shin-1さんの日記

○私の二宮金次郎騒動

 私が入学した小学校を学校として始めて認識した記憶は、運動場にすっくと立っていたシンボル的存在の大きなイチョウの木と、学校の玄関先に建っていた二宮金次郎の銅像でした。イチョウの木は残念ながら寿命が来て枯れそうになりましたが、子どもたちや樹木医さんたちの懸命な努力でかろうじて生き延びていますが、かつてのような天に向かって聳えるような勢いはないのです。

 二宮金次郎の銅像も昭和45年の学校改築に合わせて取り壊され、その後は野口英世博士の胸像に生まれ変わっているのです。私は少し変わった考えの少年だったのか、小学校一年生に入学した時から、金次郎が左手に持って読んでいる本のことが、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう?」と気になっていました。そして小学二年生になった若松進一少年はある日、kともあろうかその台座に登る決心をしたのです。自分の背丈以上もある台座にどのようにして登ったのは未だに良く覚えていませんが、運の悪いことに台座に上がっている私を、たまたま通りかかった校長先生見つかってしまい、校長先生を激怒させ校長室へ連れて行かれました。

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(後に学校の写真集から見つかった当時の二宮金次郎の銅像)

 校長先生は私に、「お前はあんな偉い人の銅像の上に何で上がったのか」ととがめました。私は「先生、私は二宮金次郎さんが何の本を読んでいるか知りたかったのです」と答えると、校長先生は「馬鹿たれ、あそこにはいろはにほへとと書いている」と言って、お仕置きの星座を1時間も校長室でさせられたのです。

 それ以後「二宮金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という私の疑問は30歳まで解けぬままでした。ところが愛媛県校長会が主催して招聘する予定だった女優左幸子さんが直近になって急逝してしまい、その代役として私が講演することになったのです。

 私は何の話をしようか迷いましたが、二宮金次郎の話をしようと、校長先生の許しを得て町内翠小学校の二宮金次郎の銅像の上に登って調べたのです。金次郎が読んでいる本には漢字が25文字書かれていました。拓本を取って町内小・中学校5校の校長先生に読んでほしい意図依頼しましたが、残念ながら読むことも出典も分かりませんでした。仕方なく県教委の国語の指導主事さんに送ったところ、中国の古書「大学」の一節だと判明したのです。

 もし小学二年生のあの時、校長先生が「お前は偉いやつだ。あの本は中国の古書大学の一節だ。内容○○○だと教えてくれていたら、私は東大へでも入学していたかも知れない(笑い)と思うのです。子どものころの好奇心と向き合う親や先生の態度は大切なものだと今更ながら思う今日この頃です。

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