shin-1さんの日記

○いやあ驚きました

 昨晩から今日の午前中にかけて、しまなみ海道の三連吊橋来島海峡大橋の橋脚のある馬島へ出かけました。昨晩は夜だったものですから何処をどう通ったのか余り分りませんでしたが、何でも島の人だけしか通行が許されず、普通の人は利用できない小さなインターを降りて島の中へ入って行きました。橋にはイルミネーションがつけられていて、夜空に光が弧を描いている姿もおつなものでした。交流会が深夜にまで及んだため夜の散策が出来なかったため、早朝6時に部屋を抜け出し、黎明の島道を一人で歩いてみました。夜明けの清々しい空気が漂い気持ちの良い朝でした。民宿の前はまるでプライベートビーチのような海が広がり、吊橋が美しく海上に映え見えました。いやあ美しいです。まるで絵を見ているような光景でした。


近くに灯台があるようなのでその灯台を目指して歩くと、神社に着きました。三島神社の社紋が彫り込まれた玉垣や石段を登ると社殿がありその裏には白い灯台がありました。

 白い灯台の深く刻まれた銅版にはうずの鼻燈台・昭和十二年と右から左へと読むような形で書いてありました。私が生まれる前に設置された70年も経た灯台なのです。ふと今治のまちづくりグループの名前がうずの鼻だったのでは?と思ったりしました。四方はウバメガシで視界を遮られていましたが、樹間に見え隠れする海はその名の通り渦が巻いて荒々しい姿を見せていました。元来た道を引き返し堀切らしき所を抜けると港に出ました。朝の釣りを楽しむ人、散歩をする人、小船に乗って漁に出かけようとする人それぞれの朝を楽しんでいました。橋の橋脚部分の近くまで行ってみました。凄いの一言です。この上を尾道方面へ、また今治方面へと何度も通った橋ですが、橋を下から見上げるのは初めてです。改めて人間の力の凄さにも敬服したのです。

 昨夜泊まった海鮮料理民宿みはらしへ帰って朝食を取り、少し休憩して9時から今治造船職員組合代議員研修会に望みました。20人ほどのこじんまりとした集会でしたが、昨夜の酒が聞き過ぎて多分研修会にはならないだろうと思っていましたが、あにはからんや2時間も話したのに殆ど寝る人もなく熱心に目と耳を傾けてくれました。90分の予定がつられて2時間になってしまいました。熱を入れたと思ってご勘弁を願います。



 帰りは車でなく民宿のクルーザーで直接今治造船の岸壁に着きました。今治造船は日本一の造船所として名声をほしいままにしている造船所ですが、南ル同組合委員長の案内で工場内を正門前まで歩きましたが、いやあ驚きです。こんな大きな30億円もするような船が僅か2~3ヶ月で出来るというのですから、時代も進んだものです。一度工場見学でもさせてもらいたいと思いました。この日は今治地方の秋祭りとかで工場は休みだそうで、急ぎの仕事をしている現場しか動いていないとのことでした。今回も良い出会いをいただきました。

  「うずの鼻 神社灯台 同居して 沖行く船の 安全祈る」

  「馬島の 下から橋を 見上げれば 人の力の 偉大さ知れる」

  「海見れば 何処か懐かし 風景と 磯の香りに 亡き母思う

  「横文字で パナマと書いた この船が 僅か2ヶ月 程で出来るか」  


 

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shin-1さんの日記

○アバウトな私とアバウトな相手

 「若松さんですか。実はある人から面白い話をする人はいないかと聞かれたので、あなたの名前を出しておきました。いずれ連絡がると思いますので、その時は私の顔を立てて引き受けてください」と高松へ主張中の運転中に電話がかかってきました。数日前携帯電話でパトカーに咎められたこともあって、路側帯へ車を止めて話の中身も聞かぬまま一応引き受けました。その後追い討ちをかけるようにその人から電話が入り、何度も車を止めると高松での会合に間に合わなくなる恐れがあるので、「はい了解しました」と電話を切りました。その時は10月20日と21日で了解を得ていたはずなのに、こちらも忘れそうになり、不安な中で日が迫っても相手の電話が誰だったか、電話連絡しようにも分らないのです。「弱ったなあ」と思っていたら相手から電話がやっと入りましたが、この時もあいにく運転中で、「10月20日と21日を一週間前にずらせないか」というのです。呆れましたが一度引き受けたことなのでシブシブ了解しました。

 しかしその後も何の連絡もなく、文章での依頼もなく結局前日を迎えました。「明日になりました。本社前で6時に待ってます」でチョンです。毎回運転中、毎回メモ持たない時に限っての電話なので、その本社が何処にあるのかさえも知らないのです。しかしこんなアバウトな話があるでしょうか。といっても私もアバウトですから仕方がありません。結局2時間かけてその会社に電話番号入力のカーナビの力を借りてたどり着きました。しかいその会社は大きくて現場があちこちにあり、本社前が何処なのか困りました。昨日の携帯電話が入った時間を思い出し、着信番号を確認して電話を入れました。「今何処ですか」「なたは今何処ですか」お互いがチンプンカンプンな話をしていると、電話の目と鼻の先にそれとおぼしき人が携帯電話をかけながらお互い手を挙げあい、やっとの思いで目的地、目的人にたどり着いたのです。ああ嘆かわしや、それにしてもお互いにアバウト過ぎますね。

 事務所へ通されましたが、集まった人が何か怪しい雲行きです。私の不安は益々募るばかりです。そこへ妻から電話が入りました。妻「お父さん着いた?」、私「うん着いた」、妻「今何処?」、私「よう分らん所」、妻「よう分らん」、妻「よう分らんて、そんなんのでよう行くわね」、私「うん俺もそう思う」、妻「後でまた電話してね」、私「うん」。で電話を切りました。

 さて、そこからがまたアバウトです。相手たる私は場所と話の内容を全て知ってるし、私のデーターもインターネットで持っているようでしたが、私はその人を知りませんし、ましてや何処の会場か、そこでどんな話をどの程度するのか全く雲を掴むような話なのです。この日はバスで移動して島へ行くというのです。「えっ何処の島?」、途切れ途切れに聞こえる電話の話で「洗面道具を持って来るように、前夜は大いに飲んで話しましょう」「私は酒が飲めないのですが・・・」も相手には通じていないらしく、「若松さんお酒はどれ程」とまた聞かれてしまう有様です。

 こんな不安な気持ちではいい仕事は出来ないと思いましたが、その夜は酒が滅法強い20人ほどの参加と懇親会が延々と午前様まで続き、明日の私の講演などまるで眼中にないようなノリノリの手合いでした。帰りたい気持ちも半分、こういうこともあるだろうと諦めの気持ちも半分でしたが、島ゆえ帰るに帰れず眠れない島の一夜を過ごしました。アバウト人間若松進一はそれでも健気に生きて仕事をしているのです。「あー俺も気が長く、人間が丸くなったものだ」としみじみ思いました。

  「これは夢 そんなに思う 集会に 招かれ不安 夜も眠れず」

  「アバウトな 性格だから いいのかも 寝食共に 心うち解け」

  「島へ行く バスに乗せられ 拉致されて 帰るに帰れず 腹をくくりて」

  「知っている 積もりで話 するけれど 私何にも 知らないもので」

 

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