shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年10月19日

○秋の夕焼け鎌を研げ

 秋も深まってあちらこちらから秋祭りの賑やかな話題が届くようになりました。特に東予地方は西条のだんじり、新居浜の太鼓台など優美や豪快が売り物の祭りが多く、一二度しか見学したことはありませんが、感動して見たものです。機会を見つけてまだ見たことないという妻を連れて行きたいと思っています。

 私たちの地方では自然とともに生きるような第一次産業を仕事にしている人が多く、昔から天気を予測することが大事だったことから様々な気象に関する言い伝えが残っています。例えば「秋の夕焼け鎌を研げ」です。秋の「夕空が夕焼けになると明くる日の天気は請け合いだから、鎌を研いで明日の仕事に備えよ」というのです。いかにも長閑な時代でした。気象衛星ひまわりなどなかったのですから、天気を良く見れる人は地域で重宝がられ、私たちも子どもの頃、運動会や遠足になると日和見のよいおじいさんに、「明日の天気はどうですか」と聞きにいったものです。ところがそのおじいさんが「明日は雨かも知れん」と言おうものなら、てっきりこのおじいさんが天気をあやつっていると勘違いして、そのおじいさんの悪口を言ったり、たまに当りはずれがあるともう二束三文に言ったものです。今にして思えば悪い事をしたものです。日和見的と人の顔色を伺って行動する人を言いますが、面白い表現です。子ども時代に下駄を投げて日和を予測したのも懐かしい思い出です。

 ところが「秋の夕焼け鎌を研げ」と反対に、同じ夕焼けでも「夏の夕焼け川向こう渡るな」と言います。つまり夏の夕焼けは当てにならないほど局地的に大雨が降り、馬の背を分けるのです。

 私の家は代々漁師です。子どもの頃から様々な天気に関する諺を聞きながら育ってきました。「八島や平郡島に雲がかかると大やまぜ(南風)」「お日様が高入りすると雨が近い」「雲が出れば雨、雲が入れば晴れ」など、いずれも長年の暮らしの中から生まれたものだけに、今でも通用する諺が多いのです。かつて夕日のミュージアムを造る時、気象に関する諺を古老からの聞き取りで調査したことがあります。その当時160を越えてありましたが、あの時の資料が役場の倉庫に眠っていると思われるので、一度担当者にお願いして見せてもらいたいと思っています。

 私たちの暮しに欠かせない気象ですが、【自悠くらぶ】の〈感〉コーナーに清水さんが気象予報士として記事を書いていますので、じっくり勉強させてもらいます。



 一昨日は愛媛大学の学生が双海町にやって来ましたが、自慢の夕日を見ることもなく帰って行きました。片づけが終り支払いを済ませてわが家へ帰る頃、背中に夕焼けを感じたため急いでわが家へ帰ってデジカメを持ち出し、シーサイド公園へ行きました。期待したような夕焼けではありませんでしたが、それでも西の空の夕焼けがとても綺麗に見え、大勢の夕日ファンが見とれていました。

 早速写真をパソコンに取り込んで、ハガキを作りました。オリジナルな絵ハガキもどうにか出来るようになって、毎日三枚のハガキも書くのが楽しみです。でもこのところ到着する私宛のハガキが多過ぎて、少々ストック気味で馬力を掛けないと追いかけられそうです。



  「昔人 秋の夕焼け 鎌研げと 上手い表現 きつい労働」

  「明日天気 下駄を投げては 遊んでた 下駄割り親に 叱られべそを」

  「今が旬 双海の夕日は 日本一 俺の自慢が またまた始まる」

  「シルエット 夕日に向かい 恋語る ほのぼのとして そちらに目やる」 

 
(絵ハガキに採用した写真です)