shin-1さんの日記

○忘れられない懐かしい思い出の一こま写真

 昨日講演のため訪れた高知県大月町の講演会場に、珍しい人が訪ねて来られました。そのご夫妻の顔はしっかりと覚えているのですが、突然控え室へ来られたため最初は「えっ、誰だったかしら」と顔と名前が一致しませんでした。自分の頭脳のカンピューターをフル回転させて巻き戻し、その人が大月町道の駅の役場産業課担当者である山本さんだということまで記憶を戻すことが出来てホッとしました。

 山本さんの奥さんは今年9つの小学校が統合して出来た大月小学校に勤めている学校の先生です。講演前の短い時間だったので、立ち話のような形で矢継ぎ早な質問をお互いにかけあいました。聞けばこの日の講演会のニュースを学校に勤務している奥さんが知り、嬉しいことに二人で講演を聴きにくれたのです。


 講演会場にお二人の姿を確認しながら90分ばかりお話をさせてもらいましたが、講演が終わると直ぐに妻と孫が待っている駐車場に移動して会場を後にしましたが、山本さんからいただいたA42枚の写真を見ながら当時を懐かしみました。

 自宅に帰ってから書斎の引き出しにしまってある過去の予定表を取り出し捲って見ました。2007年6月23日・24日の欄に確かに大月町役場職員組合講演会と書いていました。そしてさらに自分のパソコンでこの日のブログを呼び出すと、その日の模様がかなり詳しくルポしていました。残念ながらデジカメは初期の段階だったのか、山本さん宅に泊めてもらった写真や柏島周辺を散策した写真は記録されていませんでした。おいおい保存している写真データーを読み出せばいいのですが、その時間的余裕もないので、山本さんからいただいた写真を紹介しておこうとスキャナーで取り込みました。

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(2007年6月24日の早朝、山本さん宅の前の庭で山本さん親子と私)

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(素敵な奥さんとも)

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(お母さんに手持ちのハーモニカを吹いて宿代にしました)

 写真の中に上の珍しい写真を見つけました。山本さんのお母さんの前で私が手持ちのハーモニカを恥かしいながら吹いているのです。山本さんのお母さんは私のハーモニカを聞きながら拍手をしてくれました。曲は夕焼けこやけと赤とんぼ、それにみかんの花咲く丘の3曲だったようでした。

 聞けばお母さんも何とか元気なご様子で、いつの日かまたお母さんの前で少しは上達したハーモニカを吹いてあげたいとも思いました。

 人の記憶はあいまいです。昨日のことさえ忘れるようなこの歳になると、3年も前の出来事など記憶の隅に追いやられるものなのでしょうが、山本さんご夫妻が記憶と記録していた写真、それに私の記憶と記録が幸運にも残っていたため記憶は蘇ったのです。民俗学者宮本常一が言っている「記録しないものは記憶されない」とはこのことかも知れません。2010年8月1日のこの記録も、早起きしてブログに書いただけですが記録することによって記憶されることでしょう。


  「久しぶり いきなり楽屋 訪ね来る ご夫妻の顔 思い出しつつ」

  「懐かしき 写真手土産 いただいて ありあり浮かぶ 三年も前」

  「ハーモニカ 吹いて聞かせる したたかさ どんな顔して 吹いたのだろう」

  「握手して 再会約し 分かれたり 手の温もりを 今も感じて」

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○高知県大月町での幡多地域PTA研修会に招かれて

 これまでにも何度か、私の講演に合わせて妻とは少し遠い旅、孫を伴った時は近き旅を楽しんでいましたが、今日は高知県大月町で行われた幡多地域PTA研修会に招かれたため、妻と孫朋樹を伴って出かけました。近くといっても私の町から大月町へは、双海~大洲~宇和島~愛南~宿毛~大月と片道160キロもある県外です。講演は午後1時40分からなので逆算して午前9時に自宅を出発しました。普通だと何処へも立ち寄らず行くのですが、妻と孫が同乗しているため、コンビニや須ノ川公園などに立ち寄り、予定通り12時近くに道の駅大月に到着しました。

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(夏の由良半島)

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(うっそうとした須ノ川公園)

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(公園はキャンパーで賑わっていました。一休みです)
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(道の駅でアメリカザリガニを買ってもらいました)

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(山本さんが勤めている大月町の道の駅)

 詳しくは覚えていませんが2007年6月23日と24日の2日間、大月町役場産業課の山本さんの紹介で、職員組合主催の講演会に招かれ、彼の担当していた道の駅などを見学したり、山本さんのお宅に泊めてもらったことを思い出しながら、昼時だったので3人で道の駅2階のレストランで食事をしました。こんな遠方なのに道の駅の前のお弁当屋さんには堀さんという素敵な女性がいて、私ともう長い間文通をしたりしているのです。今日も立ち寄りましたが嬉しいことに店にいて、忙しく働いている合間を縫って再会することができ、少しだけ立ち話をしました。同伴した孫はお土産までいただいてご満悦でした。

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(PTA研修会会場の参加者)

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(演題の垂れ幕)

 この日の研修会は生活改善環境センターという施設で行われていましたが、メールで送られてきた地図では役場の直ぐ横、電話番号も書かれていたので、地名や電話番号で入力しましたが、残念ながら目的地を見つけることは出来ませんでした。農協の近くということを地元の人から聞きだし、迷うことなく一発で時間前に会場へ到着しました。幡多地域のPTAの役員さんが100人を越えて集まっていました。

 大ホールは外気温が34度という表示の屋外に比べれば冷房がガンガン効いた別天地で、約90分熱を込めてお話をさせてもらいました。午後1時40分からという眠気を催す時間帯ながら寝る人もなく、熱心に聴いていただきました。

 今回の研修会の橋渡しをしてくれた松下先生や、私が来るというのでご夫婦で公演を聴きに来て頂いた山本さんご夫妻と懐かしい対面をさせてもらい充実した一日でした。


 孫は道の駅でアメリカザリガニを5匹ほど買ってもらい上機嫌でした。自宅から持参した冷やしたお茶も水もクーラ-ボックスから取り出して、クーラーボックスに替わりに「ザリガニが暑さで死んでしまうから」とさっさとザリガニを非難させました。孫にとってアメリカザリガニはアイドルなので仕方ないのですが、判るような気もするのです。

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○梅の土用干し終わる

 梅の産地である砥部町七折から、梅の土用干しの話題が新聞やテレビで届くようになりました。土用といえば太平洋高気圧が張り出し、一年中で最も天気が安定した暑い季節です。わが家でも毎年この頃になると梅干の土用干しを行っており、力仕事なものですから当然私の仕事と認知され、汗をかきながら干したりひっくり返して万遍に干したりする作業を繰り返しました。

 昨日の夕方3日3晩の土用干しが終わって、やっと梅干を本漬けするところまでこぎつけました。その間雨が降り出して間一髪雨は合わなかったものの、2回も雨宿りを余儀なくされました。傍で見ていて体力に自信のない親父からは「雨が降るかも知れないからしまうように」とか、妻からも同じような指摘を再三受けて何度も迷いました。今になって天気予報の読みが甘かったと少々悔やんでいますが、それでも昨晩何とか瓶や壷に入れて事なきを得ました。

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(土用干しの終わった大量の梅干)

 後は塩もみした赤シソを梅干の上に乗せ、梅酢を入れて冷暗な地下室へ収納し、熟成させる作業が残っていますが、赤シソと梅酢の作業は妻の仕事なので、私はそのお手伝いなのです。

 先日わが家を訪れた人が土用干しをしている大量の梅干を見て、「これは販売するのですか?」と言われました。「いえいえ自家消費用です」と答えると、「えっこんなに?」と二度ビックリです。確かにこの量は尋常ではありません。でも親類や子どもたちにおすそ分けしたり、料理に入れたりして使うとこの量で、も一年間で消費してしまうのです。特に2年生の孫朋樹は梅干が大好きで、来る度に梅干の入ったおにぎりを妻にリクエストするのです。朋樹はこの二日間梅干の裏返しや土用干しも感心するほど手伝ってくれました。


 私も梅干が大好きで、一日に一個は必ずと言ってよいほど食べます。塩分が気になりますが、わが家では塩分を控えめにして漬け込む時、樽の中へビニールの袋を入れ、焼酎を振り撒いてビニール袋の口を閉めておくことで防カビを実現しました。まだ10パーセントには至っていませんが、限りなく10パーセントに近づけるよう頑張っているところです。

 梅干や梅酒、大根の漬物など自家用保存食作りも、私の退職で妻の仕事を多少手伝うようになり、スムースにことが運んでいます。今は味噌作りも休んでいますが、そのうち味噌作りも復活したいと妻に言うと、妻はあの重労働が頭にあるのか否定的です。じわじわと攻めて、味噌作りをしたいと思っています。


  「大量の 梅干できて ホッとする 料理に重宝 美味しいですよ」

  「遺伝かな 梅干好きな 孫朋樹 今朝も一個の 梅を平らげ」

  「土用干し 終わると夏も 本番で せみの鳴き声 朝から賑やか」

  「喰えるのに クエン酸とは これいかに 孫と駄洒落の 朝を迎える」

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