shin-1さんの日記

○夕刊です

 「夕刊でーす」と思わず新聞少年から手渡しで頂くような、10月13日付け朝日新聞夕刊が昨日届きました。私たちの町は田舎ですから夕刊など来る筈がないのですが、新聞の編集に携わった寺脇毅さんから丁寧にも掲載紙に添えて写真が二枚送られて来たのです。封を切って中から新聞を取り出すと、プーンと真新しいインクの匂いが漂って、思わず開けた一面に下灘駅の夕景が色鮮やかに載っているのです。若いカップルが二組シルエットに写し出され、豊田漁港の灯台辺りに夕日が沈もうとしている一瞬はまさに絵になる光景です。

 2面にはスタンプ印風の「ぶらっと沿線紀行」という丸いイラストが目につき、24JR予讃線下灘駅、「何もない。すべてがある。」という大見出しの下に、三枚の組写真が貼り付けてありました。一枚は本谷の棚田辺りを走るマッチ箱のような一両列車、一枚は酔芙蓉の咲く石久保辺りの高台を走る列車が写っていました。そしてもう一枚は孫朋樹と私が人間牧場の水平線の家でくつろぐ様子が写っているのです。

 文章中にこんな記事がありました。



 ―前略― 「旧双海町職員だった若松進一さん(63)は「今年も多くの人の出会いの場になった」と喜んだ。

1979(昭和54)年、地元の青年団長でもあった若松さんは、行き詰っていた。伊予灘と四国山地に挟まれた双海町は、漁業のほか、棚田の米作やミカン栽培が主な産業。観光名所もない。毎晩のように仲間たちとまちづくり談義をたたかわせたが、妙案はなかった。

 そんな時、NHKの番組「明るい農村、の取材が入った。ディレクターは下灘駅まで一駅乗り越してしまった。迎えに行くと、丁度夕暮れ時。相手がつぶやいた。「こんなきれいな夕日は見たことがない」

 あたりまえだと思っていた夕日が訪れる人を感動させる―。その驚きがスタートだった。「なぜ夕日なのか、100人中99人に反対された」。ならば、と青年団でプラットホームコンサートを企画した。

 そのころ、予讃線は内陸を短絡する新線の建設が進んでおり、「海岸回りは廃線にある」といううわさが飛び交っていた。駅を舞台に選んだのは、鉄路を守るためでもあった。

 6月30日。コンサートは、1千人もの観客が足を運んだ。幹部は驚いた。以後、次々採用される。95年には世界の夕日を紹介する「夕日のミュージアム」をもつ「ふたみシーサイド公園」を建設、年間55万人が訪れる。「夕やけこやけライン」と命名した国道は、ドライブの名所になった。

 住民たちも思い思いの草花を沿線に植え始めた。漁師の金山洋一さん(58)は下灘駅の南西の山腹にある約3千平方㍍の段々畑に約10万株のスイセンを育てている。身頃を迎えると眼下の海との対比が美しい―中略―

 教育長を最後に行政から離れた若松さんは今、母親が残した旧ミカン畑に「人間牧場」と名付けた無料の宿泊・休息施設を運営する。口コミで月に20人ほどが訪れる。

 「海と空が見える以外は何もない。だから心の中を無にできるし、ほっとできる。自分や町の将来について考えをめぐらせるには、この場所がぴったり合うと思うんです」

 双海町は05年に伊予市と合併し、歴史を閉じた。若松さんのつむぐ物語も、新しい章に入ったようだ。」

                                                   文 藤橋 一也

                                                  写真 寺脇  毅

 この文章を読むと、大見出しの「何もない。すべてがある。」の意味がよく分ります。お二人の取材で訴えたかった私の心のメッセージはこの大見出しに凝縮されていて、さすが朝日新聞の記者だと敬意を表したいと思います。いつも言うことですが、夕日の町を朝日新聞が紹介するチグハグさも面白いですね。

 追伸

 朝日新聞広島総局駐在カメラパーソンの寺脇さんは取材のため人間牧場へやって来ましたが、タクシーとはいいながら迷うことなく人間牧場へ来たのですから「偉い」の一言です。運良く何のアポイントもなしに私と孫が人間牧場へ行っていた幸運も、たった一回で一面を飾る下灘駅の夕景を写真に撮れるなんて神業ですね。

  「送られし 夕刊届き しみじみと 記者の偉さに 私脱帽」

  「記事を読み 昔のことが 懐かしく あれやこれやの 思いが浮かぶ」

  「そういえば 音楽祭が 出世作 あれがなければ 俺は唯人」

  「新聞を 読んだと訪ね メール来る 凄い反響 和歌山からも」

        

              

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shin-1さんの日記

○秋の夕焼け鎌を研げ

 秋も深まってあちらこちらから秋祭りの賑やかな話題が届くようになりました。特に東予地方は西条のだんじり、新居浜の太鼓台など優美や豪快が売り物の祭りが多く、一二度しか見学したことはありませんが、感動して見たものです。機会を見つけてまだ見たことないという妻を連れて行きたいと思っています。

 私たちの地方では自然とともに生きるような第一次産業を仕事にしている人が多く、昔から天気を予測することが大事だったことから様々な気象に関する言い伝えが残っています。例えば「秋の夕焼け鎌を研げ」です。秋の「夕空が夕焼けになると明くる日の天気は請け合いだから、鎌を研いで明日の仕事に備えよ」というのです。いかにも長閑な時代でした。気象衛星ひまわりなどなかったのですから、天気を良く見れる人は地域で重宝がられ、私たちも子どもの頃、運動会や遠足になると日和見のよいおじいさんに、「明日の天気はどうですか」と聞きにいったものです。ところがそのおじいさんが「明日は雨かも知れん」と言おうものなら、てっきりこのおじいさんが天気をあやつっていると勘違いして、そのおじいさんの悪口を言ったり、たまに当りはずれがあるともう二束三文に言ったものです。今にして思えば悪い事をしたものです。日和見的と人の顔色を伺って行動する人を言いますが、面白い表現です。子ども時代に下駄を投げて日和を予測したのも懐かしい思い出です。

 ところが「秋の夕焼け鎌を研げ」と反対に、同じ夕焼けでも「夏の夕焼け川向こう渡るな」と言います。つまり夏の夕焼けは当てにならないほど局地的に大雨が降り、馬の背を分けるのです。

 私の家は代々漁師です。子どもの頃から様々な天気に関する諺を聞きながら育ってきました。「八島や平郡島に雲がかかると大やまぜ(南風)」「お日様が高入りすると雨が近い」「雲が出れば雨、雲が入れば晴れ」など、いずれも長年の暮らしの中から生まれたものだけに、今でも通用する諺が多いのです。かつて夕日のミュージアムを造る時、気象に関する諺を古老からの聞き取りで調査したことがあります。その当時160を越えてありましたが、あの時の資料が役場の倉庫に眠っていると思われるので、一度担当者にお願いして見せてもらいたいと思っています。

 私たちの暮しに欠かせない気象ですが、【自悠くらぶ】の〈感〉コーナーに清水さんが気象予報士として記事を書いていますので、じっくり勉強させてもらいます。



 一昨日は愛媛大学の学生が双海町にやって来ましたが、自慢の夕日を見ることもなく帰って行きました。片づけが終り支払いを済ませてわが家へ帰る頃、背中に夕焼けを感じたため急いでわが家へ帰ってデジカメを持ち出し、シーサイド公園へ行きました。期待したような夕焼けではありませんでしたが、それでも西の空の夕焼けがとても綺麗に見え、大勢の夕日ファンが見とれていました。

 早速写真をパソコンに取り込んで、ハガキを作りました。オリジナルな絵ハガキもどうにか出来るようになって、毎日三枚のハガキも書くのが楽しみです。でもこのところ到着する私宛のハガキが多過ぎて、少々ストック気味で馬力を掛けないと追いかけられそうです。



  「昔人 秋の夕焼け 鎌研げと 上手い表現 きつい労働」

  「明日天気 下駄を投げては 遊んでた 下駄割り親に 叱られべそを」

  「今が旬 双海の夕日は 日本一 俺の自慢が またまた始まる」

  「シルエット 夕日に向かい 恋語る ほのぼのとして そちらに目やる」 

 
(絵ハガキに採用した写真です)

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