 娘婿の東京出張を口実に、このところ再三再四娘が週末にわが家へやって来ます。娘が動けば4歳の孫朋樹と生後4ヶ月の孫尚樹が一緒について動くので、週末のわが家はまるで蜂の巣をつついたような賑やかさです。子ども4人の子育ても終り、就職してしばらくの間わが家から通勤していた次男もわが家から出て独立したため、憧れの夫婦水入らずの静かな暮しを勝ち得ていただけに、静さと賑やかさの落差に戸惑いながらの対応です。それでも孫の泣き笑いする声はいいもので、来る前には何となくソワソワして浮き足立ち、帰ると疲れがドッと出て寂しくなるのです。

 来月には5歳の誕生日を迎える朋樹は、双海での暮らしも随分馴れて、おもちゃもちゃんと双海用と松山用とに自分で使い分け、勝手知ったるような雰囲気で振舞うのです。特にお気に入りは人間牧場で、おじいちゃんの私と二人で秘密の部屋まで用意しているのです。

 先週の金曜日には明くる日私の自由時間を狙って一人で泊まりにやって来ました。二人で明くる日の人間牧場での遊びを画策し、夜はその計画を話しながら二人で寝ました。今回はドングリ拾いとドングリ駒作りがメインのプログラムなのです。

 土曜日は天気も良く二人でトラックに乗り込み人間牧場に出かけました。先日近所の農家西嶋さんからブドウを沢山頂いていたので、お菓子のおすそ分けをついでに持って行きました。運良く西嶋さん宅の5歳くらいな孫娘さんがいて、飼っているウサギを見せてもらいました。朋樹も興味があるのですがウサギの元気さに圧倒されて飼育小屋に入って抱きかかえることができず残念がっていました。

 ドングリは人間牧場の隅にあるクヌギの木の下でいっぱい拾いました。今年はまだ戸外は汗ばむ陽気で上がり蚊がブンブン飛んで容赦なく襲い掛かってきます。朋樹も美味しいのか随分蚊に刺され、持参した虫刺され用ウナクールの世話になりっぱなしでした。

(ウッドデッキの背もたれ椅子に体を沈め、捕まえたカマキリを虫篭に入れ、ご満悦にくつろいでいます)

(人間牧場は遊びの宝庫です。カズラで冠を作ってやると、「大様だーとはしゃぎまくっていました)

 空は何処までも晴れわたり、初秋の風が心地よく吹いて、遠望もいい眺めでした。

(カメラが変わって深度のあるかなりいい写真が撮れました)

(この景色を独り占めしようと風呂を沸かし、五右衛門風呂を孫と二人で楽しみました。まるで秘境の隠れ家温泉とう感じで、孫はとてもうれしそうでした)

 

 帰ってから二人でドングリ駒を5つばかり作り居間の机の上で回しながら遊びましたが、買ってもらった既製品の遊びよりカマキリもドングリ駒も孫には興味があるようでした。

  「ドングリが ちょっとの工夫 駒になる 金もかけずに 遊び見つける」

  「カズラ取り 孫の頭に 冠を 大様なった 気分ではしゃぐ」

  「虫篭に カマキリ入れて 得意顔 触れないくせ 人に自慢を」

  「いい湯だな 二人の秘密 風呂の中 ♯海は広いな♭ 思わず歌う」 

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shin-1さんの日記

○子どもの声の響き

 今日は金銭教育の指定校である三津浜幼稚園に出かけました。愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしているので、県教委の指導主事さんたちと研究の様子についてアドバイスをするのが目的です。この幼稚園への訪問はこれで3度目ですがまあ賑やかなこと、午前9時半から僅か2時間ほどの授業参観でしたが、帰った後も子どもたちの声が耳と頭に残音として蘇えってくるほどでした。でも少子化で子どもの数がどんどん減っている時期だけに、子どもの声はいつ聞いてもいいものだとしみじみ思いました。

 今日の研究メニューはお買い物ごっこを通して様々なことを学ばせようとするものです。この日のために先生たちは教案を練り子どもたちと一緒に準備を進めていました。3歳児、4歳児、5歳児と発達段階に応じたお店屋さんを子どもたちのアイデアを重視しながら作っていました。マクドナルドやお寿司屋さん、それに長浜ラーメンの店まである凝った内容でした。自分たちで売り子になったり、買い物客になったりしながら、自分たちの作った紙のお金で買い物をするのです。まあ売り方の上手いこと、何処で習ったのか分らぬほど言葉巧みだし、それでいてお勘定がまるで合わないミスマッチに大笑いしながら見学しました。子どもの中には1年ぶりの再会だというのにちゃんと顔を覚えていてくれた子どももいて驚きでした。

 1年半前にこの幼稚園が金銭教育研究校に指定を受けた時、これからのプログラム立案のアドバイスをするため訪れたましたが、あれから僅か1年半だのに教師の先生方の成長と進化に内心驚きました。

 ①ものを大切にすることを学ぶ

 ②自分の物と他人の物の区別を学ぶ

 ③欲しいものをすべて手に入れることはできないことを学ぶ

 ④約束を守ることを学ぶ

 ⑤当番したり、人の役に立ったりする楽しさやうれしさを味わう

という、幼児につけておきたい5つの学びがしっかりと指導され、成果となって現れているのです。子どもは親と教師と友だち、それに社会から様々なことを学びます。幼稚園では教師と友だちからの学びでしょうが、とりわけ教師の金銭教育的変容が大きく左右するのです。行動といい、発言といい、いい進化を遂げていました。

 発言を求められたので私は木に例えた話をしました。3歳児は木、4歳児は林、5歳児は森だと表現しました。金銭教育も一年目は木でしたが2年目の今年は林に成長していました。指定校研究は2年で終わりますが終わった時自立の森にならなければなりません。子どもは木的存在です。先生はさしずめ林でしょう。木の子どもと林の先生が集まって森という幼稚園全体になります。

 「三つ子の魂百まで」という言葉通り、金銭感覚を持って生きることの意味をお店屋さんごっこという遊びを通して学んだいい一日でした。

 追伸 私は9月30日に再びこの幼稚園を訪問し、参観日に金銭教育に関する講演会で講演する予定です。

  「蜂の巣を 突付いたような 子ども声 耳と頭に カルチャーショック」

  「一年も 会わぬに子ども 覚えてる 偉いもんだな 俺など出来ぬ」

  「子育てと いいつつ実は 親育て しっかりせねば 子ども教える」

  「勿体なー 子ども連発 うれしいね 物を大事に しながら遊ぶ」  



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shin-1さんの日記

○数字が示す驚くべき実態

 ある雑誌に以下の数字がクイズのような形で載っていました。この数字一体何を表す数字だと思うでしょう。

 ①4~5万人

 ②300kgと180kg

 ③28%

 ④5800万トン

 ⑤1940万トン~1200万トン

 何のコメントもせず、ヒントも出さず、この数字を見ただけで答えを求めても多分正解者はいないと思うのですが、結構考えさせられる数字だけに目に留まり、コラムをスクラップしました。まず考える前にヒントを出しておきましょう。この数字は食糧問題です。

 ①の4~5万人は飢餓が原因で1日に亡くなる人の数です。これを単純計算すると1分間で35人もの人々がお腹をすかせたまま亡くなっているのです。②ですが、地球上で生産される穀物の量は20億トン生産されていますが、これを世界人口65億人で割ると1人当たり300㎏です。ちなみに標準量は一人当り180㎏ですから、計算上は満ち足りているのですが、日本人は必要なカロリーより26パーセントも多く食べているし食べ過ぎ人種なのです。

 穀物を食べるのは何も人間だけではなく家畜だって食べます。先進国では全体の60%が家畜の餌になっています。牛肉は1kg創るために8㎏の穀物、豚肉1kgは穀物4kg、鶏肉1kgは穀物2kgも使っているのです。世界の20%にも満たない先進国に住む人間が世界の半分の穀物を消費しているのです。

 日本の穀物自給率は③の28%で、70%を輸入に頼っています。そして④の年間約5800万tを輸入しながら実はその3分の1に当る⑤の1940万t捨てています。思いつくのは外食産業の大量廃棄、1200万tは各家庭からの残飯廃棄なのです。日本のことを残飯大国というのだそうですが、食べ過ぎ、買い過ぎ、捨て過ぎな日本が、食糧戦争で外から食糧を断たれたら一体どうなるのでしょう。試算によると1年後3000万人が餓死するのだそうです。

 答えです。

 ①飢餓のため1日に亡くなる人の数

 ②日本人の1年間の穀物消費量と世界レベルの標準量

 ③日本の穀物自給率

 ④日本の1年間の穀物輸入量

 ⑤日本の1年間の食糧廃棄量と家庭からの廃棄量

 この数字を見て他人事と笑うわけにはゆきません。メタボリック症候群や肥満が話題になっていますが、外国から見れば日本のこれらは贅沢病でしかないのです。今一度自分鯛の暮らしを見つめ直し、無駄な買い物をしない、食べる量を減らす、食べ残しをしないことを基本にしたいものです。脂身の美味しい肉や季節外れの食材に手を出さないよにしたいものです。旬は安くて上手いし、もったいないという日本の言葉を噛みしめたいものです。

  「愚かだな 数字を見つめて 思うこと いつの間にやら 飽食日本」

  「そういえば 残飯多くなりました ゴミを出すのに 金まで出して」

  「俺だけは 大丈夫だと 思ってる それが危ない 日本の怖さ」

  「なるほどと 思うが直ぐに 忘れ去る のどもと過ぎて 暑さ忘れる」

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shin-1さんの日記

○三つの間の中で生きる

 私たちは人間・時間・空間という三つの間の中で生きています。いずれも大切な間なのですが意識をしないと三つの間とも見過ごして、何となく時や季節が過ぎて何となく生きてしまうのです。人生を充実したものにするためにはこの三つの間という意識をしっかりと持って、考え行動しなければなりません。とりわけその第一歩は人間について考えることです。人間についてはそれぞれの考えがありますが、人間を考える場合自分と他人という対立軸のそれぞれを考え、その対立軸を対話・対動軸で考える3つの方法があるようです。

 ①自分を知り、自分の中の人間的流れをよくする

 「自分って何者」と訪ねられたら皆さんはどう答えるでしょう。人間は悲しいかな自分本位、すなわち自分の尺度で人や物を見るという悪い癖を持っています。だのに以外と自分のことが良く分らないのです。時折他人から「あなたはこんな癖や特長を持っている」と指摘され、初めて自分の愚かさや短所、長所に気付くことは以外と多いのです。自分という極めて本質的な部分が分らないまま生きてきた自分にとっても、自分を見出す絶好の機会だと思ってこの記事を書いていますが、考えれば考えるほど自分が分らなくなって、自閉的になりそうなのです。人間は自分というもう一人の自分と常に心の中や頭の中で対話しながら生きている事に気づくまではスキルアップしましたが、じゃあ「もう一人の自分とは一体何者」なのでしょう。もう一人の自分が弱い人間は自制が効かず悪い事をします。逆にもう一人の自分が強いと相関関係が禅の道に働きいい考えや行動が出来るのです。

人間は体と心と言葉によって成り立っています。体を健康にしてリラックスさせることが出来れば、知識のインプットも知恵のアウトプットも可能になります。心がオープンマインドになれば考えがポジティブになって心の流れが良くなります。また言葉は心を写す鏡だし、人に影響を与える最大の武器ですからいい言葉を発せられるように常日頃から訓練しなければなりません。夫婦喧嘩も親子喧嘩も、隣喧嘩も元はといえば何気ない言葉のやり取りが原因で起こる場合が多いのです。

 ②他人を知る

 相手は刻々と変化します。対象となる人も変わるし、人の体も心も言葉も自分の変化と同じように間断なく変化しているのです。相手を知る、いわば他人の心の扉を開くには相手の立場になって考えることが第一です。心を許してもらえるためには相手を認めなければなりません。人間は相手に認められることくらい嬉しいことはないのです。日々の暮しを反省し自分を知る努力をすることが相手を知ることにつながる早道かも知れません。①で述べた自分を知ることは②の他人を知ることと相関関係にあるのです。

 ③対立軸から対話・対動軸へと人間関係を変化させる

 対話・対動軸にするには優れたコミュニケーション能力が求められます。人間関係は言葉だけではありません。時にはお金や物や情報によってお互いがエネルギーを交換しています。でもそれがただ単なるお金や物や情報だけだと、冷めた人間関係で終わってしまうのです。信用とはそこに人間としての温かさを加味したものだと思うのです。結局人間はいい人間関係を築いた人のみがいい人生を手に入れることが出来るのです。

  「あの人に 出会って今の 俺がある そんな自分に なりたいものだ」

  「自分とは 一体何者 自問する 答えも見えず 今日の今まで」

  「喧嘩して 後で気が付く 馬鹿の知恵 も少し相手 思えばよかった」

  「間が抜けりゃ 人・時・空も 成り立たぬ せめて人間 らしく生きたい」


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shin-1さんの日記

○野菜の植え付け

 伊予市の友人から電話が入り「新米出来た」「黒豆煎った」「取りに来るかい」です。縁もゆかりもないのにふとしたことから交友が始まり、こちらとしては珍しい魚が手に入ったら持参する程度しか対応できないのに、いつも気に留めてもらい、会うのが楽しみな人なのです。その人は、はい女性なのです。今日は氏神様の落成式が終り、お客さんの急な来訪をさばいて、午後から出かけて行きました。彼女の家は稲の苗を育てたり、野菜の苗を育てることを生業にしていて、年中多忙のようですが、それでもボランティア活動をしっかりとこなすあたりは見習うことの多い方なのです。家から30分もの近い場所なので、妻が用意した少しばかりの手土産を持参して出かけました。運良く外出先から帰ったところにお邪魔して、立ち話をしながら新米や黒豆の他に」キャベツ、ブロッコリーなどの野菜の苗を沢山いただきました。

 さて帰ってから日が沈むまでに少し時間があるので久しぶりに野良着に着替え長靴を履いて早速野良仕事です。畑は親父が何日か前に耕運機で耕しているためクサも殆どないようでした。私はその畑に入って畝タテををしました。孫朋樹もお手伝いをするのだと長靴を履いて一緒に畑へ入りました。まるで私の腰ぎんちゃくのようにまとわりついて離れようとせず、大汗をかきながら畝を作りました。畝作りだけで夕に1時間はかかってしまいました。早速植え付けです。朋樹に苗を運ばせながらスコップで耕したばかりの畝に穴を掘り植えてゆくのですが、猫よりましで私のいうとおりキャベツやブロッコリーの苗を運んでくるので大助かりです。終りに近づいたころ親父が籾殻を倉庫から出してきて、植えた野菜の苗の側に施して行きました。こうすると籾殻が水分を吸って程よい湿り気が確保されるのです。

 今日は野菜の苗の他にも秋ジャガイモの苗をいただきました。既にジャガイモの種は芽を出していますが、彼女の話だとまだまだ大丈夫のようなので植えてみることにしました。さて谷あいに位置するため日当たりのさしてよくないわが家の家庭菜園で果たして秋ジャガイモが育つかどうか心配ですが、育って欲しいという願いの基に穴を掘り植えました。昨日北海道の友人から北海道の馬鈴薯が送られてきて、今日は娘が来宅し妻と一緒にジャガイモサラダを作っていました。やはり北海道の馬鈴薯は本場だけあって美味しく食べました。2ヵ月後に秋ジャガイモを食べれるのを楽しみにせいぜい世話をしてみたいものです。

?(成長著しい大根)

  「孫の手も 猫よりましな お手伝い 汗をかきつつ 苗を配りて」

  「上がり蚊が 足や首筋 狙い打ち 十月なっても 異常な暑さ」

  「この苗が 育てば孫に 食べさせて お前が植えた 伝えてやりたい」

  「北国の 友の送りし ジャガイモを サラダに料理 舌で鼓を」

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shin-1さんの日記

○氏神様の落成式

 今日は氏神様である天一稲荷神社の落成式がありました。私は役所を退職してから2年間、地元の区長という名前の自治会長をしました。氏神様の氏子は4集落にまたがっていて、その中でも一番大きい集落のため、自治会長は総代会の副会長になるのでこの2年間何かと忙しい日々を過ごしました。というのも私が就任する前から内部で建設が決まらずそのゴタゴタの尾を引いていた時期の就任だったため、かなり労力を取られました。それでも建築委員会を立ち上げ、建築診断の結果、度重なる氏子集会を経てやっと本殿改築、幣殿新築、拝殿改築という方針や、一戸平均12万円の寄付が決定し、動き出したのです。色々なハプニングもあり、色々な憶測が飛び交い、一時はどうなることか気を揉みましたが、どうにか今日の日を迎えることが出来たのです。区長を退任してからも建築委員として残り、様々なお世話をしてきましたが、今日はいよいよクライマックスで、私は求めに応じて神事や記念行事の司会を仰せつかり、朝から様々な手配に忙しい一日でした。

 中でも神事の司会は神事用語というのがあって、素人では読めないような漢字がいっぱいあるのです。幸い役場在職中に海開きや公共事業の新築落成にかかわる神事を数多くこなしてきていたので、難なくこなすことが出来ました。真新しい幣殿や修復なった拝殿に関係者が集まって厳かな神事が行われました。宮司さんの太鼓の音で始まった神事は稚児による鈴神楽もあって中々の雰囲気でした。写真に撮りましたが、残念ながら息子が買ってくれた真新しいデジカメは、私の現在の技術では写真の容量を圧縮することが出来ず、数日後の挿入となりそうですのでご容赦下さい。

 予定の時間30分きっかりに終了し、10分間の準備時間を経て、落成式を記念して伊予市から招聘した伊豫之二名島扶桑太鼓を演奏演技してもらいました。最初は地元の双海夢創太鼓を予定していたのですが、今日は日曜ではないためメンバーが揃わず出演できなかったため、急遽お願いしたところ快く引き受けてもらい十人のメンバーが勇壮に太鼓を披露してくれました。この太鼓は20年も前に一度市民会館で聞いていますが、中々のもので、これだけの演技演奏をするには相当の練習が必要であろうと、あらためてその活動に敬意を表しました。



 恒例の餅撒きは3俵の餅にお菓子を威勢良く撒くのです。境内には沢山の人が訪れ大賑わいでした。心配された雨も早朝にポロリとしただけで、幸い薄日の差す天気で、主催者たちもみんな喜んでいました。午後からは灘町集会所に会場を移し、祝宴です。この2年余り苦労の連続だったため、総代会長や建設委員長の顔も晴れやかで、地区総代さんと建設委員合同の懇親会が長く続いたようです。私は家から来客との知らせで酒も飲めないこともあって早々に引き上げましたが、いい一日となりました。私は昨日の準備も出張で留守をしたため、みんない迷惑をかけないように、借用した紅白の幕やマイクなどの小道具を借りた場所へお返しをしに伺いました。

  「揉め事も 過ぎてしまえば 全てよし 紙のお陰か 丸く収まり」

  「氏神の 落成神事 進行す 難し漢字 昔杵柄」

  「餅撒きを すれば集まる 田舎では 撒いて撒いてと 俺を目がけて」

  「ドドドンと 太鼓の響き 天井裏 ススまで落ちる 神も驚き」


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shin-1さんの日記

○今夜遅く鳥取から帰って来ました

 妻と孫朋樹を乗せて鳥取県境港市まで行ってきました。往復600キロを越える長旅で、日帰りの限界のような旅でした。妻も運転免許を持っていますが高速道路の運転に慣れていないので、講演中を除いては全て私が運転しましたから、正直疲れました。でも妻も孫も大喜びで「次は何処へ連れて行ってくれるの」と次の旅を強請る有様には困ったものです。講演のついでの旅なのでそんなに目的地も選べず、少し早く出て大山の麓にある神社界隈とお魚市場、それにゲゲゲの鬼太郎が中心になりました。

 妻の目当ては花回廊のようでしたが、全てを見ると私の講演の時間に間に合わなくなるので断念しました。大山の神社は私も妻も一度行っていますが、雨上がりの初秋の連休中日の日曜日とあって、登山客が多く大山の山頂を目指す人たちに沢山出会いました。私たちは石畳の参道を登って奥の院のような神社に到着しました。孫朋樹は落ちているドングリが気になるらしく盛んに拾い集めていました。ここのドングリは少し長めのものが多く、拾おうとすれば幾らでも拾えるほど落ちていました。孫は幼稚園へ持っていくいいお土産が出来たと喜んでいました。 参道の上り下りは空気も澄んで清々しく3人で歩く距離としては少し長めで、終わりごろ孫は何処で習い覚えたのか「僕はもう限界」などと嘯いていました。

(朝日に輝く大山は見事でした)

 現在は伯耆町となった旧溝口町の大下課長さんの案内で昨年訪れたミルク牧場にも立ち寄りましたが眼下に霞んで日本海の眺望が開けていました。

(ミルク牧場の広大な牧草で)戯れるおばあちゃんと孫)

 境港にはおさかな公園があって、買い物が出来、魚が味わえるとあって連休のせいかままあの人手でした。

私たちは回転寿司でたらふく食べました。美味しかったです。

(境港のおさかな公園、タワーのてっぺんから見ました)
(等身大の水木しげるの蝋人形とスリー-ショット)

(おさかな公園のすし屋さんで食事をしました。孫はご満悦です)

 さて孫はお目当てのゲゲゲの鬼太郎はじめ多くの妖怪モニュメントが並ぶ妖怪ストリートで登ったり触ったり、時には悪ふざけをしながら2時間余り楽しいいひと時を過ごしました。

(妖怪の前でハイポーズ)

(港の駅で記念撮影)

(一番人気の妖怪大集合、水木しげるがマンガを描いています)

(僕のほうが背が高いよ)

(石で造った巨大なまなこが不思議な事に水に浮いています)

 さて境港文化センターでの講演は、社会福祉協議会主催の第30回福祉大会でした。会場での模様はステージがオープンで緞帳がなくいきなりの話となりましたので、楽屋講師控え室のモニターでの様子をチラリ撮影しましたが、大いに盛り上がった話となりました。

 孫は帰り際「また行きたい」を連発するほど楽しい日帰り旅行になったようです。軽い寝息を聞きながら、再び素来た道を5時間かけて引き返しました。

  「人の波 マンガでつづる まちおこし 何が当るか 分りませんね」

  「四歳で 既に知ってる アニメーション 知らぬは私 一人だけかも」

  「妖怪も ここまでくると 可愛いね グッズ売り場は 人をかき分け」

  「水木さん こんな人なの 蝋人形 なるほどマンガ 描きそな人だ」

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shin-1さんの日記

○明日は「ゲゲゲの鬼太郎」に会いに行きます

 明日は鳥取県境港市の社会福祉協議会から第30回社会福祉大会の記念講演を頼まれ境港へ行く予定です。境港といえば魚の水揚げ高が日本で一・二を争う有名な地域ですが、最近は水産関係に陰りがでて右肩下がりの感じがしています。しかし水木しげるの人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」をベースにしたまちおこしが評判となって、週末となると観光バスがやって来るほどの人気を博している街なのです。

 娘にその事を話したら、孫朋樹も行きたいというので、旅のお供をすることにしました。勿論妻も一緒でないと私が講演している間の子守りも必要なので私を含めて3人で出かける計画を立てました。前日は幼稚園が土曜日でお休みなので、金曜日の夕方幼稚園から帰るのを待って松山の自宅へ迎えに行きました。娘は5月に生まれた第二子尚樹の誕生以来子育てで少々お疲れモード気味なので、子どもが2日間も手元から離れながら、安心して預けられる両親とあって歓迎ムードで、朋樹はゲゲゲの鬼太郎のマンガをアニメで見ていることもあって、更にテンションが上がっていました。

 私などもその昔、「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメをテレビで見ていることや、境港の「ゲゲゲの鬼太郎」でのまちおこしの様子を見聞きしているので、孫にその話をしてやりました。私たち世代は妖怪アニメより、四谷怪談など日本の古い化け物の話が主流で映画を見たり本を読んだりして育っています。加えて私たちの子どもの頃はまだおじいちゃんやおばあちゃんが死んでも土葬だった時代ですから、夜妖怪や化け物の話を聞くと眠られないほどの怖さがありました。夏になると肝試しなどと称して背筋が寒くなるような話を大人からいっぱい聞かされました。

 今の子どもたちにとって妖怪などは一種のキャラクター商品で遊びの対象なのです。世の中も変わったものです。

 前の晩、孫と一緒に風呂に入り、一緒に寝ました。寝ながら孫の求めに応じ「ゲゲゲの鬼太郎」の話を知っている範囲で持ち合わせたウチワを小道具に臨場感溢れるように話してやりましたが、当の本人はゲラゲラ笑って聞くだけで、怖さなど微塵もないのです。朝早い旅立ちなのでと納得させ寝かせましたが、孫の寝姿を見ていると、孫の夢の中はもう境港へ飛んでいるような感じでした。

 それにしても、最近は私も妻もお互い忙しくて、この一年間お墓参り以外夫婦で旅行することが全くなかったようです。退職して少しの間はお互いの距離を縮めようとお互い努力していましたが、最近は相次ぐ孫の誕生や年老いた親父のこともあって中々二人揃って外出の機会がなかったのです。妻は生家である八幡浜の古い付き合いの同級生が東京から帰郷していて、仕事が終わると八幡浜へ会いに出かけ夕方帰って来ました。私は今日一日休養日で孫の面倒を見ました。今日も一日夫婦すれ違いでした。明日は二人で、いや孫を加えた3人で中国山脈を越えます。

  「知らぬまに 夫婦行動 すれ違い 明日は三人 ゲゲゲの鬼太郎」

  「妖怪は おもちゃの一種 世の中も 変わったもんだ 孫の世代は」

  「下駄飛ばす 話に孫は トンチンカン 下駄さえ分らず ゲタゲタ笑い」 

  「コミュニケが 通じないまま 話する 四歳孫を 納得させずに」

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shin-1さんの日記

○あれから一週間

 何か目的を持って生きていると一週間といえどもあっという間にその日がやって来ます。ましてや原稿締め切りに追われると余計早く感じるものだとしみじみ思いました。地元紙愛媛新聞社が一週間前に立ち上げたwebサイトシニア世代に向けた情報発信「自悠くらぶ」に早くも記事を2本書きました。「夕日は今が旬です」と「秋には秋の花が咲く」という記事なのですが、私の記事は同じコーナーの4人に比べコラムなので、目的もなく、まるで無目的な他愛のない戯言なのです。しかし世の中は不思議というか暇な人?がいるというか、早くも「読んだ」「見た」とメールがちらほら届くようになりました。まだ2本しか書いてないのにです。このところ忙しくて書いたことも忘れ、webサイトにアクセスすることも忘れ、ましてや次の号の記事締め切りが早くも迫っていることさえも忘れているのです。こんな状態ではいい生地を提供できないと思い、思い切って机の前に「自悠くらぶ原稿毎週月曜日締め切り」と書いて張り出す事にしました。と同時に自分の予定表の月曜日の欄に印を付けて見たのです。私の予定表は大判で商工会からいただいたものを使っていますが、退職時には空欄が目立っていた予定表も何だかんだと予定が入るようになって、丸印や三角印がやたらと多いのです。例えば毎週水曜日は愛媛大学の非常勤講師をしているため講義日を忘れないために予定表が届いたその日に水曜日の欄に丸印を入れます。こうしておけばそれが優先されて他の予定が入らなくなるのです。また幾つかの例会も三角印が入って、それだけでも毎週何かの予定が入ってしまうのです。「自悠くらぶ」の原稿締め切りは赤の三角印にしました。今月は10月1日が月曜日だったため5回もあるようです。私の一週間はこうして月曜、水曜、金曜日や土・日曜日は何かと予定が入るのでどうやら火曜日と木曜日が比較的空いているようです。

 一週間といえば先日畑に蒔いた様々な野菜が早くも芽を出し、二週間前に蒔いた大根などはすっかり大きくなって、早くも食卓を飾っています。野菜が大好きになった私としてはこれから葉ものや根菜類が出回り食欲の秋です。旬を過ぎたピーマンやナスも畑にはやたらと多く、ナスは料理バリエーションも広くて、炒め物、焼ナス、煮付け、からし漬け、ナスカレー、田楽ナスなど、妻の得意料理が毎日出て、時折出るオナラもナスの匂いがするのではと大笑いをしました。そのナスは娘が大好物ですから毎回松山へ行く度に差し入れして喜ばれています。

昨日は久しぶりに私が迎えに行って孫が泊まりに来ています。親から離れることに興味を示し始めた孫も随分大きくなりました。今日は孫と人間牧場へドングリを探しに行きます。

 昨晩孫のために妻が拾ってきていたドングリでドングリ駒を作って遊びました。ドングリに千枚通しで穴を開けそこに爪楊枝を差し込んで作るのです。最初は上手く出来ませんでしたがそのうち回りのいいドングリ駒が5つ出来て、孫と机の上で回す競争をしました。孫も最初は回せなかったのにコツを掴んだのか回せるようになって、キャーキャーいいながら1時間も遊びました。今の子どもは既製品の遊びに慣れているため、逆にこうした手づくりの遊び道具がとても新鮮に感じるのでしょう。

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shin-1さんの日記

○変わる日本・変わる地域

 「アメリカがくしゃみをした日本が風邪を引く」といわれるくらい日本はアメリカを見本に国全体が変化を遂げてきました。戦前まではヨーロッパをモデルに日本は明治以来成長してきましたが、敗戦後の日本は戦争相手国だったことによる戦後処理がアメリカの強烈なリードによってなされたため、アメリカの自由主義を何のためらいもなく受け入れてきました。文化も経済も10年前のアメリカの姿が今の日本の姿でしたし、10年後の日本は今のアメリカでした。ゆえに未来学者たちはアメリカの姿を見て、さも自分が考えたような言動で日本の将来を憂いていました。為替や株の値動きは地球の丸さを考えると二十四時間どこかの経済マーケットで取引が行われている訳ですから、ニューヨークの株価がそのまま東京の株価に連動して、眠らない地球の一面を垣間見ることが出来のです。

 しかしこの最近アメリカのそれとは少し異なる日本独自の現象や生き方が、少しずつ見え隠れするようになってきたのです。それは日本らしいことであり、大いに歓迎する部分もありますが、これまでアメリカを研究すれば対処法が見つかったけれども、これからは日本独自の仕方が要求され、モデルや見本のない社会であることも肝に銘じなければならないのです。

 それと同じようなことが日本の国内でも起こってきました。これまでは画一的ないわば東京で考えた方向に向いていればよかったのですが、東京には最早その解決モデルがなくなりつつあるのですから、自分自身で考えなければ次へのステップアップが望めなくなったのです。

 その大きな変化が雪崩のように起こっているのが教育の現場です。中央では識者といわれる人々がそれぞえの言動で未だにアメリカをモデルの話をしています。例えば戦後60年間3学期制を堅持してきた方向は2学期制の導入という新しい方向に移行しつつあります。2学期制の優位性を主張する人たちはモデルケースとして保護者の理解も得ぬままいかにも先進事例として持て囃されていますが、日本の四季を考えるとどうもそぐわない部分もあるようです。時間数を確保するための方策だけで日本の3学期制を無くしていいものか疑いたくなるのです。また中高一貫教育と称してこれまでの校区の枠や進学の方向を闇雲に乱す考えも難点があるようです。

文部科学大臣だってまるで猫の目のようにコロコロと方向を変え、ゆとりといった方向は学力という名の元に基に戻され、これまでの現場の努力は一体何だったのかと呆れてものが言えないのです。

 問題は地方の教育行政の基をなす教育委員会制度が形骸化しているからだと指摘する声は当らずも遠からじの感がしますが、教育の独自性も予算権、つまり金を持たない悲しさで、金を持っている行政の言いなりにならなければならない非力さから生み出される産物なのかも知れません。

 どちらにしても、今こそ主体性・自立性を持った地方の独自性を持たねば生き残れない時代が来ていることは事実です。その基はやはりそれに気付き、しっかりとした政策を立案する能力を持った人材の出現だと思うのです。

  「最早今 解決策の モデルなく 自ら生きる 知恵を待たねば」

  「枝葉だけ 揺すった所で 幹動く 気配ないのに 相も変わらず」

  「結局は 誰が悪いか 震源地 親たる自分 責めねばならぬ」

  「アメリカや 東京物真似 止めとこう 俺には俺の 生き方見つけ」  

 

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