〇日本語の魅力(益荒男と手弱女)
生まれてこの方66年間の殆どを日本に住み、母親や父親、それに社会で出会った多くの人や書物、時にはテレビなどの媒体から多くの日本語を習いながら、日々の暮らしの中で日本語という言語を喋ってきました。時にはその意味も分からず使ってきた日本語も数多くあり、外来語を含め広辞苑などの世話になりながら意味を調べて今日まできたものの、近頃になって日本語は間口が広く奥が深いとしみじみ思うのです。
先日テレビを見ていると「益荒男」と「手弱女」という言葉を喋っている人がいました。「ますらお」といえば相撲の好きな私が一番に思い出すのは「男」が「雄」と一字違いの、益荒雄という力士の名前でした。既に引退していますが端正なマスクと機敏な取り口などを想像しながらその意味を思い、インターネット辞書」で調べてみました。「益荒男」と「は勇気のある強い男」と書いていました。私がおぼろげながら想像していた意味と、一致していたのです。
続いて同じような方法で「手弱女」という言葉の意味を調べました。「手弱女」は「益荒男」の反対語ですから優しい女性くらいかなと想像していましたが、「たおやかで優雅な女性」と当たらずも遠からじでした。じゃあ「たおやか」とは一体どういう意味なのか?、疑問の淵を行ったり来たりです。「手弱女」は「たおやめ」と呼ぶことは知っていましたが、私の軽薄なこれまでの暮らしの中では多分使わなかった言葉なのです。
日本語は難しいし奥が深いと思いつつ、最近の男性と女性について考えました。現代は男と女の区別が付きにくくなっています。男性が化粧をしたり装飾品をつけたりする時代です。一方女性も男性オンリーだった社会や職場に進出し、むしろ男性をしのぐ活躍をしている男性的な女性が多くなっているようです。また性差のない社会を象徴するように、これまで聖域として踏み込めなかった、性転換なども行われ、性差のない社会は今後も進むものと思われるのです。
私は男性は男性らしく、女性は女性らしくなんて考える古いタイプですから、男が家事や育児をすることが当然という現代からは疎んじられるような人間です。男性の理想は「益荒男」、女性の理想は「手弱女」と勝手に決めていますが、これには多くの批判が集中しそうなので、この話はこの辺でお開きにしたいと思います。でも東日本大震災の被災を思う時、これからの復興には「益荒男」という強い心と「手弱女」という優しい心が必要ではないかと、しみじみ考えました。
「何気なく 意味も分からず 使ってる 日本語調べ 深さ感動」
「益荒男や 手弱女という 日本人 ついぞ見かける ことも少なく」
「性差ない 社会といわれ 久しいが 理想は矢張り 益荒男・手弱女」
「日本語を 喋っているよう 見えるけど 乱れてしまい 何語分からず」