shin-1さんの日記

○あるセールスマンの嘆き

 今日私の家へひとりのセールスマンがひょっこりやって来ました。見るからに実直なこのセールスマンと知り合ったのは、私が教育委員会で社会教育をしていた頃ですからもうかれこれ30年も前のことです。彼は出版会社のセールスマンをしていましたが、一念発起独立して教育教材を売る仕事を始めたのです。それ以来4人の子持ちである私の所へやって来て、児童文学全集のような本を私に勧めました。私も子どもにとって本は大切だと思ったので、彼から本を買い求め、毎月5千円程度のお金で随分本を子どもに買い与えました。子どもたちの本好きなのはそのせいかも知れないと一人思うのです。その後私は産業課、企画調整室、地域振興課と移ったため彼との出会いも次第に遠のいていましたが、私が教育長になって再び出会い始めましたが、教育の激しい変化の中で彼とは取引をすることもなく、私は退職したのです。

 「ちょっと気になって立ち寄りました」といいつつ、玄関で立ち話のような形でお話をしました。彼の話を要約すると、「時代が変わった」「教育教材を持って家庭訪問すると変な人に間違われ全く相手にされない」「成績が上がらないから夫婦の間に不協和音が聞こえる」「65歳になった昨年から国民年金を貰っているが、食うことさえ厳しい」「将来が不安だ」「あんたが羨ましい」など等でした。

 私は、「2年半前に退職して今は自由人になった」「大学へ教えに行ったり全国行脚して楽しく暮らしている」「人間牧場を作り多くの人と交流している」「飯が食えたらいい」「後22年しか生きない予定」など等近況を伝えました。確かに彼の言う通り私の生き方は自由奔放で楽しいものです。またこれから生きるであろう後22年の人生もそんなに不安はありません。ないというよりあってもそれを笑い飛ばして行くだけのしたたかさを持ち合わせて生きようと努力しているのです。

「あんたが羨ましい」と言うように、人の一生は人との比較をし始めるときりがありません。世の中にはお金を沢山貯えて生きている人も、定年後に天下りして悠々暮している人も沢山います。でもそんな人全てが幸せかといえばそうではなく、むしろ程々な生き方をしている私の方が幸せかも知れないのです。

 靴を何足も履き潰すほどセールスに明け暮れた彼がポツリ、「65歳からが本当の人生なのに、夫婦でののしり合い、年金の安さにあたふたしている自分の姿がつくづく嫌になります。私は人生の生活設計を間違っていました」と本音を漏らしました。

 今の若い人の生き方を見ていると年金も払わず、今がよければそれでいいという考えで生きている人が以外と多いような気がしてなりません。このセールスマンのように必死に生きても老後は何かと不安なものなのです。幸い私は金融広報委員会のアドバイザーをしています。講演会や研修会で生活設計の必要性を説いてきましたが、これからも及ばずながらいい人生を組み立てるサポーターの役割を果たすよう努力したいと思っています。

  「人生を さげすみ生きる 人がいる 胸張りゃ少し 元気出るのに」

  「何足も 靴履き潰す 働きも 蓄えもなく やがて終わるか」

  「結局は 何しに来たか 俺の家 同情するが 役にも立たず」

  「まだ先は 長いと思い 前向きに 生きなさいよと 励まし別る」

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