shin-1さんの日記

○買ってもらった新型の水筒

 今年の夏は暑いと誰もが言います。それを裏付けるように各地で猛暑日が続いて、熱中症の人がかなり出ているようで、これまで水分補給など余り気にしていなかったのに、出かけたり草刈作業をする時は小まめに水分を補給するようになりました。今は何処ででもペットボトルに入ったお茶や水を買うことが出来るため、家で沸かして作った麦茶をわざわざ持っていかなくても済むのですが、昔人間である妻や私は勿体ないとばかりに、小さな魔法瓶に入れて持ち歩くのです。

 しかし、何年か前に買った魔法瓶は旧式のもので、蓋に注がなければ飲めない仕組みになっているため、今頃の子どもたちが吸い口から直接飲んでいる魔法瓶水筒が欲しいなあと思っていました。

 先日妻が欲しいと思っていた吸い口のある魔法瓶水筒を買ってきました。どうせ大安売りの魔法瓶水筒が目に留まってのことでしょうから、高いものではないと鷹を食っていました。先日双海町高野川から海岸沿いを伊予市森まで歩くイベントに参加した時この魔法瓶水筒を持参しましたが、氷を入れた冷たい麦茶に喉を潤わせて、熱中症になることもなく終わりました。

 昔は魔法瓶といえば高価なもので、中々手に入りませんでした。また折角買った魔法瓶も落下の衝撃で内部が割れて大目玉を食らったこともありましたが、今は簡単にしかも安価に手に入るようになりました。

若松進一ブログ

 ところで、ペットボトルのお茶は本当に記載どおりのものが入っているのでしょうか。いくら抽出方法が進んでいるからといっても、主原料となるお茶をあれほど色濃く出すには、相当の茶葉を使用しなければならないはずですが、どうも合点がいかないのです。また水も外国産のものや海の深層水まで様々なものが売られていますが、殺菌するのでしょうがお茶や水も、一ヶ月経っても腐らないのが不思議です。自宅で麦茶を沸かせば冷蔵庫に入れてもたかだか二日しか持たず腐ってしまいます。

 まあそんなに目くじらを立てることはないと思いますが、毎日口にするお茶や水だけに何か疑問を感じたら、安全と思うものに変えなければなりません。その点妻の作る麦茶は色といい香りといい、味といい夏の飲み物としては採光だと思い、今日もたっぷり飲みました。


  「孫の持つ あんな水筒 欲しいなあ 思う矢先に 手元へ届く」

  「何日も 腐らないお茶 不思議だな 疑り深く 何故なのだろう?」

  「妻作る 麦茶最高 味香り ビール飲まない 故に楽しむ」

  「いつまでも 冷えたまま飲む 魔法瓶 まるで魔法に かかったようだ」


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shin-1さんの日記

○今日の論語「勇者は懼れず」

 論語日めぐりカレンダーの今日の言葉は、「勇者不懼」で「勇者は懼れず」と読みます。読んで字の如く「勇気があれば懼れることはない」のです。しかし人間は何かに向かう時、中々勇気が出ずしり込みをしてためらうものなのです。私のような何処にでもいる平凡な人間でも、自分の65年間の人生を振り返ってみると、「もしあの時勇気を出して一歩前に踏み出していなかったらどうなっていただろう」と、勇気の存在に気付くのです。

 私にとって最大の勇気は何といっても「夕日」です。100人の中の自分以外99人までが反対した夕日をテーマにしたまちづくりは、勇気の塊のようなものでした。間もなく夕焼けプラットホームコンサートが9月4日に開かれますが、奇しくも25周年目を迎えるこのコンサートなどはその典型で、何の変哲もない無人駅のプラットホームを舞台にするコンサートの企画など、誰も相手にはしてくれませんでした。

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 いい企画だと自負して始めたものの、「夕日と同じ沈むようなマイナスイメージの町をつくってどうするのか」と反対する町長、「列車が出入りする危険なプラットホームを使ってもし事故でもあったらどうするのか」と使用することを渋るJR、「音楽がうるさくて寝れない」と拒否反応を示す近隣住民、「北島三郎や鳥羽一郎なら分かるがベートーベンなどして人は来るものか」という漁師さんなどなど、自分の前に立ちはだかる反対の壁は予想以上に厚かったのです。

 私の本当の目的は夕日よりもJR予讃線海岸周りの存続でした。内子・中山を通る山周りにその座を奪われ、やがて並行路線として消える運命にあった地元の弱者の足をどうしても守りたかったのです。結果的には夕日もそれなりに有名になり、海岸周りも残っていますが、四半世紀を越えた夕日によるまちづくりは、海岸国道の改良やシーサイド公園の整備によって町が生まれ変わりましたが、その後の市町村合併によって先行きが危ぶまれているようです。

 勇気がある行動をする人を勇者と呼びます。私は多少勇気ある行動をしたものの、本当の勇者だったかどうかは分かりませんが、斬新な発想と勇気ある行動があれば多かれ少なかれ誰でも勇者になれるのです。しかし斬新な発想も勇気ある行動も、口では簡単に言えますが容易には一歩を踏み出せないのが世の常です。失敗したら「それ見たことか」とののしられる周囲の人を意識してしまうのです。

 結局のところ自分というもう一人の内在する敵とどう戦うかです。100人の人と走って一番になるためには一緒に走る99人より速く走らなければなりません。しかし99人を意識すると、走る前からそのプレッシャーに押しつぶされてしまうのです。要は99人より千分の一秒でも早く走れば一番でゴールできるのですから、その勝算のシナリオを描いて訓練すればいいのです。

 「自分に勝つ」、これは99人に勝つことよりも難しいと思います。でも「勇者は自分を懼れず」とも解釈して、勇気ある一歩を踏み出したいものです。


  「勇者には なれないけれど 勇気なら 少しはあるぞ 一歩踏み出せ」

  「今だから 言えることだが あのころは 若さ見方の 勇気があった」

  「結局は 体に潜む 自分との 戦いなんだ 自分に勝てと」

  「夕日など 金になるかと 馬鹿にされ 寝ても冷めても 夕日狂いに」

 

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