○旅の途中で
長崎大村市への旅は博多から特急カモメに乗って諫早まで行きます。諫早駅で大村線に乗り換えなければならないため少しの待ち時間がありました。そこで前回は雨が降ってて諫早で見れなかった大楠とめがね橋を、途中下車のような形で見る事にしました。長閑な秋の一日は絶好の日和に恵まれ、歩いて一人散策しました。駅前の略図と看板を便りに街中を歩くと意外なものを見つけるものです。まず目についたのは諫早神社の前の川に行儀よく並べられた飛び石でした。列石の如く配置された石は台風で流れたため復元したものだそうですが、橋のなかった昔はこの飛び石が道だったし、人々が川を中心に暮らしていた頃は洗濯や野菜の洗い場として、時には子どもたちの遊び場として使われていたに違いありません。折角だからと川に降りて石の上を飛び跳ねるようにひい、ふう、みい、ようと渡りました。全部で37個あったと記憶しています。
諫早神社の境内の楠木は凄いです。巨木というに相応しい楠木が7~8本も群生していてそれは見事でした。
(裏から見るとシルエットの影が神木として神々しさを醸し、また違った趣きがありました)
川沿いには柳の木が植えられていて、度重なる水害に見舞われたのでしょう、幾つもの水門が川と道を遮断しているようにも見えました。
やがて諫早を代表するめがね橋のある公園に出ました。
(正面の眼鏡橋と書かれた石柱に歴史の重みを感じました)
(橋のたもとから見ためがね橋です)
(早朝なので観光客の姿はなく、講演の手入れをする人たちが忙しく働いていました、私は思いきって橋を歩いて渡りました。いい気分です)
(どうですか、この雄姿をとくとご覧下さい。水面に浮かぶ橋の姿を連想して作ったのでしょうが、いやあ立派なのに驚きました)
この橋の故事来歴を知る由もなく急ぎ足での見学だったのに、これほど美しい橋を見たのは久々で、少し興奮気味でした。ついでに後ろの山に登り諫早の街を遠望しました。民俗学者宮本常一の「知らない土地に行ったらまず高い所から見よ」という常一の父善十郎の言葉を思い出したからです。
頂上にも立派な楠木がありました。
(藤棚の向こうに青空が広がり、歴史に彩られた田舎町の風情を堪能しました)
年中旅をしている私にとってこれまで、諫早という土地は長崎への通過地点でしかありませんでしたが、手持ちの携帯電話に備えた万歩計は1万歩を指す束の間の散歩となり、強烈なインパクトを与えてくれました。これからも少し視点を変えて旅を楽しみたいと思いました。
私は元来た道をカバンを二つぶら下げて再び諫早駅に戻り、大村線に乗り込み目的地を目指しました。いいお土産話が出来ました。
「頬撫でる 風に誘われ のんびりと めがね橋まで 意のむくままに」
「一年中 全国歩く わが身だが この日の収穫 大いに満足」
「この橋を 誰が考え 造ったか 昔の人の 偉さ讃える」
「ひとり旅 人をへつらう こともなく 途中下車して ちょっと失敬」