shin-1さんの日記

○五右衛門風呂

 定かな記憶ではありませんが、何年か前真砂に来た時は学校の運動場と道路の間の敷地に五右衛門風呂が一つポツンとありました。「あんな公衆の面前で風呂に入るには水着でも着ないと恥かしい」と思って見ていました。その後寺戸一朗君や大畑信幸君から届く風の便りでは、「五右衛門風呂が三つになった」とか「囲いと屋根が出来ました」「今度は地元のおじいちゃんの指導で釜戸も出来ました」と次々に進化の様子が届いていたのです。ですから今度のフォーラムが真砂であるというので密かに楽しみにしていました。

 到着した日はあいにくの雨の中を到着し、事前打ち合わせや分科会、それに交流会と息つく間もないスケジュールだったものですから、結局一日目は見ずに益田駅のの前のビジネスホテルへ帰ってしまいました。浜田先生や佐々木先生など悪友が夜も誘いに来て、「いろはにほへと」という居酒屋へ大勢でなだれ込みました。そして午前様まで付き合って床に着いたのは1時頃でした。

(早朝の空にぽっかり浮かんだ十五夜の月)
(区画整理ができてすっきりした益田駅前界隈)

 しかし習慣とは恐ろしいもので、早朝4時に目が覚め寝付かれなくなってしまいました。私もやはり歳なのでしょうね。6時まで読書にふけり、外が騒がしくなったので部屋のシャッターを開けると、早朝の青い空にくっきりと十五夜の残月が見えました。益田駅前も区画整理が進みすっきりした感じになっていましたが、その分だけ余計月が寂しく感じられました。

 研修会が終わったのは12時でした。島根県の松嶋さんが運良く益田で研修会があって来られていて、途中まで送ってくれるというので、彼女の到着を待ちました。その間約30分ばかりでしたがそこここを訪ね、見れなかった部分の散策をしました。

 まず五右衛門風呂です。立派な五右衛門風呂が3基も完成していました。

(五右衛門風呂棟の内部です)
(五右衛門風呂の外観です。もう一つは釜戸と一緒に別棟でした)

 まるで田舎旅館の露天風呂のような立派さで、昨晩入浴したかったと悔やみましたが後の祭りでした。風呂の側に立派な釜戸ができていました。人間牧場に欲しい施設です。写真に撮ったり寸法を計ったりしましたが、私にはとても真似のできる代物ではないので、どうするか考えなければなりません。

(湯沸しまでついた2連式の釜戸)

 全体を五右衛門広場と名付けて看板まで立っていました。横には二日間の舞台となった真砂小学校の木造講堂が堂々と建っていました。これも、原風景として利用できる真砂の財産なのです。

(真砂小学校の講堂)

 いい雰囲気で真砂の地域づくりが行われ、かなり成熟してきました。お豆腐を作る有限会社真砂のトウフマン1号岩井賢朗さんにもお会いしました。昨晩食べた豆腐の職人さんです。人有り、食べ物有り、風呂有り、資源有り、グリーンツーリズムの形が出来つつあるようです。

  「少しずつ グレード高め 進化する 様子眺めて 頼もしかりけり」

  「俺の風呂 比較するもの あればこそ ああもしたいと 夢は広がり」

  「まず釜戸 次の目標 見えにけり 資金ぐりなど 更に厳しく」

  「学校も 今時珍し 木造で これも似ている 私の町と」


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shin-1さんの日記

○交流会

 一昨日は分科会終了後、大交流会が学校講堂で行われました。高津川の鮎の塩焼きと真砂のザル豆腐、それに猟友会が協力して造ってくれた猪鍋やおでん、合鴨米のおにぎりなど、思い出せばツバが出るくらい美味しいご馳走を堪能しました。酒の飲めない私にとっては、お茶ばかりで少々きついものですが、それでも飲むほどに酔うほどに酔うほどに交流の輪は広がり、持って行った一箱100枚の名刺はあっという間に無くなってしまいました。

(講堂の中が割れんばかりの盛り上がりでした)

 参加者は広島県・千葉県・神奈川県・大阪府・静岡県・岩手県・群馬県・山口県・愛媛県・山口県・東京都・福岡県・宮城県・栃木県・島根県・大分県と覚えているだけでも16都府県にまたがり、それぞれ自慢の産品が披露されてセリに掛けられました。

 交流会では石見神楽が披露されました。その見事さは言葉や文章、それに写真では表現できないほどのもので、度迫力に盛んな声援が飛び交いました。私もかぶりつきのような前の席でしばし口を開けて見とれていました。


(居合わせた島根県の教育長さんが絶賛するほどの立ち居振る舞いに鳥肌が立つほど興奮をしてしまいました。

 しかしこれらの伝統芸能も過疎化や高齢化、それに少子化による後継者不足で、思うに任せないのが実情のようです。真砂に来る道すがら、国道沿いのどこかの町で立派な神楽会館が朽ち果てて崩れ行く姿を目の当たりにしました。この神楽を伝承するためにどれ程の人がどれ程の練習をしているのでしょう。こんな伝統文化への援助こそ、美しい国づくりなのだと思うのですが・・・・・。


 今回の集会を企画運営したのはこの人たちです。多分真砂地区にこれ程の人が集まったのは久しぶりだと思うのですが、人を温かくもてなす心が充分に伝わってきました。

 来年は松山で開かれるのだそうです。他人事だと思っていた訳ではありませんが、交流会の最後に松山の人たちが壇上に上がりおらが松山を紹介していました。いいことです。こうして交流の輪が広がり、多くの人が学社融合について論じ合い、自分に出来る事をやるようになるのです。

 仕事柄私もこれまで沢山の大会にお邪魔してきました。千人を超えるものもあれば、100人単位のものもあります。今回の大会は人数的には小ぶりな方ですが、思いとアイディア、それに暖かさでは何処にも負けない、そして心の温かさを感じるような大会でした。

 近くのお寺の本堂まで分科会場にしていました。多分真砂の先祖は「一体何事が起きたのか」と目を丸くしたに違いありません。これこそ私が目指す「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」なのだと思いました。子どもが少なくなり、あるいは学校がなくなるかも知れません。でも転ばぬ先の杖としてどうすれば地域が自立するか考えたこのフォーラムの意義は大きいに違いありません。ただ何もせず時の流れに身を任せていたのでは、地域はよくならないのです。

  「今までに 子どもの司会 見るもなし 嬉し恥かし それで堂々」

  「三年の 時の流れが 逞しい 人を作りて 私感激」

  「学校の 講堂古く 木造で 一周遅れの トップランナー」

  「神楽(舞) 合鴨(米)も 同じ(まい) 俺は(まい)った 鍋に(まい)茸」 

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