shin-1さんの日記

○魚の料理

 私は漁村に生まれ、若い頃漁師を7年間も経験しました。水産高校を出ていて漁村・漁師・水産高校と聞くと魚に縁のある人間だと思われがちですが、以外や以外魚は食べても料理は余りしたことがなく、もっぱら「お魚ママさん」の講習を受けた妻に任せて、この30年余り殆ど包丁を握りませんでした。それがひょんなことから退職後、妻の勤めの関係もあって、時間的な余裕がない時はまだシブシブですが、魚の処理を任されやるようになりました。双海町は魚どころです。わが家の親類にも漁師さんが多く、時々売りに行くほど沢山の魚をトロ箱で頂くのです。今日も夕方親類から魚を取りに来るよう電話がありました。妻はあいにく夜の会合があって魚を処理する暇がないと、少しだけ厚めの化粧と、少しだけ着飾ってさっさと出かけて行きました。さあ困ったものです。その処理を私が一人でしなければならなくなったのです。

 今日の魚は腕首もあるような1メートルほどの大きなハモが一匹、それにホウボウやシズなどの小魚もありました。さて出刃包丁を出して砥石で研ぎ、目打ちを頭に打ち込んで格闘です。大きなハモは骨切りが大切な仕事で、上手く骨が切れていないと食べられないのです。夏の旬を過ぎたといってもハモはあっさりとした食感がたまらなく、吸い物や湯引き梅酢和え、この頃だとマッタケ組み合わせれば土瓶蒸しもおつなものです。

 私の仕事は下ごしらえで、骨切りや他の小魚の鱗や内臓、それに頭を取って調理するように子切りすることなのです。格闘の末1時間ほどで調理を終りパレットに入れてサランラップを掛け冷蔵庫に治めようとしましたが、サランラップが芯にに絡まって取れないハプニングに右往左往してやっと終わったのは7時過ぎとなりました。今夜の夕食は私一人なので小魚の中に混じっていたアジでお刺身を造りました。研ぎ澄ました包丁は面白いように切れて、私の腕もまんざらではないと自認しましたが、妻の前でこんな自慢をすると、「父さん上手ねえ」と妻の褒め殺しにあって、次から調理しなければならなくなるので努々そんな言葉は口が裂けても言うことはできないのです。

 一人が玄米ご飯を茶碗によそい、妻の盛り付けたおかずを食べながら、今頃親父も同じように一人でご飯を食べているのだろうと、妙に気になって隠居へ出かけて行こうと玄関を出ました。あいにくそこへ宅急便が届いたり、御用聞が来たり、またPTAの役員さんが注文していた煮干しを届けに来たりと、、結局は親父の隠居へ行くことすら忘れてしまうような来客対応となってしまったのです。

 ブログ上のここだけの話ですが、今度は少し料理にも挑戦してみようと思っています。

  「包丁を 研いで魚と 格闘す 大きなハモを 骨切り三昧」

  「透明の サランラップに 悪戦し こんなことでは 生きてゆけぬわ」

  「アジ刺を 造って一品 追加して 鬼の霍乱 至福の時を」

  「沢山の 魚貰って 捌くのは 俺の役目か 妻はさっさと」

 

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shin-1さんの日記

○ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が愛した夕陽

 日本で何処の夕日が一番美しいか訪ねられたらあなたはどう答えるでしょう。夕日は日本中何処でも見られる現象ですから、ご当地自慢は必ずあるのです。私がこれまで旅した地域でも「若松さん、あなたの町の夕日も日本一かも知れませんが、私のまちの夕日には適わないでしょう」と、逆に自慢されるのです。特に離島や日本海に行けば夕日を自慢している人はかなりの数のようです。私はすかさず「それがどないしたん」と関西弁で喧嘩を売ります。追い討ちをかけるように「夕日が綺麗といって自慢するばかりでは何にも進歩はありません。要は夕日をどう道具立てして物語を作り、それを賢司に結びつけるかでしょうね」と・・・・・。「ウーン、参った」です。

 そんな中で私が一目置くのは島根県松江宍道湖の夕日です。私が湯日を地域資源にまちづくりを始めた頃、当時宍道湖嫁ヶ島に沈む夕陽が日本一だと聞いていました。私はその夕陽を見たくてなけなしの財布をはたいてわざわざ見に行きました。その日はあいにく雨で夕陽を拝むことは出来なかったものですから、ようし宍道湖の夕日に勝ったと心に決めました。以来宍道湖の夕陽を追い越そうと様々な物語や仕掛けを作り、オンリーワンの夕陽を目指したのです。私はその日から夕陽と呼ばれていた呼称を夕日とシンプルにして夕偏に日と書いて、旭に対抗する造語まで作ってしまいました。その後宍道湖周辺も美術館が出来たり夕陽スポットが整備されたりして夕陽を売り込んでいますが、さてどちらに軍配が上がるかはそれぞれの地域の人の想いの高さや深さだろうと思うのです。

 私が適わないと思うのはラフカディオ・ハーンの存在です。明治23年に来日したハーンは島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任し1年3ヶ月をこの地で過ごしました。そしてその体験を「知られざる日本の面影」という本にまとめたのです。松江の自然や文化、人情の美しさを讃え、愛したハーンは、宍道湖嫁ヶ島に落ちる夕陽も見たに違いないのです。小泉セツと結婚して5ヵ月半を暮らした八雲旧居を見た時そう思いました。私の愛した夕日はたかだか20年です。明治半ばという途方もない時代にハーンは夕日の美しさに気付いていたのでしょう。ひょっとしたらハ小泉八雲は日本人で最初に夕日の美しさに気付いた人かも知れないと思うのです。

 今年の7月2日、この日もあいにくの雨でしたが、嫁ヶ島界隈を訪ねました。この湖畔に立つと何故か自分が小泉八雲になったような不思議な錯覚を起こすのです。それは八雲が松江を「現実と幻が見分け難い国」といっているからかもしれません。夕景は確かにあの世とこの世や、現実と幻が混在すると思います。これはあくまで私的な考えですがハーンが日本に帰化する大きな要因となったのは嫁ヶ島に落ちる夕陽を見たからではないでしょうか。ああー、また私の幻想の世界が広がってゆくようです。

  「ラフカディオ ハーンは今も生きている 日本の面影 松江に残し」

  「日本で 最初に夕陽 感じ人 八雲に違い ないと確信」

  「名に恥じぬ 夕陽のメッカ 嫁ヶ島 思わずカメラ 持ちて車外へ」

  「今日あたり 綺麗な夕日 探す旅 出かけてみたい 心境なりぬ」


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