shin-1さんの日記

○フォーラムに参加して「学校が危ない」と叫びました

 「きっと 子どもたちのために きっと もっと あなたのために」、サブテーマである「~子どもがいるから学校がある 学校があるから地域も元気ななる~」を全体テーマにしたフォーラムが島根県益田市真砂小学校の講堂で行われました。

(会場のステージを飾ったアート作品の数々はこの方が作りました。前回真砂に来た時工房を訪ねましたが、中々の趣味でした)
(会場を埋めた260人の参加者)
(子どもたちが司会進行をしました。いい雰囲気でした)
(前の席には地元のおばちゃんが陣取りエールを送ってくれました)

(開会前のくつろいだ雰囲気です)
 私は第3分科会「学校の地域における役割を考える」と、全体会「地域が育む学校、学校が育む地域」のパネラーを務めました。

 まず第3分科会は顔馴染みの学校地域の融合教育研究会副会長岸裕司さん(千葉県)をコーディネーターに、元佐伯市観光大使の矢野大和さん(大分県)、学校地域の糾合教育研究会副会長油谷雅次さん(大阪府)、それに私(愛媛県)をパネラーに迎えて、お互いが論陣を張りました。この分科会は凄いメンバーを揃えたもので、岸さんの巧みな司会に上手く絡んでいい分科会となりました。会場には真砂地区の人が沢山陣取り、自分たちの地域の見えない不安と向き合っているようにも思えました。

 真砂地区は高齢化率44.5パーセント、小中学生合わせて14人とか、134年の歴史を誇る学校だというのに、今は統廃合の見えない幻影に脅かされているのです。

 私流に考えれば、日本の社会がおかしな方向に向かい始めたと思うようになったのは高度成長期でした。それでもまだまだ田舎は第一次産業もそれなりに動き、過疎だと言ってもそれほど深刻なものではありませんでした。初めて田舎が危ないと意識したのは「国鉄の民営化」、つまり「始めの波」でした。公共交通機関に移動手段を頼っていた時代が、マイカーの普及や高速道路の整備によって大きく変化したのです。特に田舎の国鉄は赤字が膨らんで、このままだと政府の台所が持たないと、民営化になりました。当然私たちの町の予讃線海岸回りもその対象になりましたが、巧みな戦術で切り抜けて生き残り現在を迎えていますが、その将来は楽観を許さないのです。

 続いて「第一の波」がやって来ました。「農協の合併」です。町や村それぞれにあった農協は広域合併しました。そして私たちの町のきめ細かな営農指導は姿を消すと同時に、主産業であったミカンは放任園が増え始めミカンで飯が食えなくなったのです。当然飯が食えなくなると人は食えるところに生きる糧を求め、町から人がいなくなるのです。それでもみんな農協の合併は他人事だと傍観していました。

 「第二の波」は「市町村合併」でした。みんなここでやっとその重大さに気付きはしましたが、行政のメリット強調や議会の浅い議論と住民の人任せの無責任な気持ちが、現在の地方自治が持他なければならないはずの行政サービスが低下を招いているのです。

 「第三の波」は先日の「郵政民営化」です。郵便局が民営化すると効果効率です。国の持つ公共サービスの最後の砦はもろくも崩れ去ろうとしています。悲しいかな銀行もない地域ではお金の出し入れさえもできないのです。

今「第四の波」が押し寄せいてこようとしています。「学校の統廃合」です。なし崩しに行われようとしている学校統合は、子どもの成長した子どものいない家庭にとっては、それ程困った問題だとは受け止められていません。

 この問題が今回のフォーラムのテーマでした。「適正規模」などと訳の分らぬ言い分を錦の御旗にして学校が全国の地域から消えようとしているのです。学校がなくなれば町の三大企業だった農協・郵便局・役場が消えたのと同じように、地域のダメージはもう地域の存在意義すら消えるのです。

 「学校が危ない」と壇上から声高に叫びました。そして地域の人たちに不燃物のような不燃人になるな、せめて可燃物のような可燃人になって欲しい、そして自燃人になって欲しいとメッセージを送ったのです。会場に来た人は私の叫びに大きな拍手をしてくれましたが、残念ながら来ない人へは響かないメッセージなのです。

 普通フォーラムに参加すると元気を貰って帰ります。しかし今回は交流会で元気は貰ったものの、将来への暗い影が忍び寄っているようで、少し落ち込んだ疲れた気持ちで帰りました。これからは「学校が危ない」と、余力しか使えませんが訴えて行きたいと思いました。

 実は第五の波」である、「集落の崩壊」が密かに忍び寄っているのです。ご用心を。


(二日目の全体会です)

(この子どもたちが歌った歌にはジーンときました)


 
「学校が 危ないですよ 声高に 叫んでみるも 反応今一」

  「三回も 訪ねる真砂 あちこちに 無住とおぼしき 家が増えてる」

  「俺四人 子ども育てた 古い人 今は一人か 二人寂しや」

  「世の中が 進んでいるのに 田舎では 追々細り 線香のようだ」  



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○まあよく行く所もあるねえ

 家族も近所の知人や友人も、毎日のようにネクタイと背広姿で外出し、滅多に家にいない私を見て「まあよく行く所もあるねえ」と感心や感嘆の言葉をかけてくれます。その通り私は役場を退職して2年半余りが過ぎたというのに、相変わらず自分でも感心するくらい外出する用事が多いのです。

 先日既にリタイアしている男子同級生にばったり出会ったら、彼は只今何もすることがなく、風呂とパチンコとくらいなものだと、気楽な年金暮らしを堪能している様子で、「お前が羨ましい」と言われましたし、同級生の女性からも旦那が年金暮らしだというのに再就職もせず、毎日ブラブラして、おまけに少ない年金の中から亭主持ち逃げという支出項目で小遣いを持って行くので困るとぼやいていました。「その点若松さんは色々と働き口があっていいね」と言うので、「あんたは私を好いて結婚していたらもっと幸せにしてあげたのに、私よりちょっと足が長く、ちょっと男前の旦那さんに憧れたからこんな結果になったんよ」と、冗談交じりに言って二人で大笑いをしました。

 それにしても、よく行く所があるものです。昨日と今日はブログにメモの走り書きをして周知していたとおり、島根県益田市へ行ってきました。第11回融合フォーラム、第7回子どもフォーラム綺羅星7、平成19年度全国ことばを育む親の会の中国ブロック代表者会議、という非常に長ったらしい三つの集会がドッキングした催しです。私の友人である大畑伸幸さんや寺戸一朗さんが中心になって、しかも私が過去3度も訪問したことのある真砂地区であるものですから、有無を言わせずの役割です。私は土曜日の分科会のパネラーと日曜日の全体会のパネラーを兼ねる、大変人使いの荒い重要な役目を背負いました。運悪く人間牧場では私が委員長を務める少年少女おもしろ教室の芋掘りと芋畑会議が予定されていて、、先に予定の入っていた真砂の集会を断ることも出来ず、板ばさみにあって悩みに悩みましたが、結局地元の集会を教育委員会のお職員にお願いし、人間牧場のカギを預けて出かけたのです。

 昨日はあいにくの小雨でしたが、松山観光港を早朝1番、午前7時発の高速船に乗って出発するころには雨もあがり、電車を乗り継いで紙屋町のバスセンターから高速バスに乗って広島県加計・島根県美都経由で峠を越えました。峠の道沿いはウルシやモミジの紅葉が既に始まっていて、山陰路に入る頃再び降り出した小雨に濡れた紅葉を今年初めて拝みました。今年は夏が暑かったせいか紅葉前線の南下や下山が1週間ほど遅れているようで、クヌギやケヤキはまだ紅葉していませんでした。それでも一足早いモミジ見学とあって、下車予定の美都総合支所までは、眠ることもなく車窓の紅葉に見とれていました。12時9分着はぴぅたりの到着で、あらかじめ迎えに来て貰っていた若い青年の車で、再び峠を越えて真砂地区へ入りました。道端の光景もどこか懐かしく、会場には先日私の留守中にバス一台で視察にこられたおばちゃんや、私の講演を聞いたことのあるおじさんが沢山いて、まるで同窓会のような賑やかな出会いとなりました。

 今日研修が終わって再び真砂地区を出発し、親愛なる島根の友人の車で元来た道、元通った峠、電車、高速船を乗り継いでわが家へ引き返しました。昨日の朝5時半に家を出て今日の夕方8時に家に到着するという、しかも研修会は全国から集う260人もの大集会で、思う存分話をさせてもらいましたが、かなりの強行軍に少々の疲れを見せながらも、心地よい気持ちで机に向っています。

 さあ今日は少し早めに床につき、明日の朝はまた元気な親父の顔を見て、午後の集会に出かけます。「まあよく行く所もあるねえ」

  「朝早く 家を出たけど 着いたのは 昼過ぎ何と 遠い旅です」

  「瀬戸内は 雨のち晴で 山陰は 時々雨か 列島広い」

  「今頃は 人間牧場 芋を掘る 子ども歓声 賑やかだろな」

  「道沿いの ウルシのモミジ 美しく 目を奪われて 峠登りぬ」 






[ この記事をシェアする ]