shin-1さんの日記

○社会教育に元気がない

 昔の仕事の関係で、社会教育や生涯学習など教育に関する講演の依頼が多いようです。でも全国何処へ行っても近頃感じるのは、社会教育に携わる人の元気がないのが少し気がかりです。合併によって公民館や社会教育の現場が効果効率という名の元、いとも簡単に指定管理者制度や委託に移行する姿を見るとまるで風前の灯のように感じるのは、私一人ではないと思うのです。行政から財政難を理由に突きつけられた三行半を跳ねつけれるだけの勇気のある教育長や教育委員会が少ないことも気になるところです。戦後60年も汗水たらしてやって来た社会教育の存在はこんなものだったのかと、多少のかかわりを持ってるだけに自責の念に駆られることだってあるのです。

 そんな思いを抱いていた矢先、長崎県から一報が入り、社会教育主事等研修会(専門講座)で「元気な社会教育づくりを目指して」というタイトルで話して欲しいと連絡が入り、一も二もなく他の予定を変更してもらって出かけて行きました。長崎といえば、私の住む四国からだと瀬戸内海を越え、関門海峡を越えねばならないかなり遠い土地です。それでも行きたい心境になるのは長崎と合併した香焼の武次さんや諫早の松本さんの顔が浮かんだからです。彼ら二人はわが家にも来るなど長年交友を温めている人たちなのです。それにも増して担当の菅さんから「元気がないので元気の出る話を」と言われたのが引き金になりました。

 諫早から大村駅まで行き、駅から会場となった大村市中央公民館までは結構な距離ですが、諫早で途中下車して遊んでも約束の時間より少し早く着いたので、歩いて会場入りとなりました。市役所の横にある中央公民館はスポーツ施設も併設する立派な文化会館で、余りの立派さに驚きました。

 集会はこじんまりとした集会でしたが熱心な人が集まっていて、100分近くを一気に喋ってしまいました。社会教育関係者には大きく分けると三つのタイプがあるようです。①不燃人、②可燃人、③自燃人です。

 ①不燃人はいくら話しても変化の兆しが見えない人です。左遷意識を持ったり、学歴に比較して自分の配置に

   不満を持っているような人です。正直こんな人は社会教育のお荷物で、早く辞めるか去ってもらった方が 

   いいといいました。 

 ②可燃人は研修に参加したり、燃える人に出会うと心に温かいものが生まれる可能性のある人です。ちなみに

   参加した人に手を挙げてもらったら圧倒的に多かったようです。将来を期待しましょう。

 ③自燃人は私のような人です。どんなに条件が悪かろうがその仕事に誇りを持って生きる人です。本物の人で

   す。岩手県一関室根公民館の金森さんや香焼の武次さん、諫早の松本さんもその部類に入る専門馬鹿な

   のです。昔はこんな人が一杯いました。


 私の話は公民館の主事だった頃を回想しどんな主事を目指しどんな事をやったか話しながら、「ないないづくしの公民館10ヶ条」や「社会教育ステップアップ7段階」の話を織り交ぜながら話しました。特に今の社会教育が読む・聞く・見るに終始していては大きな発展は望めず、書く・喋る・実践するに移行することが肝心だと氷の実験を例に話しました。

 撒き餌をいっぱいばら撒きましたので、食いついてくれる事を期待したいものです。


 帰りは後ろ髪引かれる思いでしたが、諫早まで送ってもらい、長崎を後にしました。車窓から眺める雲仙普賢岳や諫早湾、そしてその向こうには水俣に続く海が見えました。あれ程世間を騒がせた雲仙普賢岳の噴火も、諫早湾の干拓も、水俣病も日本人の記憶の中から残念ながら消え失せようとしています。社会教育は趣味・教養を高めるだけが仕事ではありません。社会のひずみや問題を掘り起こし、その問題点を学習によって明らかにし、社会活動や社会運動に発展させて人々の暮しを良くして行かねばなりません。意思半ばで亡くなった親友だった柳川の広松伝さんが、車窓の彼方に思い出となって過ぎる旅でした

  「不燃人 そんな人なら いらないと 声を荒げて 私は言うた」

  「いつの世も 思うようには なりません それでもやれば 何とかなるよ」    

  「要は人 人の良し悪し 言うけれど 不燃人には とんと響かず」

  「旧友に 愚痴を言うなと 伝言す 言うたところで 世の中変わらず」


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shin-1さんの日記

○旅の途中で

 長崎大村市への旅は博多から特急カモメに乗って諫早まで行きます。諫早駅で大村線に乗り換えなければならないため少しの待ち時間がありました。そこで前回は雨が降ってて諫早で見れなかった大楠とめがね橋を、途中下車のような形で見る事にしました。長閑な秋の一日は絶好の日和に恵まれ、歩いて一人散策しました。駅前の略図と看板を便りに街中を歩くと意外なものを見つけるものです。まず目についたのは諫早神社の前の川に行儀よく並べられた飛び石でした。列石の如く配置された石は台風で流れたため復元したものだそうですが、橋のなかった昔はこの飛び石が道だったし、人々が川を中心に暮らしていた頃は洗濯や野菜の洗い場として、時には子どもたちの遊び場として使われていたに違いありません。折角だからと川に降りて石の上を飛び跳ねるようにひい、ふう、みい、ようと渡りました。全部で37個あったと記憶しています。

 諫早神社の境内の楠木は凄いです。巨木というに相応しい楠木が7~8本も群生していてそれは見事でした。

(正面から見た大楠木の雄姿)

(裏から見るとシルエットの影が神木として神々しさを醸し、また違った趣きがありました)

 

 川沿いには柳の木が植えられていて、度重なる水害に見舞われたのでしょう、幾つもの水門が川と道を遮断しているようにも見えました。

 やがて諫早を代表するめがね橋のある公園に出ました。

(正面の眼鏡橋と書かれた石柱に歴史の重みを感じました)
(橋のたもとから見ためがね橋です)

(早朝なので観光客の姿はなく、講演の手入れをする人たちが忙しく働いていました、私は思いきって橋を歩いて渡りました。いい気分です)

(どうですか、この雄姿をとくとご覧下さい。水面に浮かぶ橋の姿を連想して作ったのでしょうが、いやあ立派なのに驚きました)

 この橋の故事来歴を知る由もなく急ぎ足での見学だったのに、これほど美しい橋を見たのは久々で、少し興奮気味でした。ついでに後ろの山に登り諫早の街を遠望しました。民俗学者宮本常一の「知らない土地に行ったらまず高い所から見よ」という常一の父善十郎の言葉を思い出したからです。

 頂上にも立派な楠木がありました。


(藤棚の向こうに青空が広がり、歴史に彩られた田舎町の風情を堪能しました)

 年中旅をしている私にとってこれまで、諫早という土地は長崎への通過地点でしかありませんでしたが、手持ちの携帯電話に備えた万歩計は1万歩を指す束の間の散歩となり、強烈なインパクトを与えてくれました。これからも少し視点を変えて旅を楽しみたいと思いました。

 私は元来た道をカバンを二つぶら下げて再び諫早駅に戻り、大村線に乗り込み目的地を目指しました。いいお土産話が出来ました。

  「頬撫でる 風に誘われ のんびりと めがね橋まで 意のむくままに」

  「一年中 全国歩く わが身だが この日の収穫 大いに満足」

  「この橋を 誰が考え 造ったか 昔の人の 偉さ讃える」

  「ひとり旅 人をへつらう こともなく 途中下車して ちょっと失敬」


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