人間牧場

〇親父の一周忌法要

 親父が亡くなったのは昨年の7月11日でした。早いもので、あれから1年があっという間に過ぎ去りました。3月末妻と相談して親父の一周忌の法要を、少し早めではあるが気候のいい5月29日の日曜日にしようと相談がまとまり、叔父や叔母等親類とお寺さんに連絡しました。わが家は代々臨済宗東福寺派の下灘長楽寺の檀家ですが、家を下灘から上灘に移した際墓地も上灘に買い求めて造ったので、いつかは上灘のお寺に移さなければならないと考えていましたが、母が16年前に他界した折の葬儀は、臨済宗だったので親父も同じ宗派で送ってやろうと思い、葬儀は臨済宗でやりました。

 その際親族が集った折に相談納得してもらい、浄土宗知恩院派本覚寺に変ることになりました。長楽寺檀家総代さんを通じて離脱を伝えて手続きし、本覚寺さんに出向いて同じような手続きをして法要の予定を入れてもらいました。当日はあいにく朝から雨日和でしたが、家に10時に若い住職さんがやって来て、集った親族を前に一周忌の読経を上げてもらいました。その後お寺参り、お墓参りを済ませ、わが家でささやかな食事会をしました。法要といっても親父の兄弟は12人と多いので、集った親族は40人にもなりました。そこはこ民家風の広いわが家ゆえ、襖を外してテーブルを入れ、座布団を40枚敷いてもてなしました。

 法事にはうどんがつきものなので、妻はこの日のために大鍋で出汁を作ったり、準備に大わらわでしたが、近所の料理屋さんに頼んでいたパック料理とともに、皆さん大満足の手合いで、積もる話をしてくれました。親父が遺してくれた海の資料館「海舟館」も「もぎたてテレビ」で紹介されたりしているので、ビデオを見てもらったり、親父の隠居もその後リフォームして綺麗になったので見てもらいました。仏事は彼岸や新盆、一周忌が終れば三年と続きます。妻にとっても親族にとっても気の抜けないこのごろです。はてさて人間は必ず一度は死にますが、死んだ後の供養の仕方も最近は簡素化されて、葬式やお墓すら煩わしいと感じる人が増えてきたと言われています。自分の寿命が終わりに近づくに連れて、人間とは、人生とは、死後とは????と、考えさせられるこの頃です。

  「一周忌 あっという間に やって来た 去年の今頃 親父生きてた」

  「この季節 親父の介護 してたこと 思い出話に 花を咲かせる」

  「昨年の この頃書いた ブログ読む 親父に関する 話題毎日」

  「一周忌 集る叔父や 叔母たちも みんな平等 一つ歳とる」

法事に使った座布団40枚の天日干し
法事に使った座布団40枚の天日干し

 

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人間牧場

◯子どもふるさと体験塾(その3)

下浜ルートの山道を人間牧場まで歩いてやって来た子どもたちは、開講式をした後下の畑に降り、早速じゃがいも堀に挑戦しました。その頃には、小雨も止み霧に消えていた沖合に浮かぶダッシュ島こと由利島や猫の島青島もぼんやりと霞んで見え始めました。各班に2畝ずつが割り当てられ、茎を取りマルチをはぐと、マルチが雨除けになっていた乾燥した土の中から、丸々と太った男爵やキタアカリ、メークインという品種のじゃがいもが沢山お目見えし、あちこちから子どもたの歓声が上がりました。

 宮本館長さんの植え方の指導が良かったのか、肥料が効いたのか、また天候が適していたのか、2月中旬に植えた種芋は子孫を沢山増やし、今年はいつもの年より大豊作のようでした。早速適当な大きさのじゃがいもを見繕い、水洗いしてカレーの具材に使いました。また少し小ぶりのじゃがいもは、塩茹でしてバターで転がし一品にしました。掘ったじゃがいもの中には人間の顔をしたもの、双子になったもの等珍しいものも多く、子どもたちは宝物のように持ち歩いて自慢していました。

 そうこうしているうち、こんにゃく芋の皮を剥く作業とミキサーにかける準備が終わり、西岡さんの指導で高学年を中心にして練り合わせ作業が始まりました。クド石灰を入れて固めるこの作業は、中々力と根気のいる作業で、好きやす飽きやすの子どもたちにはタジタジでしたが、丸く固めたこんにゃくを大釜のお湯の中に入れて茹で、仕上げを行いました。材料として使ったこんにゃく芋は、私が人間牧場の畑で作った丸々太った5年芋で、まさに地産地消です。熱々の作りたてのこんにゃくも子どもたちのお皿に乗せられました。

 「じゃがいもの 畑に入り マルチ・茎 取ってスコップ あちこち歓声」

 「寒かった 今年の冬を 越した種 沢山子孫 つけて豊作」

 「牧場で 5年もかけて コンニャクの 芋を育てて 地産地消で」

 「好きやすで 飽きやす子ども くさし誉め どうにかコンニャク 一丁上がり」

じゃが芋掘り
じゃが芋掘り

 

 

 

 

 

西岡さんのこんにゃく作り講習会
西岡さんのこんにゃく作り講習
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◯子どもふるさと体験塾(その2)

 今年度の子どもふるさと体験塾には町内3校の小学校から52人の子どもが応募してくれました。毎年40人程度ですが、今年は兄姉の影響でしょうか?、また親の勧めか友達の影響か、嬉しいことに多くの子どもが手を挙げてくれました。運営上抽選にすることも考えましたが、私と事務局それに実行委員の決断で全員を受け入れることにしました。

水平線の家の板間が子どもたちで満員になりました
水平線の家の板間が子どもたちで満員になりました

 昨日は開講の日でした。親に連れられた子どもたちは、受け付け会場の下灘コミセンに集まり、受付を済ませた後雨合羽に長靴に傘という出で立ちで、予定の時間を少し遅れて出発したと、先導の隅田主事さんから、人間牧場にいる私の元へ携帯電話が入りました。コミセン〜下浜トンネル〜市道〜農道を人間牧場まで、しかも雨の中を歩いて登るのですから大変です。

 そのうち賑やかな子どもたちの話し声が聞こえ到着です。一行はひとまず水平線の家の板間に入りましたが、昨日はいつも使うウッドデッキが濡れて使えず、板間は子どもで一杯になりました。久しぶりの満員状態でした。早速開講式が行われ、実行委員長の私がいつものように少し長めのレクチャーをしてやりました。雨で沖合は見えませんでしたが、親友河野さんが雨の日のために書いて梁に展示している絵を指差しながら、岩国や広島にオバマアメリカ大統領が来て、平和や核なき世界について話してやりました。

  「定員を はるかにオーバー したけれど 抽選もせず 無理やり受け入れ」

  「雨の中 52人の 子どもたち カッパ長靴 傘差し山道」

  「雨だけど 決行するのが 自然流 事故のないよう くれぐれ用心」

  「久しぶり 水平線の 家満員 子ども賑やか まるで蜂の巣」

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〇お墓の掃除

 親父が96歳で亡くなったのは昨年の7月11日でした。あれから早くも1年近くが過ぎましたが、そろそろ一周忌の法要をしなければならないので、少し前を取って明日29日日曜日にやることになり、妻が中心になって準備を進めています。お寺に読経や塔婆製作のお願いに上がったり、親類への連絡は私の役目、料理や飲み物お返しなどの手配は妻の役目と決めて、この一ヶ月準備を進めてきました。

お寺の境内にあるわが家のお墓
お寺の境内にあるわが家のお墓
お寺本覚寺の山門
お寺本覚寺の山門

 前日の今日は人間牧場で子どもふるさと体験塾というかなり大掛かりなイベントが予定されていて、私は二つの準備が重なっているため、気が気ではありませんが、特に仏事は粗相のないようにしなければならず、妻と何度も打ち合わせをしました。昨日は人間牧場の畑から持ち帰ったシキビを束にして、お墓の掃除に一人出かけました。最近何度か掃除に出かけているので、お墓はゴミや落ち葉もなく、綺麗でした。お寺の勝手口に置いている水桶に水を入れ、花立てに水を入れてシキビを差し込みました。

 この時期のシキビは新芽が柔らかくまだ固まっていないので、萎れてしまわないか心配ですが、何とか明日の法要だけでも持って欲しいと願っています。お墓の掃除後お寺の山門をくぐって和尚さんにお会いし、明日の法要の時間や準備物について最終打ち合わせをしました。明日は久しぶりに親父の兄弟である叔父や叔母など親族が集り、わが家で40人程度のささやかな法要を行ないます。叔父や叔母も高齢になり、健康不安もあるようですが、親父の昔話に花を咲かせてやりたいと思っています。

  「一周忌 法要準備 墓掃除 シキビ供えて 水足し祈る」

  「早いなあ 親父が死んで 一年が あっという間に 過ぎてしまった」

  「山門を くぐって住職 面談し 明日の予定を 最終お願い」

  「一周忌 わが家でやると 決めてから 妻はあれこれ 準備おさおさ」

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◯ああよく寝た!!が・・・・

 昨日は朝早くから検査と診察のために、朝食も取らず県立中央病院ヘ出かけました。この一週間下水?に管を差した違和感でモヤモヤしていましたが、検査の結果経過も良好とのことで、管を外し近くの薬局でお薬を受け取り、帰ろうと薬局の玄関先に出たところへ、ギノー味噌の田中社長さんから電話が入り、味噌汁の試供品が出来たので立ち寄るように言われました。

病院の待合室にて
病院の待合室にて

 早速帰路を変更して裏道を通り、ギノー味噌の本社へ立ち寄りました。久しぶりの出会いだったので、立ち話のような形で積もる話を沢山しました。田中社長さんはポジティブな生き方をしている方で、出会う度教えられたりすることが多いし、私のような人間の話もしっかり聞いてくれるのです。昨日は即席の味噌汁の試供品を千個も預かって帰りました。これから約一ヶ月でこの即席味噌汁を配る計画です。

 帰宅せずその足でシーサイド公園へ向かい、漁協女性部の松本洋子部長さんから頼まれていた、今治市大浜漁協女性部の視察研修に望みました。現職をリタイアして12年になりますが、こうして皆さんと付かず離れずのお世話が出来ることは嬉しいことです。聞けば大浜漁協女性部も今年の9月に直売所を立ち上げるようで、アドリブながら求めるままお話を聞いてもらいました。

 病院からギノー味噌、その後休むまもなく視察団対応、更には近づいたステップアップセミナーや明日から始まる子ども体験塾の準備など昨日も忙しい一日でしたが、昨日は夕食後妻と二人で夕食後高村電器まで散歩し、風呂に入って早めに床につきました。8時間びっちり寝たお陰で今朝はスッキリです。今日からウォーキングも日常に戻ります。

  「よく寝たが どこかすっきり しない朝 体の具合 いまいちのよう」

  「具合どう 友人心配 してくれて よくなりましたと 少し嘘言う」

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〇今月の標語

 私の書斎の机の前の板壁に、月めくりカレンダーを掛けています。昨年までは日めくりカレンダーでしたが、長年愛用していた大判日めくりカレンダーが手に入らず、仕方なく使っていますが、毎日の旧暦などが書かれていて、家庭菜園の世話等に愛用しています。日めくりに書かれていた日々の情報を知ることができず、少し不満な感じもしますが、まあそれはそれとして、毎月の標語も楽しみで拳拳服膺しています。

 今月のカレンダー標語は「読書は様々な人物や出来事との出会いの場である」です。先月末の30日にカレンダーをめくりこの標語に出会って以来、いつもの月と違うほど読書量が増えました。机の上には今月読破した本が10数冊うず高く積まれていますが、書いた人物や出来事はまさに出会いの場でもありました。その中にコンビニで買った僅か552円の「自然治癒力」という題名の本は、少し体調を崩しているだけに、この一ヵ月間何度か読み返しています。

 まえがきに「自然治癒力」を高めるには心・食・気の三原則に気を配った生活をすることが効果的であると書かれていました。健康の有難さは病気にならないと中々分らないものです。私自身も元気印を過信して生きてきましたが、本を読むほどに何故病気になったのかが少しずつ分ってきました。幸いなことに私にはまだ自然治癒力の源である気力も体力も残っていて、今から始めれば元の元気な自分に戻れることを実感しました。「いいことは直ぐに始める、悪いことは止める」たったこれだけでも自然治癒力は高まるようです。読書によって色々な知らないことが分ります。「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」ようです。

  「今月の 標語は読書 いざなって お陰で随分 本を読破す」

  「コンビニで ジュースを買わず 本を買う ワンコインだが これが中々」

  「知らないと 不幸になるから 本を読む お陰で少し 知識と知恵が」

  「さあ今日も 本を一冊 用意して 暇を見つけて 読んでみようか」 

 

 

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〇食後のお薬

 他に何の取り得もない私ですが、「元気印」だけは誰にも負けないと思っていました。ゆえの過信も多少あって無理をしたせいでしょうか、このところ体調の変化が少しずつ現れ始めています。妻は「働き過ぎ」と「歩き過ぎ」を再三注意してくれますが、自分では「働き過ぎ」だと思わないし、毎日一万歩を目指して歩いている日課も、それほど「歩き過ぎ」だとも思っていません。

 しかしよくよく考えると、思い当たる節も幾つかあって、はてさてこれからの長いか短いか分らない神のみぞ知る余命を、健康的にどう生きるか再考が必要だと思い始めています。先週突発的に起こった身体の異常時、病院で診察してもらった際、お薬を飲むよう医師から指示され、薬局でお薬を処方してもらい受け取りました。その際薬剤師さんから「ジェネリックのことを知っていますか?」と尋ねられました。

 「高橋英樹でしょう」と悪ふざけをして笑われましたが、「ご存知のようなので」と、安い薬を処方されました。以来この一週間朝夕の食後に、妻が用意してくれる白湯で薬を飲んでいます。実は妻も最近血圧が少し高めで薬を飲むようになっていますが、昨日の夕方食後に、「この薬死ぬまで飲まなきゃあいけないの?」とポツリ私に問いかけました。老夫婦が会話しながら食後に薬を飲む光景を、何とも寂しく感じたのでしょうか。

 聞いたり見たりすれば、私たちの知人や友人も、旅行に一緒に行った時など何のお薬か分りませんが、お薬を沢山持参して腹が太るほど飲んでいるようです。晩年薬を飲んでた親父の姿と自分の姿を重ねながら、積り始めた老いの厳しさを感じました。「酒もタバコもコーヒーも飲まないのだから、せめて薬ぐらいは飲まなくっちゃあ」と妻に悪ふざけを言って、「何を馬鹿なことを言ってるの」とたしなめられました。「アハハのハ」でした。

  「用意して くれた白湯にて 薬飲む 食後の習慣 死ぬまで続く」

  「酒・タバコ コーヒーさえも 飲まぬから 薬くらいは 妻に叱られ」

  「薬局で 高橋英樹と 答えたら 知ってますねと 薬剤師さん」

  「お薬を ビールで飲んでる 仲間いる それでも死なず 生きてる不思議」

  「デザートの 代わりに薬 飲む夫婦 食後随分 様変わりです」

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〇進化し続ける身の回りの暮らし

 あれは確か1月31日でした。宇和島市福祉祭りに招かれた折、長年の親友である宇和島市遊子水ヶ浦に住んでいる藤田さんが、私の記念講演を聞きに来てくれました。藤田さんとは元愛媛県漁業後継者協議会の会長さんとして活躍している頃に知り合い、養殖漁業を断念して転職してからも折に触れて出会い、愛媛新聞社に記者として勤めていた娘さんともあれこれ顔見知りになり、今に至っています。

 少し遠回りな話になりましたが、福祉祭りに来てくれた藤田さんは、発泡スチロールに冷凍ブリの片身を手土産にくれましたが、その後わが家の冷凍庫に保管されてままになっていました。昨日妻は何を思ったのか冷凍庫から出して食べる準備をしました。よく見るとナイロン袋に入った冷凍魚ですが「刺身用」・消費期限「2016年6月15日と書かれていました。付け加えて解凍は15度の水でとも書かれていました。マグロならいざ知らず、ブリの冷凍を解凍して果たして刺身で食べれるのだろうか?と、少し不安が覗きました。

 昨夕妻は書かれた通り解凍して、刺身と塩焼きにして食卓に出してくれました。食べてみましたが食感も鮮度も生のブリと同じで、昨日は久しぶりにブリのご馳走を堪能することができました。。私も高校生の頃、宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗船し、マグロ延縄でマグロを獲った経験があるし、マグロの冷凍技術も知っていますが、それにしてもブリが4ヶ月間の冷凍を経て新鮮なまま刺身で食べられるなんて、これは凄い冷凍技術だと思いました。

 私たちの暮らしは知らないところで進化し続けています。萎れた野菜が50度の温水に数分間漬けると活き活きと蘇ったり、尋常では考えられないことが次々と明らかになり、人間の頭脳の素晴らしさを思い知らされています。退化するしか能のない私のような凡人も、何か閃かないものか?と、期待したいものです。今夜はブリのしゃぶしゃぶに漬け丼だと、妻が予告をしてくれ夕食を楽しみにしています。

  「四ヶ月 前に貰った 冷凍の ブリを解凍 刺身抜群」

  「箸摘み 半信半疑 夫婦とも 食べて納得 これは美味しい」

  「身の回り 暮らし色々 進化する 人間の知恵 凄いものです」

  「今晩は ブリのしゃぶしゃぶ 漬け丼と 妻の予告 今から楽しみ」

 

 

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〇鯉幟の片付け

 わが家では5月5日の子どもの日を挟んだこの1ヶ月間、端午の節句にあやかり、内孫2人のため庭に鯉幟を上げていました。孫たちも最初は珍しそうに友だちに自慢したり、勿論私もアメーバブログの自己紹介画面にその様子をアップする等していましたが、ここに来てそろそろ片づけをした方が良さそうな雲行きになったので、天気が続き鯉幟や道紐も乾いているようなので、昨日はみんなで片づけました。

一ヵ月間庭に泳いだ鯉幟
一ヵ月間庭に泳いだ鯉幟
役目を終えて倉庫にしまわれました
役目を終えて倉庫にしまわれました

 まず道紐を緩めて鯉幟を降ろし、道紐から15匹の鯉幟を順次外しました。この1ヶ月間鯉幟は、五月の風をいっぱい吸い込んで元気に泳いでくれましたが、中には道紐に絡んで外しにくいものもありました。それでも傷んで使えないものもなく、役目を終えました。実はこの鯉幟の種を明かせば、100円ショップダイソーというお店で買った1匹100円の安物なのです。

 わが家には孫たちが生まれた時、若嫁の実家から立派な内幟飾りと別染めの武者幟が贈られていますが、孫たちにとってはむしろ1匹100円の鯉幟の方がお気に入りのようなのです。電柱と2階の屋根に登って道紐や滑車を外し、全てを片付けましたが、これらは若嫁の手によってビニール袋に入れられ、倉庫の隅でまた1年間深い眠りにつくのです。鯉幟ならぬまるでメダカかイワシの行列のように、庭先の空を元気に泳いでた鯉幟も片づけられ、わが家もいよいよ梅雨や本格的な夏を迎えます。

 

 

 「一ヵ月 わが家の庭先 泳いでた 鯉幟軍団 役目を終えて」

 「一匹が 百円だとは 誰が知る 知恵さえ出せば 立派なもんだ」

 「メダカかな いやいやイワシ まるで群れ 海の町ゆえ これもありです」

 「来年も 泳いでくれと 感謝して ビニール袋 入れて倉庫に」

 

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〇オイスターとウースター

 私はソースといえば食卓の上に置いているカゴメ印のウースターソースだと、最近まで思っていました。ところが料理番組を見ているとお皿を汚すように料理の周りに振りかける液体もソースだというし、またある人はオイスターソースと似たような名前を言っていて、何がどう違うのかこんがらがっていました。調べもせず聞きもせずうやむやでしたが、ウースターソースとオイスターソースは原料がまったく違うことを、最近になって知りました。

 ウースターソースは10種類以上の野菜の煮汁を原料に調味料を加えて作るのだそうですが、オイスターソースは海の牡蠣の煮汁が原料のようです。私は田舎の漁師町育ちで、小さい頃からお魚のフライや天ぷらにはウースターソースをかけて食べるものだと信じていました。極めつけは何とカレーにさえウースターソースを、何の疑いもなくかけて食べていたのですから驚きです。大人になって料理屋さんで出された天ぷらには、下ろし大根を添えた天つゆがあって、どのようにして食べたらいいか戸惑ったものでした。

 先日私の家で親類の漁師さんたちと小さな食事会をやりました。妻は猟師さんが手土産に持って来てくれた穴子を開いて天ぷらにし、勿論今が旬の新タマネギのかき揚げも出してくれましたが、妻が作った天つゆには目もくれず猟師さんは、「ソースを下さい」と妻にリクエストして、天ぷらにウースターソースをたっぷりかけ、私の若かった頃のように美味しそうに食べていました。私は最近天ぷらを馬路村産ユズ醤油につけて食べることがありますが、これも中々の味です。今度は余り馴染みのないオイスターソースの味を、料理に使って確かめたいと思っています。

 「どう違う 最近までは 知らなんだ 二つのソース 似ていて非なり」

 「天ぷらに ソースをかけて 食べる人 昔の私 見ているようで」

 「こちらでは カレーにソース 何か変? 首をかしげつ ケンミンショーだ」

 「オイスター 本当の味を 知りません この歳なりて 無知もいいとこ」

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