○元町長の奮闘
私は昭和45年に役場に勤め始めてから平成17年に退職するまでの35年間で、3人の町長さんに仕えました。最初の仲野和町長さんとは、教育委員会で社会教育を担当しながら、企画調整室係長、総務課係長の兼務辞令をいただいて、町を二分してリコール運動にまで発展した町名変更を担当しました。
次の丸山勇三町長三とは、双海町の夕日によるまちづくりを企画調整室室長補佐と地域振興課長として、4期16年間の長きに渡って担当しました。
そして上田稔町長三とは教育長として双海町誌編纂や合併処理にまつわる様々な事業に2年間関わらせてもらいました。いずれの仕事も長い短いは別として、私の人生においてかけがえのない貴重な体験だったし、今も全力投球できた満足感を持っているのです。
仲野さんは4期町長を務められましたが、第一線から退く理由が選挙による敗戦だったゆえに、その後の出会いはそれ程多くはありませんでした。ライオンズクラブの会長を務めるなど高潔な実業家として生きて来られ、今も高齢ながら元気に過ごしておられます。願わくば元気なうちに一度お会いして過ぎ越し人生をかたりたいとも思っています。
丸山さんは5期町長を務められました。在任中は県の町村会長や県の合併推進委員会の委員も務められ、次の上田さんにその職責を譲り引退されましたが、退職後は悠々自適のように見えたものの、思わぬ不慮の交通事故に遭い一昨年末天国へと旅立ちました。退職が私より2年早かったため、在職中も退職後も時々立ち話をする機会がありましたが裏話などは聞けず、今にして思えば残念でなりません。
上田さんは仲野さんや丸山さんとは違い、商工会長も兼ねた議員さん出身で、外国語も話せる知識人として活躍しました。外国生活も長く、家の都合で帰郷してからはまちづくり青年会議の会長を務めるなど、私のまちづくり構想の最大にして最高の理解者として大いに議論を戦わせました。町村合併で在任期間は2年でしたが、新しい伊予市の初代教育長として活躍をされていましたが、1期で退任され松山市の国際観光推進監として今も活躍をしているようです。
3日前の愛媛新聞の地方版ワイドえひめ「人ひと人」という欄に顔写真入りで紹介されました。見出しは「自転車と共生する街に」というタイトルの記事でした。
何ヶ月か前出会った時、「暇な時に読んで下さい」と手渡されたレポートを読んでいたので、僅か300字ほどの記事を読みながらその考えを納得しました。上田さんの頭の中では伊予市や愛媛県という小さな世界は存在せず四国さえも狭い感じがするのです。若いころ世界を舞台に活躍した過去を思えば当然のことなのですが、自転車と共生する環境都市とは面白いと思いました。東日本大震災で壊滅的な被害を受けている福島原発や大津波被害のことを思うと、納得納得です。9月には10日間の日程で四国一周サイクリングが予定されているようですが、成功を祈っています。元町長の嬉しい活躍に大きな拍手を送ります。
「元町長 違う世界で 活躍と 新聞報じ スクラップする」
「鳥の目を 持った男の やることは さすがさすがと 感服しきり」
「三人の 町長仕え それぞれに 違った仕事 成果を残す」
「いい人に 巡り会ったと それぞれの 顔を思いつつ 朝を迎える」