〇父の日
先日ある放送局から、「高齢者の生き方をシリーズで放送している番組に出て欲しい」旨の電話連絡が入りました。「老人」とか「高齢者」という言葉を聞く度に、いつもは歳を取ったことを忘れ、他人事と思って活動しているのでドキッとし、自分がもう若くないことを悟るのです。最近は同居している孫たちから「おじいちゃん」と呼ばれても何の違和感も感じませんが、気力と体力のバランスが微妙に崩れ、先日もドアーに頭をぶつけてタンコブが出て、妻に笑われました。
私は幸せなことに家族が祝ってくれる日が1年に3回あります。誕生日と父の日、そして敬老の日です。誕生日も父の日もそれなりに納得してプレゼントを貰ってニヤニヤしていますが、敬老の日だけはまだどことなく違和感があるようです。昨日は6月の第3日曜日父の日でした。娘と息子たちが相談して、少しお洒落な余所行きシャツを何枚かくれたようですが、ファッションに無頓着な私は妻の言いなりな洋服を着ているので、プレゼントしてくれた子どもたちには悪く、ここだけの話余り嬉しくないのです。
昨日は夕方菜園に植えているネギを伏せ返るため、夕方まで農作業をしていると、息子が畑にやって来て、「風呂が沸いたからそろそろ終わりにしたら」と、嬉しい言葉をかけてくれました。息子も昨日は自分の持ち場である中庭の草取りを一日中やっていたようで、前後して一緒に風呂に入りました。いつの間にか息子も42歳の厄年を越え、180cmもの身長になって、すっかり逞しく仕事の合間を縫って地域づくりにも関心を示すようになりました。いよいよわが家でも代替わり、私もご隠居さんです。そんなことを無意識の中で意識した父の日でした。
「老人や 高齢者だと 聞く度に いよいよ俺も 腹をくくりて」
「年三回 プレゼント 父の日以外 目出度くもなし」
「いつの間に 息子私を 追い越して 一緒に風呂入り まざまざ見つめ」
「ご隠居と 言われる歳に なりました これから先は 自重して生き」