shin-1さんの日記

○その犬の名前は花子だそうです

 今日は水曜日なので、愛媛大学法文学部非常勤講師として「地域振興とまちづくり」の講義日です。学生の前で教えるようになって早くも4年間が過ぎ、性懲りもなく5年目の教壇に立っています。大学に通うようになって思うのですが、水曜日の来るのが早いこと早いこと、あっという間に「えっ、早水曜日か」と思うのです。私は夜間主の学生に教えているので、秋が深まるこの頃になると夕闇迫る頃大学へ到着するように出かけるのです。5年目ともなるとすっかり慣れて、これじゃあいかんと「初心忘れるべからずと書いたノートを持って、いつも初々しい気持ちで望むようにしているのです。

 私が大学に通うようになって気がついた、いや気に入ったことがあります。お堅い「法文学部」という看板の下の玄関にダンボール箱で作った簡易な犬小屋があって、真っ白な犬が飼われているのです。察するにどこかで拾ってきた野良犬を買い始めたのでしょうが、今では東京上野公園の忠犬ハチ公」のように、すっかり学生の人気者になっているのです。私も名前も素性も知らないのに、何回かふたみシーサイド公園のじゃこ天を買って来て与えたことがるのです。

 玄関で何度か同じような人が餌を与えているのを見たことがあります。今日はその女性の方に出会いました。今日こそ「どなたですか」と聞きたいけれど、変なおじさんタイプの私ですから、その女性から「怪しい人」と思われてはいけないと、ついつい遠慮していました。でも気になって今日は声を掛けました。「あなたのことは存じております」と唐突に言われ「えっ」と驚きました。驚いたついでに名刺を渡してしまう図々しさで、人間牧場の話も知っているようでした。

 授業前のことだったので、話をそこそこに切り上げて授業に行きましたが、授業が終わって娘婿と偶然にも大学内で会ったため、「あの方はどなたでしょう」と聞きました。するとAさんという方で、犬の世話を献身的に行っていると紹介してくれました。

 この犬は5年前に会った時はまだ若かったようですが、もう12歳くらいになっているとかで、老化と肥満のせいか、歩く姿や反応も遅く少し気になりました。それでもAさんや学生さんに見守られて法文学部の星として門番を務めているのです。

 写真が間に合いませんでしたが、パチリ写真に収めています。動物愛護の話は微笑ましいものです。来週はじゃこ天でも持って行ってやろうかとも思いました。

  「野良犬に 生まれた運命 切り開き 今では立派な 大学門番」

  「ヨタヨタと 歩く姿は わが親父 似ているようで どこか寂しい」

  「俺だって 花子にあやかり 餌欲しい Aさん宜しく お願いね」

  「無表情 学生多い 中なれど ホッとするよな 花子の存在」

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shin-1さんの日記

○青いミカンの実る頃

 私の住む地方はミカンの産地です。かつては「耕して天に至る」と表現しても可笑しくないほどいたるところにミカンが植えられ、秋から初冬になると、山一面がオレンジ色になったものでした。高度成長期の日本の地方が元気なころは駅の引込み線に貨車が止り、木製のミカン箱に入れられたミカンが都会の市場へ向けて出荷されていました。しかしそんな活気ある時期は長く続かず、過疎や高齢化が否応なしに押し寄せ、ミカン山は杉林になったり、放任園はカズラが巻いて荒れ山になっているのです。往時を知っているものにとっては何とも心の痛む光景です。

 私の家も半農半漁の家で、凪の日には沖に漁に出かけて魚を獲り、時化るとミカン端の手入れや収穫といった作業が、主に母親の手でなされていましたが、当時は農道ももなく全て手作業や肩に背負っての作業でしたから、重い荷物をまるでアリの様に運んでいました。勿論子どもの私も貴重な労働力で、子どもは子どもなりの役割が決められて一生懸命働きました。

 「青いミカンの実る頃」という歌があります。「♭青いミカンが実った ふるさとの丘に 今年も取り入れの歌がまた聞こえる 甘く酸っぱい 胸の思いを 小篭に摘みながら 密かに思うの 遠くの町のあの人に 送ってあげたい♯」という歌です。この歌を聞く度に、亡くなった母親を思い出します。青かったミカンが少しずつ黄色に色づき始めるのがこの頃でした。昔は極早生なんてなかったから、早生系のミカンは秋祭り頃に少し色づく程度でした。白いタオルで姉さん被りの母親が一番摘みしてくれた青切りミカンの皮を剥ぐと、プーンとミカンの香りがして口の中一杯に甘酸っぱい味が広がりました。母と草の上に腰を下し「母ちゃん、美味しいなあ」といえば母親も「美味しいなあ」と応えてくれました。長閑な田舎の昼下がりでした。草の上に寝転んで空を見ると白い雲がポッカリポッカリ浮かんで流れて行く、沖を見ると白い船が長閑にゆっくりゆっくりと島影を走っていました

 わが家の菜園には何本か母が名残のミカンの木が残っています。極早生、早生、普通温州、甘夏柑などですが、数日前から極早生が色づき始めました。今年は夏の日照りが強く粒は小型ですが味は糖度が乗って程よい酸味も残り、とても美味しいようです。

 2~3日前、例によってミカンを30箱ほど知り合いの農家から分けてもらい、全国の仲間に送ってやりました。早い所は既に荷物が着いたようで、お礼のメールや電話が来ています。全国の仲間は色々な物を送ってくれますが、こちらの自慢は煮干しとミカンくらいなものです。でも私たちが信州のリンゴのなっているのを見て感動するように、ミカンの獲れない地域ではミカンの実る姿は中々見れないと思い、今朝家の横の菜園に行ってミカンの写真を撮りました。ブログ画面でご賞味下さい。

  「菜園の ミカン色づき 枝たわわ このままそっと 送ってあげたい」

  「青じゃない 表現可笑し 緑だと 孫が指摘の 色の表現」

  「そういえば 緑の信号 何故青と 言うのかいつも 偏だと思う」

  「手で摘みて ミカン食べれる 温暖な 地域に生まれ 幸せですよ」

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