○長崎の鐘をハーモニカで吹く
昨日8月9日は65年前、長崎に原爆が投下された祈りの日でした。同じ原爆の被害を受けた8月6日の広島とはどこか違うものを感じながら、僅か4日間しか違わない日々を、戦争について色々考えさせられました。広島は平和公園原爆資料館と焼け爛れた世界遺産原爆ドームを見ただけで原爆の恐ろしさを体感できますが、長崎は力強い北村西望作平和の像や長崎の鐘に象徴される祈りの街の感じがするのです。一方ではオリンピック招致を目指す100万都市の力強さを強調する広島市長と、銃弾に倒れた後を引き継いだ長崎市長とでは、同じ核廃絶を訴えてもどこか違う気がするのは何故でしょう。
8月9日11時02分、最初の標的は北九州小倉だったそうですが、小倉地方の天候が悪く長崎に変更されるという悪運に見舞われた長崎に、広島に続いて2発目の原爆が投下されました。地獄絵を見ているような惨状や、その後の後遺症は広島と同じだと広島原爆資料館を頭に描きながら想像できますが、私の心に残っている長崎は、やはり藤山一郎さんが歌った「長崎の鐘」という歌詞とメロディーなのです。
昨日は所用で松山へ行っていて、カーラジオから流れる長崎の平和式典の模様を聞きながら昼過ぎわが家へ着きました。昼食を終え書斎に入りパソコンのスイッチを入れ、ヤフーで検索して「長崎の鐘」の歌詞を探しプリントアウトしました。
「長崎の鐘」
サトウハチロー作詞・小関祐而作曲
(歌詞掲載不可のため割愛)
ご存知永井博士を歌った歌ですが、原爆の悲惨さなど何処にも詠われていない歌なのに、長崎の原爆を象徴する悲しみや祈りが込められているのです。私は戦争中に生まれ戦後の窮乏時代に育ち、この歌を聞いて育ちました。成人になってからもこの歌は音痴ゆえに上手く歌えないものの口ずさめるのです。そしてハーモニカを吹き出してからこの曲を練習しましたが、この歌は前半がAmマイナーと後半Aマイナーの2本のハーモニカを併用しないと吹けないのです。幾ら練習しても吹けなかった難曲でしたが、2本のハーモニカを手に入れてからはどうにか吹けるようになりました。
昨日はハーモニカを木になるカバンから取り出して書斎で一人吹いてみました。プリントアウトした歌詞に楽譜はありませんでしたが、体感音楽とでも言うべきメロディーはある意味物悲しく私の心を打ちました。昨年講演で長崎を訪ねた時も平和の像の前で恥も外聞も無く「長崎の鐘」をハーモニカで吹いて鎮魂の祈りを捧げましたが、この歌を聴く度吹く度に長崎の原爆を思い出すのです。
私の年齢と同じ65年を経た長崎原爆の日、私は私の人生の続く限りこの歌を忘れず口ずさむことでしょう。平和への祈りを込めて・・・・・。
「長崎は 祈りの歌の 懐かしく 鎮魂願い ハーモニカ吹く」
「天候の いたずら小倉 免れて 長崎悲劇 今も尾を引く」
「長崎の 鐘という曲 忘れまじ 生きてる限り 歌い続ける」
「核の無い 日本にしたい 思えども 安保傘下 アメリカ意識」