shin-1さんの日記

○伊能忠敬の地図と面会③

 しおさい公園の体育館に子どもたちと一緒に入りました。二階からフロア全体に敷き詰められた大中小の伊能図を見ましたが、見学者が小さく見えるほどの圧巻でした。順路に従って一階のフロアに降りましたが、黒山のような人だかりはやはりご当地愛媛県付近でした。参加した人たちは自分にまつわる場所を見つけて座り込み、写真に収めたりしていました。私たちのような古い人間には昔の地名はとても懐かしく感じられましたが、子どもたちにとっては大字や小字の地名は縁遠く、質問の都度説明をしてやりました。会場には黄色い帽子を被った説明する顔馴染みのスタッフもいて、地図の勉強にぴったりでした。

若松進一ブログ
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 体育館フロアの周りではパネル展もあって、ビデオコーナーでは見学疲れの参加者が休憩を兼ねてビデオ放映に見入っていました。

 今年は伊能忠敬が測量を始めて210年の記念すべき年だそうです。伊能忠敬は足がけ17年で日本全国をくまなく歩きこの地図を完成させました。江戸幕府に提出された伊能図は明治6年皇居の火災で全て焼失したようですが、10年前頃から熱心な研究者の手によって伊能図の副本・摸写が日本国内や遠く海の向うのアメリカで次々と発見され、大図・中図・小図全てが原寸大で展示されているのです。しかもその地図の上を自分の足で歩いて見えるという大胆な展示方法はとても新鮮に感じました。

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 江戸中期、上総の国小関村(現千葉県九十九里浜町)に生まれた伊能忠敬は、隠居をしたのを機に50歳を過ぎて江戸に出て、幕府天文方高橋至時に入門して測量技術を学び、全国測量という偉大な仕事を成し遂げましたが、測量技術の整っていない江戸期にこれほど正確な地図を作っているのですから驚きです。

 大器晩成、しかも目的を完遂した体力と信念は、華やかな政治経済の表舞台で紹介していないだけに全てがミステリーで、とても興味の持てる人物なのです。一度ゆっくりと偉人伝の裏に隠されたその生き方を書物などで勉強したいと思いました。

 双海町とも縁の深い伊予市灘町の宮内邸に当宿していることもあって、益々身近な人となりました。

 関門海峡、北方領土、間宮海峡、樺太、津軽海峡、瀬戸内海の島々などなど、興味を持った場所を次々と巡りながら、1時間余りのフロア展見学を終え、一緒に歩いた人たちと迎えのバスに乗って双海町まで無事帰りました。


 追伸

 伊能図フロア展では、佐田岬半島の方々や松山の人など、中日土曜日の午前中でしたが、様々な知人友人に出会いました。中には10数年ぶりの人もいて、地図上で楽しいおしゃべりをしました。


  「久々に 老いても生きる 生き方を 伊能忠敬 扉開けぬ」

  「日本には 偉大な人が いるものと 少し誇りの 気概見つける」

  「あっあった 地図上座り 子どもたち 自分の町を 見つけ歓声」

  「生きるには 遅くは無いが 遅いかも 胸は躍るも 凡人ゆえに」

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