○酒が恋しくなりました
七年前に体の都合で酒を止めました。それもきっぱりです。妻は私の潔さに多少惚れ直したようです。だって血気盛んな若い頃は結構短気者で、職場で爆発できないうっぷんを家庭に持ち込んで八つ当たりするものですから、妻がビールを冷してないのを見て怒り心頭に達し、そこら辺のものを投げたそうです。私は「エッ、そんなことあったっけ」ととぼけていますが、今の穏やかで丸みの出来た心技体から考えると想像もつかないような悪態・悪戯だったようで、深く反省しているのです。
私の友人には結構酒好きがいて、酒で体を壊した人が何人かいます。胃を切った、肝臓の数値が悪い、糖尿病だと大騒ぎし、何度か検診に引っかかったり入院したりするにもかかわらず、少し回復すると「ビール一本ぐらいなら」「酒は一合くらいなら医者が飲んでも良い」と自己判断して飲み始め、少量が中量・大量となって元の木阿弥になるようです。私のようにかたくなに強い意志を持って禁酒を貫く人は案外少ないようです。昨日出会った友人も、2年前に胃の殆どを取りながら、体力的回復はしていないのに既に酒の量は回復していました。みんな酒を飲まなくなった私を見て、盛んに基に戻して再び盃を交えようと言ってくれますが、私は頑として受け付けないのです。彼は酒を飲みながら、「胃を取った時、命が惜しくて酒は止めようと思ったし、看病してくれた妻に対しても酒は止めなければならないと心に誓ったのに、友達が誘うものだから一杯が二杯になって・・・・」と自分が酒を回復した事をさも友人のせいにするような言い草なのです。また彼は「酒を止めるのなら死んだ方がましだ」ともいいました。「じゃあ死んだら」と水を指すと一瞬彼の顔が曇りましたが、「俺には俺の生き方がある」とささやかな反骨を示したようです。
私のようなまちづくりに関わる仕事の世界は酒がつき物です。酒が人の心を開いたり結んだりするのも事実です。でも適量を楽しむことができないのです。私の知り合いが多い高知県などは酒を平気で返杯し合う悪しき?風習があります。まさに一気飲みの昔版なのです。こうなると自分流に酒を楽しんだりする余裕はなく、結局明くる朝頭が上がらない二日酔いに悩まされることになるのです。私も若い頃は随分彼らと盃を交え、負けるのが嫌いな性格もあって返杯を繰り返していました。でも彼らには絶対適わないと思って脱帽してからは、自流・我流の酒の飲み方を貫けるようになりました。
人間は弱いものです。「もう酒は絶対飲まない」と心に誓った入院生活が終り退院すると、ついつい盃が恋しくなるものです。ましてや新酒の話題や旬の魚などが手に入ると喉が鳴り、脳が体中に指令を出して酒飲みモードとなりもうたまらなくなるようです。秋刀魚を焼く匂いがプーンと匂ってきました。安いといいながら結構高値のマッタケもおすそ分けで一本いただきました。たまりませんね。でも私は意志の強さを公言し、酒ゼロ宣言を守っています。私に適量はありません。ゼロか100かです。私はゼロを選びました。
「ゼロか百 私はゼロの 道を行く 酒など足蹴り 今では平気」
「胃を切って それでも酒を 止めぬ友 誘惑負ける 心が弱い」
「若松さん 主人に言って 止めるよに 妻さえ出来ぬ 俺には出来ぬ」
「秋刀魚焼く 匂い連想 酒の味 元気出る水 恋し季節」
SECRET: 0
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0か百ですよね。確かに!中途半端な2~3杯の酒なら、やらない方がいいですよ。なんて、本当は皆さん少しでも、進ちゃんと杯を交わしたいんでしょうね。一回やると、堰が切れてきますから、辛や酒場の主人公ですね(苦笑)
若松市長の自治体は、面白くて、でも職員の大多数はしんどそうですね。でも住民は喜びますよ。