shin-1さんの日記

○テレビを見るのが嫌になる

 旅を続けて家に帰るとホッとします。妻の笑顔や親父の元気もその一つでしょうが、町の入り口に入るとどこか懐かしい雰囲気が漂って「お帰り」っといって迎えてくれるような気がするのです。しかし東京や大阪に出て田舎に帰ると、あのスピードとは比較にならないゆったりした動きにもどかしさを感じるのも事実です。田舎に3日いたら田舎のスピードに慣れてしまいます。逆に3日といわず1日間いただけでかなりのスピードが身につくようです。例えば歩く早さですが、私は歩くのが好きで、何処ででも極力歩くようにしています。特に都会に行くと都会の人の歩く早さに付いて行こうと必死に歩きます。背筋を伸ばして歩くよう心掛けて歩くと、まるで風を切るようで、その歩きをすると「進ちゃんは元気だねえ」と感心してもらうのです。田舎か都会か分りませんが、長崎へ行った今回の旅では携帯電話の歩数計が何と一日19867歩歩いていました。

 わが家へ帰ってまずすることは、何はともあれ書斎にこもってインターネットのメールの処理から始めます。たった一日しか家を開けていないのに迷惑メールが山のように入り、ゴミ箱へ捨てる作業をしたり、重要なメールには返信を書き込むのです。やっと終わって今で一服するためテレビをつけると、うんざりするほど不祥事が報道されています。守屋事務次官のゴルフ接待から始まり、大相撲の疑惑など、これでもかと言わんばかりに新たな問題がスクープされ、テレビを見るのが嫌になるほどです。

 守屋防衛庁事務次官などは、額に汗して働く人が一生かかっても手にすることのできない推定8千万円もの退職金が支払われているというから驚きです。それほど富を持つ人でも接待を受けて有頂天になるのですから、水戸黄門様に印籠でも出して懲らしめてもらいたいものです。今回の不祥事が本当だとすると日本の国も情けないといわざるを得ません。守屋さんたちエリートは人並み優れた能力を持っているはずです。熱意や使命感もあって人並み以上に努力して事務次官という地位に上り詰めたに違いありません。しかし生きる姿勢を間違いました。謙虚さや徳を忘れたのでしょう。日本は戦後の貧しい国から一躍世界のトップに上り詰めてきました。それまで重要視された人格などということよりも才覚や能力、それに学歴が重要視されてきたのです。政治家も皆同じで、国家より地元に利益を誘導する人が当選するのです。

 どこか間違っていると思うけど、今の腐った人たちには最早期待する方が無理のようです。政党間であら捜しをしてそれを追求すると国民の支持が清き一票に跳ね返るのですから野党も必死です。本当は政権交代などどちらでもいいのです。要はいい日本を作って欲しいのです。今のままのあら捜しを続けると、自分たちもあら捜しをされて、日本を論じることすら出来なくなるのです。

 テレビを見たくないという私の思いを分っていただけたでしょうか。

  「ああまたか うんざりチャンネル ひねれども 裏の番組 同じ報道」

  「八千万 毎日一万 使ったら 二十年間 使えるけれど」

  「ゴルフなど する暇あるの 隊員は サマワで危険 さらされてるに」

  「俺などは ゴルフの接待 ありません しない出来ない 良かったじゃない」

 

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shin-1さんの日記

○久しぶりに人間牧場で寝ました

 昨日、「第2回ソーシャルアクションスクールin四国」という10人ほどの小さな集会が人間牧場で開かれました。松山駅前を出発した一行はシーサイド公園を中継して2時過ぎに人間牧場へやって来ました。私の話を中心に対話形式で私をしゃぶり尽くそうという企てのようですが、公務員、民間、学生など様々な異業種の人の集まりなので私も楽しみに出かけました。

 この日は今年の秋一番の冷え込みで、北西の季節風がかなり強く吹くあいにくの天気でしたが、遠望も利いてまあ寒さを辛抱すればまずまずといったところでした。私は午前中孫朋樹を連れて人間牧場へ行き、お客を迎えるための準備をしました。水平線の家の掃除機かけ、ロケ風呂の拭き掃除、ロケ風呂周辺の草引きを一通りこなし、風呂にお湯を張りました。皆さんが風呂に入るのは9時過ぎですが、先日タンク設置工事を行ったばかりなので、水やお湯の出具合を確かめたかったのです。お湯も順調に出てタンクへの流入も順調なことを確かめて、孫を家へ連れて帰るため一旦下山しました。

 急いで昼食を済ませ毛布や資料などをトラックに積み、再び人間牧場へ向いました。一行は少し遅れての到着となりましたが、早速私の話が始まりました。まちづくりや人づくりに興味のある人ばかりですが、私の話を聞かれた人もいるので、私のこの2年半の話をプロローグとして、今まで比較的話していないような事を中心に話し、その後聞きたい話を質問のような形で回して行きました。「時間はたっぷりあるので」と主催者代表の山本さんから言われていたので、夜の会への導入のつもりでお話しました。


 夕方になるとかなり冷え込んできたようなので、暖を取るためことしの秋になって初めてストーブを焚きました。多分深夜はもっと冷えるだろうと、囲炉裏の座蓋を取って火を入れ、先日大洲青少年交流の家の田中課長さんからいただいた炭を入れました。赤々と燃えるストーブも囲炉裏も人の心をほのぼのとさせてくれました。囲炉裏を囲んだ座談会は飲むほどに酔うほどに熱を帯び、夢や思いを大いに語り合いました。特に大学生の存在も大きかったようです。

 明くる日に長崎への出張を控えているため私は11時過ぎに話の輪からはずれ、その日のノルマであるハガキを3枚書きました。1枚目は先日お世話になった株式会社システムブレーンの斉藤純一さん、2枚目は少し遅くなりましたが今治造船労働組合の南盛由さん、3枚目は先日松山全日空出の講演を聞いた熊本県の飯田真志子さんにです。人間牧場でハガキを書くこともそんなにはなかろうと、思いをめぐらせて書きました。12時になって時計の針が明日が今日になったのを見計って私のとっておきの個室に入り夢の世界へ旅立ちましたが、酒に酔った若者たちはさすがにいびきがひどく、何度となく起されましたが、4時過ぎからは小さな灯りを便りに読書にふけり、6時前に起床しました。



 

  「牧場で 夜を徹して 話する 何時の間にやら 若い人たち」

  「掃除して 風呂を沸かして もてなしを 何時の間にやら 旅籠の主」

  「山道を 一人散歩の 見慣れ人 何時の間にやら 歳を重ねて」

  「黎明に 浮かび上がるや 沖の島 何時の間にやら 夏から秋へ」


 

黎明の人間牧場界隈は前回泊まった夏とはすっかり趣を変えていました。強く吹いていた風も夜のうちに止み、秋祭りを二日後に控えた漁船が沢山エンジン音を響かせて沖を目指していました。陸風が海風に変わる7時半には全員で大掃除をして解散し県内のあちこちへ散って行きました。私はトイレの掃除と風呂の抜き取りなどを終え、昨夜風呂の水をためるタンクが空になった原因を調べるため、水元へ出かけました。地主さんの都合で水抜きが行われたようで、取水口より水面が下になっていて、故障でないことが分ってホッとしたのです。今週の土曜日には子どもたちが芋掘りのため再び人間牧場へ上がってくるので地主さんにお願いして水をためてもらうようにしたいと思っています。

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shin-1さんの日記

○あるセールスマンの嘆き

 今日私の家へひとりのセールスマンがひょっこりやって来ました。見るからに実直なこのセールスマンと知り合ったのは、私が教育委員会で社会教育をしていた頃ですからもうかれこれ30年も前のことです。彼は出版会社のセールスマンをしていましたが、一念発起独立して教育教材を売る仕事を始めたのです。それ以来4人の子持ちである私の所へやって来て、児童文学全集のような本を私に勧めました。私も子どもにとって本は大切だと思ったので、彼から本を買い求め、毎月5千円程度のお金で随分本を子どもに買い与えました。子どもたちの本好きなのはそのせいかも知れないと一人思うのです。その後私は産業課、企画調整室、地域振興課と移ったため彼との出会いも次第に遠のいていましたが、私が教育長になって再び出会い始めましたが、教育の激しい変化の中で彼とは取引をすることもなく、私は退職したのです。

 「ちょっと気になって立ち寄りました」といいつつ、玄関で立ち話のような形でお話をしました。彼の話を要約すると、「時代が変わった」「教育教材を持って家庭訪問すると変な人に間違われ全く相手にされない」「成績が上がらないから夫婦の間に不協和音が聞こえる」「65歳になった昨年から国民年金を貰っているが、食うことさえ厳しい」「将来が不安だ」「あんたが羨ましい」など等でした。

 私は、「2年半前に退職して今は自由人になった」「大学へ教えに行ったり全国行脚して楽しく暮らしている」「人間牧場を作り多くの人と交流している」「飯が食えたらいい」「後22年しか生きない予定」など等近況を伝えました。確かに彼の言う通り私の生き方は自由奔放で楽しいものです。またこれから生きるであろう後22年の人生もそんなに不安はありません。ないというよりあってもそれを笑い飛ばして行くだけのしたたかさを持ち合わせて生きようと努力しているのです。

「あんたが羨ましい」と言うように、人の一生は人との比較をし始めるときりがありません。世の中にはお金を沢山貯えて生きている人も、定年後に天下りして悠々暮している人も沢山います。でもそんな人全てが幸せかといえばそうではなく、むしろ程々な生き方をしている私の方が幸せかも知れないのです。

 靴を何足も履き潰すほどセールスに明け暮れた彼がポツリ、「65歳からが本当の人生なのに、夫婦でののしり合い、年金の安さにあたふたしている自分の姿がつくづく嫌になります。私は人生の生活設計を間違っていました」と本音を漏らしました。

 今の若い人の生き方を見ていると年金も払わず、今がよければそれでいいという考えで生きている人が以外と多いような気がしてなりません。このセールスマンのように必死に生きても老後は何かと不安なものなのです。幸い私は金融広報委員会のアドバイザーをしています。講演会や研修会で生活設計の必要性を説いてきましたが、これからも及ばずながらいい人生を組み立てるサポーターの役割を果たすよう努力したいと思っています。

  「人生を さげすみ生きる 人がいる 胸張りゃ少し 元気出るのに」

  「何足も 靴履き潰す 働きも 蓄えもなく やがて終わるか」

  「結局は 何しに来たか 俺の家 同情するが 役にも立たず」

  「まだ先は 長いと思い 前向きに 生きなさいよと 励まし別る」

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